deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

69・大仕事・小仕事

2018-08-07 07:55:56 | Weblog
 試験の様子は、ほとんど先に書いた内容とかぶるので、省略する。が、天下に聞こえたムサビに合格して、競争倍率たかが2~3倍の田舎美大に通らないわけがない。試験を終えると、再びしらさぎに乗って岐阜に帰り、数週間をのんきに過ごして来るべきものを待ち、あたりまえに合格通知を受け取った。こうして、たいして悩むこともなく、オレの進学先は決まったのだった。
 受験のあたふたは鎮まったが、卒業間際の3月に行われる美術科の一大イベント「卒業制作展」が迫っている。岐阜県立美術館の立派な企画展示室を使い、外部のみなさまにも三年間の集大成をご覧いただこう、というものだ。正真正銘、高校時代の芸術漬け生活における、最も重要なイベントだ。
 彫刻科の卒制(卒業制作展の作品制作を「そつせい」、展示そのものを「そつてん」と呼ぶ)は、デッサン一点、裸婦像一点、自由制作一点、の計三点を提出する。裸婦像は、粘土で等身の2/3につくったものを石膏取りした。つまり、土人形の上から石膏を塗りたくり、固めたのちに粘土をくり抜いて鋳型とし、そこに新たに石膏を流し込んで、経年劣化に耐えられる硬質な像をつくるわけだ。立体のコピー技術と言える。鋳型をかち割って、きれいな像が姿を現すときの気持ちよさ、そして感動ったらない。自由制作の方の石彫作品は、手をマメだらけにしながらも、数ヶ月間をかけてなんとかやり遂げ、形はついた。残るデッサンはお手のものだし、あとは屋上で酒でも飲んで、卒業の日を待つばかりとなった。
 と思っていたら、「卒展のポスターを描く」という大仕事が、オレ個人にきた。どういういきさつで選ばれたのかはわからないが、とにかくクラスの代表として「スギヤマに描かせる」と教師陣は決めたのだった。何枚刷るんだか知らないが、岐阜市中だか県中だかの公共スペースに貼りまくる、カラーB全のファーマルなものだという。なかなかの大仕事ではないか。よっしゃそれなら、と、クラス全員が卒業写真風に並んだ似顔絵の大作を描き上げた。
 さらに、例年、美術科生の代表が務める「校長室に飾る校長の肖像画」を描く大役も、オレにお鉢がまわってきた。モデル本人が、オレの自画像の出来映えに衝撃を受けたのだろうか。しょうがないので、放課後になると校長室に日参し、ツルッぱげのふかしジャガイモのような校長を目の前に座らせ、数日がかりで描き上げた。尊厳あふれる設えの校長室で、正装の校長とマンツーマン。そんな状況下で、威風を見せようと努めながらも必死に眠気と戦う校長の姿は、実に滑稽だ。肖像画は、うたた寝しそうなつやつやジャガイモ、といった風情に仕上がった。先生たちを「にてる〜!」と爆笑させる(なぜだ?)出来で、校長自身も「葬式のときの遺影にする」と請け合ってくれた。
 「卒業アルバムのクラスページもスギヤマがつくれ」ということになった。もはや、なんでも屋だ。苦心をめぐらせ、クラス全員の顔写真を切り抜いて、ボディをマンガで描き、それらをコラージュして、大群像画に構成した。それにしても、ちょっとおかしくはないか?オレは彫刻科なのだが・・・しかしこうしたシニカルな戯画的自由制作に、自分は非常な力量を発揮するのだ、と気づかされる。そしてこんな資質の発見は、のちの仕事の決定に重要な影響を及ぼすことになる。
 こうしてなんやかやと、この時期のおいしい仕事は全部頂戴した。どれも自分から望んだわけではなく、なんとなく上層部で「スギヤマなら面白おかしく処理してくれるだろう」という奇妙な評価が定まっているらしいのだった。画風の使い勝手もよろしく、知恵がまわって、誰にも納得のいく最終形を提出できる人物・・・それがスギヤマなのだ。クラス内の精鋭芸術家・デザイナーたちは、不満のひと言も口にしたかったかもしれないが、しかしまあ、天才とはこうした破格の扱いを受けるものなのだろう。仕方のないことではある。そして、オレのマンガ家になる下地は、こんな小仕事をぼんやりとこなす時期を経ながら、すでに固まりつつある。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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