ありがちなオチではあります。
でもいいじゃありませんか。
自分は、いわゆる普通のイメージの霊とか
そういうのはまるで信じてないほうでして…
でも、中学んときに爺さんの仏壇の前で寝たときは
なぜか夜中に突然、声を上げて泣きじゃくり始めたとか。
親戚一同が目を覚まして、声をかけるも泣き止まず
二階から婆さんが起きてきて、あやすとピタリと泣き止んだそうです。
14歳。思春期真っ盛りの自分は、その事をまったく覚えてません。
翌朝、自分の親を含めた親戚連中にこの事をたずねると
皆が見たことがないような真顔で口をつぐんだのをよく覚えています。
爺さんは5人の子供を残したまま、戦争で亡くなっています。
僕の母親は自分の父親の顔を知らない人です。
さて、その後自分はトラックに跳ね飛ばされたり、バイクで事故したり
いろんな目に遭ってますが、幸いにしてこうして元気です^^
人が死ぬとどうなるのか?
カメラマン釣崎氏の写真を見ていると、こう思ってしまいます。
”ただ生命活動を終わらせた肉片である”と。
凄惨な事故。
狂気の果ての悲劇。
苦悩の末の選択。
逃れられぬ病魔。
WAR。
BADLUCK。
ミス。
いろんな理由がいつも僕らの周りにあふれています。
でも、永遠の命などないし、自分が死んでも霊魂となって存在するとは
とてもではないけれど思えないのです。
かつてファラオたちは乾ききった自身のミイラも
壷の中でカラカラになった自分の臓器も
魂がよみがえったときに使えると信じたそうです。
それは呪い師が生計を支えるために唱えたウソ。
死人は蘇らず、新たな命は生まれ続けます。
この年になると、身近な人々がこの世を去ることも少なくありません。
自分の番は、順当にいけばもう少し先のはずですが、
それでも、明日かも知れないそのときを思えば、今が変わるか?
すみません、まだまったく変わりません(笑
どうせ、そんな人間です。
けれど、この映画のように明日の死を考えるものを見ると
少しは、ちっぽけな自分の明日を考えたりもするのです。
で、結局何も変わらないんですが(爆