<写真>ハウルの動く城
■「ハウルの動く城」その2
106:【映画好きおじさんの戯言】第2回
映画好きおじさんの戯言第2回目、「ハウルの動く城」について、の続きです。前回は「太陽の王子ホルス」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」のことを、書いています。今回やっと、「ハウルの動く城」について。
おっと、その前に、
皆様、よいお年をお迎えください!
■「ハウルの動く城」
--お爺さんが語る乙女等へのおとぎ話--
さて、「ハウルの動く城」。
主人公のソフィーも、やはり鈩場(たたらば)の女の子。
帽子屋の若主人で、掃除夫のお婆さん。器量は悪いが、働き者で心優しい。体は若いのに、心は老成し、諦めでいっぱい。化粧美人の妹は、「お姉ちゃん頑張って、やりたいことは自分で探すのよ」という。お前にだけは言われたくない(このメッセージの変化!「耳をすませば」との違い!)。私はそんなに強くも、可愛くもないんだから。。。。
たぶん、「ハウル」の方が、「千と千尋」よりもターゲットの女の子達の心に届くような気がする。「千尋」は十歳。ターゲットの女の子達よりも少し若すぎた。
「クラリス」は男の子の理想だったけど、「ハウル」は女の子の理想。おトイレにもお風呂にも入らないクラリスは、ちょっと変。もうすこし等身大で、身近な男の子がリアル。ナイーブだけど、自信過剰。かっこいいけど、時々怖い。愛するもののキスで、案山子は王子様に戻るけど、大好きな彼はもっと身近にいる。
メカはいかにも無骨で、玩具チックで飛ばなさそうで、今までのパロディだし、母親や魔法使いのお婆さんのハチャメチャ振りも現実のパロディとして効いている。「ハウル」では父親が全く不在だ。親父世代としては情けないけど、それもリアルなんだろうなぁ(今度は親父を慰める映画を作ってほしいなぁ)。
心の中にいるハクだけじゃ、生きて行くのは、やっぱり辛い。後半、犬(?)のヒンと闇の中を進みながら、ソフィーが、流す涙は「千尋」のラストと同じ涙。でも、「ソフィー」にはその先がある。
一人で生きて行けるほど強くはない。やぱり女の子には、男の子が必要。今は女の子も男の子も、心に高い城壁を張巡らして生きている。女の子が、少しだけ勇気を出してノックしてごらん。普通の女の子だってきっと素敵な恋ができる。そして、彼と子供や犬と一緒に、居心地のいい暖かい家庭を築こう。貴女ならできる。だって、普通の女の子だから。
宮崎監督は、身近な乙女(アニメ-タ)のためだけに、映画を作る。童話作家が自分の子供のためだけに書いた童話が、普遍性を獲得するように、身近なものへの想いが、強ければ強いだけ作品は普遍性を獲得する。
そう言う意味でも「ハウル」の方が、「千と千尋」よりも優しく、想いが強いような感じがする。いっそう、女の子の気持ちに寄り添っているというか。もしかしたら身近な女の子(アニメータ)達の意見を聴きながら作ったんじゃないかな?
「ふたりが暮らした。 生きる楽しさ。愛する喜び。それが世界の約束。」
キャッチコピーは宮崎監督の想いを端的に表している。こんなクサイ台詞は、お爺さんが孫ほども歳の離れた乙女等にしか言えやしない。
でも、今の世の中、誰かが言わなくては。生きる事はそんなに悪くないよって。
<もう1回続きます(笑)>
●追伸
「ふたりが暮らした。 生きる楽しさ。愛する喜び。それが世界の約束。」
「生きる事はそんなに悪くないよ。」
なんて書きながら、新年を迎えてみたかった(笑)。
来年こそ、世界のすべての人にとって、善い年となりますように!
木全 賢 拝
■「ハウルの動く城」その2
106:【映画好きおじさんの戯言】第2回
映画好きおじさんの戯言第2回目、「ハウルの動く城」について、の続きです。前回は「太陽の王子ホルス」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」のことを、書いています。今回やっと、「ハウルの動く城」について。
おっと、その前に、
皆様、よいお年をお迎えください!
■「ハウルの動く城」
--お爺さんが語る乙女等へのおとぎ話--
さて、「ハウルの動く城」。
主人公のソフィーも、やはり鈩場(たたらば)の女の子。
帽子屋の若主人で、掃除夫のお婆さん。器量は悪いが、働き者で心優しい。体は若いのに、心は老成し、諦めでいっぱい。化粧美人の妹は、「お姉ちゃん頑張って、やりたいことは自分で探すのよ」という。お前にだけは言われたくない(このメッセージの変化!「耳をすませば」との違い!)。私はそんなに強くも、可愛くもないんだから。。。。
たぶん、「ハウル」の方が、「千と千尋」よりもターゲットの女の子達の心に届くような気がする。「千尋」は十歳。ターゲットの女の子達よりも少し若すぎた。
「クラリス」は男の子の理想だったけど、「ハウル」は女の子の理想。おトイレにもお風呂にも入らないクラリスは、ちょっと変。もうすこし等身大で、身近な男の子がリアル。ナイーブだけど、自信過剰。かっこいいけど、時々怖い。愛するもののキスで、案山子は王子様に戻るけど、大好きな彼はもっと身近にいる。
メカはいかにも無骨で、玩具チックで飛ばなさそうで、今までのパロディだし、母親や魔法使いのお婆さんのハチャメチャ振りも現実のパロディとして効いている。「ハウル」では父親が全く不在だ。親父世代としては情けないけど、それもリアルなんだろうなぁ(今度は親父を慰める映画を作ってほしいなぁ)。
心の中にいるハクだけじゃ、生きて行くのは、やっぱり辛い。後半、犬(?)のヒンと闇の中を進みながら、ソフィーが、流す涙は「千尋」のラストと同じ涙。でも、「ソフィー」にはその先がある。
一人で生きて行けるほど強くはない。やぱり女の子には、男の子が必要。今は女の子も男の子も、心に高い城壁を張巡らして生きている。女の子が、少しだけ勇気を出してノックしてごらん。普通の女の子だってきっと素敵な恋ができる。そして、彼と子供や犬と一緒に、居心地のいい暖かい家庭を築こう。貴女ならできる。だって、普通の女の子だから。
宮崎監督は、身近な乙女(アニメ-タ)のためだけに、映画を作る。童話作家が自分の子供のためだけに書いた童話が、普遍性を獲得するように、身近なものへの想いが、強ければ強いだけ作品は普遍性を獲得する。
そう言う意味でも「ハウル」の方が、「千と千尋」よりも優しく、想いが強いような感じがする。いっそう、女の子の気持ちに寄り添っているというか。もしかしたら身近な女の子(アニメータ)達の意見を聴きながら作ったんじゃないかな?
「ふたりが暮らした。 生きる楽しさ。愛する喜び。それが世界の約束。」
キャッチコピーは宮崎監督の想いを端的に表している。こんなクサイ台詞は、お爺さんが孫ほども歳の離れた乙女等にしか言えやしない。
でも、今の世の中、誰かが言わなくては。生きる事はそんなに悪くないよって。
<もう1回続きます(笑)>
●追伸
「ふたりが暮らした。 生きる楽しさ。愛する喜び。それが世界の約束。」
「生きる事はそんなに悪くないよ。」
なんて書きながら、新年を迎えてみたかった(笑)。
来年こそ、世界のすべての人にとって、善い年となりますように!
木全 賢 拝