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岩手県矢巾町 矢巾町歴史民俗資料館②木製冑 南部曲り家

2023年11月11日 09時38分09秒 | 岩手県

矢巾町歴史民俗資料館。岩手県矢巾町西徳田。

2023年6月8日(木)

木製冑コーナー。

2006年(平成18年)7月31日に徳丹城跡遺跡の西側に発達する後背湿地で確認された工房施設群の井戸跡から、国内初となる木製の冑が発見された。過去の文献には木製冑の存在が記されており、その数も非常に多いと推定されていたものの、木材は腐食しやすく出土した例が無かった。

前後長24.5cm、左右長20cm、高さ16.8cm、厚さ2cm、樹種はトチノキで、黒漆が薄く塗布してあった。

放射性炭素による年代測定の結果、塗られた漆は7世紀後半のものと測定された。これは、徳丹城造営の9世紀から百数十年も古く、武具として徳丹城に持ち込まれた冑が水桶として転用されたものと思われる。

佐々木家曲家は、南部地方特有の家屋形態を今に伝える町内でも数少ない貴重な建造物として、昭和61年1月27日に町指定有形文化財に指定された。同年に、もとの所在地であった藤沢地区から、資料館の北側の敷地に移設復元された。

母屋(おもや)の北側に、南向きの馬屋(うまや)が取付く典型的な形式で、藩政時代は村役と呼ばれる、現在の村長にあたる役職の家であったため、建坪は90坪と大きいものになっている。

母屋は基本的には、食違い四間取型式の前常居型で、庭寄りに常居(じょい)と寝間(ねま)があり、その南隣には上座敷、中座敷、下座敷の畳敷きの3間が外庭に面している。

母屋と馬屋を連結する土間(どま)は別名『庭』と呼ばれ、生活の主体をなす空間であった。小作農家から収められた米を計量する計り場(はかりば)と呼ばれる板間もこの空間に含まれている。

外庭には、塀中門(へいじゅうもん)と呼ばれる門があり、座敷と外庭とが一体化し、その格式高さを今に伝えている。

 

矢巾町歴史民俗資料館と国史跡・徳丹城跡の見学を終え、紫波町の高水寺城跡へ向かった。

岩手県矢巾町 国史跡・徳丹城跡 矢巾町歴史民俗資料館



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