【寄稿】終わっていないチルグェ洞の77日
チョゴンジュン(金属労組政策局長)
毎日労働ニュース09年8月25日付
〔チルグェ(七塊)洞=双龍自動車平沢工場のある地名〕
双龍(サンヨン)自動車整理解雇事態が、77日間の類例なき激烈な闘いを経てついに8月6日、労使間合意で終了した。双龍車労使交渉を支援したチョゴンジュン金属労組政策局長が、双龍車闘争に対する評価と今後の課題についての文を寄せた。(編集者)
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毎日ヘリコプターから雨のように降り注ぐ催涙液よりも、断水措置で水が使えなくなったトイレのガスのほうがきつかった。死ねとばかりに攻め入ってくる同僚社員に武器を向け、ボルトとナットが雨あられと降り注ぎ、振り回す鉄パイプで骨にひびが入ることなど日常茶飯事だった。戦闘中、予期せぬ火災がそこここで発生した。塗装工場に火が移れば全員が死にかねない状況…。襲いくる不確実性は、自ら関知できぬ内面を深くえぐった。
77日、その数字に隠された事実
幸いというべきか。連日マスコミのトップを飾った双龍自動車労働者の闘いは、2009年8月6日、労使合意により終了した。早くも評価が語られ始めている。あるメディアでは「労組のゴネが通じなかった」と資本の勝利を宣言した。反対に、「英雄的闘い」という評価が労働運動の内部から出されている。
拘束者だけで60名を優に超えた。占拠ストに参加した組合員は警察の呼び出し調査に苦しんでいる。パニック障害・対人恐怖症など深い傷がいえるどころか、もっと深刻な不安状態に包まれている。大妥協精神で合意したが、整理解雇者のうち、誰が雇用関係を維持し、誰が去るのか具体的に確定すらしていない。損害賠償・仮差し押えをはじめ民事・刑事上の問題だけではない77日間の闘いの中で、内面深くえぐられた、見えない傷はどうするのか!
現在の状況で評価を論ずるのは「ぜいたく」を越えて「罪悪」だ。今は評価すべき時ではない。多くの傷と不確実性、持続し強化される苦痛を解決するための連帯が急がれる状況だ。
目を閉じ何度も振り返ってみたが、77日間を完全な精神で評価する自信はまだない。ただ、不完全な精神と、いまだ終わらない状況を知り、いくつかのテーマを自らに投げかけるだけだ。
階級闘争の典型か? ぎりぎりの抵抗か?
一方では言う。「近来にない長期間の激烈な闘いだった」――誰も否定できない事実だ。なぜ77日間という類例なき長期間の激烈な闘いが行われたのか? いくつか浮かぶ。
第1に、今はそれほど感じないが、経済危機が迫り、責任論が持ち上がった。労働者が常に苦痛を押しつけられることに対する懸念があった。双龍車において、その責任はあまりにも明白だった。いわゆる「食い逃げ」の上海自動車に責任があるのに、なぜ労働者が責任を負わなければならないのかという、闘争の正当性と確信があった。
第2に、主人なき法定管理会社において、会社側の労務管理や対応戦術が極めて脆弱だった。
第3に、資本主義という社会であればどこでも貫かれている「解雇=生計不安」の法則は、社会安全網が脆弱な韓国社会においては、より大きく作用するため、整理解雇に対する労働者の抵抗は激烈だということを示した。
第4に、労働に対するイミョンバク政府の態度を見るとき、もっと早く鎮圧していても当然だったが、ノムヒョン前大統領の逝去という予期せぬ情勢と、労組の塗装工場掌握にともなう第2の竜山惨事の懸念などが、熾烈な戦闘を長期化させた。
しかし、双龍車闘争が「典型的な階級闘争」だったという主張に対する反論はかなりある。多数の労働者が非正規職の世の中で、大工場の正規職から押し出されまいとする双龍車労働者の闘いに、別の見方をする視点もある。第1次労働市場の正規職労働者が、第2次労働市場に押し出されないために抵抗したという見方だ。
英雄的闘いか、失敗した闘いか
長期間の類例なき強烈な闘いにもかかわらず、1800名余の労働者が希望退職によってすでに工場を去った。労使が合意した8月1日付686名の組合員のうち329名は無給休職と営業への転職で雇用関係を維持したが、357名は希望退職と分社をとおして一旦雇用関係が解消された。特に最後まで抵抗した組合員のうち288名は無給休職と営業転職で雇用関係を維持し、278名は希望退職や分社をとおして一旦雇用関係が解消される。整理解雇を完全に防げず、最後まで抵抗した労働者も無給休職と希望退職などへと、その運命が分かれることとなった。
結果についてだけ見ると、成功した闘いとは決して言えない。さらに、占拠ストが終了した後の司法処理と民事上の不利益を考えると、傷は長く残るだろう。
だが、この社会にあって、整理解雇というものがどれだけ深刻な衝突を引き起こすかを示し、激烈な攻撃に屈せず77日を頑張り抜いたという事実に注目するなら、「英雄的闘争」と言えるだろう。
多数者の運動か、少数の闘争か
当初いだいた不安のひとつは明らかな現実となった。「生き残った者」と「死んだ者」に分かれる瞬間、労働組合は多数の組合員を団結させることに失敗した。労働運動、特に大衆運動として労組運動は多数者の運動だ。「少数の闘う隊列」対「多数の闘わない隊列」という分裂は、多数者の運動として労働運動が失敗したことを意味する。単に分かれたにとどまらなかった。分かれた双方が敵対的な関係になった。本人たちばかりか、家族まで極端な敵対意識を持つことになった。
大妥協を行ったと言うが、希望退職を選択する者は、ふたたび戻ってこられるかを心配する。金属労組の計画によれば9月に選挙がある。今の状態なら、闘わなかった多数が執行部に当選するだろう。その場合、闘った者たちに対する雇用保障は紙くずとなってしまう恐れがある。さらに、民主労総を脱退するのではないかという懸念すらあるほどだ。
ファシズムに対する既視感
77日を経て、ファシズムの大衆心理がどのように誕生するのかを考えざるを得なかった。「死んだ者」たちは解雇で生存の淵に追いやられ、不当なことに対して抵抗した。闘う労組に対し「生き残った者」たちは物理的衝突とともに感情的敵対感を高め、ここに会社側の「労組のせいで全滅する」というイデオロギーが結合し、家族まで分裂し、敵対者となった。修羅場の苦痛を知って労組幹部の夫人が自殺した事件の本質はそれだった。
欲望の政治と言ったか。「生き残った者」も「死んだ者」も「生存の欲望」があったのなら、その生存の仕方は異ならざるを得ない。だとすれば、欲望の政治ではなく理性による政治で解決するか? 理性も両面的ではなかったか。一方では雇用を分かち合い、苦痛を公平に分かち合う方法を提示するが、他方では、とりあえずは一部を犠牲にして、あとで会社が立ち直ったら助けてやるという方法を提示した。欲望だけではなく「生存の方法」「主張するイデオロギー」が異なった。
ヨーロッパで登場したファシズムではなく、まさにわれわれの歴史の中で見たような事件ではないか。文字通り同族相殺し合う悲劇がくりひろげられたが、われわれは6・25戦争〔朝鮮戦争〕やファシズムから何を学んだのか。私の考え過ぎか。こうした問題に対する克服策を講じられなければ、労働運動は極端な少数の過激孤立運動になり、多数の大衆は、これに抵抗するファシズムと群衆にならざるを得ないのではないか。
軍事的戦闘主義と社会的連帯戦略
双龍車は法定管理を受けているため、労使問題に裁判所が介入した。また、経済政策を統制する政府はもちろん、同じ外資企業であり、公的資金による支援問題が絡み合うGM大宇自動車とも関係する問題だった。中国資本が入ってきて外交的問題まで介在した事案だった。
だとすれば、これに抵抗する労働者もまた、当然広範な連帯をとおして立ち向かわなければならない。そこで地域対策委や汎国民対策委がつくられた。だが実際、闘争の主体は、工場の外に出てこないまま「玉砕スト」を核心的闘争方法として選択した。「出ること」よりも塗装工場を「守る闘争」を行ったのだ。
双龍車の労働者はなぜ工場を守る闘いをすべきだったのか。それだけが唯一の選択だったのか。冷静に、そして詳しく振り返るべき問題だが、とりあえず労働者は、外に出ることに慣れていなかった。だから塗装工場という最も慣れ親しんだ場所と武器を選択したのだ。
これは単に場所や武器だけにとどまる問題ではない。社会連帯戦略を中心に据えるなら、当然それに見合う要求と政策が必要だ。だが、市民社会と政党の支持、説得力ある代案をとおして世論の支持を得るための無給循環休職などが内部で論争になった現実も総括すべきであろう。
壮絶な当事者と無力な支援者
工場中心の軍事的戦闘主義は、当事者である金属労組双龍車支部の組合員だけが選択し参加できるものだった。工場内では火炎瓶・パチンコ・鉄パイプが動員され、戦闘が熾烈に展開された。
2001年の大宇自動車整理解雇の際も、警察によって工場から押し出されたあと、外で火炎瓶を投げて闘った。だが今回、双龍車闘争を支援し連帯するために駆けつけた多くの他の労働者や市民・社会団体、政党は、そういう闘いができなかった。
工場内では熱く壮絶な戦争がくりひろげられたが、工場の外は冷たく無力だった。これを単純に、自動車工場の労組指導者や金属労組の指導部、労働運動と進歩運動の指導者の責任に転嫁できるのか。だとすれば結論は何か。戦闘的な指導部を選べば解決する問題なのか。
だが、いくら考えても、それは答えではないと思う。金属労組を構成する多数の大工場労働者は、そんな戦闘主義を選択できないということがわかった。いや、双龍車の解雇者のように火炎瓶や鉄パイプを握るどころか、連帯ストもできない実情だ。正規職労働者や、歴史の長い労組はともかく、そのように戦闘性を叫ぶ労働運動団体や組織はなぜ工場内のように激烈な闘いをできなかったのか。
「双龍車占拠スト労働者は英雄」であり、反対に「工場外は全員、無力な者たち」という結論を出す前に、その原因と解決策についての診断が必要だ。
前進か、反復か
「韓国社会は社会安全網が脆弱なため、整理解雇に対して壮絶な闘いをやらざるを得ない」
正しい。現実はそうだ。だが、運動とは何か。現実を変えようというものではないのか。だが、事業場別に整理解雇者が死ぬほど闘えば社会安全網が改善されるのか。今後もこの反復を続けなければならないのか。
今回の双龍車闘争においても、希望退職者と非正規職を含む最低2千人以上が工場を去る。闘争をとおして雇用が維持された人はこれに比して少数だ。だが、多数の去る人々に対する対策は、労働運動の核心課題になっていない。労組の視野から外れている。単に、何人が工場から出ないのかということだけが主要な関心事だ。
だとすれば双龍車闘争は、古い社会の枠組みと、その枠組みの中で限界を持った闘いだと言うべきなのか。新たな戦略を開発できず、永遠に整理解雇反対闘争を続けなければならないのか。
産別的闘争か、企業的闘争か
「産別労組だというが、いったい金属労組は何をやっているのか」
闘争の過程で組合員が強い不満を示した。2000年に大宇自動車が不渡りを出したときは産別労組がなかったが、自動車工場が一緒にストをやった。産別労組が結成された今は、そうしたことすら見あたらないという批判だった。だが、不満を特に解決する方法はなかった。集会や募金、連帯の拡張、政策的支援などが、できることだった。
反論もあった。「双龍車、おまえらはこれまで、すぐ隣で闘う事業所に連帯したことがあったか」「双龍車で同じ釜の飯を食った多数の組合員も、一緒に闘うどころか、敵になったのに、他人に何を望むのか」
だが、一緒に闘ったかだけが重要なのではない。当初、双龍車の構造調整に立ち向かう闘いの内容は、はたして産別労組にふさわしいものだったのか。企業をクビにならないように頑張ることが、はたして産別労組の雇用政策の核心なのか。だとすれば、過去の企業別労組が主張した雇用政策とどこが違うのか。
そもそも闘争の要求も内容も、産別労組にそぐわないものではなかったのか! 産別時代をつくろうと言いながら、われわれがつくったものは何だったのか。
「人間がつくった自動車に乗らねば」
闘いのただ中、労組は会社側の断水措置を防ごうとポンプ場にテントを設置した。このテントの周囲で会った双龍車の非解雇労働者が投げかけた言葉は、いまだに私の胸に深く突き刺さっている。
「こんなの人が暮らす世の中ではないですよ。こんなことしていいんですか? 狩りをするときだってこんなことしません。率直言って、人がつくった自動車に乗るべきです。けだものがつくった自動車になんか乗れないじゃないですか。会社の未来を考えると、やりきれません。
辛い話はまだあった。
「チルグェ洞に動物園ができた」
だが私は今も、77日の過酷な経験をとおして学習すべきであり、また、そうするだろうと信じる。77日間の過酷な闘いを行った双龍車支部の組合員に、みんなが口をそろえて「英雄」と言うことはないだろう。彼らが「英雄」になるのか、あるいは「生存の本能に従った抵抗者」に過ぎないのかは、われわれにかかっている。
彼らがこの社会に要求したのは、「77日よりもっと過酷な戦闘」だ。政府と会社側が労働者の抵抗に対して司法処理や懲戒など「復讐戦」だけを夢見るのなら、この社会に希望はない。労働運動もまた、77日の経験を、過酷な自己学習をとおして省察し、改善するのでなければ、チルグェ洞だけでなく、別の場所で、人間の世の中でない、野蛮な動物園に出会うことになるのだ。
チョゴンジュン(金属労組政策局長)
毎日労働ニュース09年8月25日付
〔チルグェ(七塊)洞=双龍自動車平沢工場のある地名〕
双龍(サンヨン)自動車整理解雇事態が、77日間の類例なき激烈な闘いを経てついに8月6日、労使間合意で終了した。双龍車労使交渉を支援したチョゴンジュン金属労組政策局長が、双龍車闘争に対する評価と今後の課題についての文を寄せた。(編集者)
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毎日ヘリコプターから雨のように降り注ぐ催涙液よりも、断水措置で水が使えなくなったトイレのガスのほうがきつかった。死ねとばかりに攻め入ってくる同僚社員に武器を向け、ボルトとナットが雨あられと降り注ぎ、振り回す鉄パイプで骨にひびが入ることなど日常茶飯事だった。戦闘中、予期せぬ火災がそこここで発生した。塗装工場に火が移れば全員が死にかねない状況…。襲いくる不確実性は、自ら関知できぬ内面を深くえぐった。
77日、その数字に隠された事実
幸いというべきか。連日マスコミのトップを飾った双龍自動車労働者の闘いは、2009年8月6日、労使合意により終了した。早くも評価が語られ始めている。あるメディアでは「労組のゴネが通じなかった」と資本の勝利を宣言した。反対に、「英雄的闘い」という評価が労働運動の内部から出されている。
拘束者だけで60名を優に超えた。占拠ストに参加した組合員は警察の呼び出し調査に苦しんでいる。パニック障害・対人恐怖症など深い傷がいえるどころか、もっと深刻な不安状態に包まれている。大妥協精神で合意したが、整理解雇者のうち、誰が雇用関係を維持し、誰が去るのか具体的に確定すらしていない。損害賠償・仮差し押えをはじめ民事・刑事上の問題だけではない77日間の闘いの中で、内面深くえぐられた、見えない傷はどうするのか!
現在の状況で評価を論ずるのは「ぜいたく」を越えて「罪悪」だ。今は評価すべき時ではない。多くの傷と不確実性、持続し強化される苦痛を解決するための連帯が急がれる状況だ。
目を閉じ何度も振り返ってみたが、77日間を完全な精神で評価する自信はまだない。ただ、不完全な精神と、いまだ終わらない状況を知り、いくつかのテーマを自らに投げかけるだけだ。
階級闘争の典型か? ぎりぎりの抵抗か?
一方では言う。「近来にない長期間の激烈な闘いだった」――誰も否定できない事実だ。なぜ77日間という類例なき長期間の激烈な闘いが行われたのか? いくつか浮かぶ。
第1に、今はそれほど感じないが、経済危機が迫り、責任論が持ち上がった。労働者が常に苦痛を押しつけられることに対する懸念があった。双龍車において、その責任はあまりにも明白だった。いわゆる「食い逃げ」の上海自動車に責任があるのに、なぜ労働者が責任を負わなければならないのかという、闘争の正当性と確信があった。
第2に、主人なき法定管理会社において、会社側の労務管理や対応戦術が極めて脆弱だった。
第3に、資本主義という社会であればどこでも貫かれている「解雇=生計不安」の法則は、社会安全網が脆弱な韓国社会においては、より大きく作用するため、整理解雇に対する労働者の抵抗は激烈だということを示した。
第4に、労働に対するイミョンバク政府の態度を見るとき、もっと早く鎮圧していても当然だったが、ノムヒョン前大統領の逝去という予期せぬ情勢と、労組の塗装工場掌握にともなう第2の竜山惨事の懸念などが、熾烈な戦闘を長期化させた。
しかし、双龍車闘争が「典型的な階級闘争」だったという主張に対する反論はかなりある。多数の労働者が非正規職の世の中で、大工場の正規職から押し出されまいとする双龍車労働者の闘いに、別の見方をする視点もある。第1次労働市場の正規職労働者が、第2次労働市場に押し出されないために抵抗したという見方だ。
英雄的闘いか、失敗した闘いか
長期間の類例なき強烈な闘いにもかかわらず、1800名余の労働者が希望退職によってすでに工場を去った。労使が合意した8月1日付686名の組合員のうち329名は無給休職と営業への転職で雇用関係を維持したが、357名は希望退職と分社をとおして一旦雇用関係が解消された。特に最後まで抵抗した組合員のうち288名は無給休職と営業転職で雇用関係を維持し、278名は希望退職や分社をとおして一旦雇用関係が解消される。整理解雇を完全に防げず、最後まで抵抗した労働者も無給休職と希望退職などへと、その運命が分かれることとなった。
結果についてだけ見ると、成功した闘いとは決して言えない。さらに、占拠ストが終了した後の司法処理と民事上の不利益を考えると、傷は長く残るだろう。
だが、この社会にあって、整理解雇というものがどれだけ深刻な衝突を引き起こすかを示し、激烈な攻撃に屈せず77日を頑張り抜いたという事実に注目するなら、「英雄的闘争」と言えるだろう。
多数者の運動か、少数の闘争か
当初いだいた不安のひとつは明らかな現実となった。「生き残った者」と「死んだ者」に分かれる瞬間、労働組合は多数の組合員を団結させることに失敗した。労働運動、特に大衆運動として労組運動は多数者の運動だ。「少数の闘う隊列」対「多数の闘わない隊列」という分裂は、多数者の運動として労働運動が失敗したことを意味する。単に分かれたにとどまらなかった。分かれた双方が敵対的な関係になった。本人たちばかりか、家族まで極端な敵対意識を持つことになった。
大妥協を行ったと言うが、希望退職を選択する者は、ふたたび戻ってこられるかを心配する。金属労組の計画によれば9月に選挙がある。今の状態なら、闘わなかった多数が執行部に当選するだろう。その場合、闘った者たちに対する雇用保障は紙くずとなってしまう恐れがある。さらに、民主労総を脱退するのではないかという懸念すらあるほどだ。
ファシズムに対する既視感
77日を経て、ファシズムの大衆心理がどのように誕生するのかを考えざるを得なかった。「死んだ者」たちは解雇で生存の淵に追いやられ、不当なことに対して抵抗した。闘う労組に対し「生き残った者」たちは物理的衝突とともに感情的敵対感を高め、ここに会社側の「労組のせいで全滅する」というイデオロギーが結合し、家族まで分裂し、敵対者となった。修羅場の苦痛を知って労組幹部の夫人が自殺した事件の本質はそれだった。
欲望の政治と言ったか。「生き残った者」も「死んだ者」も「生存の欲望」があったのなら、その生存の仕方は異ならざるを得ない。だとすれば、欲望の政治ではなく理性による政治で解決するか? 理性も両面的ではなかったか。一方では雇用を分かち合い、苦痛を公平に分かち合う方法を提示するが、他方では、とりあえずは一部を犠牲にして、あとで会社が立ち直ったら助けてやるという方法を提示した。欲望だけではなく「生存の方法」「主張するイデオロギー」が異なった。
ヨーロッパで登場したファシズムではなく、まさにわれわれの歴史の中で見たような事件ではないか。文字通り同族相殺し合う悲劇がくりひろげられたが、われわれは6・25戦争〔朝鮮戦争〕やファシズムから何を学んだのか。私の考え過ぎか。こうした問題に対する克服策を講じられなければ、労働運動は極端な少数の過激孤立運動になり、多数の大衆は、これに抵抗するファシズムと群衆にならざるを得ないのではないか。
軍事的戦闘主義と社会的連帯戦略
双龍車は法定管理を受けているため、労使問題に裁判所が介入した。また、経済政策を統制する政府はもちろん、同じ外資企業であり、公的資金による支援問題が絡み合うGM大宇自動車とも関係する問題だった。中国資本が入ってきて外交的問題まで介在した事案だった。
だとすれば、これに抵抗する労働者もまた、当然広範な連帯をとおして立ち向かわなければならない。そこで地域対策委や汎国民対策委がつくられた。だが実際、闘争の主体は、工場の外に出てこないまま「玉砕スト」を核心的闘争方法として選択した。「出ること」よりも塗装工場を「守る闘争」を行ったのだ。
双龍車の労働者はなぜ工場を守る闘いをすべきだったのか。それだけが唯一の選択だったのか。冷静に、そして詳しく振り返るべき問題だが、とりあえず労働者は、外に出ることに慣れていなかった。だから塗装工場という最も慣れ親しんだ場所と武器を選択したのだ。
これは単に場所や武器だけにとどまる問題ではない。社会連帯戦略を中心に据えるなら、当然それに見合う要求と政策が必要だ。だが、市民社会と政党の支持、説得力ある代案をとおして世論の支持を得るための無給循環休職などが内部で論争になった現実も総括すべきであろう。
壮絶な当事者と無力な支援者
工場中心の軍事的戦闘主義は、当事者である金属労組双龍車支部の組合員だけが選択し参加できるものだった。工場内では火炎瓶・パチンコ・鉄パイプが動員され、戦闘が熾烈に展開された。
2001年の大宇自動車整理解雇の際も、警察によって工場から押し出されたあと、外で火炎瓶を投げて闘った。だが今回、双龍車闘争を支援し連帯するために駆けつけた多くの他の労働者や市民・社会団体、政党は、そういう闘いができなかった。
工場内では熱く壮絶な戦争がくりひろげられたが、工場の外は冷たく無力だった。これを単純に、自動車工場の労組指導者や金属労組の指導部、労働運動と進歩運動の指導者の責任に転嫁できるのか。だとすれば結論は何か。戦闘的な指導部を選べば解決する問題なのか。
だが、いくら考えても、それは答えではないと思う。金属労組を構成する多数の大工場労働者は、そんな戦闘主義を選択できないということがわかった。いや、双龍車の解雇者のように火炎瓶や鉄パイプを握るどころか、連帯ストもできない実情だ。正規職労働者や、歴史の長い労組はともかく、そのように戦闘性を叫ぶ労働運動団体や組織はなぜ工場内のように激烈な闘いをできなかったのか。
「双龍車占拠スト労働者は英雄」であり、反対に「工場外は全員、無力な者たち」という結論を出す前に、その原因と解決策についての診断が必要だ。
前進か、反復か
「韓国社会は社会安全網が脆弱なため、整理解雇に対して壮絶な闘いをやらざるを得ない」
正しい。現実はそうだ。だが、運動とは何か。現実を変えようというものではないのか。だが、事業場別に整理解雇者が死ぬほど闘えば社会安全網が改善されるのか。今後もこの反復を続けなければならないのか。
今回の双龍車闘争においても、希望退職者と非正規職を含む最低2千人以上が工場を去る。闘争をとおして雇用が維持された人はこれに比して少数だ。だが、多数の去る人々に対する対策は、労働運動の核心課題になっていない。労組の視野から外れている。単に、何人が工場から出ないのかということだけが主要な関心事だ。
だとすれば双龍車闘争は、古い社会の枠組みと、その枠組みの中で限界を持った闘いだと言うべきなのか。新たな戦略を開発できず、永遠に整理解雇反対闘争を続けなければならないのか。
産別的闘争か、企業的闘争か
「産別労組だというが、いったい金属労組は何をやっているのか」
闘争の過程で組合員が強い不満を示した。2000年に大宇自動車が不渡りを出したときは産別労組がなかったが、自動車工場が一緒にストをやった。産別労組が結成された今は、そうしたことすら見あたらないという批判だった。だが、不満を特に解決する方法はなかった。集会や募金、連帯の拡張、政策的支援などが、できることだった。
反論もあった。「双龍車、おまえらはこれまで、すぐ隣で闘う事業所に連帯したことがあったか」「双龍車で同じ釜の飯を食った多数の組合員も、一緒に闘うどころか、敵になったのに、他人に何を望むのか」
だが、一緒に闘ったかだけが重要なのではない。当初、双龍車の構造調整に立ち向かう闘いの内容は、はたして産別労組にふさわしいものだったのか。企業をクビにならないように頑張ることが、はたして産別労組の雇用政策の核心なのか。だとすれば、過去の企業別労組が主張した雇用政策とどこが違うのか。
そもそも闘争の要求も内容も、産別労組にそぐわないものではなかったのか! 産別時代をつくろうと言いながら、われわれがつくったものは何だったのか。
「人間がつくった自動車に乗らねば」
闘いのただ中、労組は会社側の断水措置を防ごうとポンプ場にテントを設置した。このテントの周囲で会った双龍車の非解雇労働者が投げかけた言葉は、いまだに私の胸に深く突き刺さっている。
「こんなの人が暮らす世の中ではないですよ。こんなことしていいんですか? 狩りをするときだってこんなことしません。率直言って、人がつくった自動車に乗るべきです。けだものがつくった自動車になんか乗れないじゃないですか。会社の未来を考えると、やりきれません。
辛い話はまだあった。
「チルグェ洞に動物園ができた」
だが私は今も、77日の過酷な経験をとおして学習すべきであり、また、そうするだろうと信じる。77日間の過酷な闘いを行った双龍車支部の組合員に、みんなが口をそろえて「英雄」と言うことはないだろう。彼らが「英雄」になるのか、あるいは「生存の本能に従った抵抗者」に過ぎないのかは、われわれにかかっている。
彼らがこの社会に要求したのは、「77日よりもっと過酷な戦闘」だ。政府と会社側が労働者の抵抗に対して司法処理や懲戒など「復讐戦」だけを夢見るのなら、この社会に希望はない。労働運動もまた、77日の経験を、過酷な自己学習をとおして省察し、改善するのでなければ、チルグェ洞だけでなく、別の場所で、人間の世の中でない、野蛮な動物園に出会うことになるのだ。