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福島県 白河市歴史民俗資料館①縄文土器 人面付弥生土器 天王山式土器 

2024年07月28日 16時31分27秒 | 福島県

白河市歴史民俗資料館。福島県白河市中田。

2024年6月1日(土)。

白河ハリストス正教会の見学を終え、白河市歴史民俗資料館へ向かった。

 

鵜ヶ島台式土器神奈川県鵜ガ島台遺跡を標識遺跡に持つ、縄文時代早期後葉の土器型式である。土器の器面を二枚貝の放射肋で調整する際につく擦痕状の文様をもつのが特徴で、条痕文土器として分類され、文様の区画交差部に円形の刺突文が押捺されるという特徴を持つ土器である。関東地方を中心に分布する。

大木7b式土器と阿玉台式土器。

阿玉台式土器東関東に分布する縄文時代中期前半(4,500~5,000年前)を代表する土器で、千葉県香取市阿玉台貝塚の名前から命名された。霞ヶ浦沿岸に分布の中心をもつ関東地方における縄文土器編年の標式資料となっている。粘土には金雲母とよばれる鉱物が混ぜられているため、光に照らすとキラキラ光るのが特徴である。

綱取式土器。

綱取式土器は、福島県いわき市綱取貝塚出土土器を標式として設定された縄文時代後期前葉を中心とした型式である。

新地式土器は、福島県新地町新地貝塚出土土器を標式土器とした縄文時代後期末の土器形式で、磨消縄文を特徴として東北南部に分布する。

人面付弥生土器。滝ノ森B遺跡。

高さ25.3cm 胴径16cm。表郷番沢の滝ノ森B遺跡において、昭和15年(1940)、完全な形で出土した球形の胴に細長い頸をもった壺で、口から頸にかけた部分の表裏2面に人の顔が表現されている。隆帯が額に巡り、これにより眉と鼻が描き出されている。また、顔の輪郭にも隆帯がS字状に巡り、顎、耳が形作られている。隆帯上には、円形の刺突文がみられる。目、口は細い沈線で描かれ、その中に短い沈線を充填している。目・口、隆帯上の刺突文や胴部の一部に朱彩の痕跡がみられる。

年代的には、土器の特徴から弥生時代中期に位置づけられる。昭和41年(1966)の発掘調査時には、墓とみられる土坑も確認されていることから、再葬墓に伴う可能性が考えられる。

天王山(てんのうやま)遺跡出土品。

天王山遺跡は、大地区および久田野地内に所在する弥生時代後期前半(1世紀頃)の集落遺跡で、天王山式土器の標式遺跡として著名である。

白河市中心市街地から東へ約4km、阿武隈川左岸の標高407mほどの独立丘陵頂上部に立地しており、丘陵裾部との比高差は約80mを測る。複数時期の竪穴建物跡や土坑が重複する状況を確認したことから、一定期間存続した集落跡と位置付けられた。

昭和25年、開墾中に発見され、開墾と平行して行われた発掘調査により弥生土器、土製紡錘車、石器(アメリカ式石鏃・石鏃・環状石斧・磨石)、管玉、植物質遺物(炭化米・炭化クリ・炭化クルミ・炭化木皮)などが出土するとともに、土坑や集石遺構、焼土遺構などを検出した。出土した多量の土器は、「天王山式土器」として設定されるなど、東北における弥生時代後期前半の標式遺跡として、その後の研究にも強い影響を及ぼすことになった。

 平成28年から30年にかけて、白河市が行った発掘調査で、複数の竪穴建物が検出されたことにより、長い間不明であった遺跡の性格が集落であることが明らかになり、弥生時代後期前半における集落の立地や構造、多量の植物質遺物から想定される生業や食生活など、当時の社会構造を知る上でも新たな知見を加えることができた。

天王山遺跡は、東北地方における弥生時代研究において学史的にも極めて重要な遺跡であり、弥生時代後期前半における集落の立地や大量の植物遺物から想定される生業や食生活など、当時の社会構造を考えるうえで重要である。

天王山式土器は、壺・甕・鉢・高杯などがある。天王山式土器を最も特徴づける文様は、沈線間に上下から刺突を加えた交互刺突文である。その他に、沈線による鋸歯文、連弧文、工字文、方形区画文、渦文、菱形文や、磨消縄文手法もみられ、磨消部に赤彩したものも存在する。

発見当時、他に類例を見ない特徴を有していたことから弥生土器の標式として、「天王山式土器」と名づけられ、現在、東北地方から北陸地方を中心に分布することが確認されている。

福島県白河市 白河ハリストス正教会 山下りんのイコン画



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