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【書評】〈近代の超克〉論

2024年02月23日 | デモ



『〈近代の超克〉論』著述の動機として廣松渉は、『一旦時潮が変われば、戦前・戦時の「近代超克論」の変種や粧いを変えたファシズムに易々と罹患しかねない』(84㌻)ことを危惧し、「日本ファシズムがファシズムを否定しながら成立した経緯こそ、こんにちわたしらは注意しておかねばならない」という松本健一の文言を同項から引用しつつ、「いまファシズムの危機を蝶々したり、軍国主義の兆候を叫んでいる手合いの多くは、一朝ことあらあばそのままの位相でファシズムの担い手にな」りかねず、そのような政治勢力へ引き付けられなようにすることを挙げている。

そこで審判に掛けられるのが、東洋的無によって主観と客観の二元論的対立構造を止揚せんとする、西田幾多郎と弟子からなる京都学派だ。彼らは、「西洋哲学を突き抜けた」(209㌻)と自負する西田哲学の立場から、戦前戦中にかけて「近代の超克」という思想ムーブメントに加担した。そこで、東洋的無を具現化した天皇制に西洋近代が包摂される、世界支配イデオロギーを創出する。さらには、マルクス主義すら取り込み、資本主義批判から戦争に資する統制経済と戦時体制を正当付けた。こうして西田哲学は「近代の超克」から、日本ファシズムを形作ったことが本書で示される。

どういう訳か、戦後もこれら西田哲学各派は思想としての戦争責任や検証を素通り出来た。その一部は、マルクス主義に横滑りしたことを煩悶することで贖罪代わりとし、マルクス主義陣営に宿った。恐らく廣松は、このような西田哲学の戦後的変種に、ファシズムが温存されていることを見抜いたのだろう。本書によって〈近代の超克〉に群がった西田哲学は、その派生もろとも核心部を串刺しにされる。結果として、本書では直接取り上げられていない左翼風な粉飾を施した西田哲学の戦後的変種が、戦前戦中の西田哲学と同根であり、同じような道をたどり同じ結末に至ると見通せる。

「論者たちは、成程、哲学的人間学に定位することによって、マルクス主義における“欠隙”をも埋めようと企て、その若干の論点において、戦後マルクス主義のある風潮に先駆けたかもしれない」(252㌻)

廣松の真意が、この一文に仄めかされている。「戦後マルクス主義のある風潮」は転向問題を口実に、マルクス主義の欠隙を主体性論や疎外論で埋める体で、近代の超克を延長しようとした。結果はいわずもがな、廣松の読みの正しさを証明している。今後も『〈近代の超克〉論』は、日本ファシズムの発生機序を明らかにし、成長を阻む役割を果たすだろう。と同時に、根底的な宗教批判と哲学批判を欠いた日本思想を、社会変革の理論に据える危険性についても理解させる。廣松が同時代の戦後思想家とあまり関りを持たないようにしたのは、案外これが理由かもしれない。

「近代の超克」ムーブメントには、日本浪漫派と文学界グループも関わっている。彼らは西洋近代の極致たるマルクス主義の挫折から、「原日本的古代」「日本の古典」(194㌻)に回帰し近代を超えようとした。それは結局、天皇制に収斂し日本ファシズムの推進力になり果てた。この水路は戦後になっても中途半端な迷えるマルクス主義者たちを、「原日本的古代」や「日本の古典」の実体探しに引き込み、陰謀論や謀略論、カルト宗派、エコロジー、親鸞へと導いている。心情的な原日本的古代と日本の古典に、西田哲学が理論的構図を与えたため、これらは戦後も延命できたと考えられる。



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