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韓国労働運動情報

民主労総はじめとした韓国労働運動関連記事の翻訳

終わっていない双龍自動車の77日

2009年08月31日 16時20分36秒 | 双龍自動車
【寄稿】終わっていないチルグェ洞の77日

チョゴンジュン(金属労組政策局長)
毎日労働ニュース09年8月25日付

〔チルグェ(七塊)洞=双龍自動車平沢工場のある地名〕

 双龍(サンヨン)自動車整理解雇事態が、77日間の類例なき激烈な闘いを経てついに8月6日、労使間合意で終了した。双龍車労使交渉を支援したチョゴンジュン金属労組政策局長が、双龍車闘争に対する評価と今後の課題についての文を寄せた。(編集者)
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 毎日ヘリコプターから雨のように降り注ぐ催涙液よりも、断水措置で水が使えなくなったトイレのガスのほうがきつかった。死ねとばかりに攻め入ってくる同僚社員に武器を向け、ボルトとナットが雨あられと降り注ぎ、振り回す鉄パイプで骨にひびが入ることなど日常茶飯事だった。戦闘中、予期せぬ火災がそこここで発生した。塗装工場に火が移れば全員が死にかねない状況…。襲いくる不確実性は、自ら関知できぬ内面を深くえぐった。

 77日、その数字に隠された事実

 幸いというべきか。連日マスコミのトップを飾った双龍自動車労働者の闘いは、2009年8月6日、労使合意により終了した。早くも評価が語られ始めている。あるメディアでは「労組のゴネが通じなかった」と資本の勝利を宣言した。反対に、「英雄的闘い」という評価が労働運動の内部から出されている。
 拘束者だけで60名を優に超えた。占拠ストに参加した組合員は警察の呼び出し調査に苦しんでいる。パニック障害・対人恐怖症など深い傷がいえるどころか、もっと深刻な不安状態に包まれている。大妥協精神で合意したが、整理解雇者のうち、誰が雇用関係を維持し、誰が去るのか具体的に確定すらしていない。損害賠償・仮差し押えをはじめ民事・刑事上の問題だけではない77日間の闘いの中で、内面深くえぐられた、見えない傷はどうするのか!
 現在の状況で評価を論ずるのは「ぜいたく」を越えて「罪悪」だ。今は評価すべき時ではない。多くの傷と不確実性、持続し強化される苦痛を解決するための連帯が急がれる状況だ。
 目を閉じ何度も振り返ってみたが、77日間を完全な精神で評価する自信はまだない。ただ、不完全な精神と、いまだ終わらない状況を知り、いくつかのテーマを自らに投げかけるだけだ。

 階級闘争の典型か? ぎりぎりの抵抗か?

 一方では言う。「近来にない長期間の激烈な闘いだった」――誰も否定できない事実だ。なぜ77日間という類例なき長期間の激烈な闘いが行われたのか? いくつか浮かぶ。
 第1に、今はそれほど感じないが、経済危機が迫り、責任論が持ち上がった。労働者が常に苦痛を押しつけられることに対する懸念があった。双龍車において、その責任はあまりにも明白だった。いわゆる「食い逃げ」の上海自動車に責任があるのに、なぜ労働者が責任を負わなければならないのかという、闘争の正当性と確信があった。
 第2に、主人なき法定管理会社において、会社側の労務管理や対応戦術が極めて脆弱だった。
 第3に、資本主義という社会であればどこでも貫かれている「解雇=生計不安」の法則は、社会安全網が脆弱な韓国社会においては、より大きく作用するため、整理解雇に対する労働者の抵抗は激烈だということを示した。
 第4に、労働に対するイミョンバク政府の態度を見るとき、もっと早く鎮圧していても当然だったが、ノムヒョン前大統領の逝去という予期せぬ情勢と、労組の塗装工場掌握にともなう第2の竜山惨事の懸念などが、熾烈な戦闘を長期化させた。
 しかし、双龍車闘争が「典型的な階級闘争」だったという主張に対する反論はかなりある。多数の労働者が非正規職の世の中で、大工場の正規職から押し出されまいとする双龍車労働者の闘いに、別の見方をする視点もある。第1次労働市場の正規職労働者が、第2次労働市場に押し出されないために抵抗したという見方だ。

 英雄的闘いか、失敗した闘いか

 長期間の類例なき強烈な闘いにもかかわらず、1800名余の労働者が希望退職によってすでに工場を去った。労使が合意した8月1日付686名の組合員のうち329名は無給休職と営業への転職で雇用関係を維持したが、357名は希望退職と分社をとおして一旦雇用関係が解消された。特に最後まで抵抗した組合員のうち288名は無給休職と営業転職で雇用関係を維持し、278名は希望退職や分社をとおして一旦雇用関係が解消される。整理解雇を完全に防げず、最後まで抵抗した労働者も無給休職と希望退職などへと、その運命が分かれることとなった。
 結果についてだけ見ると、成功した闘いとは決して言えない。さらに、占拠ストが終了した後の司法処理と民事上の不利益を考えると、傷は長く残るだろう。
 だが、この社会にあって、整理解雇というものがどれだけ深刻な衝突を引き起こすかを示し、激烈な攻撃に屈せず77日を頑張り抜いたという事実に注目するなら、「英雄的闘争」と言えるだろう。

 多数者の運動か、少数の闘争か

 当初いだいた不安のひとつは明らかな現実となった。「生き残った者」と「死んだ者」に分かれる瞬間、労働組合は多数の組合員を団結させることに失敗した。労働運動、特に大衆運動として労組運動は多数者の運動だ。「少数の闘う隊列」対「多数の闘わない隊列」という分裂は、多数者の運動として労働運動が失敗したことを意味する。単に分かれたにとどまらなかった。分かれた双方が敵対的な関係になった。本人たちばかりか、家族まで極端な敵対意識を持つことになった。
 大妥協を行ったと言うが、希望退職を選択する者は、ふたたび戻ってこられるかを心配する。金属労組の計画によれば9月に選挙がある。今の状態なら、闘わなかった多数が執行部に当選するだろう。その場合、闘った者たちに対する雇用保障は紙くずとなってしまう恐れがある。さらに、民主労総を脱退するのではないかという懸念すらあるほどだ。

 ファシズムに対する既視感

 77日を経て、ファシズムの大衆心理がどのように誕生するのかを考えざるを得なかった。「死んだ者」たちは解雇で生存の淵に追いやられ、不当なことに対して抵抗した。闘う労組に対し「生き残った者」たちは物理的衝突とともに感情的敵対感を高め、ここに会社側の「労組のせいで全滅する」というイデオロギーが結合し、家族まで分裂し、敵対者となった。修羅場の苦痛を知って労組幹部の夫人が自殺した事件の本質はそれだった。
 欲望の政治と言ったか。「生き残った者」も「死んだ者」も「生存の欲望」があったのなら、その生存の仕方は異ならざるを得ない。だとすれば、欲望の政治ではなく理性による政治で解決するか? 理性も両面的ではなかったか。一方では雇用を分かち合い、苦痛を公平に分かち合う方法を提示するが、他方では、とりあえずは一部を犠牲にして、あとで会社が立ち直ったら助けてやるという方法を提示した。欲望だけではなく「生存の方法」「主張するイデオロギー」が異なった。
 ヨーロッパで登場したファシズムではなく、まさにわれわれの歴史の中で見たような事件ではないか。文字通り同族相殺し合う悲劇がくりひろげられたが、われわれは6・25戦争〔朝鮮戦争〕やファシズムから何を学んだのか。私の考え過ぎか。こうした問題に対する克服策を講じられなければ、労働運動は極端な少数の過激孤立運動になり、多数の大衆は、これに抵抗するファシズムと群衆にならざるを得ないのではないか。

 軍事的戦闘主義と社会的連帯戦略

 双龍車は法定管理を受けているため、労使問題に裁判所が介入した。また、経済政策を統制する政府はもちろん、同じ外資企業であり、公的資金による支援問題が絡み合うGM大宇自動車とも関係する問題だった。中国資本が入ってきて外交的問題まで介在した事案だった。
 だとすれば、これに抵抗する労働者もまた、当然広範な連帯をとおして立ち向かわなければならない。そこで地域対策委や汎国民対策委がつくられた。だが実際、闘争の主体は、工場の外に出てこないまま「玉砕スト」を核心的闘争方法として選択した。「出ること」よりも塗装工場を「守る闘争」を行ったのだ。
 双龍車の労働者はなぜ工場を守る闘いをすべきだったのか。それだけが唯一の選択だったのか。冷静に、そして詳しく振り返るべき問題だが、とりあえず労働者は、外に出ることに慣れていなかった。だから塗装工場という最も慣れ親しんだ場所と武器を選択したのだ。
 これは単に場所や武器だけにとどまる問題ではない。社会連帯戦略を中心に据えるなら、当然それに見合う要求と政策が必要だ。だが、市民社会と政党の支持、説得力ある代案をとおして世論の支持を得るための無給循環休職などが内部で論争になった現実も総括すべきであろう。

 壮絶な当事者と無力な支援者

 工場中心の軍事的戦闘主義は、当事者である金属労組双龍車支部の組合員だけが選択し参加できるものだった。工場内では火炎瓶・パチンコ・鉄パイプが動員され、戦闘が熾烈に展開された。
 2001年の大宇自動車整理解雇の際も、警察によって工場から押し出されたあと、外で火炎瓶を投げて闘った。だが今回、双龍車闘争を支援し連帯するために駆けつけた多くの他の労働者や市民・社会団体、政党は、そういう闘いができなかった。
 工場内では熱く壮絶な戦争がくりひろげられたが、工場の外は冷たく無力だった。これを単純に、自動車工場の労組指導者や金属労組の指導部、労働運動と進歩運動の指導者の責任に転嫁できるのか。だとすれば結論は何か。戦闘的な指導部を選べば解決する問題なのか。
 だが、いくら考えても、それは答えではないと思う。金属労組を構成する多数の大工場労働者は、そんな戦闘主義を選択できないということがわかった。いや、双龍車の解雇者のように火炎瓶や鉄パイプを握るどころか、連帯ストもできない実情だ。正規職労働者や、歴史の長い労組はともかく、そのように戦闘性を叫ぶ労働運動団体や組織はなぜ工場内のように激烈な闘いをできなかったのか。
 「双龍車占拠スト労働者は英雄」であり、反対に「工場外は全員、無力な者たち」という結論を出す前に、その原因と解決策についての診断が必要だ。

 前進か、反復か

 「韓国社会は社会安全網が脆弱なため、整理解雇に対して壮絶な闘いをやらざるを得ない」
 正しい。現実はそうだ。だが、運動とは何か。現実を変えようというものではないのか。だが、事業場別に整理解雇者が死ぬほど闘えば社会安全網が改善されるのか。今後もこの反復を続けなければならないのか。
 今回の双龍車闘争においても、希望退職者と非正規職を含む最低2千人以上が工場を去る。闘争をとおして雇用が維持された人はこれに比して少数だ。だが、多数の去る人々に対する対策は、労働運動の核心課題になっていない。労組の視野から外れている。単に、何人が工場から出ないのかということだけが主要な関心事だ。
 だとすれば双龍車闘争は、古い社会の枠組みと、その枠組みの中で限界を持った闘いだと言うべきなのか。新たな戦略を開発できず、永遠に整理解雇反対闘争を続けなければならないのか。

 産別的闘争か、企業的闘争か
 
 「産別労組だというが、いったい金属労組は何をやっているのか」
 闘争の過程で組合員が強い不満を示した。2000年に大宇自動車が不渡りを出したときは産別労組がなかったが、自動車工場が一緒にストをやった。産別労組が結成された今は、そうしたことすら見あたらないという批判だった。だが、不満を特に解決する方法はなかった。集会や募金、連帯の拡張、政策的支援などが、できることだった。
 反論もあった。「双龍車、おまえらはこれまで、すぐ隣で闘う事業所に連帯したことがあったか」「双龍車で同じ釜の飯を食った多数の組合員も、一緒に闘うどころか、敵になったのに、他人に何を望むのか」
 だが、一緒に闘ったかだけが重要なのではない。当初、双龍車の構造調整に立ち向かう闘いの内容は、はたして産別労組にふさわしいものだったのか。企業をクビにならないように頑張ることが、はたして産別労組の雇用政策の核心なのか。だとすれば、過去の企業別労組が主張した雇用政策とどこが違うのか。
 そもそも闘争の要求も内容も、産別労組にそぐわないものではなかったのか! 産別時代をつくろうと言いながら、われわれがつくったものは何だったのか。

 「人間がつくった自動車に乗らねば」

 闘いのただ中、労組は会社側の断水措置を防ごうとポンプ場にテントを設置した。このテントの周囲で会った双龍車の非解雇労働者が投げかけた言葉は、いまだに私の胸に深く突き刺さっている。
 「こんなの人が暮らす世の中ではないですよ。こんなことしていいんですか? 狩りをするときだってこんなことしません。率直言って、人がつくった自動車に乗るべきです。けだものがつくった自動車になんか乗れないじゃないですか。会社の未来を考えると、やりきれません。
 辛い話はまだあった。

 「チルグェ洞に動物園ができた」

 だが私は今も、77日の過酷な経験をとおして学習すべきであり、また、そうするだろうと信じる。77日間の過酷な闘いを行った双龍車支部の組合員に、みんなが口をそろえて「英雄」と言うことはないだろう。彼らが「英雄」になるのか、あるいは「生存の本能に従った抵抗者」に過ぎないのかは、われわれにかかっている。
 彼らがこの社会に要求したのは、「77日よりもっと過酷な戦闘」だ。政府と会社側が労働者の抵抗に対して司法処理や懲戒など「復讐戦」だけを夢見るのなら、この社会に希望はない。労働運動もまた、77日の経験を、過酷な自己学習をとおして省察し、改善するのでなければ、チルグェ洞だけでなく、別の場所で、人間の世の中でない、野蛮な動物園に出会うことになるのだ。


地下鉄連盟設立、結局「なかったこと」に

2009年08月30日 12時52分11秒 | 鉄道
地下鉄連盟設立、結局「なかったこと」に

地下鉄3労組、全国地方公企業労組連盟加入へ

毎日労働ニュース09年8月28日付

 ソウル地下鉄労組やソウル都市鉄道労組などが主導してきた地下鉄連盟設立が結局立ち消えになった。
 釜山地下鉄労組を除く全国6つの地下鉄労組が集まる全国地下鉄労組協議会(全地協)は、「26日に開かれた全地協代表者会議の場で全国地方公企業労組連盟(全公労連)加入を推進することを決めた」と8月27日、明らかにした。
 当初、釜山地下鉄労組を除く6つの地下鉄労組は、9月初めに地下鉄連盟の設立と加入を問う組合員総投票を実施し、可決すれば年末頃に地下鉄連盟を発足させる計画だった。
 この日の全地協代表者会の場では、ソウル都市鉄道労組が地下鉄連盟設立について公式に不参加を宣言し、会議に参加しなかった光州地下鉄労組も否定的な立場を表明したという。大邱地下鉄労組も参加の是非を表明しなかった。ソウル都市鉄道労組のホイン委員長は、この日の会議で「上級団体である民主労総公共運輸連盟を中心に活動する」とし、「前執行部が推進してきた地下鉄連盟には参加しない方針」と表明した。
 全地協はこれにともない、独自の地下鉄連盟設立に代えて、全公労連に加入し、地下鉄分科をつくる案を推進している。10月頃に各事業場別に賃金・団体交渉に関わる組合員賛否投票とともに、全公労連加入の是非を問う計画。これに先立ち行政安全部〔省〕と地方公企業の労使が参加する「社会協約宣言」も行う予定。
 ただ、先月開かれたソウル地下鉄労組の代議員大会の場で、民主労総脱退に向けた規約改正が圧倒的な反対で霧散しており、難航が予想される。

【訳者注】全国地方公企業労働組合連盟
2005年6月10日発足。「闘争で政府の政策を変えるよりも、労働運動の担い手自身が変化する必要がある」とし、韓国労総および民主労総とは性格を異にする新たな労働運動をめざす。当局・政府との協力、国民へのサービスを主張。

「双龍自動車闘争はこれからが始まり」 パククムソク支部長代行

2009年08月30日 12時50分24秒 | 双龍自動車
「双龍自動車闘争はこれからが始まり」
【インタビュー】パククムソク・金属労組双龍自動車支部長職務代行

「民衆の声」09年8月28日付

 工場占拠ろう城77日目の8月6日、劇的な労使大妥協を通して破局を免れた双龍自動車。しかし大妥協の精神を弊履のごとく投げ捨てた会社側によって、双龍自動車はふたたび労使間の極限対決へと突き進んでいる。
 大妥協精神の履行を求めて開始したハンサンギュン金属労組双龍自動車支部長の命をかけた獄中断食ろう城は、すでに15日を超えている。警察と会社側の「労組つぶし」はますます露骨化している。ハン支部長に代わって双龍自動車支部長職務代行を引き受け、4回目までの実務協議を主導したキムソニョン・双龍自動車支部首席副支部長は法定拘束が確実視されている。
 双龍自動車支部は、万一の場合に備えて8月25日、金属労組双龍自動車支部の臨時代議員大会の場で、ハン支部長が指名したパククムソク組合員を2番目の職務代行として正式に任命した。27日午後、ピョンテク市内のとある公園で、今後双龍自動車支部の闘いに責任をとる立場にあるパククムソク双龍自動車支部職務代行に会った。

「双龍自動車の闘いはこれからが始まりです」

 パク職務代行の口調は断固としていた。彼は「(会社側は)対話の場に出てくるべき」だとし、労使間対話のテーブル設定に向けた強い意志を示唆した。これを証明するかのように彼は27日、会社側に労働組合活動の保障と交渉再開を求める公式文書を送っている。
 パク職務代行はしかし、会社側が最後まで対話を拒否するなら「やむを得ず闘うほかない」と語った。彼はまた、「闘いの形態も、無条件に闘うというやり方ではなく、多様に(労組の)立場を代弁しうるやり方で行く」と強調した。
 この日朝7時、パク職務代行は、双龍自動車ピョンテク工場の前で解雇者を中心に広報を配り、出勤する非解雇組合員に声をかけた。
 「ご苦労様。久しぶり」「工場内にいる隊列の皆さん、ご苦労様」
 「互いに握手し、激励し、ねぎらう雰囲気」が作られたという彼は、「不祥事が懸念される」という口実で幹部らの労組事務所出入りを阻んでいる会社側の態度が「うそ」であることを見事に実践で証明しているのだ。
 現在、工場内で一部の組合員が労組総会を招集して労組選挙を行おうとしている動きについても、パク職務代行は、「自発的な立場で行うものではなさそうだ」とし、「会社側が御用労組を押し立てて労組を無力化させようというもの」と述べた。
 さらに彼は、「会社側の意図であれ政府の意図であれ、大妥協精神に背いているのを見ると残念だ」とし、「(会社側は)合意精神に立脚し、法的問題を解消する立場に立ち戻らなければならない」と求めた。そのためには「会社側が労組を認めるべきであり、労組活動が正常化するよう協力すべきだ」とし、「そうしてこそ会社正常化を共に論議する構造が早く作られる」と指摘した。
 工場占拠ろう城が終結してから初めて、8月26日にピョンテク南部文芸会館で解雇者の集りがもたれた。およそ400人の組合員が参加して労組幹部を驚かせた。場所が狭くてイスが足らず、組合員は床に座り込み、ドアの外で立っていなければならなかった。
 パク職務代行は「77日間ともに苦労したが、合意案どおり本人が無給休職に該当するのか、希望退職に属するのか、組合員が心配している」とし、「組合員に関して解決したことはひとつもない」と怒った。
 この日彼は、解雇者に労働組合活動の方向を大きく2つ提示した。
 ひとつは、労働組合の正常化をとおして拘束者と負傷者を支援するなど、解雇された組合員を支援する事業であり、もうひとつは、希望退職や分社などをとおして解雇された組合員のうち復職闘争を望む組合員を支援する事業だ。このことに関して8月24日の臨時代議員大会の場では「整理解雇者特別委員会」を双龍自動車支部傘下の機関として設置している。
 それと共に、労働組合は非解雇者にも責任を負わなければならない。現在、工場内で双龍自動車の再建に向けて汗水たらして働いている非解雇者たちも、組合員であることに変わりないからだ。
 彼は「工場内にいる組合員においても、労組が正常に活動できず、いろいろな形で現場統制がなされている」と語った。
 いま双龍自動車の現場では、イスをなくして終日立って働かなければならず、管理者の強圧的な指示が日常化している。また、労組と相談もなし転換配置が行われている。
 これに対してパク職務代行は、「内外の組合員が労組の保護のもと、会社側の不当労働行為や弾圧に立ち向かわなければならない」とし、「こうしたことを見るにつけ、早く労組が正常化され、日常活動を回復する必要がある」と重ねて強調した。
 彼は、「労組も、解雇・非解雇組合員の別なくひとつの組合員だという立場で全体をまとめる活動を行っていく」とし、「外で活動する労組が、一日も早く(工場内に)戻り、活動できるよう協力してほしい」と、中にいる組合員に要請した。
 パク職務代行は、労働組合を正常化し、次期指導部を確立することが自分の役割だ述べ、「闘いが完全に終わったわけではない。ぶつかっている様々な問題を解決していきながら闘う必要がある。双龍自動車闘争は新たな開始あるのみ」と語った。

双龍自動車支部ハンサンギュン支部長獄中書簡

2009年08月22日 09時46分10秒 | 双龍自動車
双龍自動車支部ハンサンギュン支部長獄中書簡
「ふたたび団結しましょう!」

民主労総機関紙「労働と世界」2009年8月20日付

 殺人的な整理解雇に対し工場占拠ストで現場を死守した双龍自動車の労働者たち。8月6日、労使大妥協を実現し77日間のストを解除した。しかし会社側は交渉合意の内容を履行せず、労組を抹殺することに血眼になっている。スト闘争直後、双龍自動車支部の幹部と組合員67名が拘束され、捜査当局は引き続き組合員を呼び出し、調査を行っている状況だ。今も続いている双龍自動車闘争を獄中から見守っている双龍自動車支部のハンサンギュン支部長の書簡全文を掲載する。ハン支部長は、ともに闘った組合員と双龍自動車の家族全員に無念さを表明し、ふたたび団結することを注文している。(編集部)
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 黙々と現場を守り、言われるままにひたすら懸命に働いてきた組合員たち…。
 彼らが、解雇するな! 解雇は殺人だ!と怒り開始した「双龍自動車77日闘争」。その過程で経なければならなかった、この世のいかなる言葉でも表現しえない闘いの傷…
 そもそもの間違いは、海外売却を誤って推進した政府にあります。また、上海自動車は産業銀行と結んだ特別協定を破棄し、双龍自動車の独自開発能力を無差別に強奪しました。そしてこの国の政府と国民に語った1兆2千億ウォンの投資約束を守りませんでした。
 4年間、新車ひとつなく生存してきた双龍自動車!
 上海自動車は、食い逃げ資本の卑劣なやり方をそのまま踏襲し、双龍自動車の労働者と国民をたぶらかし、みずから法定管理を申請したあと、去ってしまいました。
 われわれ双龍自動車支部は、会社が厳しいことをよくわかっていました。だから危機をともに克服しようと、ともに生きようと叫びました。さらに、代案を提示し、国民と政府にも訴えました。
 会社側は、根拠もなく、理屈にも合わないサムスンKPMGとサミル会計法人の双龍自動車再建策を、唯一の解決策であるかのように押しつけるだけでした。おそらく彼らが整理解雇以上の他の代案すら提示せず、われわれの提案を無視したのは、はじめから売却だけを念頭に置いていたからでしょう。
 彼らは、賃金労働者にとって命のような雇用を、差し出せと言いました。2646名にとっては、むしろ死ねということに他なりませんでした。だから全組合員が全面ストを決意し、死を覚悟した闘いを開始しました。
 会社側は希望退職を強要し、生き残った者に、スト隊列から離脱するようそそのかしました。それでも最後の名簿が発送されるまでは、一緒に生きようと決意した同志たちでした。
 結局、整理解雇名簿は、黙々と働いてきた労働者を、弱い労働者と、死ぬ気で闘うという決意を引き継ぐ戦士たちとに分断してしまいました。400から600、800,1300へと増えていったスト隊列は、患者の離脱、懐柔脅迫、放棄、恐れ、連行などによって減り続けました。
 しかし、決死抗戦を決意した決死隊の組合員たちは、指導部の信念を確認するまで、いかなる襲撃があろうとも現場を死守し、整理解雇を撤回させると何度も誓い合いました。自らストの道具を作り、戦術を編みだし、一日2~3時間の睡眠と、数十回に及ぶ強烈な催涙液の乱射などの弾圧に耐え抜きました。
 支部長である私自身も、解雇は殺人だと怒った我が組合員たちが、こんなにも闘えるなど想像もできませんでした。最後まで工場を死守しぬいた同志たちは、闘士ではなく英雄でした。77闘争の戦士でした。
 公権力の殺人的な鎮圧作戦、野蛮で非人道的な副食、電気、水道、ガス、医療の遮断によって限界点はありました。最後まで抗戦できなかった責任は痛感します。生きようと始めた闘いが、鎮圧作戦にともなう事故により惨事に結びつくことを望みませんでした。生産施設が全焼することを望みませんでした。だから大妥協という選択をしました。
 今も夢遊病患者のように、寝たと思ったらガバッと起きることが続いています。ヘリコプターの音、戦闘警察らの怒号、会社側の宣撫放送が耳元から消えません。若い身で先に天の国へと逝った6名の魂が脳裏から、胸の中から消えません。
 「支部長、動揺しないでください。組合員を信じてください」という同志たちの絶叫が離れません。
 病床で呻吟している同志たちよ!
 拘束され、絶望し、嘆いている同志たちよ!
 生き残っても労働者の言語を発せられず、胸をいためはじめた同志たちよ!
 管理者による参加強要とチェックにより、やむなく救社隊に参加したものの、胸中いまだ労働者の血がたぎっている同志たちよ!
 希望退職によって現場を離れたものの、絶望的な選択だったことを早くも確認し、辛い思いをしているであろう同志たちよ!
 全てが、この国で生きてゆくすべての労働者の痛みでもあります。
 うまくいっているときは卓越した経営能力のおかげだと言い、危機が近づけば全責任を労働者がかぶらなければならない世の中! 壮絶な双龍自動車77闘争を終え、いまもわれわれすべての労働者に与えられた宿題は、まさに団結、また団結の道だけです。
 団結しようという私の訴えが、空虚な叫びでないことを願います。双龍自動車支部長のささやかな願いでこの要求を提出します。
 この間、ともに闘ってくださった南の地のすべての労働者に熱い同志愛を伝え、連帯の精神で今後も常にともにあるという誓いと約束を、双龍自動車全労働者の名でささげます。

ハンサンギュン

パクユギ前現代自動車労組委員長救済運動を始めた理由

2009年08月12日 14時37分51秒 | 民主労総の危機
「現場をまるごと資本に明け渡すことはできない」
[寄稿]パク・ユギ前現代自動車労組委員長救済運動を始めた理由

キム・ホギュ(金属労組現代自動車支部組合員)
民衆言論「チャムセサン」2009年07月24日付

 KT労組が民主労総から脱退した原因はどこにあるのか? 断言するが、現場が死んだからであり、これを克服する試みも現場弾圧に暴力的に遮られているためだ。実に悲劇的で悲しい労組運動の現状だ。では次はどこか? 誰も言い出せなかったが、最も威力ある餌食は、誰が見ても現代自動車だ。産業的位置においても、垂直系列化さた企業関係においても、望もうが望むまいが、正しくても正しくなくても、現代自動車は労働運動の自然なキーワードだ。現代自動車の健全な活動家の現場活動が暴力的かつ全面的に阻まれる瞬間を想像すると恐ろしい。

 ヤン・ボンスからリュ・ギヒョクまで

 95年にこんなことがあった。会社の合意事項不履行に対しラインを停止させた時に代議員だったヤン・ボンス。これを理由に解雇された彼は、労働委に不当解雇無効確認訴訟を提起した。法的な訴訟の間は組合員資格が維持されるにもかかわらず、会社は労使交渉の場に代議員の資格で現れたヤン・ボンスを、警備を動員して正門外に放り出すという暴力を行使した。それを「わざと」傍観した当時の労組執行部。その年の5月、ヤンボンスは自らの身に火を放ち烈士となった。彼の怒りは労組執行部の「御用性」に向かっていた。会社はそもそもそういうものだからだ。

 ちょうど10年後の2005年、現代自動車社内下請の労働者が、業者から一方的に解雇された。「月次休暇も使わせない。どうすればいいのか」と労組の門を叩いたリュギヒョク。彼はその年の6月に解雇を通報され、ひょっとしたらと思って申請した再審においても解雇になった。結局彼は、その年の9月、労組事務所の屋上で首を吊って自決した。そして烈士闘争が本格化する。その時、現代自動車労組の執行部はリュギヒョク「烈士ではない」と断定した。烈士かどうかの論争が重要なのではない。だがその時から、烈士闘争に連帯した人々の怒りは、会社ではなくて現代自動車労組側に向かった。やはり、会社はもともとそういうものだから。

誰がパクユギの労組懲戒を主導したのか

 7月20日、現代自動車蔚山工場の活動家パクユギが金属労組現代自動車支部から権利停止1年という重い懲戒を受けた。「あなたはこれから1年間、組合員としての権利がない」という決定だ。どんな悪いことをしたのか? それよりもまず、その懲戒決定の採決の際に「賛成」した人々を探してみよう。前述のヤンボンス烈士を誕生(?)させた当時の労組執行部の人間も入っている。リュギヒョク烈士闘争に冷水を浴びせた「烈士ではない」論争を触発した当時の労組執行部側の人間も多い。一時、会社労務チームの法規部所属だった人間もいる。こうした人々が多数を占める中で採決によって決めた「パクユギ1年権利停止」の決定を裏で操縦した人がいるかどうかは、この文を読む読者の想像力に任せる。

 今回の懲戒の発端は2006年にさかのぼる。組合費で労組創立記念品を組合員に配り、これが問題を引き起こした。記念品に「不良」が多く、納品した業者への不信がつのった。結局その業者は途中で不渡りを出し、労組の保証を信じてその業者に数億の金を借した銀行は損害を受けた。このことを理由に、当時、業者選定と銀行融資のための労組保証を主導した労組総務室長と業者社長が拘束された。事件がこれほどになると、保守メディアや捜査当局は、労組執行部が組織的にかかわり、何か利益をあげようとしたかも知れないという疑惑を振りまくものだ。それが民主労組の芽を摘もうとする人々の本分だからだ。しかし誰もが潔白だった。裁判所すら「労組総務室長の代表者が直接不法行為を行ったことはない」と公開で判示した。当時の事件を要約すれば、これで終わりだ。

3年たった事件で重懲戒

 しかし、当時パクユギは労組の代表者だった。労組の代表者は労組執行幹部の任命権と管理監督の責任がある。特に、どんなささいなことでも、組合員をして労組の信頼を裏切るようなこと起こさせない無限責任者でもある。それを誰よりもよく知るパクユギは、当時「不正執行部」という汚名を自ら引き受け、中途辞任の道を選んだ。それが良いか悪いか以前に、労組代表者が持つべき責任感だからだ。労組の代表は「権力」ではなく「無限責任の役職」だからだ。すると会社は、出すと合意した成果金50%を、ピンハネすると挑発した。まるで労組委員長の席があくのを待ってましたと言わんばかりに。これに対しパクユギは代議員大会の場で「辞任を宣言したが、私が全ての責任を取る」と述べ、全員一致でストライキを率いて会社の降伏を引き出したのち、収監される境遇を選んだ。2006年末、非正規法改悪阻止に向けた12回の民主労総ストライキ指令をすべて遂行したという罪名も甘受した。出獄後、彼は現場組合員とともに平凡に出退勤を繰り返し、働いている。

 ところが最近、3年が経過した事件でパクユギが権利停止1年という重懲戒を受けた。なぜか? 表面上は、最近の最高裁判決が理由だ。当時、労組の保証を信じて業者金を貸した銀行に対し、その保証人になった労組が金を返済しなければならないという判決があった。その判決をそのまま履行する方法をとって裁判所は、労組の組合費の中から、銀行が失った分を支払い、その分は、不法行為者に「求償権」を請求して取り戻せばよいという親切な説明までした。法的手続きは、このように単純だ。ところがこの単純な部分にも「見えざる手」が介入する。6月に現代自動車支部は代議員大会を開催し、単なる法的処理の過程すら票決で黙殺した。当時、労組の役員が銀行が踏み倒された金をすべて返済し、当時委員長だったパクユギを懲戒しようと言いだしたのだ。その代議員大会は、サンヨン自動車闘争に対する連帯ストライキ案を体よく否決した大会でもあった。そうして出されたのが、20日に行われた重懲戒だ。すべての過程は「票決」で進められた。

これは政派の問題ではない

 もちろんパクユギは普通の組合員ではない。今年の2月、彼は〈全国現場労働者の会〉という全国現場組織の結成を主導し、その組織の代表になった。千人にのぼる会員が「政派間の対立の弊害が激しいのに、なぜ組織か」とためらうのを説得した。張り子の虎になりつつある産別労組、3年の間、失敗を繰り返し、ずるずると資本の言いなりになる金属労組を見て、「執行部のせい」と非難するだけでは無責任だと主張したのがパクユギだ。誰が労働組合の執行部かが重要なのではなく、現場がしっかりしなければならないということだった。21世紀版の「現場派」を自任した彼は、その対称点にいる誰かにとっては、きっと「邪魔な人」だっただろう。巨大産別労組の執行部がどんなに「反政府闘争」を叫んでも、現場は少しも動かないそんな時代にあって、現場を再組織しようとすることこそ、反対側にいる者たちを刺激する。ここで言う「反対側」とは、特定の政派を指す言葉ではないことを明確にしておく。この問題は決して政派的な問題でないからだ。

 最近、KT労組の脱退について書かれたものの中で目を引く文章を発見した。「政派が KT御用労組を育てた」というタイトルがつけられた、KT労組内部のある活動家の文章だ。対立政派の成長を警戒する政派的「本能」によって、政派的な問題ではない本質的な問題をめぐって政派的な利害を追求する、そんな実態を批判する意見として読んだ。当面の利害に左右されて現場をまるごと資本に明け渡してしまった例は、今この瞬間にも起きているのに、人は経験だけで認識するため、最後まで行きついて、やっと後悔する。

第2のKT労組を作らないために

だから私はパクユギ救済運動(?)を始めた。組合員大衆の大々的な署名運動を主導することにしたのだ。問題の解決は、民主労組運動の対称点にいる者たち、またはその間でセクト的な利害を追求する者たちとの間で秘密裏に取り引きしたり妥協したりすれば済む話ではない。広範な組合員大衆との直接大衆政治が必要だ。広範な組合員の力を示すための企てだけが唯一の道だという真理は、労組運動の初めに習った「教科書」だが、われわれはなぜそれを覚えていなかったのか? パクユギの不当な懲戒を撤回させるのは、パクユギ個人の問題をはるかに越えた根源的な問題だと組合員に訴え、支持を引き出すときだ。第2、第3の現代重工業と KT労組を作らないために。パクユギという労働活動家の懲戒に潜む隠微な背景と、隠れた真意を、賢明な組合員大衆が真っ先に判断してくれると信じて疑わない。誰もが否決されると思った2006年産別転換を躍動的に成功させた組合員大衆の中に道があるのではないか。

 最後にエピソードを一つ。パクユギが労組の事務局長だった時の話だ。当時、労組による就職不正が流行し、民主労総はそれだけでも道徳的な打撃を受けた。保守メディアと捜査当局は、当然、現代自動車労組に注目した。そして当時、パクユギ夫人の個人通帳に巨額の出し入れがあった痕跡を発見し、地域新聞は大々的に報じた。どうなったか? 組合費仮差押さえが流行した時(今でも横行しているが)、それを避けるため、労組監査委員会の承認のもとにパクユギ夫人の通帳に組合費をしばらく預け置き、その結果を包み隠さず組合員に公開したという事実を発見した捜査当局と保守メディアは、その後、鳴りをひそめた。ハプニングに終わった事件だ。民主労組に致命傷を与えようと彼らが日夜血眼になっていることを、是非とも思い起こしてもらいたい。

御用KT労組の脱退は、禍転じて福となすチャンス

2009年08月12日 12時36分29秒 | 民主労総の危機
御用KT労組の脱退は、禍転じて福となすチャンス
[寄稿]保守化と御用化とを区分できない民主労総の誤り

イ・ヘグァン(KT労働者)
民衆言論「チャムセサン」2009年07月20日付

 KT〔旧韓国通信〕労組が民主労総を脱退した。それも95%の圧倒的賛成で。保守メディアは歓迎一色だ。妄言専門家の金東吉は「民主党はKT労組を見習え」と一喝した。だが知る人ぞ知る、KT労組がはるか以前から完全に崩れていたということを。結局は民主労総を失脚させることを目的にイミョンバク政権が時を選んだだけのことであり、KT労組の脱退それ自体は民主労総にとって重大な問題とはならない。ところが、さらによく知る者(?)は、こう話す。「程度の差はあれ、他の大企業労組もあまり変わらない」と。そのためか、保守メディアの関心は断然、脱退ドミノが起きないかという期待まじりの観測だった。

 したがって、KT労組の脱退について、われわれはもっと根源的に考えることが必要だ。いくら時期的に民主主義が後退し、ファシズムの暗い影が復活していると言っても、いくら金をもらって客を泊めたとしても、KT労組の脱退を、民主労総を失脚させるための「政権次元の工作」という観点からだけ見てはならない。まさにその主体である労働者の視点が抜け落ちた観点はあまりにも悲しいことではないか!

 ほとんどの活動家が指摘するように、韓国の大企業正規職労働者は、90年代中盤を経て、特にIMF経済危機を経て保守化した。その原因は、正規職労働者が経済的に中産層入りに成功したことによる客観的理由によるものでなければ、運動の改良化による主体的な要因にもとづくものでもなく、明らかなことは、保守化が或る程度進展していたという点だ。資本の新自由主義構造調整攻撃は、大企業の労働者にとって、今の状態を維持することを中心とする労働運動、つまり「構造調整反対」のような保守的〔現状維持的〕観点を強化する一方、世界化による無限競争の中で、企業レベルの協力主義を通じて、グローバル競争力をつけて生き残ろうという協力主義路線、さらには完全に現場が崩れた事業場を中心として、露骨な御用労組の跋扈まで現れはじめた。

 ところが民主労総は、この御用化と保守化とを区分できなかった。いわゆる「国民派」と呼ばれる潮流は、KT労組を単に「保守化した集団」程度に把握した。「連盟費を払い続ければ民主労総の立派な構成員ではないか」という、非常に安易な認識のもとで、御用KT労組の、途方もない議決定足数を活用し、民主労総執行権の掌握に動員して何の恥じらいもなかった。闘争闘争で連盟費も出せない非正規職労組の議決権については制限し、民主労総の指針をただの一度も実践したことのないKT労組に対しては何の議決権制限もしなかった。その上、御用KT労組を民主労総から除名するよう主張したという理由で、KT労組が筆者を除名した際、当時のチョジュノ民主労総委員長が「KT労組を除名すべきだとすれば民主労総に残る労組はない』とまで言った記憶が今も生々しい。

 保守化と御用化とは全く違う。誰かに「KT労組員は保守化したか」と聞かれたら、私の答えは「そうだ!」だ。チョジュノ元民主労総委員長の指摘どおり、保守化を理由に民主労総からKT労組を除名すべきだとすれば、多くの大工場労働組合が除名されなければならないかもしれない。しかしKT労組は単に組合員が保守化したのではない。徹底的に御用化した労組だった。民主労組の基準だという自主性、民主性、連帯性――そのどれも見あたらない。

 自主性は全くない。すべての労組活動が会社の思うままにされている。その上、民主労総の選挙さえ、会社の労使協力チームの職員が査察し、摘発されるなどしたではないか! 民主性は完全にゼロだ。自由党の時に横行した公開投票はもちろん、開票操作まで日常茶飯事だ。連帯性に至っては何をか言わんやである! 最初の非正規職労働者闘争だった韓国通信契約職労働者の闘争を、最後まで無視したのが御用韓国通信労組ではなかったか!

 労働者がいつも進歩的であれば労働運動は不要かもしれない。労働者も時には保守的になることもあるではないか! 誰も今の韓国正規職労働者の相対的な保守化を否定しはしない。しかしそれでも、すべての労組が御用化したわけでは決してない! 保守と御用は別ものだ。問題は、御用化を保守化と装う、そんな政派的観点が、結局はKTの民主労総脱退を政権による工作と規定し、御用KT労組に脱退しないよう要求する苦しい状況を演出しているのだ。

 今や白黒はっきりした。もちろん民主労総が経る困難は今後も多いだろう。しかし御用KT労組の脱退は、長期的には民主労総にとって害にはならないだろう。世界経済危機の中で、そしてイミョンバク政権のもとで、保守化した労働運動の流れは、もはや通用しないだろう。80年代のような労働の大攻勢への転換は、さらに長い時間を要するだろうが、少なくともKT労組のようにはっきりと御用化した組織でなければ、どんなレベルであれ抵抗しないわけにはいかないのが今の現実ではないか!

 そうした面で、KT労組の脱退を、民主労総が「禍転じて福となす」チャンスととらえる自信を持ってほしい。わずかだが、KTにはまだ運動的に闘う仲間たちがいることを思い出そう。筆者は今でも信じている。保守化しても、適切なチャンスがあれば、KT労働者が95年に世の中を揺さぶったその勢いで、自分の胸の中に積もった怒りを解き放つ日が来るだろう。

[インタビュー] ソクチスン国際労働者交流センター議長

2009年08月03日 16時04分15秒 | 国際労働運動
[インタビュー] ソク・チスン国際労働者交流センター議長
韓日労働者の架け橋、世界に向かう

 「雪道を歩くとき、みだりに踏み荒らすな。己の歩く足跡が、後に続く者の道案内になることを肝に銘じよ」
 ペク・キワン統一問題研究所所長が好んで使う言葉だ。
 ソク・チスン国際労働者交流センター議長は、去る2003年5月14日、センター開所式でこの言葉を引用した。一度もやってみたことのなかった形での労働者国際交流活動において、立派な道案内になりたいという意志を込めた言葉だ。
 それから6年が流れた。韓日軌道労働者の交流の場だったセンターは、今や世界に向かって大きく歩む準備をしている。
 去る7月24日、<毎日労働ニュース>と会ったソク議長は、この10月、オーストラリアのシドニーで『世界大恐慌下での労働運動の方向』というテーマで定期フォーラムを開催する予定」と述べた。韓国をはじめとして、日本・タイ・フィリピン・オーストラリアなど8ヶ国の労働者が参加する。
 センターを正しく知るためには、97年12月の労働法改正当時にさかのぼらなければならない。民主労総と韓国労総が連日ゼネスト・デモを行っている時、日本の鉄道労働者らがソウルを訪ねた。当時ソウル地下鉄労組の組合員だったソク委員長は、日本語が流ちょうだという理由で彼らに会った。韓国労働者の威力的な闘争に深い印象を受けた日本の鉄道労働者らは、持続的な交流を望んだ。
 そして2000年2月、日本JR東労組(JREU)の提案により、韓国の当時の公共連盟(KPSU)の間でと国際労働者交流センター設立に向けた議論が本格化した。以来、鉄道労組と全国6つの地下鉄労組が主軸となった軌道連帯が、韓国側の参加団体となった。
 2005年にブラジルで開かれた第5回世界社会フォーラムにおいて、計8か国、20余の労組が参加してセンターのスタートを告げた。
 「センターが作られた理由は大きく二種類です。一つは新自由主義の中で労働者国際連帯と交流が絶対的に必要だからであり、もう一つは、新しい世紀に見合った労働運動の戦略を模索するためです。各国の労働者と労働組合は、同じ時代を共有しながらも互いに違う歴史的経験を持っています。これを互いに分かち合って真剣に模索する時、新しい労働運動の出現も可能ではないでしょうか」
 センターは毎年10月に定期フォーラムを開く。今回の「世界大恐慌下での労働運動の方向」フォーラムもその一環だ。
 最近では、センター副議長を務めているソムサク・コサイスク前タイ鉄道労組委員長に対する救援活動を行っている。ソムサク副議長は昨年、タイの国際空港占拠ろう城を主導した共同代表5人のうちの一人だ。ソムサク副議長は現在タイで政党をつくり、代表として活動しているが、政府は彼に「叛乱罪」を着せようとしている。最高死刑まで可能な犯罪者にでっち上げているのだ。
 KTX乗務員の闘いに誰よりも熱心に連帯したのも国際労働者交流センターだった。
 韓国で労働者が国際交流活動をするのは決して容易なことでない。国際交流担当の労組幹部は、海外に行くという理由だけで、外遊観光を楽しむ破廉恥漢にされてしまう。言語の障壁も無視できない。
 すぐに会社を首になったり、月給が削られる境遇に置かれている組合員らは、国際交流事業を「贅沢」と片付ける。
 ソク議長は、「最近では主軸の地下鉄労組がどっと抜け、色々と困難を経験している」としつつも、「国際感覚を持った労働運動活動家を排出することだけでも立派な成果になるだろう」と期待した。

キム・ミヨン記者ming2@labortoday.co.kr
2009-07-27午前5:56:34入力(c)毎日労働ニュース