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蕩減の真の意味

「償い」ではなく「赦し」

原理講論 緒論(一)(1)「蕩減復帰」の間違いを正す

2022年05月25日 | 解説

リンクサイト
「原理講論<要説明箇所> 修正・補足を要する箇所を指摘する」より

緒論 

[
001]「『蕩減復帰』というのはどういう意味なのであろうか。」

★ この文章は不要。

「蕩減復帰とは」で始まりながら「蕩減復帰摂理」で終わるという前後が矛盾した書き方をしている。この原因は前著「原理解説」にある。

■ 原理解説(日本語版)P.127
「されば蕩減復帰とは何を意味するか、何はともあれその本然の位置又は状態が喪失された時、その状態を回復するには必ず或る条件が成立しなければならない。此様に本然の位置又は状態を回復する為に之に該当する償いの条件を立てるのを蕩減と云い、此の条件を立てて本然の位置と状態に復帰するのを蕩減復帰と云う。」


[002]「蕩減の定義」の間違い

「どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを『蕩減』というのである。」

"DIVINE PRINCIPLE(英語版)"
 "When someone has lost his original position or state, he must make some condition to be restored to it.The making of such conditions of restitution is called 'indemnity(蕩減)'"


★ これは完全な間違い。何故なら「文鮮明師の定義」と異なっており、「原義」とも異なっている。

         →「蕩減」の原義 
         →「蕩減復帰原理」 李相憲氏の定義 
         →「蕩減」の意味を金東俊教授に聞く
         →「蕩減」金東俊教授が原理講論を訳す 
         →「蕩減」の由来(聖書的根拠)
         →「蕩減」聖書の相反する2つの使い方
         →「蕩減」には複数の意味がある(教祖のスラング)    
         →「蕩減」文鮮明師による定義     
         →「蕩減復帰原理」定義まとめ 

 「蕩減」の意味 
   = ある債務者が多額の負債を負っているとき、債権者の好意によって、その中の一部だけを返済することをもって全額を清算したと見なすこと。
    英訳は「remission」「wtite off a debt」「 forgive a debt」
 
 ★ 罪の赦し(forgiveness)を負債の赦しに例えた聖句の中で使われている。
  
  [解説] これは「蕩減条件の立て方の種類」の中の「より小さいものをもって蕩減条件を立てる(減償法)」方法の文章と同じだが、この「減少法」も間違い。

    何故なら、「蕩減」という言葉自体が「減償」を意味する言葉だから。

 ★ 「蕩減」は韓国製の漢字語であるが、韓国では漢字廃止の影響で漢字語を正確に理解出来る層と出来ない層がある。
  原理講論の「蕩減」「体恤」の使い方を見ると、著者・劉孝元氏は漢字語をよく知らない層の一人だったと言えよう。
  文氏のスラングで言う時の「蕩減」(99%)と原義で言う時の「蕩減」(1%)の区別が出来きていないし、「体恤」という言葉を知らない。 
  統一教会に於いて「蕩減」の意味を正確に語った記録があるのは文鮮明師と李相憲氏の二人だけだ。

         → [参考]「漢字廃止で韓国に何が起きたか」(呉善華著) 

 
[003] 蕩減の「例」の間違い

①「例を挙げれば、失った名誉、地位、健康などを原状どおりに回復させるためには、必ずそこに、その必要を埋める努力とか財力などの条件を立てなければならない。」

②「また、互いに愛しあっていた二人の人間が、何かのはずみで憎みあうようになったとすれば、このような状態から再び、互いに愛しあっていた元の状態に復帰するためには、彼らは必ず、お互いに謝罪しあうなどのある条件を立てなければならないのである。」

★ ①の名誉、地位、健康、②の人間関係、いずれも「蕩減」とは全く関係のない例。正しい例えは下記。

★ 李相憲氏の例え(李相憲著「統一民族史観」より)

「イエス様は、人間が犯した罪は借金をすることと同じだとしばしば表現されています。例えばイエス様は王様から借りた一万タラントの借金を返す事が出来ないでいる僕の例(マタイ18/21~35)を挙げています。 
 王様は『もし一万タラントの借金を返すことが出来ないのであれば、お前と妻子と持ち物全部を売って返しなさい』と命じました。それらを全部売っても一万タラントにならないかも知れないが、それで一万タラントの借金と相殺してやるという意味です。これも蕩減を意味します。 
 ところが僕がひれ伏して『必ず借金を返しますから、暫くお待ち下さい』と言って哀願しました。その姿を見て気の毒に思った王様は『お前の心掛けは殊勝だ。負債を免じてやるから帰りなさい』と言って彼を赦してやったのです。これもやはり蕩減なのです。」
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「蕩減条件の立て方」の間違い

2022年05月07日 | 解説

緒論

①「蕩減条件の立て方の三つの種類」の間違い

[004] 第一は、同一のものをもって蕩減条件を立てる(報償、還償)

[005] 第二は、より小さいものをもって蕩減条件を立てる(減償)

[007] 第三には、より大きなものをもって蕩減条件を立てる(増償)

★「蕩減」という言葉自体が「減償」の意味であるので、第一、第三を「蕩減」とは言わない。

「ある債務者が多額の負債を負っているとき、その債権者の好意によって、その中の一部の少額だけを返済することをもって、負債の全額を清算したと見なす」とは正に「蕩減の意味」そのものの説明になっている。
韓国人に「『蕩減』とは何?」と質問すると異口同音に返ってくる答え。文師も同じように答えたという。

★ この三つは「蕩減条件」の三種ではなく「贖罪」の三種にあたる。

  第一、第三は「自犯罪」などの比較的軽い罪にしか当てはまらない。即ち「蕩減(減償)」が不要な贖罪。
 「原罪」「遺伝罪」「連滞罪」のような大罪に対してのみ必要となるのが「蕩減(減償)」である。

★ 韓国では漢字廃止の影響で、基本的な漢字語を正確に理解出来る層と出来ない層とに分かれている。
 文鮮明教祖以外で原理の中の「蕩減」の原義を理解していたのは李相憲氏だけ。
 著者・劉孝元氏は文氏のスラングで言う「蕩減」(99%)と原義で言う「蕩減」(1%)の区別が出来なかった。
 
   → 「蕩減」には複数の意味がある(教祖様のスラング)
   → 呉善花著「漢字廃止で韓国に何が起きたか」
   → 何故、初歩的なキリスト教用語の間違いが多いか?


[006] 
----------------------------------------------------------------------------------------
② 我々は十字架の代贖を「信ずる」というごく小さな蕩減条件を立てることにより、イエスと同一の死を経て再び生きたという条件を立てたと見なされて、救いの大いなる恩恵を受けるようになるのである。

③ また、我々は数滴の水を頭の上から注がれ、洗礼を受けたという蕩減条件を立てることにより、イエスと聖霊によって重生したという立場を復帰することができるのである。このほかにも、聖餐式において一切れのパンと、一杯のぶどう酒をとるだけで、我々はイエスの聖体を食べたという、より大きな価値の恩恵を受けるのである。このような例は、みなこれに該当するということができる。
----------------------------------------------------------------------------------------

★ ②のパウロの「信じて義とされる(信義)」という神学は、本来統一教会は否定する立場。即ち「信じるだけでは救われるわけではない」と主張してきたことと矛盾する。

★ ②、③ともに「これで大きい罪を小さくする」という意味ではない。いずれもサタン側から神側に移行する意思表明の形であって、罪に関しては全てキリストによって贖われると言っているのであり、人によるものはないとする立場に変わりはない。

故にこれらは「減償的蕩減条件の立て方」の例とはならない。

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「蕩減復帰原理」キリスト教との連続性の証明

2022年02月10日 | 解説

● キリスト教との連続性

・マタイ5/17 
 「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。」

・「御旨の道」より
 「歴史を無視する人は現実の責任者になり得ない。現実の責任者になりたい人は歴史の相続者となりなさい。」

・1970.10.13「血統的転換」より
 「神の摂理下すべての過去において失敗したその悩みをいかに自分が受け継いで勝利した基盤に立つかということが問題である。それを完全に受け継いだという基準に立たなければメシヤとして立つことができない。」


● マタイによる福音書第18章21節~35節の解釈

人間は神に対して計り知れない大きい罪(原罪)を負っている罪人である。その罪の「ゆるし」を受けるためには、キリストは人を無限に「ゆるしなさい。敵をも赦し、愛しなさい」という。マタイによる福音書第18章21節~35節の解釈を、

「それが『ゆるしの条件』というわけではない」と言うプロテスタント

「キリストの命令に従って懸命に『ゆるす努力』をしよう」と言うカトリック

命を犠牲にしても敵を『ゆるす』アーミッシュ

それに対し文鮮明師は、
「神の大いなる『ゆるし』を受けるためには、人間自身が『ゆるしの条件(蕩減条件)』を全うしなければならない」と明確に説く。

人類歴史は、神から「ゆるし」を得るために人類が「ゆるしの条件」を全うして、失われた本然の位置へと復帰する「蕩減復帰摂理」であると同時に、加えて人類が果たせなかった神の創造理想を同時に果たそうとする「再創造摂理」、その二重目的を「人間の責任分担」として要求されてきた歴史であったと説く。

イエスは例え話(マタイによる福音書第18章21節~35節)の中で、僕は王から借金を蕩減してもらったにもかかわらず、自身はその60万の1の貸金を赦さなかったことにより、蕩減を撤回されてしまったように、神は私たちにも同じようになされると警告している。
その神と人との関係を統一原理は、人が「5%の赦しの条件」を満たすことによって神による「95%の赦し」を受けることが出来ると言う。(「この数字は飽くまで象徴的なもの」金永雲著「統一神学」)

この主旨に従い「原理講論」の蕩減復帰原理用語を正式なキリスト教用語を使って英訳すると下記のようになる。

「蕩減」=「赦し(forgiveness)」=神の95%、

「蕩減条件」=「赦しの条件(condition of forgiveness)」=人の5%

「蕩減復帰」=「条件付き赦しによる回復(restoration through conditional forgiveness)」= 神の95% + 人の5%


● イエスの教えからパウロ教へ

ここで「条件付き赦し」とはキリスト教徒には当然違和感のある言葉だが、ここで明確にこれを認識すべきであると主張している。これは同時に元来キリスト教が抱えて来た問題に解答を与えることにもなるのである。
キリスト教はこれまで「神が『無条件の愛』故に『無条件に赦される』」と説いて来た。しかしそれは間違いであることを明確に知る必要がある。その考え方は元を辿ればキリスト教初期にパウロによって、イエスが説いた「条件付き赦し(マタイ18/21~)」から「無条件の赦し(ローマ10/1~)」へと変質させてしまったということ。

そして更なる問題は、イエスの「私は律法を成就するために来た」という御言葉をパウロが継承しなかったため、パウロはユダヤ教を真っ向から否定し、後世のイエスの弟子たちをユダヤ教と対立する立場へと追いやり、またイエスの教えとも異なる新しい宗教「キリスト教(実質パウロ教)」を創設し世界に広めてしまった。それが後々のユダヤ教とキリスト教の断絶と抗争を生む大元の原因となったということ。

それ故新しい真理の使命は、この2つの宗教の連続性を回復させ、更に昇華発展させ、統一させなければならない。その完成期の救済観を説いたのが「統一原理」であると主張しているのである。

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原理講論著者・翻訳者達の漢字語及びキリスト教基礎知識の欠如

2022年01月16日 | 解説

Wikipedia「蕩減」より


【1】漢字語教育の歴史的変遷による要因
-------------------------------------------------------
朝鮮半島では歴史的に漢字教育に様々な変遷があった影響により、朝鮮起源の常識的な言葉であるが老若に関わらず知る層と知らない層に別れ、特に漢字の認知度は低い。[4][8][9]

 用法として、日本的表現では本来債権者が「蕩減(帳消しに)する」と言い、債務者は「蕩減(帳消しに)してもらう」と言うが、韓国では債務者も「蕩減する(탕감 하다)」と略して言う。

例として、韓国ベストセラー小説「商道(상도)」(崔仁浩 著)の日本語版翻訳の際、文中、債務者が「탕감 할 수밖에 없었다(帳消しにするほかなかった)」[10]と書いてある所を、日本語版では「帳消しにしてもらうよりほかなかった」[11]と校正されている[12]。
-------------------------------------------------------

<出典>
[4]「蕩減」の意味を金東俊教授に聞く.
[8] 豊田有恒著「韓国が漢字を復活できない理由」P3、8~11行目
[9] 呉善華著「漢字廃止で韓国に何が起きたか」(PHP研究所)
[10] 韓国語版「商道」第一巻 P.120・11行目(崔仁浩著 全5巻)
[11] 日本語版「商道」<上> P.19・11行目(崔仁浩著 全2巻)
[12]「蕩減」韓国の相反する2つの使い方

 

【2】原理解説・原理講論著者・劉孝元氏の誤認
-------------------------------------------------------
「原理講論」を見るとキリスト教用語や漢字語の初歩的な誤謬が散見され、著者劉孝元がそれらに無知であったことが判る。[注 4][注 5][8]
-------------------------------------------------------

<注釈>
[4]劉孝元のキリスト教歴は公式サイト「劉孝元先生の苦悩と探究の道」[37]に「ラテン語を8カ月で習得してカトリック聖書を読んだ」とあるのみ。
[5]remission(蕩減)をindemnity(賠償金)、compassion(体恤)をincarnation(受肉)、incarnation(受肉)をexperience(体得)と誤認し、atonement, expiation, reparation, satisfaction(償い)を知らない。[38][39][40]

<出典>
[8]豊田有恒著「韓国が漢字を復活できない理由」P3、8~11行目
[37]「劉孝元先生の苦悩と探究の道」
[38] 資料「償い」のキリスト教的英訳
[39] キリスト教用語の誤用(1)
[40] 何故、初歩的なキリスト教用語の間違いが多いか?

 

【3】英語版翻訳者・崔元福氏の誤認
-------------------------------------------------------
英語版は翻訳者の崔元福が、本来「remission(赦し)」[1][2]と訳されるべきを、韓国語版原理講論に従って「償い」と訳そうとして「indemnity(賠償金)[43]」と、従来のキリスト教用語とは異なる用語で訳し[注 8]、世界に広められることとなった。 そのためキリスト教会側から、本来キリスト教が説いて来たキリストの贖罪の恵み、神の無条件の愛と憐れみを否定し、罪人自身に賠償を強要するものだという批判を招いている[45][46]。
-------------------------------------------------------

<出典>
[1] 精解「韓日辞典」高麗書林
[2] remissionの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書
[43]プログレッシブ英和中辞典(小学館)「indemnity」の「2 賠償金,補償金;損害賠償」


<注釈>
[8] 本来キリスト教では「償い」を英訳する場合、atonement, expiation, reparation, satisfaction を使う(「現代カトリック事典」エンデルレ書店)[38]。「indemnity(賠償金)」は保険用語[44]。
[44]「洗脳」「マインドコントロール」の虚構を暴く
[45] Criticism of the Unification Church concept of indemnity
[46] "Indemnity is a Moon Trap"

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[資料]「償い」のキリスト教的英訳

2022年01月11日 | 資料


「蕩減」の間違いより
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魚谷俊輔著「統一教会の検証」(光言社)より
 「蕩減とは償い、罪滅ぼしという意味です。」
 「懺悔や罪滅ぼしのための苦行を意味する『penance』」
 
クリサイディス「統一教会の現象学的考察」
 「救済は…『蕩減(indemnity 賠償、賠償金)』によって得られる」
------------------------------------------------------------------------------------------------------

これは完全な間違い。

また、仮に「つぐない」を英訳する場合、キリスト教に於いて決まった表現がある。
「償い」を「indemnity」と英訳することはキリスト教徒には大変な違和感を与えてしまう。
これは主に「賠償金」「補償金」を意味する保険業界用語。
キリスト教から発生した用語はキリスト教式の言葉使いを知っておくべきである。

 

<現代カトリック事典(エンデルレ書店)より>

償い(つぐない)1 atonement
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
贖罪とも言う。

この語は「賠償」という意味をもつ。賠償とは他人の権利を傷つけた者がその損害に対して合法的な要求に応じて補償することである。他人に与えた損害をつぐなうこと。これは与えた損害を上まわる任意の行為である。

この行為が罪の重さと十分につり合ったものであれば、賠償は適切なものである。実際に他人に損害を加えた者以外の者によって本人の代わりに賠償が行われるとき、「代理」賠償(vicarious atonement)と呼ばれる。

キリストはその受難と死によって全人類の罪に対して神に罪の代理賠償を行った。キリストによる償いは神としてのキリストが行ったものであるから適切なものである。

また、キリストによる罪のつぐないは人間の罪という否定的価値よりはるかに偉大な積極的価値をもつので、十分すぎるものである。
(語源は英語 at one 「一度でかたづける、和解する」。)
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

償い(つぐない)2 expiation
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ある罪過に対する弁償。償いには、罰を受けることによって、罪ほろぼしの苦行をすることによって、補償または修復をすることによって、行った悪をうめ合わせようとする試みを含む。

(語源はラテン語
ex 「十分に」+ piare 「なだめる」 : expiare 「十分に弁償する」)。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

償い(つぐない)3 reparation
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
弁償の行為または事実。悪が行われる以前の、もとの正常で健全な状態にもどすことを意味する。おもに、道徳的悪行によって生じた損失または害を償うことである。罪によって失われた神への愛をいっそう大きい愛でもって埋め合わせることである。また、不正な手段で奪ったものを元の状態にもどすことであり、利己心によって与えた被害を補償することである。
(語源はラテン語 reparare 「新たに準備する、回復させる」。)
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罪の償い(つぐない) satisfaction
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悪事のつぐない。罪滅ぼし。とくに告白の秘跡において罪を赦されたとき司祭によって命せられた罪のつぐない。本質的には、罪の償いは、告白者が司祭から命せられた罪の償いを果たす決意と実際にこれを行うことにある。

この二つの行為は、告白した罪に対して当然加えられる有限の罪を多少取り除くことである。初代教会の時代から中世にいたるまで、命ぜられる償いは一般にかなり厳しいものであった。それ以降、厳しさは、のちに免償と知られる

ようになったものによって緩和された。
(語源ラテン語 satisfacere : satis「十分に」+ facer「行う」)。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

[参考] 関連用語

贖い(あがない) redemption
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
イエズス・キリストによる人類の救い。Redemptionの字義は買いもどすこと、あるいは取りもどすことである。人類は罪によって奴隷の状態にあったという意味で捕虜であった。

悪魔は人間を罪にさそいこんで人間をとりこにしていた、したがって人間は悪魔の捕虜になっていたと言われる。さらに、人類は罪の罰として負債状態にあって、人類は神の正義に従ってその負債を返済する義務があった。

キリストの受難は、人間の罪とその結果として生じた罰という負債をつぐなうために十分なものであり、つぐなって余りのあるものであった。キリストの受難は罪と罰から人類を解放するために支払われた一種の身代金であった。

キリストは代金の支払いによってではなく、自分自身の生命という最高の代価を支払うことによって人類をあがなった。そのためキリストの受難は人類のあがないと呼ばれる。

(語源はラテン語 redemptio 「買いもどすこと、身代金を支払うこと」)。
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Wikipedia「世界基督教統一神霊協会の関連用語」より

2021年11月14日 | 資料

蕩減(とうげん)

原義
(朝鮮起源の漢字語)

 借金を全部帳消しにすること。借債を悉く免除してやること。remission(ゆるし)。[3][4] 
「蕩」の字義は「すっかり無くする。『蕩尽/掃蕩』」[5]

 韓国では一般に金融用語として「債務の減免」の意味で使われ頻繁にマスコミに登場する。
また韓国語聖書で負債や罪の「ゆるし」の訳に用いられており[6]、キリスト教会の説教の中でも頻繁に用いられる。


原理用語
 統一教会の教義「統一原理」の中核にあたる救済観を「蕩減復帰原理」という。
文鮮明教祖が「蕩減」と言う場合、99%は「蕩減条件」「蕩減復帰」「蕩減復帰原理」の略語で、原義は1%未満。
文教祖の定義は「小さな条件で大きな負債を赦すこと(原義に同じ)」[7][8]であるのに対し、
「原理講論」では「本来の位置と状態を復帰するために必要な条件を立てる(満たす)こと」[9]
英訳を「indemnity(賠償金)」[10][11]と異なる定義をしている。[12]
これを読んだ金東俊神田外語大名誉教授は「これは間違い」と明言している。[13]
この教会自ら陥った誤認によって国内外のキリスト教会からの批判を招いている[14][15]。
 信者達は原理講論の影響により
「罪のつぐない。罪滅ぼし。[16]罪人たる人間が罪を清算すること。そのために立てる条件を『蕩減条件』と言う[17]
と認識している。
 教会内部では無原罪で生まれた再臨のキリストとされる文鮮明(今は否定され妻韓鶴子[18])が生誕した韓国を
最も迫害したとする日本が支払うべき「賠償金(indemnity)」の意味で使われることが多い。[19]

 
<詳細>
 

 

出典

  1. -
  2. -
  3. ^精解「韓日辞典」高麗書林
  4. ^remissionの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書
  5. ^小学館 大辞泉
  6. ^聖書に記載されている箇所 ネヘミヤ10/31、マタイ18/27、マタイ18/32、ルカ7/42、ルカ7/43
  7. ^「蕩減」文鮮明師による定義
  8. ^「蕩減」には複数の意味がある(教祖様のスラング)
  9. ^緒論 (一)蕩減復帰原理
  10. ^Divine Principle
  11. ^プログレッシブ英和中辞典(小学館)「indemnity」の「2 賠償金,補償金;損害賠償」
  12. ^原理講義の間違い例「蕩減」
  13. ^「蕩減」金東俊教授が原理講論を訳す
  14. ^Criticism of the Unification Church concept of indemnity
  15. ^"Indemnity is a Moon Trap"
  16. ^林恵子著「統一原理への架け橋」(広和)
  17. ab 『統一協会の素顔-その洗脳の実態と対策』249。
  18. ^真のお母様の「無原罪性」―「血統転換、私は母胎からなのです」の意味について | 真の父母様宣布文サイト
  19. ^藤田庄市著「日本における統一教会の活動とその問題点」134 
_______________________________________________ 

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教祖様のスラング、訛り、誤認、定義不明

2021年10月25日 | 解説

教祖様のスラングや誤認の実例。特に重要な語が真逆の使い方がなされていることに注目。

■教祖様のスラング、訛り

「君達は堕落観念に徹していない! 堕落精神に徹しなければ君達の後孫のためによくない!」
 1992年3月31日 金丸副総裁との会談のため来日した際、松濤本部にて
  →「堕落」が真逆の意味の表現がなされていることに注目。

「それは恩赦に引っかかる問題だ!」
  →「恩赦」が真逆の意味の表現がなされていることに注目。

「蕩減する」→「蕩減(負債を帳消しに)してもらう」の韓国のスラング
  → 「蕩減」には複数の意味がある(教祖のスラング)

「体恤する」→ 本来は「あわれむ」の意。教祖と金百文氏独特のスラング。
  → 「体恤」の原義と文鮮明教祖の解釈

「ルーシェル」→「ルシフェル」の北朝鮮訛り。「ヌーシェル」は韓国訛り。
  → 「ルーシェル」という発音

■教祖様の誤認発言(教祖様も間違うことがある実例)

「剣豪山本武蔵」→「宮本武蔵」の間違い

「バルチック艦隊を敗った乃木将軍」→「東郷平八郎」の間違い

「なさぬは人のなさぬなりけり」→「ならぬは人のなさぬなりけり」の間違い

「日本には県が46あるだろ。1都2府43県。」→ 1道が抜けている

人類歴史の長さに関する発言に10通りある
 ①「数万年」 
 ②「80万年」 
 ③「85万年」 
 ④「150万年」 
 ⑤「250万年」 
 ⑥「1000万年」 
 ⑦「数千万年」 
 ⑧「四千万年以上」 
 ⑨「二億五千万年」 
 ⑩「アダムは架空の人物(『などと言う若者たち』と言ったつもりが誤解・批判を受ける)」

■ 政治的に問題を孕む誤認

「竹島も対馬も韓国領。日本領と言うのは馬鹿者。」
 → 李明博大統領、朴槿恵大統領を先導するように文教祖夫妻が竹島上陸。

「日本は過去に韓国を936回侵略した。」
 → 韓国一般に流布されている俗説。

「光復節(終戦)が1日遅れていたら日本軍は韓国クリスチャン20万人を虐殺する予定だった。」
 → 全く根拠がない。

「張作霖爆殺事件は韓国人宣教師が起こした」
 → 後に関東軍の謀略と判明。他にソ連特務機関説あり。中国共産党も自らが起こしたと発表している。

「(ラングーンのアウンサン廟爆破事件は)全斗煥政権の自作自演と分かった。」
 → 北朝鮮工作員の仕業と言われている。

「中曽根は最後に私心が出たね」
 →「政権を100億円で譲った」という噂の報告を真に受けて。
   実際は竹下登の説得に安倍晋太郎が根負けしたのが真相(側近がテレビで証言)

■ 一見矛盾する発言

「教会長になったら直ぐ『わしがアベル(神側)だー!』…そうじゃない。先生の教えない原理をやっている」

「(会議中に教会長たちに向かって)君たちはアベル(神側)だから」

■未定義の用語 (例)和動

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「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」 韓国キリスト教

2021年09月15日 | 資料

■ 韓国キリスト教系NEWSサイト「NEWS & JOY」より
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<蕩減の比喩について>

私たちが最初に赦された者だから(マ18:21〜35)
ペテロが赦しについて尋ねたとき、イエス様は七度だけではなく、七回ずつ七十回でも赦しなさいと蕩減の比喩を語られた。

1. 蕩減の比喩は何か

罪の赦しの比喩であるが、人間は死刑宣告を受けた罪人であることが聖書の証だ(ローマ1:32)。アダムの堕落に彼の子孫である人間は神の前に出ることができない罪の負債を追った存在だった。律法でも義とされることがない無気力な僕、罪の奴隷であった。

蕩減とは返済できない借金を全部削除してあげることを意味する。傷も垢も無いイエス様の十字架の事件は蕩減の証であり赦しのしるしであり、神様の何の条件もない愛であった。

この真理(イエス•キリスト)に目覚め信じる者が律法の僕、罪の奴隷から解放され真に自由である神の息子として保証の救いを受けた者である(ローマ8:15〜17)。

2. 十字架の蕩減原理はどのような負債をも赦す力がある

何をもっても赦されない罪の負債を蕩減された感激があり、私たちが赦せない罪は無いということだ。神様が私に施して下さるその愛を考えれば七回ではなく、七十回赦しなさいというイエス様の教訓は、真理の名言である。

しかし、神様に赦された私たちが兄弟の罪を赦せない愚かさを犯している。私が犯した罪に対しては、神様に寛容を祈り他人が私に犯した罪に対しては、度量に狭い心で復讐心に燃える利己的な私たちの心構えをイエス様は当時、律法信仰(歯には歯を、この目には目)を、蕩減の例えをもって叱咤改革した。現代でもイエス様の十字架の血の恵みを知らずに他人の罪ばかりを非難する恩知らずな者に呵責を与える赦しの言葉である。

3. イエス•キリストの蕩減の比喩は愛の戒めだった

愛は多くの過ちを遮ってくれる。(箴言10:12)。愛は恐れを追い出し(ヨハネの手紙第一4:8)神様は愛である(ヨハネの手紙第一4:16)。神様の子どもであるなら愛の化身になれるよう努力しなければならない。

子は父の形状に似て、その血脈を継承する。私たちが神の子どもとなったなら、当然、神様の形状になければならないし神の温血を受け継いで、私たちの心にイエス•キリストの愛の暖かい血が流れなければならない。

結局信じなさいと言いながら兄弟を赦せなければ、彼は冷血漢として蛇の末裔である殺人者カインの血代を継承した者であるにちがいない。ヘビは冷血である。兄弟を憎み複数の冷血が心臓に流れたなら神の種子ではなく、ヘビの種子である(マタイ23:33、ヨハネ8:44)。

主の祈りにも私たちが私たちに罪を犯した者を赦した如く、私たちの罪を赦し給え(マタイ6:12)の条件を掛けている。ゆえに私たちが神様から罪の赦しを受けた者であることが確実であれば、何としてでも兄弟の罪を赦さなければならいのが神の愛の法則なのである。
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原理講論「蕩減復帰」の要訂正箇所

2021年09月10日 | 資料
原理講論 [P272] 

(一)蕩 減 復 帰 原 理

[000](1)蕩 減 復 帰

蕩減復帰原理に関する問題を論ずる前に、我々はまず、人間がその堕落によって、神とサタンとの間において、どのような立場におかれるようになったかということを知らなければならない。元来、人間始祖が堕落しないで完成し、神と心情において一体となることができたならば、彼らは神のみに対して生活する立場におかれるはずであった。しかし、彼らは堕落してサタンと血縁関係を結んだので、一方ではまた、サタンとも対応しなければならない立場におかれるようになったのである。したがって堕落直後、まだ原罪だけがあり、他の善行も悪行も行わなかったアダムとエバは、神とも、またサタンとも対応することができる中間位置におかれるようになった。それゆえ、アダムとエバの子孫たちもまた、そのような中間位置におかれるようになったのである。したがって、堕落社会において、イエスを信じなかった人でも、良心的な生活をした人は、このような中間位置にいるわけであるから、サタンは彼を地獄に連れていくことはできない。しかし、いくら良心的な生活をした人でも、その人がイエスを信じない限りは、神もまた、彼を楽園に連れていくことはできないのである。それゆえにこのような霊人は、霊界に行っても、楽園でも地獄でもない中間霊界にとどまるようになるのである。

それでは、このような中間位置にいる堕落人間を、神はどのようにしたらサタンから分立させることができるであろうか。[P273]サタンは元来、血統的な因縁をもって堕落した人間に対応しているのであるから、あくまでも人間自身が、神の前に出ることのできる一つの条件を立てない限り、無条件に彼を天の側に復帰させることはできないのである。一方においてサタンも、これまた人間の創造主が神であることを熟知しているので、堕落人間自身に再びサタンが侵入できる一つの条件が成立しない限りは、かかる人間を無条件に奪っていくことはできないのである。それゆえ、堕落人間は彼自身が善なる条件を立てたときには天の側に、悪なる条件を立てたときにはサタンの側に分立される。

アダムの家庭はこのような中間位置にいたので、神は彼らに供え物をささげるように命じられたのである。その理由は、神が彼らをして、供え物をそのみ意にかなうようにささげさせることによって、復帰摂理をなし得る立場に彼らを立たせようという目的があったからである。しかし、カインがアベルを殺害することによって、かえってサタンが彼らに侵入し得る条件が成立したのであった。神が堕落人間たちにイエスを送られたのも、彼らにイエスを信じさせて、天の側に立つようにさせるためであった。ところが、そのみ旨とは反対に、彼らがイエスを信じなかったので、当然そのままサタンの側にとどまらざるを得なかったのである。イエスが救い主であられると同時に、審判主でもあられる理由は実はここにある。

それでは、[001]「蕩減復帰」というのはどういう意味なのであろうか。[002]どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを「蕩減」というのである。[P274] [003] 例を挙げれば、失った名誉、地位、健康などを原状どおりに回復させるためには、必ずそこに、その必要を埋める努力とか財力などの条件を立てなければならない。また、互いに愛しあっていた二人の人間が、何かのはずみで憎みあうようになったとすれば、このような状態から再び、互いに愛しあっていた元の状態に復帰するためには、彼らは必ず、お互いに謝罪しあうなどのある条件を立てなければならないのである。このように、堕落によって創造本然の位置と状態から離れるようになってしまった人間が、再びその本然の位置と状態を復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足るある条件を立てなければならない。堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと再び戻っていくことを「蕩減復帰」といい、蕩減復帰のために立てる条件のことを「蕩減条件」というのである。そして、このように蕩減条件を立て、創造本然の人間に復帰していく摂理のことを「蕩減復帰摂理」というのである。

それでは、蕩減条件はどの程度に立てなければならないのだろうか。この問いに対して、我々は次のような三つの種類のものを取りあげることができる。

[004] その第一は、同一のものをもって蕩減条件を立てることである。これは、失った本然の位置と状態と同一なる価値の条件を立てることによって、原状へと復帰することをいうのである。例えば、報償とか還償と呼ばれるものが、これに属する。出エジプト記二一章23節から25節に、「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足……をもって償わなければならない」とあるみ言は、とりもなおさずこのような蕩減条件を立てることを意味するのである。

[005]第二は、より小さいものをもって蕩減条件を立てる場合である。これは本然の位置と状態から失われたものよりも、もっと小さい価値の蕩減条件を立てることによって、原状へと復帰することを意味するのである。例を挙げれば、ある債務者が多額の負債を負っているとき、その債権者の好意によって、その中の一部の少額だけを返済することをもって、[P275]負債の全額を清算したと見なすことがある。このような場合が、すなわちこれに該当するのである。この原則によって、[006]我々は十字架の代贖を「信ずる」というごく小さな蕩減条件を立てることにより、イエスと同一の死を経て再び生きたという条件を立てたと見なされて、救いの大いなる恩恵を受けるようになるのである。また、我々は数滴の水を頭の上から注がれ、洗礼を受けたという蕩減条件を立てることにより、イエスと聖霊によって[011]重生したという立場を復帰することができるのである。このほかにも、聖餐式において一切れのパンと、一杯のぶどう酒をとるだけで、我々はイエスの聖体を食べたという、より大きな価値の恩恵を受けるのである。このような例は、みなこれに該当するということができる。

[007] 第三には、より大きなものをもって蕩減条件を立てる場合である。これは、小さい価値をもって蕩減条件を立てるのに失敗したとき、それよりも大きな価値の蕩減条件を再び立てて、原状へと復帰する場合をいう。例えば、アブラハムは鳩と羊と雌牛とをささげる献祭において失敗をしたため、彼の蕩減条件は加重され、一人息子のイサクを供え物として、ささげるようになった。また、モーセのときには、イスラエル民族が四十日の偵察期間を、天のみ意にかなうように立てることができなかったために、その蕩減条件が加重され、彼らは一日を一年として計算した四十年間を、荒野において流浪しなければならなかったのである(民数一四・34)。

それではどうして、蕩減条件を再び立てるときには、より大きい条件を立てなければならないのであろうか。それは、ある摂理的中心人物が蕩減条件を再び立てるときには、彼が立てなければならない元々の蕩減条件と共に、彼以前の人物たちの失敗による蕩減条件までも付け加えて立てなければならないためである。

    → 「蕩減復帰原理」に書かれていないこと
    → 「原理講論に書かれていない」と言われた御言葉
 

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韓国キリスト教説教の中の「蕩減」

2021年09月10日 | 資料

2012 . 10 . 06 15 : 04 : 26
韓国キリスト教系NEWSサイト「NEWS & JOY」より
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<蕩減の比喩について>

私たちが最初に赦された者だから(マ18:21〜35)
ペテロが赦しについて尋ねたとき、イエス様は七度だけではなく、七回ずつ七十回でも赦しなさいと蕩減の比喩を語られた。

1. 蕩減の比喩は何か

罪の赦しの比喩であるが、人間は死刑宣告を受けた罪人であることが聖書の証だ(ローマ1:32)。アダムの堕落に彼の子孫である人間は神の前に出ることができない罪の負債を追った存在だった。律法でも義とされることがない無気力な僕、罪の奴隷であった。

蕩減とは返済できない借金を全部削除してあげることを意味する。傷も垢も無いイエス様の十字架の事件は蕩減の証であり赦しのしるしであり、神様の何の条件もない愛であった。

この真理(イエス•キリスト)に目覚め信じる者が律法の僕、罪の奴隷から解放され真に自由である神の息子として保証の救いを受けた者である(ローマ8:15〜17)。

2. 十字架の蕩減原理はどのような負債をも赦す力がある

何をもっても赦されない罪の負債を蕩減された感激があり、私たちが赦せない罪は無いということだ。神様が私に施して下さるその愛を考えれば七回ではなく、七十回赦しなさいというイエス様の教訓は、真理の名言である。

しかし、神様に赦された私たちが兄弟の罪を赦せない愚かさを犯している。私が犯した罪に対しては、神様に寛容を祈り他人が私に犯した罪に対しては、度量に狭い心で復讐心に燃える利己的な私たちの心構えをイエス様は当時、律法信仰(歯には歯を、この目には目)を、蕩減の例えをもって叱咤改革した。現代でもイエス様の十字架の血の恵みを知らずに他人の罪ばかりを非難する恩知らずな者に呵責を与える赦しの言葉である。

3. イエス•キリストの蕩減の比喩は愛の戒めだった

愛は多くの過ちを遮ってくれる。(箴言10:12)。愛は恐れを追い出し(ヨハネの手紙第一4:8)神様は愛である(ヨハネの手紙第一4:16)。神様の子どもであるなら愛の化身になれるよう努力しなければならない。

子は父の形状に似て、その血脈を継承する。私たちが神の子どもとなったなら、当然、神様の形状になければならないし神の温血を受け継いで、私たちの心にイエス•キリストの愛の暖かい血が流れなければならない。

結語

信じなさいと言いながら兄弟を赦せなければ、彼は冷血漢として蛇の末裔である殺人者カインの血代を継承した者であるにちがいない。ヘビは冷血である。兄弟を憎み複数の冷血が心臓に流れたなら神の種子ではなく、ヘビの種子である(マタイ23:33、ヨハネ8:44)。

主の祈りにも私たちが私たちに罪を犯した者を赦した如く、私たちの罪を赦し給え(マタイ6:12)の条件を掛けている。ゆえに私たちが神様から罪の赦しを受けた者であることが確実であれば、何としてでも兄弟の罪を赦さなければならいのが神の愛の法則なのである。
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