
<写真>太陽の王子ホルスの大冒険・もののけ姫・千と千尋の神隠し
●「ハウルの動く城」その1
105:【映画好きおじさんの戯言】第1回
年末ですねぇ。
突然ですが、映画好きなんですよ。デザインも好きですが、映画も好きです。残念ながら、最近はあまり映画を観られないのですが。
これから時々、映画の話でもしようと思います。話題の新作を取り上げれば、アクセスも上がるのでしょうが、なかなか、おじさんは流行に乗り切れない。地道に好きな監督さんの映画について、気が向くままに書いていこうと思います。
好きな監督はたくさんいるのだけど、どちらかというと昔の人が多い。一番好きな監督はスタンリー=キューブリックとスタンリー=ドーネン(ファーストネームが同じなのはたまたまですよ)。ね、ちょっと古いですよね。
そんなこんなで、なんの映画について書こうかなあと、思案していたところ、1年前に知人等と20年ぶりに再開した同人誌(!)に書いた「ハウルの動く城」の記事のことを思い出しました。
これならごく最近DVD化されたばかりで、コンビニに並んでいるし、スタジオジブリも新作「ゲド戦記」の製作を発表したし、そんなに話題に乗り遅れてなさそうです。それに、宮崎駿監督は大好きな監督さんなんで、初回にふさわしいかなと。
前置きが、長くなりました。元の記事も結構大作なので、年越し3回に分けてお届けします。
■「ハウルの動く城」第1回
--お爺さんが語る乙女等へのおとぎ話--
宮崎駿監督は、身近にいるアニメーターの女の子達の事が、気になって仕方がない。本当に優しいおじさんだ。いや、年令差を考えれば、優しいお爺さんか?
■「もののけ姫」
我々の世代からすると、宮崎監督は男の子のための「マンガ映画」を作ってくれる人だった。我々は、ついついそれを期待してしまうけど、宮崎監督はもう、そこにはいない。
宮崎監督は、東映動画時代からずっと引きずってきた「太陽の王子ホルスの大冒険」を、「もののけ姫」で徹底的に総括した。
ヒットしたのはその執念、迫力に対する憧憬だろう。「もののけ姫」で宮崎監督は、鈩場(たたらば=アニメスタジオ)の女の子達(アニメータ)に気がついた。彼女達こそ、幸せにならなければならない。
主義主張はもういい。アシタカは鈩場で生きると宣言する。
■「千と千尋の神隠し」
「千尋」はまさに、その宮崎監督の身近にいるアニメータの女の子だ。
それまでの宮崎アニメの主役の女の子のように意志も強くないし、可愛くもない。自分の夢なんてよく分からない。ジブリのアニメが好きだから、そのお手伝いができるだけで嬉しい、そんなことを考えている女の子。
でも、親は、好きな事しなさい、と言いながら、アニメ-タじゃ、食べていけないと諭す(ブタにすることはないと思うけど)。食べて行くことだけが、大切なの?アニメを好きじゃいけないの?そんな、世間ずれしていない心優しい乙女等こそ、幸せにならなければならない。
動画アニメータの名は残らない。「顔なし」(アニメヲタク)は傍若無人だ。「千尋」(アニメータ)は彼(ヲタク)から大量の金貨を貰い、戸惑う。「顔なし(ヲタク)」が何ものか何がしたいのか、さっぱり分からない。それでも心優しい「千尋」は一緒に電車に乗り、海を渡り洋風な世界(アメリカ中西部の片田舎=ディズニー)に連れて行く。「顔なし」をそこに残すのは、ヲタクはアメリカに任せたよということか。
「アニメは日本だけじゃない。原点は海外にある。それも見なさい。そして、貴女の原点も大切に、ハクはいつも貴女の心の中にいるよ。」
宮崎監督は「千と千尋」では、「コナン」や「ラピュタ」のように、とことん頑張れとは言わない。あなた達は素敵だ。自分の気持ちに正直に。ラストの千尋の涙はその気持ち。だから、とめどなく溢れ出なければならない。
ヒットしたのは、キャラクターに込めた隠喩の見事さゆえか?ヲタクの真相を暴き、物わかり良さげな大人の胡散臭さを突く。日本の現状のある断面を見事に切ってみせてくれた。
それを、昭和のエキゾチシズムと、八百万の神々と、環境問題と、活劇に包んで見せた。意味深長なシーンのゴッタ煮が醸し出す深読み感覚が受けたのか?ちょっと盛り込み過ぎて、女の子達へのメッセージが薄れてしまったかも知れない。まだ宮崎監督にも照れがあったのか。
<続きます>
●「ハウルの動く城」その1
105:【映画好きおじさんの戯言】第1回
年末ですねぇ。
突然ですが、映画好きなんですよ。デザインも好きですが、映画も好きです。残念ながら、最近はあまり映画を観られないのですが。
これから時々、映画の話でもしようと思います。話題の新作を取り上げれば、アクセスも上がるのでしょうが、なかなか、おじさんは流行に乗り切れない。地道に好きな監督さんの映画について、気が向くままに書いていこうと思います。
好きな監督はたくさんいるのだけど、どちらかというと昔の人が多い。一番好きな監督はスタンリー=キューブリックとスタンリー=ドーネン(ファーストネームが同じなのはたまたまですよ)。ね、ちょっと古いですよね。
そんなこんなで、なんの映画について書こうかなあと、思案していたところ、1年前に知人等と20年ぶりに再開した同人誌(!)に書いた「ハウルの動く城」の記事のことを思い出しました。
これならごく最近DVD化されたばかりで、コンビニに並んでいるし、スタジオジブリも新作「ゲド戦記」の製作を発表したし、そんなに話題に乗り遅れてなさそうです。それに、宮崎駿監督は大好きな監督さんなんで、初回にふさわしいかなと。
前置きが、長くなりました。元の記事も結構大作なので、年越し3回に分けてお届けします。
■「ハウルの動く城」第1回
--お爺さんが語る乙女等へのおとぎ話--
宮崎駿監督は、身近にいるアニメーターの女の子達の事が、気になって仕方がない。本当に優しいおじさんだ。いや、年令差を考えれば、優しいお爺さんか?
■「もののけ姫」
我々の世代からすると、宮崎監督は男の子のための「マンガ映画」を作ってくれる人だった。我々は、ついついそれを期待してしまうけど、宮崎監督はもう、そこにはいない。
宮崎監督は、東映動画時代からずっと引きずってきた「太陽の王子ホルスの大冒険」を、「もののけ姫」で徹底的に総括した。
ヒットしたのはその執念、迫力に対する憧憬だろう。「もののけ姫」で宮崎監督は、鈩場(たたらば=アニメスタジオ)の女の子達(アニメータ)に気がついた。彼女達こそ、幸せにならなければならない。
主義主張はもういい。アシタカは鈩場で生きると宣言する。
■「千と千尋の神隠し」
「千尋」はまさに、その宮崎監督の身近にいるアニメータの女の子だ。
それまでの宮崎アニメの主役の女の子のように意志も強くないし、可愛くもない。自分の夢なんてよく分からない。ジブリのアニメが好きだから、そのお手伝いができるだけで嬉しい、そんなことを考えている女の子。
でも、親は、好きな事しなさい、と言いながら、アニメ-タじゃ、食べていけないと諭す(ブタにすることはないと思うけど)。食べて行くことだけが、大切なの?アニメを好きじゃいけないの?そんな、世間ずれしていない心優しい乙女等こそ、幸せにならなければならない。
動画アニメータの名は残らない。「顔なし」(アニメヲタク)は傍若無人だ。「千尋」(アニメータ)は彼(ヲタク)から大量の金貨を貰い、戸惑う。「顔なし(ヲタク)」が何ものか何がしたいのか、さっぱり分からない。それでも心優しい「千尋」は一緒に電車に乗り、海を渡り洋風な世界(アメリカ中西部の片田舎=ディズニー)に連れて行く。「顔なし」をそこに残すのは、ヲタクはアメリカに任せたよということか。
「アニメは日本だけじゃない。原点は海外にある。それも見なさい。そして、貴女の原点も大切に、ハクはいつも貴女の心の中にいるよ。」
宮崎監督は「千と千尋」では、「コナン」や「ラピュタ」のように、とことん頑張れとは言わない。あなた達は素敵だ。自分の気持ちに正直に。ラストの千尋の涙はその気持ち。だから、とめどなく溢れ出なければならない。
ヒットしたのは、キャラクターに込めた隠喩の見事さゆえか?ヲタクの真相を暴き、物わかり良さげな大人の胡散臭さを突く。日本の現状のある断面を見事に切ってみせてくれた。
それを、昭和のエキゾチシズムと、八百万の神々と、環境問題と、活劇に包んで見せた。意味深長なシーンのゴッタ煮が醸し出す深読み感覚が受けたのか?ちょっと盛り込み過ぎて、女の子達へのメッセージが薄れてしまったかも知れない。まだ宮崎監督にも照れがあったのか。
<続きます>