蕩減の真の意味

「償い」ではなく「赦し」

海外に於ける「蕩減(indemnity)」批判(1)

2024年02月14日 | 資料

★海外に於ける「蕩減」批判は、統一教会側の誤訳(indemnity)によるもので、未だに改められていない。

 

「統一教会の蕩減(indemnity)の概念に対する批判」 
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キリスト教の解説者たちは、信仰による救いのキリスト教の教義に反するものとして、蕩減(indemnity)の概念を批判しています。ラジオとテレビの伝道者ボブ・ラーソンは、「死んだ先祖にも当てはまる、 『蕩減(indemnity)』による罪のない完全性に関する月の教義は、イエス・キリストによる恵みの捧げ物による救いの否定です」と述べました。キリスト教の歴史家ルース・タッカーは、「簡単な言葉で言えば、蕩減(indemnity)は仕事による救いです」と述べました。[ 13 ] [ 14 ]ドナルド・ティングルとリチャード・フォーダイス、クリスチャン教会(キリストの弟子)の牧師1977年に2人の統一教会の神学者について討論した人は、次のように書いています。自分の罪を蕩減(indemnity)することを強いられています。」[ 15 ]統一教会はまた、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ホロコースト、および冷戦が、神の王国の樹立に向けて世界を準備するための蕩減(indemnity)条件として役立ったと批判されています。[ 16 ]

参考文献

[13]^ DaskeとAshcraft

[14]^山本

[15]^ Tingle、D。and Fordyce、R。1979、The Phases and Faces of the Moon:A Critical Examination of the Unification Church and its Principles、Hicksville、New York:Exposition Press p53-55

[16]^ヘルム、S。神の原則と再臨 キリスト教の世紀その決議は、最後の4つのポジションの基盤を完成させることができる世界的な統一を提供します。これが「アベルタイプ」民主主義と「カインタイプ」共産主義の間の闘争です。神の原則はこの時点で決定的ではありません。民主主義が共産主義(「唯物論的」哲学の唯一の担い手)を力ずくで破壊する必要はないかもしれない。それはイデオロギーの戦いで達成されるかもしれません。統一教会は、万が一の場合に備えて、必要なイデオロギーを構築すると同時に、軍事的に最高の西側を支援しようと努めています。再臨の主が文鮮明に現れ、無神論的共産主義体制が終わりの日の「反キリスト」であるため、この最後の対立は差し迫っています。」神の原則はこの時点で決定的ではありません。民主主義が共産主義(「唯物論的」哲学の唯一の担い手)を力ずくで破壊する必要はないかもしれない。それはイデオロギーの戦いで達成されるかもしれません。統一教会は、万が一の場合に備えて、必要なイデオロギーを構築すると同時に、軍事的に最高の西側を支援しようと努めています。再臨の主が文鮮明に現れ、無神論的共産主義体制が終わりの日の「反キリスト」であるため、この最後の対立は差し迫っています。」神の原則はこの時点で決定的ではありません。民主主義が共産主義(「唯物論的」哲学の唯一の担い手)を力ずくで破壊する必要はないかもしれない。それはイデオロギーの戦いで達成されるかもしれません。統一教会は、万が一の場合に備えて、必要なイデオロギーを構築すると同時に、軍事的に最高の西側を支援しようと努めています。再臨の主が文鮮明に現れ、無神論的共産主義体制が終わりの日の「反キリスト」であるため、この最後の対立は差し迫っています。」統一教会は、万が一の場合に備えて、必要なイデオロギーを構築すると同時に、軍事的に最高の西側を支援しようと努めています。再臨の主が文鮮明に現れ、無神論的共産主義体制が終わりの日の「反キリスト」であるため、この最後の対立は差し迫っています。」統一教会は、万が一の場合に備えて、必要なイデオロギーを構築すると同時に、軍事的に最高の西側を支援しようと努めています。再臨の主が文鮮明に現れ、無神論的共産主義体制が終わりの日の「反キリスト」であるため、この最後の対立は差し迫っています。」
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■蕩減復帰原理の要訂正部分
  ・ 原理講義の間違い例(1) 受肉・蕩減・体恤
  ・「蕩減」の間違い
  ・ キリスト教用語の誤用(1)
  ・「蕩減」の意味を金東俊教授に聞く 
  ・「蕩減」金東俊教授が原理講論を訳す
  ・「蕩減」韓国の相反する2つの使い方 
  ・ 教祖様のスラング、訛り、誤認、定義不明
  ・「蕩減復帰」の要訂正箇所
  ・「原理講論 緒論(一)(1)「蕩減復帰」の間違いを正す
  ・「蕩減条件の立て方」の間違い 
  ・「蕩減」を「indemnity」と訳したことによる弊害の例


■蕩減関連資料
  ・ 原理原本の中の「蕩減」
  ・ 金東俊教授の指摘(1)「蕩減」と「容赦」
  ・「蕩減」韓国一般の使い方
  ・ 韓国語聖書に於ける「ゆるし」の訳
  ・ 聖書に登場する「蕩減」(6箇国語)
  ・ 韓国語聖書に於ける「ゆるし」の訳  
  ・ [資料] 赦しのキリスト教的英訳 
  ・ Wikipedia「蕩減」   
  ・ Wikipedia : Unification Church - View of salvation

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「蕩減」韓国一般の使い方

2024年02月14日 | 資料

「蕩減」は韓国でマスコミに頻繁に登場する極く一般的な金融用語。しかし韓国では漢字を使わなくなってから久しいため、このような漢字言葉は、特に経済情報に関心のない国民は老若男女を問わず知らない場合も多い。

それでもクリスチャンであったならば知らない筈はない。それは聖書の中に頻繁に登場し、説教のテーマにも頻繁に使われるキリスト教の中心をなす「罪の赦し」を意味する言葉だからだ。
 
故に「蕩減」の意味を「つぐない(indemnity)」などと書くのは「まともに聖書を読んだことも教会に通ったこともない」と断言しても良いだろう。


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■ 韓国一般で使われる「蕩減」

'은행빚 탕감(蕩減)법' 논란…우려 목소리 
  ”「銀行借金帳消し(蕩減)法」論議... 懸念の声
    登録2021-04-29 05:00:00
    銀行負債の帳消し(蕩減)法、国会で議論され、「論議」
    専門家「金融市場全般の副作用の懸念」”

文 공약 '빚 100% 탕감'···12만명 6000억 빚 면제 받는다 - 중앙일보

개인회생신청자격 개인회생이란? 빚을 탕감(蕩減) 해 주는 제도?

 

■ 韓国キリスト教会で使われる「蕩減」

17.4.16 [설교] 탕감의 원리!(蕩減の原理)/ 성가곡 

   ” 17.4.16 [説教]蕩減の原理!/ソンガゴク
    本文:マタイ18章21節-22節
    題目:蕩減の原理
    説教者:オジンホン牧師 ”

빚진 자 탕감(蕩減)의 은혜

주님의 사랑, 성도의 응답 - 군산신흥교회
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「蕩減復帰原理」定義まとめ

2024年02月14日 | 解説

文鮮明教祖の御言葉、李相憲氏の論文、韓国語聖書、韓国語辞書を元に「蕩減」「蕩減条件」「蕩減復帰」「蕩減復帰原理」の定義をまとめる。

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(一)蕩減復帰原理

 アダムの堕落は神の心情に対して千秋万代にわたって消えることのない深い悲しみを刻みこんだ。その後孫である我々人間が罪を脱いで罪のない人間になろうとすれば、神の前で罪の赦しを受けなければならない。

 しかし人間が犯した罪は堕落人間自身によっては到底解決することは出来ない。そこには神によるある特別な法則がなければならない。それは何らかの特別な神の配慮がなかったとしたら誰も救われることが出来ないからである。

 また原罪においては血統的なものが根本的に存在する。それ故、原罪を除去するためにメシヤが必要となるのである。


(1)蕩減復帰

①蕩減

 聖書の中でイエスは人間が犯した罪は借金をすることと同じだとしばしば表現している。例えばイエスは王から借りた一万タラントの借金を返す事が出来ないでいる僕の例を挙げている。(マタイ18/21~35)

 王は「もし一万タラントの借金を返すことが出来ないのであれば、お前と妻子と持ち物全部を売って返しなさい」と命じた。しかしそれでも一万タラントにならないかも知れないが、それで負債全額を蕩減(帳消しに)してやるというのである。

 このようにある債務者が多額の負債を負っているとき、その債権者の好意によってその中の一部の少額だけを返済することをもって負債の全額を帳消しにしてやることを韓国語で蕩減(負債の赦し。債務の帳消し。remission)という。

 韓国語聖書にはこの「罪の赦し」「負債の赦し」を「용서(容赦) 37箇所」、「면제(免除)6箇所」、「탕감(蕩減)5箇所」と訳されているが、中でも「蕩減」は一定の条件を立てて借金を減らすか相殺するのと同様に、罪を減らすか無くしてもらうこと、罪を赦してもらうことを意味する。
聖書に記載されている箇所、申命記15/1、2、3、9、31/10ネヘミヤ10/31、マタイ18/27、マタイ18/32、ルカ7/42、ルカ7/43


②蕩減条件

 従来キリスト教では、この負債や罪の赦しがキリストの十字架の贖罪によって無条件でなされると説いてきたが、果たしてそうであろうか。マタイ伝18章25節を見ると、蕩減は先ず債務者が出来る得る限り返済することを条件として要求している。

 その後の展開(26~27節)を見ると、「僕の主人はあわれに思って彼をゆるし、その負債を免じてやった」と、一見この僕は無条件で赦されているようにも見える。

 しかしよく見ると、その後僕が自分に負債のある者を赦さなかったことを知った主人は立腹し、『わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』と、蕩減を撤回して彼を獄吏に引きわたしてしまった。

 これによって主人は決して無条件に赦したのではなく、債務者自身も他者に対し哀れみ(体恤)赦し(蕩減)を実践するという条件を無言の内に要求していたことがわかる。

 イエスはこの喩え話を通じて「あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのように(蕩減を撤回)なさるであろう」(マタイ伝18章35節)と説いている。

 これからまた、蕩減を受けるためには負債の返済という外的条件だけでなく、「ゆるし」という内的条件がより本質であることが分かる。これがイエスが「あなたの敵(怨讐)を愛せ」と言われた根本的理由なのである。

 従来キリスト教が罪の赦しは無条件でなされると説いて来たのに対し、統一原理は、神による罪の赦し、即ち蕩減には内的にも外的にもある一定の条件が満たされなければならないと主張する。この条件を蕩減条件という。

このようにして神は常に誰もが救いを受ける機会が得られるように、その負債に対して、より小さな条件を設定されているのである。


③蕩減復帰

 このように、一定の条件(蕩減条件)を立てて神に罪を赦してもらった後、創造本然の位置と状態へと復帰することを「蕩減復帰」という。
 復帰摂理は、創造目的を再び成就するための再創造の摂理であるから、どこまでも原理によって摂理されなければならない。

 それ故に蕩減復帰摂理においても、神がなさる九五パーセントの責任分担に、その中心人物が担当すべき五パーセントの責任分担が加担されて初めて完成される。
 ここで、人間の責任分担五パーセントというのは、人間自身においては、一〇〇パーセントに該当する。

 従って、それは人間自身が犯した罪であるにも関わらず、神はその罪の九五パーセントを代わって背負われ、その苦労を既になさっておられるということを知らねばならない。

 結局、『私』自身のために神がそのように苦労して来られたということを知って、無限に感謝を捧げなければならないのである。
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韓国語聖書に於ける「ゆるし」の訳

2024年02月14日 | 資料

韓国語聖書で罪や負債の「ゆるし」は次のように訳されている。

①「용서(容赦)」(170件)
②「면제(免除)」(15件)
③「탕감(蕩減)」(10件)

出典:
「goognews - 가톨릭정보 - 성경 검색」
「다국어 성경 Holy-Bible "탕감"」

탕감(蕩減)」(10件


1.申命記 15章1節

너희는 일곱 해마다 빚을 탕감해 주어야 한다.

「あなた方は七年ごとに借金を蕩減すべきです。


2. 申命記15章2節

탕감에 관한 규정은 이러하다. 이웃에게 빚을 준 모든 사람은 자기가 꾸어 준 것을 탕감해 주어야 한다. 주님의 탕감령이 선포되었으므로, 자기 이웃이나 동족에게 독촉해서는 안 된다.

蕩減に関する規定はこういう。隣人にお世話になったすべての人は自分が飾ってくれたものを蕩減してくれなければならない。主の蕩減令が宣言されたので、自分の隣人や同族に督促してはならない。


3. 申命記15章3節

너희가 외국인에게는 독촉할 수 있지만, 너희 동족이 너희에게 진 빚은 탕감해 주어야 한다.

お前らが外国人には督促できるが、お前ら同族がお前たちの負債を蕩減してくれなければならない。


4. 申命記15章9節

너희 마음에 비열한 생각이 들어, ‘일곱째 해, 곧 탕감의 해가 다가오는구나.’ 하면서, 너희가 가난한 동족을 괄시하고 그에게 아무것도 주지 않는 일이 없도록 조심하여라. 그가 너희를 걸어 주님께 호소하면 너희에게 죄가 될 것이다.

お前らの心に卑劣な考えが入って、「七年目、まもなく蕩減の年が迫ってくるな」しながら、あなたが貧しい同族を括視し、彼に何も与えないことがないように注意してください。彼があなたを歩いて主に訴えるなら、あなたは罪になります。


5. 申命記31章10節

그리고 모세는 그들에게 이렇게 명령하였다. “일곱 해마다, 곧 탕감의 해로 정해진 때마다 초막절에,

そしてモーセは彼らにこう命じました。「七年ごとに、すぐに蕩減の年に決まったたびに初幕節に、


6.ネヘミヤ10章31節

 혹시 이 땅 백성이 안식일에 물화나 식물을 가져다가 팔려 할지라도 우리가 안식일이나 성일에는 사지 않겠고 제 칠년마다 땅을 쉬게 하고 모든 빚을 탕감하리라 하였고

 またこの地の民らがたとい品物または穀物を安息日に携えて来て売ろうとしても、われわれは安息日または聖日にはそれを買わない。また七年ごとに耕作をやめ、すべての負債をゆるす

 

7. マタイの福音書18章27節

그 종의 주인은 가엾은 마음이 들어, 그를 놓아주고 부채도 탕감해 주었다.

その種の飼い主は、厄介な心が入って、彼を放してくれ、負債も蕩減してくれた。


8. マタイの福音書18章32節

그러자 주인이 그 종을 불러들여 말하였다. ‘이 악한 종아, 네가 청하기에 나는 너에게 빚을 다 탕감해 주었다.

すると主人がその鐘を呼び寄せて言った。'この邪悪な子どもたち、あなたが聞くと、私はあなたに蕩減してやりました。


9. ルカ福音書7章42節

둘 다 갚을 길이 없으므로 채권자는 그들에게 빚을 탕감해 주었다. 그러면 그들 가운데 누가 그 채권자를 더 사랑하겠느냐?”

どちらも返済することができなかったので、債権者は彼らに借金を蕩減します。それで、彼らの中で誰がその債権者をもっと愛するのでしょうか?」


10. ルカ福音書7章43節

시몬이 “더 많이 탕감받은 사람이라고 생각합니다.” 하고 대답하자, 예수님께서 “옳게 판단하였다.” 하고 말씀하셨다.

シモンが「もっとたくさん蕩減された人だと思います。」と答えると、イエス様は「正しく判断した」。と言われた。

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聖書に見る「蕩減」と「蕩減条件(体恤)」

2024年02月14日 | 資料

マタイによる福音書(日・韓・英) 第18章 21-35節
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そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
그 때에 베드로가 나아와 가로되 주여 형제가 내게 죄를 범하면 몇번이나 용서하여 주리이까 일곱번까지 하오리이까
Then Peter came and said to him, "Lord, how often shall my brother sin against me, and I forgive him? Until seven times?"

イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。
예수께서 가라사대 네게 이르노니 일곱번 뿐 아니라 일흔번씩 일곱번이라도 할지니라
Jesus said to him, "I don't tell you until seven times, but, until seventy times seven.

それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。
이러므로 천국은 그 종들과 회계하려 하던 어떤 임금과 같으니
Therefore the Kingdom of Heaven is like a certain king, who wanted to reconcile accounts with his servants.

決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。
회계할 때에 일만 달란트 빚진 자 하나를 데려오매
When he had begun to reconcile, one was brought to him who owed him ten thousand talents.

しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。
갚을 것이 없는지라 주인이 명하여 그 몸과 처와 자식들과 모든 소유를 다 팔아 갚게 하라 한대
But because he couldn't pay, his lord commanded him to be sold, with his wife, his children, and all that he had, and payment to be made.

そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。
그 종이 엎드리어 절하며 가로되 내게 참으소서 다 갚으리이다 하거늘
The servant therefore fell down and kneeled before him, saying, 'Lord, have patience with me, and I will repay you all!'

僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。
그 종의 주인이 불쌍 여겨 놓아 보내며 그 빚을 탕감(蕩減)하여 주었더니
The lord of that servant, being moved with compassion(体恤), released him, and forgave(蕩減) him the debt.

その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。
그 종이 나가서 제게 백 데나리온 빚진 동관 하나를 만나 붙들어 목을 잡고 가로되 빚을 갚으라 하매
"But that servant went out, and found one of his fellow servants, who owed him one hundred denarii, and he grabbed him, and took him by the throat, saying, 'Pay me what you owe!'

そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。
그 동관이 엎드리어 간구하여 가로되 나를 참아 주소서 갚으리이다 하되
"So his fellow servant fell down at his feet and begged him, saying, 'Have patience with me, and I will repay you!'

しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。
허락하지 아니하고 이에 가서 저가 빚을 갚도록 옥에 가두거늘
He would not, but went and cast him into prison, until he should pay back that which was due.

その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。
그 동관들이 그것을 보고 심히 민망하여 주인에게 가서 그 일을 다 고하니
So when his fellow servants saw what was done, they were exceedingly sorry, and came and told to their lord all that was done.

そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。
이에 주인이 저를 불러다가 말하되 악한 종아 네가 빌기에 내가 네 빚을 전부 탕감(蕩減)하여 주었거늘
Then his lord called him in, and said to him, 'You wicked servant! I forgave(蕩減) you all that debt, because you begged me.

わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。
내가 너를 불쌍히(体恤) 여김과 같이 너도 네 동관을 불쌍히(体恤) 여김이 마땅치 아니하냐 하고
Shouldn't you also have had mercy(体恤) on your fellow servant, even as I had mercy(体恤) on you?'

そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。
주인이 노하여 그 빚을 다 갚도록 저를 옥졸들에게 붙이니라
His lord was angry, and delivered him to the tormentors, until he should pay all that was due to him.

あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。
너희가 각각 중심으로 형제를 용서하지 아니하면 내 천부께서도 너희에게 이와 같이 하시리라
So my heavenly Father will also do to you, if you don't each forgive your brother from your hearts for his misdeeds."
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聖書上で「蕩減」は、人の負債(罪)を赦すこと。
「蕩減条件」は、自分がされたように「人を赦すこと」、
「あわれむこと(体恤・compassion)」

文鮮明師が強調されつづけた「蕩減」「体恤」は、そもそも聖書から来たものです。
キリスト教が説く「罪のゆるし」「負債のゆるし」を韓国語聖書では「蕩減」と訳しております。
またキリストの愛の証し「compassion(「共に受難」が原義)」を韓国語聖書で「体恤」と訳しております。

上記、マタイ18/21~35の部分はキリスト教会で、
「仲間を赦さない僕の例え」として有名で、頻繁に説教テーマになるものです。

この解釈が教派によって異なります。唯一統一教会だけが、
「赦しには条件がある」(蕩減条件)ということを説いたのです。

そしてその条件とは、聖書には明確に「体恤(compassion)」と書いてあるのです。「体恤」とは「苦難を共にすること」です。

  ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

もう一つ「受肉」という重要な用語も間違って使っております。
受肉」=神が人の体を着てキリストとなられたこと
キリスト教の出発点の解釈から間違っていては…

受肉」「蕩減」「体恤」…このキリスト教に於ける「いろは」にあたる言葉を全く間違って使い続けて未だ改めようとしない統一教会。
「世界のキリスト教を統一しようという意思はない」と判断せざるを得ないです。

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[資料] 「赦し」のキリスト教的英訳

2024年02月14日 | 資料

【1】新共同訳聖書辞典

赦し Forgiveness

旧約で「赦す」と訳されたヘブライ語「サーラハ」は、最も深い神学的な意味を持っており、この語は、神が民の罪を赦す場合についてのみ用いられている(出34:9、詩103:3、エレ31:34 他)。旧約では「赦し」は人間の美徳としてはあまり説かれていない。「目には目を」という同害報復法が規定され(出21:24)、血の復讐が近親者の義務とされていた社会状勢にとどまっていたからである。

そのような中でも、レビ記19:18以下は同胞イスラエルを赦すべことを暗黙に教えており、ヨセフが兄弟たちを赦した物語(創45章)が、模範として記されている。神は、常にそのように描かれているわけではないが(申29:20、ヨシュ24:19、王下24:4、エレ5:71)、罪を赦される方として描かれている(出34:7、ネヘ9:17、詩86:5、103:3、130:4、イザ55:7、エレ31:34、ダニ9:9、ミカ7:16~)。罪の赦しの前提条件は、悔い改めである(サム下12:13、王上8:35~、50、代下7:14、エレ36:3)。

新約では、主イエスは他を赦す義務を教えておられるが、それは神によって罪を赦されたという条件と密接に関連させられている(マタ6:15~、ルカ6:37、マコ11:25とコロ3:13を比較参照)。を赦すということは無制限の赦しでなくてはならない(マタ18:21~)。主イエスは御自身を十字架につける人々のために、罪の赦しを祈られた(ルカ23:34)。悔い改めと罪の告白とは、すでに洗礼者ヨハネが宣べ伝えたように(マコ1:4)、罪の赦される条件である(ルカ24:47、使2:38、一ヨハ1:9)。

しかし、聖霊を冒涜する罪は赦されない罪とされている。主イエスは罪を赦す権威を持っておられ(マコ2:10)、主の血は、罪の赦しのために流された(マタ26:28)。初代教会は主イエスによる罪の赦しの福音(使5:31、13:38、コロ1:14)、特に主の十字架の血による罪の赦しを宣べ伝えた(ロマ3:25、エフェ1:7とヘブル9:22を比較参照)。

 

【2】現代カトリック事典

(1)罪の赦し remission of sin

罪が現実に真に赦されること。大罪が赦された場合、その大罪に付随する永遠の罰は赦されるが、有限の罰は残る。小罪が赦された場合、罪責は取り除かれ、神の恩恵が与えられ、有限の罰は除かれる。


(2)罪の赦し absolution

悔悛の秘跡において、資格と必要な裁治権をもった司祭が、罪とその罪に対する罰を赦す行為。第二バチカン公会議以降の定められた罪の赦しのための定式文は次の通りである。「恵の父なる神は、御子の死と復活を通してこの世を神と和解させ、罪の赦しのために聖霊をこの世に送ってくださった。教会の勤めを通して神があなたに罪の赦しと平安を与えてくださいますように。私は父と子と聖霊の名によってあなたの罪を赦します」。

これに対して告白者は「アーメン」と応える。この定式文において不可欠な語句は「私はあなたの罪を赦す」である。何世紀にもわたって、教会は罪の赦しのために嘆願形式を使ってきた。たとえば「神があなたの罪を赦して下さるように」という形式である。しかし、この形式は、実際の意味においては宣言形式であった。このことは、罪の赦しを与える司祭が、自分の断定的判断を表現するために仮定法を使っていたが、実際に罪を赦す裁判官とみなされていたという古くからの伝統が明らかである。

(語源はラテン語のabsolvere「~から解放する、~を赦す、~を赦免する」)。


(3)赦し forgiveness

罪の赦し、容赦。カトリック教会は赦された罪はその人から実際に取り除かれると信じる(ヨハネ20章)。それはただ単にキリストの功績によっておおわれるだけではない。神だけが罪を赦すことができる。神だけが、大罪を犯しそれによって恩恵の状態を失った人に成聖の恩恵を再び与えることができるからである。神は、完全な痛悔によって心から罪を悔いている者には直接に、あるいは秘跡をとおして間接に、罪を赦す。一義的に罪の赦しのための秘跡は洗礼と悔悛であり、二義的には、ある条件のもとに、塗油の秘跡である。

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