ある司法書士の修行時代

司法書士の修行の日々に思う徒然事

РОМАН

2005-10-16 00:23:36 | 映画
なんだか気分は曇天だ。しかも低く垂れ込めた曇天だ。
先週横浜に行った時、ランドマークタワーの天辺にかかるほど雲は低かった。

久々にCSで映画を観た。
ラース・フォン・トリアー監督の『ドッグ・ヴィル』だ。
初っ端から「これで3時間はきついなー」と思う前衛的設定。
だけど、彼の映画はなんだかんだと『エレメント・オブ・クライム』の頃から
観てきているし、学生時代に観た『奇跡の海』には感銘したし、
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は正直世評ほど評価する気にはならないが、
我慢していれば満足するだろうと、楽観的に我慢して観続けだ。

そうすると、あら、不思議、前衛的な設定がそれ程気にならず、
レイプシーンなどは、巧いことやるなぁ、ラースよ、喝采したくなる始末。
しかし最後のクライマックスシーンは賛否両論あると思うが、
僕は断然…〝賛〟…だ。

前に観た中国の『鬼が来た』という映画のラスト近いシーンは、
残虐な日本陸軍による善良な中国村民のジェノサイドだったが、
あの時は、賛とか否とかより嫌な気分、というより不安な気分だったが、
今回は「世の中から消えてしまった方がいい」と思っていても、
現実的には消滅させることができない事物を、
映画の中では全能の神である監督が審判したことに対して共感を覚えてしまう。

消滅させるべきものが些細なものであり、
その些細なものに対する嫌悪の代償がジェノサイドやエクスキューションだと、
その不均衡に善良な観客は些細なものに対する嫌悪以上の嫌悪を感じて、
映画そのものを否定してしまうかもしれないけど、
所詮フィクションなんだから監督や作家が、
思いっきり表現は過激だが、
行ってることは至極全うな主張をしても全然いいのではないか、と思ってしまう。

それはオゾン監督の『クリミナル・ラヴァーズ』を観た時にも感じた。
ラスト、美しいが腹黒い女子高生のヒロインが警察にマシンガンで、
徹底的に虐殺されるシーンほどすっきりしたシーン少ないのではないか。

処罰されるべきもののモラルのありように対する監督の審判の仕方が、
過激なだけなのは、目に見えているから…
実際のところオゾン監督は、
フランスを代表する映画監督になってしまっているのも、
単に彼の映画が〝お洒落〟であることだけが原因ではないと思うのだが。

さて読書の秋ということで、久々に読書でもしようかな。
それも「登記カウンター相談」とか「担保物件法」とかではなく、
ちょっと気になる作家であるヴラジミール・ソローキンの『ロマン』を…