deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

19・デート

2019-10-07 04:40:58 | Weblog
 ひととしての中身が一瞥でわかる。洞察力には自信がある。そんな見通しの力が、恋愛の対象を輝かせて見せたにちがいない。邪悪な人間を一瞥したとき、寒気を覚えるのと同様の現象だ。ハセガワさんから後光が差して見えたのは、彼女のひととなりがにじみ出ていたからだ。そして、こちら側にそれをキャッチする感受性が備わっていたのだ。「神様のお告げ」とは、そういう言い方で説明がつく。それにしても、人間が本当に光を放って見えたのは、後にも先にも一度きりの経験だ。
 初デートは、大学の講義が終わる夕刻、江古田の喫茶店だった。このオレがコーヒーで間を持たせるなどとは、編集との打ち合わせ以外ではあり得ないことだが、真面目なハセガワさんは、男子とふたりきりで喫茶店に入ること自体、不良行為だと考えているので、とにかく酒は封印だ。
 ハセガワさんは、今この瞬間に自分の身になにが起こっているのか、理解できていない。「デート」なるものが、人生ではじめての経験のようだ。用心のためか、大きな目を見開いて、こちらをじっと見つめてくる。近眼メガネの奥で真っ黒な瞳がゆらゆらと動いているのは、「揺れ目」という目の障害らしい。が、揺れてはいても、素直でまっすぐなまなざしだ。無垢にして、正義の目。なのに、なぜかぽわ~んとほうけた顔に見えるのはなぜだろう?それは、彼女が目での警戒を怠らないわりに、お口の方を無警戒にぽか~んと開けているせいだ。それにしても、だいぶ開いている。ツーフィンガーほどものオープン状態だ。口呼吸のひとなのだろうか?とにかく、このひとはいつも口をぽか~んと開けている。そのために、常にすっとぼけた顔に見えるのだった。
「口、開いてますよ・・・」
 とは言わないが、いつか注意をして差し上げなければなるまい・・・などと考えている間も、じっと見つめられている。気まずい空気が流れる。
「お、遅かったね。授業が長引いた?」
 ハセガワさんは、はたと気づいたように、あ、と口をさらに開いた。本当にほうけていたのかもしれない。
「あ、と・・・すみません。えこたのまちをあまりあるかないので、おみせとかぜんぜんしらないのです」
 開きっぱなしの口から出る言葉は、全部ひらがなだ。カタコトとも少し違う独特の転がしがはさまり、つい真似をしてからかいたくなる。抜けた感じ・・・と言ったら怒るだろうか?いや、怒るまい。おそらく「キョトン」でやり過ごすにちがいない。このひとが怒るところを想像できない。
「おうちとえきとだいがくをまっすぐにいききするだけで、おみせにたちよることはないのです」
 真面目にもほどがある。お好み焼きの名店「あんず」も、手づくりハンバーグのうまい「ウッドペック」も、学生御用達の居酒屋「お志ど里」も知らないというのか?
「今度連れてってあげるよ」
「ほんとですか。わあ、うれしいです」
 それにしても、オレはいったい、こんな人物のどこを見染めたというのだろう?これを書いている今でさえ、あの学祭における邂逅と後光の現象は謎に満ちている。本当に神の託宣であったのかも疑わしい。しかし、とにかくオレは、こうして将来のよめはんになる女の子とはじめての会話をしているのだった。
 アイスコーヒーのグラスに残った氷をチューチュー吸いながら、たわいのない話をつづける。じょじょに打ち解け、ハセガワさんのひらがな発音にもようやく耳が慣れてきた。そして話を聞いているうちに、ふと気づいたのだ。彼女は、語彙と言葉の組み立ての裏に、劇的な知性を閃かせる。間違いない。この人物は、極めて聡明だ。アホを装っているだけなのだ。
(※ひらがな表現は頭に入りにくいので、ここから先は通常の日本語に翻訳します)
「女子美の付属高校だったんです」
「へえ、女子校か。わかる。お父さんはなにしてるひと?」
「学校の先生です」
「へえ、わかる。中学校?高校?」
「大学です」
「へえ。どこの?」
「・・・日芸です」
「へ・・・へえ・・・」
 父親が、彼女自身の大学の建築科の教授なのだという。それを誰にも知らせないで(父親にさえ内緒で)、こっそりと受験をしたのだそうな。
「・・・わかる・・・ありそう・・・」
 なんだか危険なものに手を伸ばしているようで、バツが悪い。このまま江古田で一緒に過ごしていていいものだろうか?しかし、グラスの氷も解けきったので、この喫茶店の並びにある、お好み焼きの「あんず」にエスコートした。
「ふわあ、はじめてです。お好み焼き屋さん」
「自分で焼くんだよ」
「教えてください」
 ハセガワさんの動きは、常にスローモーションだ。人生初のお好み焼きは、うまくひっくり返すことができなくて、グジャグジャになった。しかし彼女は、小柄なからだに似合わず、よく食べる。そして、ビールをごくごくと飲む。酒が飲めない人間とつき合うわけにはいかないので、ちょっと安心した。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

最新の画像もっと見る