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【書評】わが「転向」 (吉本隆明)

2021年03月17日 | 書評



“わが「転向」”と題されているが、吉本隆明は
『従来の資本主義が生産本位のものであったのに対して、現在の資本主義はむしろ消費本位とも言うべき産業形態に再編され、高度化した、ということではないかと思います。この高度化した資本主義を、僕らは超資本主義、あるいは消費資本主義と名づけることにします。』(P36)
という、変化に対応した思考転換であり、自身の左翼性はより発展し揺るがないとしている。その担保として次の引用文に表わされるように、消費資本主義に大衆の原像を見出していること、消費資本主義の果てに革命を配置していること、を定礎している。
『大衆の原像ということが年来の思想のカギでした。僕が旧来の「左翼」思想と訣別したところがあるとすれば、「大衆」と呼ばれてきた層が、日本の社会の中枢を占めるようになったのではないかという認識から始まった』(P16)
『日本が超資本主義の段階に達して、潜在的な革命権が、消費という決定的な切り札を握った民衆へ移動したということの反映ではないか』(P13)

しかしそれは、単なる大衆迎合と無い物ねだりではないのか。そう問われれば、吉本は消費資本主義を生み出した高度経済成長の動力が、日本大衆独自の欲望と主体性、そして共同性にあるとして反論したはずである。昭和20年8月15日に20歳であり、敗戦と飢えるということがどういうことか知っていた吉本にとって、戦後の高度経済成長は災害ユートピア建設のように感じられただろう。それは多くの日本人の感性とも通底しており、吉本の精神に「大衆の原像」として自然に深く刻み込まれたように思える。

吉本が見出した「大衆の原像」はまた、彼の精神的安定にも大きく寄与することになる。
『そして「七ニ年頃にどうやら時代の大転換があった」と分析ができてからは、挫折の季節を経てなお、かつての考え方にしがみついている人々とのつきあいは免除してもらうことにしました。これまで責任がないわけではない、と思ってきましたが、時代が変ってしまったんだから罪贖感もこれきににさせてもらおう』(P23)
時代の変換と大衆の原像を重ね合わせることで、知識人として同伴した60年安保闘争の呪縛を都合よく清算したことが記されている。もしかするとこの時点で、彼の思想的使命である天皇制との対決も棚上げしたのかもしれない。以降吉本は、ポップカルチャーの分析やファッション雑誌に登場したり原発容認の論陣を張るなど、消費資本主義の進展を擁護し自分以外の左翼を時代遅れと切り捨てることで、自らの思想的特異性とした。このやり口は、吉本の死後も根強く日本社会に引き継がれているように感じる。

『それまで僕は、太宰治の小説「右大臣実朝」にある「人間というのは暗いうちは亡びない、明るいのは亡びの姿だ」という言葉が好きで、それに固執し、そこを掘り下げていけば大丈夫だと思っていました。しかし彼らの明るさ、軽さを「亡びの姿」で片付け、きちんと分析をしなかったなら、この時代では使いものにならないように思えてきたのです。』(P18)
明るさと軽さが売りの消費資本主義が、消費者という大衆による革命をもたらすことなく終焉し、暗黒世界を無理やり大量の人工灯で照らし出すことで「明るいままだ!」と、強弁する今の時代から吉本隆明を振り返る時、暗さに徹底して向き合う重要性とその困難さを思わずにいられない。我々は吉本隆明が到達できなかった「大衆の原像」に、再び分け入らなければならない革命の時期を迎えた。吉本隆明は認めないだろうが、七ニ年に彼は多くの大衆を引き連れ、鍋山貞親や佐野学の場合と同じ倫理的意味を持つ転向を行ったのだ。



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