「テレビの力」と言う番組でピック症の51歳の男性の捜索願を放送していた。
病気が進んで会話をする力もなくなっていると言う。
そんな人が毎年フルマラソンを走っていたというのは驚きだけど、ジョギングを日課にしていて、或る日とうとう帰宅しなかったと言う事らしい。
私の母は現在76歳でピック症、1999年にあまりにも頭が悪く成ったので変だと言う事で2週間入院して検査を受けた所、もう中期まで進んでいて、始まったのはおそらく1993~4年頃だと診断された。
私は1985~1996年までウィーンと日本を行き来していたのだが、1994年にウィーンから電話したら、「日本語で」話しているのに意味が分からない事が度々有り、本人もこの頃頭が悪く成って来た、と嘆いていたのだ。
それが、こんな深刻な病気の始まりとは思いもよらなかった。
とりわけ母は、学校でも全科目「優・良・可」の「優」しか取った事の無い秀才で、更に陸上競技3つ「走り幅跳び」「100m走」「4×100mリレー」で全道大会で優勝して国体の代表選手に選ばれた程の運動神経の持ち主だったので、まさか頭が悪く成るなんて、思いもよらない事だったのだ。
今はもう、会話なんてとうの昔に成立しなくなっているが、自分が「何も出来なく成った」と言う「負い目」さえ分からなく成った様で、本人は幸せに成ったと思う。
大好きな夫の事だけはちゃんと認識していて、あまり歩けなく成った父の両手を引いて食卓へ連れて行ったりと面倒を診るつもりでいるし・・・・・
そんなピック症の人がジョギングして帰宅しないのは、昨日までは覚えていた道を、今日には突然失ったのだと思う。
母だって、勝手に街へ出掛けて迷子に成り、警察官に2度、ダイエーの店員に1度、合計3度人に発見されて送られて来た事が有るが、ダイエーの人はカードで電話番号が分かって掛けてきてくれたし、警察官はその時は私が住所氏名と連絡先を書いたカードを持たせていたので送ってくれたが、本人は訊かれても自分の名前さえ言えない状態だったのである。
自分の名前を知らない訳ではないのだが「お名前は?」と言われても、その言葉の意味が全然分からないのだ。
言葉は自分の頭の中にだけ存在していて、自分が「その事」に思いを馳せている時に、たまたま質問が一致すれば、正しい答えが返って来る事も、本当に稀には無い事もない。
1999年に国際コンクールの披露演奏会出演の為に上京した時に、少しでも楽しい思いをさせたいと思って母を連れて行ったのだが、本当に体力的にも精神的にも大変だった。
例えば外食すると、紙ナプキンを食べ物と間違って齧ってしまったり、見張っていないと何が起きるか分からない状態だった。
自宅に居てもお菓子についている乾燥剤の封を切って、わざわざケーキに振りかけて食べてしまったり、毒でも何でも食べてしまうのだ。
こんな病気に罹った人が行方不明では、無事に戻れるとしたら、ひとえに遭遇した人間による。