GYORGY (GEORGES) CZIFFRA TCHAIKOVSKY'S FIRST PIANO CONCERTO 'LIVE' JAPAN 1964
流石にN響はシフラのスピードに付いて行ってます。
ポゴレリッチが札幌で弾いた時には、札響のバイオリンが付いて来れず
もうヨレヨレで転びそうだったから、レベルが違います。
N響には日本のトップ奏者が集まっているけど、札幌では、結構エキストラ
が雇われていて、その中には、えっと思うレベルの人が居るのが問題です。
コンサートマスターは流石に上手いのですが。
只、札響のホルンは、凄く上手いです、珍しいと思うくらいです。
日本人はバイオリンは世界でもトップクラスですが、ホルンはあんまり。
更にチューバの様な金管楽器は、体格のせいで、得意ではないのです。
ヨーロッパ人は、中学高校くらいの男の子でも、金管は上手いですよ。
シフラの演奏に対して、火山男、岩城宏之は良いお仕事をされています。
この録音は、世界最高のチャイコフスキーの1番だと思います。
これを生で聴けた人は、幸運ですね。
100年に一度も生まれない天才ピアニストの全盛期を聴けたのですから。
1,956年に亡命してウィーンで暮らすようになり、その8年後には東京で
コンサート、やっと幸せに成れた時期だったか、と思うと感慨深いです。
この丁度3か月後には我が家は家事で兄が焼死、不幸のどん底へ落ち
私の冬の旅が始まりました。
シフラJrが1,981年にやはり自宅の火事で亡くなった年には、私は病死寸前
まで追い込まれましたし、何だか、どこかで繋がっている様な気がして、
昨日、シフラの魂が安らかに成る様にお祈りしていたら、
心眼に彼のデスマスクが見得ました。
未だ苦しみから解放された表情ではなかったので、幸せに成れるように、
稲荷狐さんにお願いしました。
マリア・カラスも未だ成仏せずに、私をはじめ、舞台に立つ歌手を支えたりしています。
外人の歌手が何人か、「カラスの存在を感じた」と言っていますが、それは正しいです。
体調が悪くて、歌っている最中に、もうもたない!と思った瞬間、私の横隔膜を
両手でがしっと支え続けて、最後まで完璧に歌わせてくれた事が有ります。
両手で挟んでいるのが、はっきりと分かり、手だぁ!とビックリしました。
舞台に立つと、本当に神とか守護神と繋がる事が有ります。
特に疲労困憊して追い詰められている時が多いです。
元気いっぱいの時には、「自分でおやんなさい!」ですから。
Chopin Etude no.12 op10
が有りました。外国人の誰かが、彼のピアノから煙が出ている!凄い!!等、感激しています。
こちらはオレイニチャク演奏。
テンポも同じ、表現力があるところも同じ(^^♪
頭の中の譜面が、中々追い付きません。^^;
リストの再来とショパンの化身は、親子の様です。
両氏とも、指が回るだけではなく、音楽性に富み、超絶技巧の合間にさえ
ちゃんと表現しています。
両氏とも、テンポの遅いワルツや夜想曲等も音楽性豊かに表現出来る所も同じです。
オレイニチャクさんが日本ではあまり有名では無いのは、
ショパンコンクール最年少入賞を果たしましたが「優勝」では無いからです。
所謂プロモーター=公演の企画や準備、開催をする人々にとっては
「某コンクール優勝!」で宣伝するのが、一番簡単で儲けを出し易いからです。
そもそも、その人たちには、あまり耳が無く、才能が分からないのかもしれませんが。
シフラさんを二度と生で聴く機会が無くなってしまったけど、
オレイニチャクさんの存在を知った事は良かったと思います。