「原理講論」の誤謬と正解

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「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」プロテスタント

2021年07月08日 | 資料

 「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」


 
 
■説教題「キリストと同じように」ヨハネⅠ3/7~12 安食弘幸牧師
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 神から生まれた者

「ある債務多重者の人がいるとします。あっちでもこっちでも借金をして首が回りません。取り立てが厳しくて暴力団も絡んで命も危ない時に、一人の紳士が現れて彼の借金を全部肩代わりしてくれたとします。

 その時の喜びや解放感を想像してみて下さい。彼は毎朝新しい喜びをもって起きあがることが出来る筈です。このようにイエス・キリストを信じることによって毎朝神の前に借金のない者として起き上がることが出来るのです。

『この喜びを知っている人は感謝の内に感謝の故に罪の内を歩みません。罪と共に生活をしません。』とヨハネは言うのです。」
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■中川健一牧師著「聖書流・生き方指南」から
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 聖書は赦しについてこう教えています。

 「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。」※
 これは、人を赦すことが天の父から赦されるための条件であると教えているのではありません。

事実はその逆です。自分が天の父からどれほど多くの罪を赦されたかを知っているなら、人を赦すことができるはずだ、というのがその意味です。
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 ※ マタイ伝18章21~35節


★どうして素直に「それが赦しの条件だ」と言わず、このような特殊な思考をするのでしょう?  
 それはパウロの影響なのです。

コロサイ2/13
「神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。」

ローマ4/2
「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」

「人間のすべての罪が、罪の全くないイエスの代贖によってあがなわれ、そのイエスの義が、イエスを主と信じるだけですべての人間に無償で与えられるという罪と義の両面の二重のすり替えの論理」(野村健二著「イエスの福音とパウロの福音」) 
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