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韓国労働運動情報

民主労総はじめとした韓国労働運動関連記事の翻訳

双龍自動車占拠ストライキは進行中

2010年08月10日 17時40分38秒 | 双龍自動車
双龍自動車占拠ストライキは進行中…「会社側は『労使大妥協』履行せよ」
解雇者ら、自殺・精神分裂症・経済苦で苦しみ依然…ハン・サンギュン支部長ら幹部は監獄に

民衆の声:2010-08-06

 大量整理解雇に抗して77日間の占拠ストライキを行った双龍(サンヨン)自動車労働者が、いわゆる「労使大妥協」を実現させ工場の外に自ら歩いて出てからちょうど1年がたった。
 去る2009年8月6日、双龍車労働者は占拠ストライキを解いた。火薬庫のような塗装工場を最後の砦にして警察と対峙する極限状況にあって、惨事を防ぐための決断だった。
 1年が過ぎた今でもイ・ミョンバク政府と双龍自動車資本に立ち向かって20~30年慣れ親しんできた職場を守り、生存権と、一人の人間としての自尊心を勝ち取ろうと激しく戦った双龍自動車労働者の闘争は現在進行形だ。

 惨事を防ぐための大決断は下されたが…

 「労使大妥協」は紙切れになって久しい。会社側は労働者との約束を無惨に踏みにじってしまった。いわゆる「労使大妥協」は、一言で言って、なんとしてでも労働者らのストライキを一旦中断させようとしたイ・ミョンバク政府と会社側の単なる「悪だくみ」に過ぎなかった。
 去る2009年8月6日の「労使大妥協」以後、4回の「労使実務協議」が行われたが、ついに決裂した。
 実務協議において労組側は、△労組事務所への出入り許容、△ストろう城に参加した非解雇者への不利益撤回、△会社再建時はストろう城者を優先復帰、△民事・刑事上の訴訟の取り下げ――などを粘り強く主張した。これはハン・サンギュン金属労組双龍車支部長とパク・ヨンテ共同管理人とのあいだの労使大妥協合意案に従ったものだ。
 だが会社側は、言葉の言い換えと知らんぷりで一貫し、合法的に保障された労組事務所への出入りまで認めないなど「労使実務協議」を徹底して決裂へと追い込んだ。
 その間、マスメディアの関心も急激に下がり、会社側は刑事訴訟取り下げ約束を破ってしまった。拘束者は26人から64人、69人へとますます増え、民事上の損害賠償請求金額も100億ウォンを越えた。
 ハン・サンギュン支部長をはじめとする労組幹部8人と、占拠ストライキを支援した労組および市民社会団体の会員ら4人は、まだ監獄から出られずにいる。
 双龍自動車側は、労組との約束を破ることでも足りず、新たな御用労組を作って金属労組双龍車支部つぶしに出た。
 
 構造調整粉砕!

 占拠ストを解いて一ヶ月後、双龍自動車側は一部組合員を押し立てて組合員総会を開き、「組織形態変更の件」と「次期労組執行部選出のための選挙管理委員会設置の件」の2案件を上程し、組合員投票を強行した。裁判所ですら「新たな労組執行部を選出するための選挙管理委員会設置は無効」と決定したが、強行した。
 結局、金属労組双龍車支部は工場の外に労組事務所を設け、復職闘争をはじめとする労組活動を行わなければならない非正常的な状況がまだ続いている。
 
 ヨンサン惨事6人、双龍自動車事態10人

 双龍自動車占拠スト闘争が「第2の竜山参事」になりはしないかという憂慮の声は現実になった。
 「整理解雇」による苦しみに打ち勝てず双龍自動車労働者らと家族が自ら命を絶つことが続いた。
 去る2009年5月27日、占拠ストライキが始まるや、オム某組合員が神経性ストレスによる脳出血で倒れた。
 6月11日、会社側の官製デモに動員されたキム某組合員は、激しいストレスなどで虚血性心筋梗塞を起こして死亡した。
 占拠ストライキの終盤である7月、工場外ではキム某組合員が、会社側の強要に勝てず希望退職書を書いた後に自殺した。
 双龍車支部イ某政策部長の妻も会社側の懐柔と脅迫に勝てずついに死を選んだ。
 占拠ストライキが終わっても労働者たちの苦痛は「自殺企図」という極限状況として現れた。
 8月と9月には、警察の高圧的な捜査に苦しみ、薬物を服用したり首をつったりして自殺を図る組合員がいた。
 2010年になっても自殺する労働者は増えた。
 2月20日、3週間も行方不明だったキム某労組代議員が車中で煉炭ガスを焚き、自殺した。
 4月25日、占拠ストに参加した組合員の妻が激しいストレスなどにより団地から身を投げた。
 5月には分社化された施設チームの労働者が心筋梗塞で死亡した。
 7月9日、平沢(ピョンテク)拘置所から出所したイ某代議員は、うつ病をひどく病んで多量の薬物を服用し自殺を図った。
 非正規職労働者も死んでいったし、組合員の妻たちは、命をかけてストを闘う夫に対する心配と、整理解雇による経済的苦痛にさいなまれ、流産してしまうことが頻繁に起こった。
 現在までに10人もがこの世を去った。
 「解雇は殺人」という労働者の絶叫は大げさではなかったのだ。
 
 占拠スト参加者の56%がうつ病…「自殺がさらに増える可能性も」

 占拠ストライキに参加した労働者の精神健康状態も最悪だという調査結果も出された。
 ストが終わったあと、労働環境健康研究所と保健医療団体連合がストライキに参加した284人の労働者を対象にアンケートをとおして「精神健康診断および実態調査」を実施した結果、労働者の56%がうつ病の症状を示した。
 33.8%の労働者は専門家の治療が必要な重度のうつ病に苦しめられているという結果が出た。不安症状を示す労働者も40.8%に達し、心理相談専門家との面談を要する重い不安症状の労働者も15.1%%達した。
 ストレス診断結果は、高危険群66.9%、潜在的ストレス群21.5%で、これらを合わせれば90%に近い。ストに参加したほぼすべての労働者が精神的ストレスに苦しめられているのだ。
 占拠ストライキに参加したケ・ヨンデ氏(38,天安物流センター15年勤務、解雇者)は、まだ自身が工場内で占拠ストを行っているものと錯覚し、家を工場と思い込み、家に2年分を越えるミネラルウォーターや食糧などを積み上げ、「一人スト」を行っているという事実が最近判明し、衝撃を与えた。
 政府は、対策どころか実態把握さえもせず、これらを放置している。
 ペク・ナムスン人道主義実践医師協議会企画局長は、「桂ヨンデ氏のようなケースが今後も起きかねない。精神科治療がすぐに必要な方々がとても多い」とし、「ストに参加した解雇者らに対する国家的支援や社会的配慮が切実だ」と強調した。
 また、大部分の双龍自動車整理解雇労働者が生活苦にさいなまれている。
 スト当時、双龍自動車支部の政策部長として活動し、夫人が自殺する苦しみを経験したイ某組合員は現在、実兄が運営する会社でアルバイトをしている。
 イ組合員は、「兄が経営する会社にでも通って生計を維持するべきではないか」とし、「時々思い出し、痛みを忘れるのが容易ではない」とため息をついた。
 イ組合員のように、双龍自動車支部の組合員は就職をするのが容易ではない。「ストライキを行った労働者」というレッテルが貼られ、企業の使用者が雇用を敬遠するためだ。

 解決策は「労使大妥協」履行だけ…

 先月末、平沢のトンブク洞に位置する双龍車支部の事務所で会った二人の組合員は、「建設日雇いをしている」と苦笑いした。
 失業給与もすでに切れて久しい。金属労組から支給される、いくばくかの長期闘争事業場支援金も底をつき、先月から中断された。
 双龍車支部関係者は、「双龍車解雇者の中に正規職として新たに就職した組合員はほとんどないと見なければならない」とし、「非正規職や日雇い、アルバイトで命をつないでいる。そうでもしなければ収入がない」と語った。
 この関係者は、「双龍車売却の過程で無給休職者、懲戒者、拘束者の問題など、もつれた糸を一括妥結方式で解かなければならない」とし、「会社側が踏みにじった去る2009年8月6日の『労使大妥協』を履行すればすむこと」と語った。
 「双龍自動車事態の根本的な解決策は、政府と会社側が『基本的な常識』を回復することです」
<チャン・ミョング記者jmg@vop.co.kr>

双龍車スト1年、働きながら復職闘争

2010年08月10日 16時35分23秒 | 双龍自動車
双龍車ストライキ1年、「まだ耳元では警察ヘリコプターの音が…」

民衆の声:2010-08-06

 ちょうど1年前だ。
 涙の中、77日間のストライキをたたみ、工場の門を出なければならなかった双龍(サンヨン)自動車労働者たち。その中の解雇労働者キム・ヨンフン、イ・ヒョンジュン氏。彼らは同僚らと協力して去る3月、ソウル九老洞(クロドン)506-4番地に漢城(ハンソン)カーセンターを開いた。闘争に必要な資金を求めて支援を受けるのにも限界があり、直接腕まくりをしたのだ。それぞれが双龍自動車のソウル九老整備事業所で働いた技術を活かし、供に働く労働共同体だ。
 双龍車事態1年をむかえた6日午後、<民衆の声>は九老洞の漢城カーセンターを訪ねた。
 9人が協力して始めたカーセンター
 彼らのうちの4人は店に常駐して働き、残りの5人は店を手伝いながら復職闘争に専念している。彼らは皆、毎週月・水・金の朝、九老事業所の前で出勤闘争をしている。
 解雇労働者のキム・ヨンフン(53才)氏は、「私がなぜ切られたのか納得するだけの理由がわからないから当然復職闘争をせざるをえないのではないか。使用側が約束した大妥協案もまともに守られないでいる。自分たちがやれば不法も合法になる、そんな世の中か」とし、「そんな理由で、引き続き闘うほかない」と語った。
 キム氏は、「こんなふうにつらい仕事でもしなければ、寝ていても当時のヘリコプターと放送の音が聞こえてきて目が覚め、そうなるとその日は眠れなくなる」と語った。
 作業中の汗でドロドロになったイ・ヒョンジュン(41才)氏は、「昨年のこの時期、照りつける陽射しのもと、工場屋上で警察と対峙した。警察が帰った後、見ると服が汗でぐっしょり濡れていた」とし、「その時に比べればこれくらい何ともない」と語った。
 最近ではマスコミ報道を通じてカーセンターのことが知られ、連帯団体の間でうわさになり、京畿、仁川からここまで車を直しに来ている。
 彼らは「私たちがなぜ闘うのか知らせ、双龍車の顧客にも私たちの本気さを知らせる意味がある」とし、「大変だが勝ち抜かなければならないのではないか」と語った。
<キム・トギュン記者vnews@voiceofpeople.org>

双龍自動車 “恒久的労使平和維持”

2010年06月25日 13時04分18秒 | 双龍自動車
双龍(サンヨン)自動車 “恒久的労使平和維持”
24日‘労・使・民・政社会的協約’締結

 双龍自動車労使とピョンテク市民、政府関係者は24日午後、ピョンテク工場本館で‘労・使・民・政先進労使文化定着および拡大のための社会的協約書’を締結した。社会的協約書は双龍車が去る16日、賃金・団体交渉調印式と共に締結した‘労使一心協約書’を外部に拡大したものだ。
 この日の協約式にはイユイル・パク・ヨンテ双龍車共同管理人とキム・ギュハン労組委員長、ソン・ミョンホピョンテク市長、キム・ポンハン労働部ピョンテク支庁長が参加した。ピョンテク市民でつくる‘双龍車を愛する運動本部’のウ・クァンジェ常任議長が市民代表として参加した。
 参席者らは“双龍車労使が推進中の先進労使文化の構築と正常化に向けた努力に支持を送る”とし、“相互間パートナーシップ強化を通じて地域経済の活性化と雇用創出拡大に寄与しよう”と呼びかけた。
 イユイル共同管理人は“恒久的労使平和維持などを骨子とする‘労使一心協約’を市民と政府が共に連係して社会的にその実行を確約したことは意味が大きい”と述べた。
 一方、日本の日産自動車が双龍車の買収を検討していることが分かった。
 カルロス・ゴーン日産自動車社長はこの前日、日本・横浜市で開かれた株主総会を終えた後、“双龍車買収を検討中であり、詳細に分析している”と述べた。日産自動車はフランス ・ルノー自動車と株式交換の形態で提携を結んでいる。
 カルロス・ゴーン社長は、“双龍車を取得する際に設備費用が韓国ルノー工場の施設を拡大した時よりも低いと判断されれば買収を推進するだろう”と述べた。
 今のところ公式に双龍車買収の意向を明らかにしているところは、ルノーグループをはじめ、私募ファンドであるソウルインベストと大宇バスの大株主のヨンアン帽子、インド最大スポーツユーティリティー車両(SUV)製造会社であるマヒンドラ・グループなどだ。
 業界はルノーグループとマヒンドラグループの一騎打ちになると予想している。

<毎日労働ニュース/クウンフェ記者> 最終アップデート:2010-06-25 08:37:14

双龍車支部、占拠ストライキ1周年決意大会

2010年06月11日 10時08分05秒 | 双龍自動車
●双龍(サンヨン)車解雇者など"現場に帰る日まで闘おう"
金属労組双龍(サンヨン)車支部、占拠ストライキ1周年決意大会開く…800人余り出席
民衆の声2010年6月9日

(写真)http://www.vop.co.kr/A00000300862.html

 大量整理解雇に対抗した77日間の占拠ストライキ1周年をむかえて、双龍自動車解雇者などは必ず、慣れ親しんだ仕事場に帰ろうと固い闘争の意思を確かめ合った。
 金属労組双龍車支部解雇者などは9日午後双龍自動車平沢(ピョンテク)工場正門の前で‘双龍車工場占拠ストライキ1周年闘争決意大会’を開き、“(占拠ストライキ) 1年になる時点をむかえて、また闘争を組織して工場に帰るための戦いを始めるだろう”と決議した。
 この日の決議大会には双龍車支部解雇者などはもちろん、民主労総京畿本部と金属労組組合員らをはじめとして平沢地域市民社会団体会員など800人余りが参加した。
 ファン・インソク双龍車支部長は“占拠ストライキ1年、イ・ミョンバク政権の弾圧1年になり、大妥協合意をしたが、工場の外に出てくる瞬間、合意書は紙切れになった”と、“政権と資本の弾圧は苛酷に労働者らの首をしめた”と吐露した。
 さらにファン支部長は“1年になる時点をむかえてまた闘争を組織して工場に帰るための戦いを始めるだろう”と闘争の意思を確認した。
 ソン・ジョンヒョン民主労総京畿本部長は“1年前に占拠ストライキ闘争を行った記憶が次から次へと出てくる”とし、“こ1年間、厳しい条件の中で闘っている双龍車同志たちの労苦に感謝する”とたたえた。
 ソン本部長は“最後のひとりまで、慣れ親しんだ現場に帰る日まで闘争しよう”と訴えた。
 この日の決議大会は豊作の舞の公演、民衆歌手らと子供たちの歌公演など多彩な文化公演も繰り広げられた。特に双龍車支部幹部らが直接昨年77日間の占拠ストライキを形象化した演劇を公演して解雇者などと参加者らの目がしらを濡らすこともした。最後に参加者らは‘構造調整’と書かれた大きな氷をハンマーで突き崩すパフォーマンスを通して、復職に対する強い意志を表現した。
 一方この日双龍自動車社側は工場内の組合員らが接触できないように正門を閉鎖して決議大会参加者らのひんしゅくを買った。

双龍自動車77日玉砕ストライキの記録『解雇は殺人だ』

2010年02月28日 11時17分02秒 | 双龍自動車
双龍自動車77日玉砕ストライキの記録
[新刊本]解雇は殺人だ

チャムセサン/ 2010年02月24日12時10分

 「生き残った者も死んだ者も、拘束者も懲戒者も希望退職者も、どんな位置にあろうが、依然として自分が労働者たらざるをえないということをすぐにに悟る日がくるでしょう。その時は民主労組の旗が、孤立することなく全組合員の名で団結の広場にひるがえるように祈ります」ハン・サンギュン(金属労組双龍自動車支部長)の発刊辞より
 双竜自動者支部77日闘争白書『解雇は殺人だ』は、2009年5月22日から2009年8月6日まで玉砕ストライキを展開した全国民主労働組合総連盟全国金属労働組合双龍自動車支部組合員らの闘争準備と過程、意義を総体的にまとめている。
 双龍自動車支部の闘争は、経済恐慌期に資本に迫る危機を労働者に転嫁するやり方が、どのように現場に適用されるかを如実に示してくれた。
2009年、韓国社会の夏を熱した双龍自動車支部の闘争は、物足りない部分もあったが、労働者の可能性を示した闘争だ。77日闘争を振り返って記録するのは、過去に対する愛着と無念さでなく、大切な経験を未来のより良い実践と民主労組運動の力量強化に寄与しようということだ。
 白書は、事実に基づいて闘争を総合的かつ体系的に整理する作業だった。しかしやさしい作業ではなかった。2009年9月、双龍自動車支部の要請を受けて、労働者歴史ハンネの設立目的上必ずやらなければならないことだと考えたが、難関があった。それは司法処理問題と作業の公開問題だった。拘束者らの司法処理問題と、うち続く検察の追加拘束のため、資料の公開が制限されざるをえない状況だった。また闘争主導者が拘束されており、彼らの考えを聞くことが制限的だった。
 それでも2009年9月、10月にかけて、膨大な資料を収集した。労組情報誌、各種政策資料、事業報告書、マスコミ記事一覧、写真、動画、会議資料、会議録、各種教案、公文書、ホームページ掲示板意見、ストライキ プログラムなどを収集し、2ヶ月にわたる分類作業を通じて、17冊の「双龍自動車支部闘争資料集」にまとめた。また資料で不足したのを満たすため、組合員17人の口述と4人の連帯団体メンバーとの面接、組合員13人の書面質問と面談、拘束されていたハン・サンギュン支部長の書面質問などを行った。
 こうして収集された資料、口述録音収録などを土台に草稿執筆に入った。草稿完了後、双龍自動車闘争に参加した双龍自動車支部幹部などと討論を行い、その結果を反映して、原稿を修正、補完した。
 闘争白書『解雇は殺人だ』は計4章で構成される。1章は双龍自動車の経営危機と雇用問題浮上で、双龍自動車の略史を調べ、経営状況、労働組合の略史と労使関係、経営危機の原因と使用側の挑発、ハン・サンギュン執行部の登場を記述している。2章は、ストライキ前夜という題名でストライキ準備の時期を扱った。2009年1月9日、法定管理申請から使用者側との攻防戦、ストライキを組織する過程と家族対策委結成、連帯組織の立ち上げ、煙突ろう城突入等を記述している。3章は77日のゼネストを扱っている。
 前半部は、組合員らが集まる過程からストライキプログラムの運営、隊列整備、訓練、会議、日常生活など玉砕ストライキの姿を立体的に示している。
後半部は、会社救済隊と警察の突入、これに対抗する組合員らの戦闘、交渉、封鎖、葛藤、戦争、合意など実際的な戦闘と交渉の過程を生き生きと扱っている。合意以後の使用側の約束不履行と司法処理の問題も共に扱っている。4章は闘争の意味と成果を整理した。計量的な成果の部分よりも、今後評価できる論争点を整理することに力点を置いた。歴史は、成果よりも限界と誤りを明確に認識することでより多くの発展があるという考えから、限界と課題を共に整理した。
 一冊の本で双龍自動車支部労働者らの闘争を十分に表現するのは初めから不可能だったかも知れない。わずか4ヶ月の期間に資料収集と執筆、草案検討まで終えること自体も無理なことだった。しかし双龍自動車支部の闘争を低く見ようとする資本と政権のイデオロギーを終息させ、闘争の意味と成果をわい曲しようとする勢力に対抗して「事実」を知らせるために白書作業を急いだ。
 まだ双龍自動車支部の闘争が終わっていないため、白書作業もまた終わりではない。この白書を通じて、双龍自動車支部の労働者らの闘争を記憶し評価するための開始を知らせるのみだ。

[図書名]解雇は殺人だ
[発行日] 2010年1月27日
[著者]ヤンドルギュ、イスンウォン、チョンギョンウォン
[価 格] 25、000ウォン
[装丁]新菊版、洋装、計448ページ
[ISBN] 978-89-962441-2-7 93330

目 次

発刊辞__4
序文__7

1章__双龍自動車の経営危機と雇用問題浮上
双龍自動車の状況
双龍自動車の設立と現在__15
財務構造と生産、販売能力__18
2008年の総合的な状況__29
双龍自動車労働組合と労使関係
双龍自動車労働組合の設立と歴代執行部、主要闘争__32
労働組合現況__42
労使関係と労働組合の状況__46
海外資本の問題と雇用問題
上海車資本の問題__54
必然的な経営危機を労働者に一方転嫁__57
ハン・サンギュン執行部の登場
5チームが乱立した労働組合選挙__60
ハン・サンギュン執行部の当選__65
使用側の攻勢と対応__68

2章__ストライキ前夜
法定管理申請と整理解雇反対闘争組織
中央争議対策委体制への転換と整理解雇反対闘争準備__77
法定管理開始と総雇用保障闘争__87
非正規職労働者らの闘争__105
整理解雇表面化とストライキ前夜
大規模整理解雇に対抗した労働者闘争__117
労働者の選択、ゼネスト闘争に向かって__133
家族対策委の結成と活動__153

3章__ゼネスト-解雇は殺人だ
工場の主人は労働者だ
ゼネストの旗__163
私を信じ、同志を信じて__170
ストライキ体系__185
ストライキ プログラム__190
工場死守
使用側の挑発__214
煙突ろう城の力__234
私たちの闘争は正当だ__238
警察突入とこれに対抗した闘争
警察突入__249
隊列に動揺なし__261
仲裁__276
交渉__301
決戦__315
決断__329
約束を履行せよ

4章__闘争の意味と成果
闘争の意味
主要論争点
要求案__368
整理解雇名簿論争__373
玉砕ストライキ突入時期__376
組合員懲戒(除名) __380
玉砕ストライキ(工場占拠)戦術__384
8月6日合意問題__387
闘争の勝敗有無__392
闘争の成果
食い逃げ資本-海外売却に対する警鐘を鳴らした闘争だった__396
元・下請け連帯闘争の模範を示した__399
整理解雇撤廃闘争の典型を示してくれた__400
闘争を通じて、労働者意識が強化される模範を示した__405
家族対策委の役割と闘争の事例を明確に示してくれた__407
限界と課題
組織過程の問題__411
交渉について__413
連帯闘争に対し__415

付録
闘争日誌__421
ストライキ隊列名簿__440
拘束者__444
双龍自動車支部22年次代議員名簿__445
参考資料__447

金属労組双龍車支部、組織整備に「拍車」

2009年12月11日 09時36分22秒 | 双龍自動車
金属労組双龍車支部、組織整備に「拍車」
24~28日役員選挙1次投票

 金属労組サンヨン自動車支部(支部長職務代行パク・クムソク)が、77日間にわたって行われたストライキの後遺症を振りはらい組織整備に乗り出す。
 8日、金属労組によると、支部は今月中に3期役員選挙を実施し、組織の体系を固める計画だ。民主労総を脱退した企業別労組の双龍車労組と金属労組双龍車支部が別個に活動することになる。支部は21日まで役員選挙候補者登録を受け付け、24~28日の1次投票に続き、30日に2次投票を実施する。
 支部は、選挙人名簿の作成をはじめ、組織復元と組合員権利問題などを明確にするため15日までに金属労組に組合費を納付する。役員選挙が終われば組合員間の結束力を高めるために「双車(サンチャ)の日」文化行事を行う予定だ。
 安定した支部活動のための支部事務室設置も推進される。
労働部や地方自治体などに事務室提供の協力要請をし、うまくいかなかった場合、独自に事務室を賃借りする計画だ。
各種損害賠償・仮差押さえや罰金などは金属労組と共同対応することとした。
 中国・上海自動車の双龍車技術流出に対する支部レベルの告訴・告発も本格化する。支部は投機資本監視センターなどと共に技術流出の経営責任者を対象に法的対応を準備中だ。

・記事入力:2009-12-08 04:24:24 ・最終アップデート:2009-12-09 09:38:37
(c)毎日労働ニュース

終わっていないサンヨン自動車闘争

2009年11月22日 19時46分57秒 | 双龍自動車
終わっていない双龍車闘争

チャン・ミョング記者jmg@vop.co.kr

(自動翻訳)

双龍(サンヨン)自動車事態が労使合意で終えられて100日が過ぎたが労働者らの苦痛は続いている。77日間の玉砕ストライキを終えながら導き出した'8.6労使大妥協'は紙切れになったし,労働者らは深い傷跡を抱いたまま一日一日を生きていっている。技術だけ持ち出して双龍車を滅ぼした中国上海車は本国に飛んだし,不良売却に管理監督さえしない政府はどんな責任も負わないままストライキに参加した労働者らにだけすべての苦痛を押し付けているのだ。

工場に戻ることができないストライキ座り込み者など..紙くずになった'大妥協'

'8.6大妥協'以後今までストライキに参加した彼らのうち、現場に復帰した組合員はただ1人もない。自発的選択により配分することにした無給休職と営業職転職,分社と希望退職などの'48:52'比率は会社の一方的決定で処理された。
会社は先月12日、整理解雇対象者であった974人中48%である468人に対して無給休職と営業職転職で雇用を維持する案を個別通知した。このうち200余人だけが工場の中で最後まで闘争した組合員らだ。
残り'58%'に該当する組合員らのうち158人は希望退職で,506人は整理解雇と分社で双龍車との雇用関係が終わった。座り込みに参加した'非解雇組合員'など90人余りは'休業待機'命令を受けて事実上解雇状態に置かれている。

工場の外に放り出された組合員らは日雇いやアルバイトでかろうじて生計をたてている。平沢(ピョンテク)近隣の会社は双龍車出身労働者らに最初から就業の門を閉ざした。'強硬労働者'イメージが負担になるためだ。しかたなく組合員らは身分をだまして就職したり代理運転などで生計を立てている。

単一労働事件では最大の拘束者と200億ウォンに達する損害賠償請求で'民刑事上責任を最小化する'という約束もむなしかった。
拘束組合員は21人の幹部を含めて33人に達する。

工場の中の組合員だからといって安心して働けるわけではない。人員が減った状態で生産性を高めようとするなら当然労働強度が強くなるほかはない。部署統合と部署転換配置で労働強度は倍加されて賃金は25~30%まで削減された。

労組も真っ二つに割れた。使用側は労組事務室を閉鎖したし,一部組合員らが民主労総脱退のための総会を招集して,投票を進って,新しい双龍車労組を立ち上げた。

双龍車社側が'対国民約束'ということができる労使合意懸案を'知らない振り'できたことは'労使関係先進化'を前に出したイ・ミョンバク政府を強固な背景としているためだ。ストライキ終了後イ・ミョンバク大統領は"財界と労働界,政府は今回の事態を一度きりの事件ですまさずに労使文化先進化の契機にしなければならない"と明らかにしたことがある。

パク・クムソク双龍車支部職務代行はこのような一連の弾圧に対して"全労働界のストライキと関連して,手本を見せるという立場で進っている"として"民主労総を直接的にねらって全国的な紛糾事業場に対する圧迫を与えようとすること"と話した。

双龍車使用側は回復計画の認可を受けて,売却引き受け者を探す売却手順を踏んでいる。すでに12月、管理職に対する希望退職の話が出てきながら,第2の構造調整に対する憂慮が提起されている実情だ。

双龍車支部は整理解雇者特別委員会(整特委)を設けて不当解雇救済申請など法的対応をはじめとして復職闘争を行うなど整理解雇に対抗した第2の長期戦に突入した。

・記事入力:2009-11-17 09:46:03 ・最終アップデート:2009-11-17 23:51:01
(c)民衆の声

双龍自動車闘争の総括(社会主義労働者連合)その1

2009年11月18日 16時58分29秒 | 双龍自動車
『見よ、我が労働者がどれほど高くあるかを!―双龍自動車占拠スト77日の記録』

(社会主義労働者連合/2009年10月10日発行)より自動翻訳

1.はじめに(略)
2.闘争の客観的背景(略)
3.隠された争点(略)
4.闘争の過程(訳)

5.総括
 双龍車スト闘争―労働者階級の革命的潜在力を示し、労働解放闘争の進むべきところを提示する!

(1)双龍(サンヨン)車闘争の意義

●2008年米国でさく烈したサブプライムローン事態以後、世界資本主義は巨大な危機局面に入り込んだ。この世界的危機は各国政府と資本家階級の大部分を危機状態に追いこむことで具体化された。韓国資本家階級とこれらの執行委員会の政府の対応は「労働柔軟化拡大」(非正規職法案改悪策動)と「構造調整全面化」(賃金カット、外注化、労働強度増大、現場統制力拡大)に要約することができる。もちろんこういう試みはすでに反動化された資本主義体制下で日常化されたのだ。だが経済危機はこういう試みをより一層全面化させた。
 こういう試みの全面化は、もちろん押し通すことができる力を必要とする。抵抗勢力である労働者運動の反発を抑えることができる力の優位を確保しなければならないのだ。
この反発の政治的爆発力を弱体化させるための各種政治的反動措置(集会・示威などに対する弾圧)が前面に浮び上がり始めた。特に現在韓国で大衆的労働者闘争が盛られるほび唯一の器である労働組合を破壊して弱体化させるのはその必須条件だった。ただしこの過程は労働者闘争の巨大な潜在力を考慮する時、孤立分割打撃の方式で漸次的になされなければならなかった。弱い環を捕まえて、見せしめで機先を制した後、攻勢を拡大する方式がそれだ。最終目標はもちろん民主労組運動の瓦解だ。

●死活をかけた戦争の最初の舞台がまさに双龍車であった。双龍車はそれこそ敵が見るのに「悪い環」であった。全面的な戦闘の経験が完成車業者の中で最も弱かった。新しく登場した民主労組執行部の現場掌握力もまだ高くなかった。他の何よりも「倒産威嚇」が労働者を萎縮させていた。政府は「法定管理」と「産業銀行を通した資金投入決定権」という二つの決定的統制手段を握っていた。双龍車が全体韓国資本主義の鎖において占めている微々たる地位もまた敵の負担を軽減させてくれた。双龍車労働者の長期的な抵抗にも耐えることができるほど余裕を持っていたのだ。もし民主労組運動をはじめとする全体労働者運動が全面的な連帯で総資本対総労働の代理戦を行う覚悟と決意、準備がないならば、それこそ最もたやすい相手であったわけだ。不幸にもまさにこの地点でも敵は楽観した。韓国の組織された労働運動のぜい弱性(企業内主義、組合主義)を突いてきたのだ。

●IMF経済危機時期に後れを取った戦線と比較する時、状況はより一層明らかな姿を表わす。1997年には民主労総ゼネスト闘争のような総労働の強力な阻止線があった。この阻止線はもちろん民主労総指導部の同様によって穴があけられてしまったが、この阻止線を通じて確認された労働者の力と連帯意志は以後、企業別整理解雇粉砕闘争に継承された。こういう一連の闘争を通じて、民主労組運動は弱体化自体を防ぐことはできなかったとはいえ、87年以来獲得してきた陣地の相当数を死守するのに成功した。最小限、民主労組運動の瓦解は阻止した。
当時の局面と2009年経済危機局面の差異点は、韓国労働運動が96~97労働法改悪阻止ゼネストのような総労働の戦線を設置することもできないまま全面的な攻勢の前にさらされたという点にある。総労働の戦線が立てられることもできない中で、資本家階級の総攻勢と私たちは向き合った。結局双龍車労働者はこのように「最初の生け贄」として敵によって選択された。敵は簡単に制圧することができると楽観した。彼らの楽観が現実化されて震えた、体系的な反撃のための労働者闘争のバリーケード一つ打つことができなくて容赦なしに押される状態が当分展開したのだ。これはIMF時代と比較できないほど韓国労働運動を速い速度で後退させただろう。民主労組運動の事実上の瓦解までも心配しなければならなかったかも知れない。
誰かがこういう状況に対抗して、威力的な「労働者闘争戦線」をたてて、すべての労働者をこの戦線に結集していく偉大な反撃を決断してこそ状況にブレーキをかけることができた。この時双龍車労働者が叫んだ:「私たちが決断する!」

●もちろん双龍車労働者たちの「決断」を主観的に誇大包装する必要は全くなく、望ましくもないだろう。真実をいおうとするなら、双龍車労働者は「最初の生け贄」に選択されないことを切実に望んだ。また(先進部位でなく全体双龍車大衆を考慮する時)、全体労働運動に対する責任性を土台に闘争に立ちあがったということよりは、自身の働き口死守をために闘争に立った。
しかし双龍車労働者たちが掲げた「整理解雇粉砕、分社化阻止、非正規職を含んだ総雇用保障」などの要求はまさに現在の経済危機局面で総資本の攻勢に対抗した総労働の戦線を「客観的」に代弁した。またこの闘争は彼ら自身の決意と関わりなく総資本の民主労組瓦解策動に対抗する第1戦線を意味した。
双龍車労働者は闘争の経験が蓄積されながら、この闘争が持つより巨大な社会的脈絡を理解していった。政府とこの政府のもとにある銀行、裁判所、法定管理人の動向を見ながら、双龍車労働者は自身の働き口問題がさらに巨大な脈絡での戦闘の成否にかかっていることを悟っていった。これは双龍車外側の労働者たち、政治的活動家らにも同じように適用された。これらは双龍車闘争の旗がまさに総労働の旗であることを直感した。このような形で(もちろん完全ではなかったが)双龍車闘争と「総資本に対抗した総労働の階級闘争」は一つに融合されていった。

●幸いなことは敵の判断が部分的には誤った判断であったという事実だ。「弱い環」は双龍車労働者の英雄的決断によって「強い環」に変貌し始めしたためだ。双龍車労働者はやすやす生けにえになろうとしなかった。むしろおおらかに飛びかかったし、そうして総労働の反撃戦線が樹立されることができる貴重な契機が開かれた。誰でも認めるだろう。双龍車労働者は全てのものを捧げた。この要塞は小さいけれどとても丈夫で、総労働が結集できる求心点として2か月半以上りっぱにもちこたえた。自身の番が時限爆弾のように近づいていることを直感していながら反撃の通路を探せなかった数多くの民主労組、そして敵の攻勢が民主労組運動全体を瓦解させるための作戦に連結していることを知っていながら反撃の出発点を探せなかった金属労組と民主労総などが結集できる契機、時間、名分、求心を双龍車闘争は提供した。
不幸にもこういう大切な機会は十分活用されることができなかった。しかし双龍車労働たちがたやすく放棄することでこういう機会が用意されなかった状況を仮定するなら、差はものすごく大きい。双龍車闘争が設置した舞台を通じて、その上に以後反撃を組織できる軸が用意されたし、以後の反撃を成功的に組織するために何を補完して何を準備しなければならないかをすべての真剣な労働者闘士らが考えられるようにしてくれた。すでに整理解雇強行と民主労組抹殺という所期の目標をほとんど達成した敵さえ、77日間繰り広げられた双龍車労働者の頑強な抵抗によって途方もない社会的費用を払うほかはなかったので、次の番の攻撃のために今、呼吸を整えている。「あのように死を覚悟して飛びかかるのに、むやみに攻撃していては困難な目に遭いかねない。慎重にやろう!」―これが敵の判断だ。双龍車占拠ストは終了したが双龍車労働者の闘争は今この時間まで働者階級に、自らを防御するための闘争の力を建設する時間を稼いでくれているのだ。本当にそうだ。「双龍車闘争は彼ら自身だけでなく、彼らよりむしろ全体労働者階級を守る闘争だった!」

●双龍車闘争の意義はそこにだけ限定されないはるかに多くのことを示してくれた。双龍車労働者は負けないために労働者階級が力を集めなければならない方向を提示して工場占拠ストライキは、交渉を通した妥協でなく労働者の力を残らず動員する命がけの闘争だけが代案であることを見せてくれた。
工場占拠ストライキを通じて形成されていった下からのストライキ主導力は日常的な労働組合機構を跳び越えて、全体現場労働者が主導力を発揮する「ストライキ委員会」思想を雄弁に語った。非正規職労働者をストライキ隊列に受け入れて、非正規職を含む総雇用保障をかかげたことは、IMF時代の整理解雇粉砕闘争の水準を跳び越える階級的観点を見せてくれた。自衛のために武装した労働者は、警察とチンピラの物理力に対抗した労働者軍隊の可能性を証明した。他の何よりも「上層指導部の動揺士気低下」にもかかわらず、労働者運動底辺の大衆は闘争の正当性と信じることができる指導部、確固たる闘争の方向さえ提供されれば無限の決意と献身で闘争に立ちあがる可能性があることを立証した。まさにこれをすべての所で生き返らせて拡大強化すること、まさにここに韓国労働者運動の反撃の道が置かれている。その点で今回の双龍車闘争は勝利の序幕を開く偉大な闘争だった。

●革命的政治運動の脈絡でも双龍車闘争の意義はさらに積極的に考察する必要がある。双龍車闘争は87年以来数年間、韓国社会を揺るがした工場占拠ストライキと同じ戦闘的闘争様相を再現した。現代重工ゴリアテ闘争の再現と呼んでも遜色がなかった。これは労働現場に根を置いた革命運動が相変らず有効であり可能であることを立証した。労働者階級大衆の革命的潜在力を立証したのだ。労働者階級に基盤を置いて、特に現場の労働者闘争に基礎を置いた革命運動戦略の有効性と正当性が確認された。「労働者軍隊」の可能性は十分発揮された。
次に労働者の具体的要求に土台を置いた闘争が発展することによって、政治闘争へと跳躍する真の姿を見せてくれた。「資本家政府粉砕と労働者政府樹立」という要求は、双龍車労働者によって直接的要求としては提起されなかったが、彼らが展開した闘争の精神と方向を規定した。特に一事業場から出発した戦闘的労働者闘争が、生産の社会的連結網を媒介して、どのように地域(ピョンテク)と産業全般(系列会社、協力会社労働者)に拡張され、ひいては全国ゼネストなど社会的性格を獲得していくのかが明らかになった。生産の核心拠点事業場に根をおろした革命組織、そしてこういう決定的労働者闘争を全国的ゼネストと同じ階級闘争へと深化発展させて拡張できる能力と組織的基礎をそなえた革命組職の必要性を雄弁に語ったのだ。
一言で、韓国労働者階級は革命を遂行できる潜在力をそなえており、この潜在力を現実化する、労働者階級に根をおろした革命運動を組織しぬくことが可能なだけでなく切実に要請されていることを双龍車闘争は明白に示してくれた。

(2)双龍車闘争が示した韓国労働運動の限界

●すでに資本家階級は政府を押し立て総力を傾けていた。政府は長期ストライキにともなう双龍車資本の損失の巨大な累積、政府の権威失墜、解雇問題の社会問題化にもかかわらず、全体資本家階級の強硬策を代弁した。金づるを握りしめて清算脅迫をした。これは協力会社労働者と、整理解雇名簿から除外されたいわゆる生き残った者たちの多数を使用者側経営陣の周囲に縛りつける役割をした。政府はチンピラガードマンらと合同作戦をしながらチンピラらを保護した。大規模警察兵力を動員して占拠ストライキの隊列を包囲した。資本主義のすべての核心統制機構―警察、検察、金、私設チンピラ、ブルジョアマスコミ、所有権―が総動員された。どんな負担を甘受しても、民主労組運動破壊という総資本の目的を達成するためにこの難関を正面突破するという彼らの意志は明らかだった

●双龍車闘争が展開した77日間,97年労働法改悪阻止闘争ゼネストに次ぐ総労働の団結闘争戦線の構築は死活的な課題になった。これは双龍車闘争の行方だけでなく韓国労働運動の去就まで左右するということだった。この大切で死活的な機会を民主労総と金属労組は吹き飛ばしてしまった。「公権力投入時、銃ゼネスト」という上層指導部の宣言、は総労働の断固たる闘争戦線建設を回避することためのアリバイ に過ぎなかった。結局「公権力投入」が目の前で明白に起きたが、彼らは何もできなかった。
これは突然起きた事態ではもちろんなかった。10年余りの間、闘争を回避し、ずっと妥協と譲歩に依存し、階級的連帯闘争を回避した多数労働組合指導者らの責任が大きい。民主労総は合法性を獲得し、金属労組は産別労組という大層な形式を取ったが、内容的には後退が生じたことがあらたえて明白にあらわれた。民主労総と金属労組指導者らだけでなく現代車をはじめとした大工場労組指導者らの背信が決定的だった。

●ある意味では、このような背信はかなり前から登場したことであり、十分に予想されたことだった。むしろ今回の双龍車闘争が暴露(?)したことは、上層労組指導者らの背信を突き抜けて、下から強力な連帯闘争の波を組織しなければならなかった先進活動家層のぜい弱性だ。金属労組の先進活動家らはゼネスト組織のための金属労組代議員大会対応、現場組合員連帯闘争署名、街頭闘争組織化など双龍車闘争に連帯するための多様な活動を展開した。しかしこのような活動は十分な規模で成し遂げられなかったし、現場組合員を連帯ストライキの場に呼び起こすにはあまりにもぜい弱なものだった。主導権は明白に金属労組と大工場労組の多数日和見主義指導者らの手中にあったのであり、先進活動家らにあるのではなかった。名分の優位は、疑うところがなく十分に持っていたが、この名分を現場大衆の中の連帯闘争として現実化させることができる能力と態勢、準備は非常に不足した。このような現場掌握力の不在は、単純に金属労組指導部を批判したからといって直ったり克服されることができる性質のものでは、もはやない。民主労組運動に代表される韓国労働運動はいまやその土台から完全に再組織されなければならないという事実を今回の双龍車闘争は示してくれた。

●総資本の攻勢の前に総労働の観点で決戦を担う態勢になっている労働運動の不在は、結局力強い決意で戦線を支えた双龍車労働者が総資本の攻勢に包囲されるのを許してしまった。政府を圧迫する力が労働運動にないことが確認された状況で、協力業者の労働者と、生き残った者らは、政府の脅迫に屈服しながら大部分が会社救済隊に編入された。この会社救済隊らは双龍車闘争の拡大を阻止したし、反対に孤立させるのに決定的な役割を果たした。さらにこれはピョンテクで労働運動が大衆的主導権を持って全地域的な大規模闘争を組織することができなくさせる客観的背景として作用した。
経済危機局面下で大量の失業問題が提起されている状況は、この失業者層と半失業者ら(非正規職労働者)、失業の恐怖に震えている広範囲な労働者の不満と怒り、不安を労働運動に昇華させることができる有力な土台を提供していた。双龍車攻防戦が社会問題化し、「経済危機の代価を誰が担うのか」という決定的テーマが投げられたが、このテーマをさらに全面的な社会的争点に拡大するためには、ゼネストと同じ決定的な一発が必要だった。労働者階級の世論形成、そして社会的争点形成は、威力的な労働者闘争の組織化を通じて、社会的勢力に浮上することによってのみ初めて可能になるためだ。ゼネスト闘争の挫折と、これにともなう双龍車労働者の孤立は、こうした決定的契機を吹き飛ばしてしまった。正確に言うと、制限的な水準に閉じ込めてしまった。

●ゼネスト闘争の挫折はイ・ミョンバク政府に対する闘争も挫折させた。もし全国的な双龍車連帯ゼネストが実現され、これが87年労働者大闘争のような労働者の爆発的な噴出につながるならば、イ・ミョンバク政府は一挙に植物政権に転落するであろうし、労働者は途方もない活力で労働者の民主主義を力強く前進させることが明らかだった。それこそ民主主義後退に対応する労働者の方式だ。しかしゼネスト闘争の挫折によってイ・ミョンバク政府は巨大な危機をまぬがれたし、むしろ結果的に双龍車労働者を力で鎮圧することによって政権の勢いと自信を強化する最小限の成果を上げた。この成果が双龍車闘争鎮圧過程で政府の暴力性と反労働者性を天下に暴露する代価を払って得られたものだとしても、そういう成果はある程度は客観的である。

●もちろんこのような限界から双龍車労働者が完全に自由だとは言えない。彼らの決断と英雄的献身をそのまま認めながらも、私たちは彼らこの完全に克服できない限界に対しても同志的に取り上げ論じることができる。非難するためにでなくさらに遠く前進するためにだ。いくつかの代表的なことを取り上げ論じれば次のようだ。
第一に、双龍車正規職組合員を闘争で団結させるのは相対的にやさしいこともあるが、今回のように総労働と総資本の代理戦を行うにははるかに大きい脈絡での事前準備が必要だった。まず双龍車内の全体労働者を団結させるために必要だった要素について検討してみよう。非正規職労働者との共闘を通した信頼蓄積、非正規職労働者と組織的に団結すること、非正規職闘争を正規職労組が先導するなどの一連の準備が必要だった。こういう準備作業が不足することによって実際双龍車闘争は「非正規職含む総雇用保障と一つのスト隊列形成」という大切な旗を力強く聞いたのに非正規職労働者の大衆的参加を引き出せなかった。
こういう弱点は協力業者労働者との関係でも適用することができる。事前に準備されなければならなかった協力業者労働者との共同の闘争と共同の組織(双龍車関連全体労働者の共闘委員会)建設は事実上試みられることができなかった。試みようとした時にはすでに状況がとても遅れてしまった。これらは双龍車闘争がピョンテク市民らの幅広い支持と連帯を引き出しながら、全地域的な闘争に拡張されないまま孤立されるように許した致命的な弱点だった。

●二番目、希望退職など敵の分裂策動に対処するうえで果敢でなかった。希望退職作戦が始まった時、ストライキ時点を操り上げながら、全体組合員をストライキ闘争へと結束した中で断固として対処しなければならなかった。そうしたとすれば「生き残った者」と「死んだ者」との分裂は最小化させることができた。闘争を通じて暖められた労働者の団結意識および、このことから拡大する勝利の自信が、分裂策動を阻止した可能性は充分だった。
ストライキ闘争に突入した後にも「ストライキ不参加組合員除名の試み」は骨身にしみた。労働者闘争の規律を捉えるのはもちろん死活的に重要だったが、この規律は労働者を最大限団結させようとする作業と並行されなければならなかった。幹部と代議員レベルでは規律を断固として執行するものの、組合員レベルでは明確に会社救済隊の行為を犯す組合員を除くあまり、不参加組合員を説得して同調勢力へと糾合しながらスト隊列に組織してゆく上でより慎重な接近が必要だった。

●三つ目。ストライキ初中盤には最小限民主労組に組織された労働者を双龍車に連帯する隊列に結集させる余地があった。ゼネストの雰囲気を下から形成してゆく積極的役割は充分に可能だったのであり、そうした権威が労働組合の間で蓄積されていた。整理解雇粉砕という双龍車労働者の闘争要求は、全ての民主労組組合員の最も重要な要求だったのであり、最も平凡な民主労組組合員であっても双龍車闘争に対する政府の対応は結局民主労組全体に対する構造調整攻撃を狙っていることを直感していたためだ。これを集めて、総労働の共同闘争戦線を組織しようとする試みを双龍車労働者が最初からしないわけではない。むしろその反対だ。後半部に行くほど双龍車労働者は、その決定的意味について知っていったし、それなりの努力をつくそうとした。しかしその時はだいぶ遅かった。

●他の一方で、如実にあらわれた政治運動の弱点についても取り上げ論じざるをえない。
民主労働党、進歩新党、進歩連帯、(資本の危機転嫁に対して戦う)共闘本部など色々な進歩政治勢力らが双龍車闘争に自ら連帯した。しかし「連帯」の水準であって、双龍車闘争およびゼネスト闘争を導いて勝利の道に案内する指導力を十分に発揮することはできなかった。連帯の場合にも、最後の4日間、連帯闘争に総力を傾けたが、その規模は状況を反転させるにははるかに足りなかった。はなはだしくは、鉄パイプと角材で武装した会社救済隊らに敵対する意欲を出すことができないほどの弱い水準に過ぎなかった。
このぜい弱性の前で改良主義政党らは国会議員らの仲裁団を構成して、交渉を仲裁することによって役割を果たそうとした。しかし「平和的解決」という制限された水準以上を跳び越えられなかったし、政府にある程度圧力を及ぼすにも成功することができなかった。結局、力と力が激突する局面で現場労働者大衆、最小限民主労組に組織された事業場の労働者大衆を連帯スト闘争の場へと引き出せる基盤と活動力を備えていない政治組織らのぜい弱性があらわれたと見なければならない。
(続く)

双龍自動車闘争の総括(社会主義労働者連合)その2

2009年11月18日 16時50分03秒 | 双龍自動車
『見よ、我が労働者がどれほど高くあるかを!―双龍自動車占拠スト77日の記録』

(社会主義労働者連合/2009年10月10日発行)より自動翻訳

5.総括(続き)

(3)ストライキ評価をめぐる諸争点

①争点1: 「共に生きよう」という要求

この要求は解釈が入り乱れていた要求だ。その範囲がどこまでかによって「戦線の編制」が変わり、「闘争の性格」も大きく影響されるためだ。
一部は「会社と労働者が共に生きよう」というようにこの要求を解釈した。それで双龍車再建と発展計画を提示しながら、譲歩交渉路線をとった。循環無給休職などの方式のほうが会社側の案よりも生産性増大にさらに効果的であることを説得しようとしながら、妥協を要求した。これは非常にロマンチックな発想であるだけでなく、闘争隊列に混乱を招いた。
資本家らは短期的利益よりも長期的利益を優先する。ストライキにともなう当面するより大きい損失を甘受してでも、構造調整の障害物の民主労組を破壊するのに無限に高い価値を付与する。その上、今回の双龍車問題の鍵を握っている政府は、徹底的に総資本の観点を代弁した。「民主労組運動に見せしめを示す」ということが彼らの第一の目標であった。こういう状況で譲歩を乞い願い、資本と一緒に生きるという路線は、刃物を持った強盗に背を見せることも同じだ。実際に政府と資本は「循環無給休職提案は良い提案だ。しかしそのように会社再建の意志を持っているならば整理解雇を受け入れなければならない。それでこそ債権団の心を動かし、資金支援を引き出すことができる」と対応した。結局それは「危機の責任を誰が負うのか? 資本家でなければ労働者か?」という絶体絶命の社会的テーマをうすめたし、敵の主導権を強化させた。
「共に生きよう」という要求は「労働者階級が共に生きよう」という階級的観点に立つ時だけ有効性を獲得することができる。非正規職労働者と部品会社の労働者を包括し、自動車産業労働者全体、ひいては全国の労働者大衆を包括する観点において提示される「共に生きよう」だけが有効だ。評価の方向は、このような労働者階級団結路線を表現する「非正規職を含む総雇用保障」要求を発展させるのだ。部品会社と非正規職を包括する共闘戦線をどのように組織していくのか、そして自動車産業労働者共闘、全国ゼネスト闘争をどのように組織していくべきか、に評価は正確に合わされなければならない。
その点で「公企業化要求、そして構造調整を前提にしないで労働者賃金と雇用のために使われる公的資金の投入要求」を「自動車産業全般の国有化と労働者による産業統制、労働者政府樹立」の要求へと昇華発展させる政治的展望が模索されなければならない。

②争点2: 強硬闘争一辺倒が問題だという指摘

民主労総イム・ソンギュ委員長はインタビューで「政府や資本を相手にした闘争方式も、例をあげればロシアやキューバ革命のように暴力を動員して政権をひっくり返すという社会的な雰囲気でなければ、資本主義構造を認めるのか否か、ここから整理しなければならない。労働組合は組合として自分の任務に忠実でなければならない。政府でも資本でも交渉が重要だ。民主労総が無条件に強硬闘争しかしないと見られているが、労働運動も変身しなければならない」と主張した。
これは、資本主義を受け入れながら、譲歩交渉中心に労働運動を飼い慣らそうとする一部労働組合指導者らの見解を端的に表わすものだ。こういう見解は双龍車連帯ゼネストのような決定的な闘争が組織されることができない理由、そして双龍車労働者の闘争を途中でかく乱した交渉主義の断面を見せる。
交渉は力関係を単純に反映するものだ。交渉が不必要だという意味ではない。資本家らの所有権を社会的所有に変えるまでやむをえず交渉を通した妥協は必要だろう。しかしこれが闘争の代わりに交渉中心に労働運動を再編しなければならないという主張ならばあきれるのである。資本家階級の力と労働者階級の力はひたすら闘争を通してのみ確認され、この闘争を通じて確認された力関係を最終反映するのが交渉であるにすぎない。特に重要な事実は、労働者は闘争の過程でのみ力と意識を育てることができるということだ。そしてこの力と意識なしに労働者は自身の運命を切り開いていく手段はない。それゆえ、闘争を回避する交渉中心の路線は災難しか招かない。今回の双龍車闘争の弱点は「強硬一辺倒」にあったのではない。さらに力強い強硬路線を推進することによってさらに威力的な闘争力を発揮できなかったということが評価の要諦にならなければならない。
逆説的に、彼らは交渉をそのように活用した。予想よりストライキ隊列がかたく持ちこたえるやストライキ労働者の中に潜むエネルギーと力がどの程度なのか測るために、彼らは局面ごとに交渉と対話の窓口を開いた。この程度突いてみれば倒れるか、あの程度提示すれば分裂させることができるのではないか時々刻々測ってみながらだ。双龍車占拠ストライキ労働者が資本の計略にだまされてしまわず、交渉で崩れなければ、その時ごとに力で制圧するために強力な弾圧と攻撃がこの後に続いた。もう一度「交渉は力関係を反映する!」 労働者階級闘争の力を建設すること、まさにそれが全てのものを決める。交渉は闘争の力が与える影にすぎない。

③争点3: 敗北した闘争か?

民主労総イム・ソンギュ委員長は今回の闘争は敗北した闘争であり、「労組は損害をこうむった。労組が当初使用側の案よりも後退した案を受け入れるほかはなかったという点を勘案しても、戦略と戦術のミスと思われる」と主張する。これは民主労組運動のトップに、大切な闘争の意義と成果を否定する背信者が座っていることを示すものだ。今回の闘争はその結果だけをもって見る時、勝利した闘争と言うことは難しい。整理解雇を完全粉砕できなかったためだ。また連帯ゼネストを組織やり遂げることもできなかったためだ。
それでも今回の闘争が完全な敗北と記録されないことがあるのは、双龍車労働者が英雄的に闘ったし、そうして完全降伏を阻止して労働運動が進む方向―より命がけで、より連帯的な闘争―を見せたためだ。また、命がけで闘ったことで、それだけ以後の整理解雇を粉砕して現場を再掌握する可能性を獲得したためだ。もし闘争を持続できる最大限りの闘争を押し進めることができなかったとすれば、労働者の敗北意識と士気低下はより大きかっただろう。反面、敵はさらに勢いを増して双龍車でもその他の事業場でもさらに荒々しく押し通しただろう。合意書は力関係を反映するだけで、闘わなかった労働者が得る合意書というのは抜け殻にすぎない。そのように闘って勝ち取った合意書さえ紙切れいしている双龍車資本ではないのか?

④争点4: 工場占拠ストライキは誤った戦術か?

産業労働政策研究所の副所長イジョンタク氏は「ある事業場に対する闘争とそれに対する連帯を通じて、資本と政権に対抗する総労働の対資本戦線を形成しようとする発想は非常に純真だ」と主張する。
最近討論会で彼は「双龍車支部が闘争の拠点をピョンテクに限定して玉砕ストライキを選択する中で、対政府社会闘争の動力が急激に落ちた」としながら「企業の垣根を越えて、イデオロギー闘争と政策提示、社会的世論化が必要な状況にあって、玉砕よりも街頭と地域をさらに重視する戦術を選択しなければならない」と評価した。
単一事業所内の闘争と、それに対する連帯を通じて総労働の戦線が無条件に建設されるわけではもちろんない。だが双龍車闘争はブルジョアマスコミですら認めるように、すでに単一事業場闘争を越えて、総資本と総労働の代理戦としての地位を与えられた。また双龍車闘争の要求である「整理解雇粉砕と非正規職の雇用保障、労働組合死守」は現在の経済危機局面ですべての労働者の要求を代弁するものだった。当然これに対する連帯は総労働の戦線建設を意味せざるをえない。
検討しなければならない点は、このような総労働の戦線が十分に強力に建設されなかったという弱点であり、それを克服する方法だ。
そうではなく、双龍車闘争と連帯網建設の価値を展開すること低めながら、いわゆる社会連帯戦略の延長線で譲歩と妥協を代案として提示するのは非常に純真で非現実的である。
「社会的世論化」と「イデオロギー闘争、政策提示」も、双龍車闘争が工場を占拠し、強力な闘争を展開してはじめて可能だった。この闘争なしでなされる社会的世論化やイデオロギー闘争は、小規模討論会や民衆メディアの、制限された広報レベルに留まっただろう。労働大衆は単純な政策提示に呼応しない。その政策が労働者の団結と闘争力によって裏付けられる時だけ関心を見せて呼応する。工場占拠闘争を通じてはじめて「解雇問題と経済危機の責任問題」は社会問題になった。この工場占拠闘争を省略してソウルでの対市民宣伝戦や集会程度に留まったと仮定してみよ。今の水準のイデオロギー闘争と社会問題化の100分の1も不可能だっただろう。

⑤争点5: 双龍車労働者弾圧に対する解決法―大妥協精神の継承か?

闘争路線に事実上反対する彼らは、現在無差別的に行われているストライキ労働者弾圧と労組破壊策動に対して「大妥協精神継承」を叫んでいる。「暴力衝突を避けて合意に到達した大妥協精神を生き返らせることが現事態の解決法」というのだ。
だが双龍車合意文は「大妥協精神」とは全く関係がないものだ。重武装した数千の警察兵力と特攻隊、チンピラガードマンを動員して、塗装工場を包囲して、車体屋上戦闘で労働者を殺人的に鎮圧する中で、その上、強制鎮圧により予告される火災によって、ストライキ労働者の命が脅かされる状況で作成された合意書は乙巳条約のように「銃剣で強要された合意書」に過ぎない。占拠ストライキに最後まで参加した双龍車労働者の中の誰もが、この合意書を受け入れながらも「大妥協精神」を感じる人は誰もいないだろう。平和的解決? いったい水と電気・ガスと医療スタッフまで遮断されたまま警察特攻隊と会社救済隊の殺人的弾圧を体のみで耐え忍ばなければならなかった双龍車労働者の闘争において、誰があえて平和を論じることができるのか? 
このように資本と政府が労働者を敵にまわしている状況で、解決策は労働者の闘争力を残らず動員して、力で反撃を組織することだ。確かに力関係が不利になることによって合意書に印鑑を押すほかはなかったが、双龍車労働者が77日闘争を通じて立証した精神は、まさにそういう闘争情神だ。「大妥協精神継承」を解決法として提起する金属労組と民主労総の一部指導者らの態度は、双龍車闘争の精神を正反対のものにわい曲するものであり、弾圧を突き抜けるための断固たる闘争を回避するものだ。解決法は明らかだ。「大妥協精神の継承」でなく「双龍車労働者の命を賭けた闘争精神の継承」だ。

(4)先進労働者闘士らの課題

●まず双龍車労働者の戦闘的闘争を擁護しなければならない。「過度な闘争繋だった」、「大妥協精神継承」など、双龍車労働者の闘争をさげすんだり、以後の闘争方向をわい曲するすべての主張に対抗して、双龍車労働者の戦闘的闘争路線を擁護することは、すべての先進的闘士らの第一の義務だ。交渉主義と譲歩路線に対し先進的闘士らがイデオロギー闘争を拡大しなければならない。
このために先進労働者闘士らは双龍車闘争で広がった過程全体を正しく理解して、学習し、討論し、学ぼうとする姿勢をもたなければならない。金科玉条のようにいくつかの原則と命題を学ぶのではなく、この原則と命題は大体そうなのではなく、なぜ必ずそうなのか、なぜそのように死活的な重要性を持つのかを常に問い返してみる習慣を身につけなければならない。双龍車闘争の全過程で占拠ストライキ組合員は、展開されるすべての事件の中で「何をなすべきか」を常に考え、原則を新たに学んでいった。経済恐慌の時代に資本の危機転嫁に立ち向かうためには双龍車闘争の水準を超える巨大な闘いが必要だという点に同意するのなら、先進労働者闘士らは双龍車労働者が闘争の全過程で考え抜いたことを持続的にかみしめ、その過程で新たに学ぶことになった原則を現実に結びつけるための努力を怠ってはいけない。

●工場占拠ストライキのような労働者の力を全面的に発揮できる闘争戦術を、労働運動の中で普遍化すべき必要性を今度の双龍車闘争は雄弁に物語った。占拠ストという切り開かれた空間において初めて一般組合員の自発性とダイナミズムは全面化することができた。革命の主人公である労働者の潜在力があらわれるのも、占拠ストライキのような果敢で全面的な闘争戦術と切り離しては語れない。
 次に、日常期に形成された労働組合の体系を乗り越えるスト委員会の思想を普遍化する必要がある。
日常期の労働組合体系は争議対策委の体系に転換したとしても、交渉中心に運営されてきた限界を完全に脱皮するのは難しい。また一般組合員のダイナミズムと戦闘的活力を十分に反映することはできない。非闘争期の組合員の感情や、交渉中心の活動パターンに慣れているためだ。したがって、工場占拠ストのような決死の闘争局面においては、日常期の労働組合の体系を乗り越え、スト組合員の能動的参加と下からの闘争意志を表現するストライキ委員会型の新しい闘争機構を土台に労働組合が機能しなければならない。
今回の双龍車闘争において下から誕生した分任組のように、一般組合員の主導性と闘争力を表現し、彼らの闘争意志と決定権を、余すことなく反映する新しい一般組合員代表を形成し、彼らの主導力を強化することは、闘争を前進させる鍵だという事実が示された。

●必要な時期に真の連帯ゼネストの旗を掲げるためには労働者階級の観点で見て闘える運動の気風を現場で日常的に強化することが必ず必要だという点を今回の双龍車闘争は示してくれた。組合主義に対抗して闘いながら、労働者階級全体の観点で日常的に宣伝・扇動し、闘争と組織を現場で不断に建設していく活動家層が厚くならなければならない。この活動家層は、労働組合の幹部職をひきうけるかとは関係なく、一般組合員の中で労働者階級の観点を拡大することに全力を投球しなければならない。すべての政治組織は、このような現場活動家層を養成し、これらの大衆的現場実践を導く政治部隊として位置付けなければならない。
階級的実践は次の具体的項目を含まなければならないだろう。非正規職と正規職の共同組織を樹立すること(たとえば単一事業場別に一つの労働組合に実質的で統合するために努力すること、統合されなかった条件の中でも非正規職・正規職間の共闘組織のための機構を建設すること)、共闘組織化に乗り出すこと。ひいては部品会社、協力業者をはじめとする産業別共闘と産業別共同要求を普遍化させなければならない。産別労組形式に労働者団結闘争を委ねるのでなく先進活動家らの現場掌握力を拡大して、労働大衆の連帯意識と政治意識を高揚することによってのみ労働者階級の団結がはじめて体系的に前進しうることは、今回の双龍車闘争を通じて私たちが共有しなければならない核心教訓に違いない。民主労総と金属労組の形式的体系に依存する活動ではそれを達成できず、せいぜい民主労総と金属労組指導部に対して「何々ができなかった」と批判する戦闘的アウトサイダーの役割以上にしかならないことが立証されたからだ。
労働組合の大多数指導部の官僚化、そしてこれら中に蔓延する組合主義の傾向を考慮する時、一般組合員の中で独自的政治活動を強化するのは一層重要になっている。先進労働者闘士らが労働組合の公式指導者らの後に隠れるのではなく、自ら主体になって、現場労働者を政治的に組織し導く作業に果敢に乗り出さなければならない。

●今回の双龍車闘争で登場した「公企業化、労働者の雇用と賃金のため公的資金投入」要求を発展的に昇華させ、「自動車産業国有化、労働者による産業統制」のような労働者階級全体を統一団結させて革命的方向に移動させられる政治的要求も普遍化させなければならない。ひいては「資本家政府を労働者政府に変える革命的政治闘争」の勢いを高めなければならない。反動資本家政府に対抗した威力的な政治闘争戦線を建設しぬくことができないならば、どんなに命がけの闘争も結局勝利を握ることができないという点は、今回の双龍車闘争だけでなく、すべての労働者闘争の決定的局面ごとに繰り返し確認されてきたことだ。生存権をかけた労働者の戦闘的闘争を、根本的な解決策に向かった体系的な政治闘争に導くための全面的な現場政治活動に至急着手しなければならない。

●双龍車闘争は、全面的な階級闘争が展開される時、これ以上資本主義に閉じ込められては勝利できないないことをあらためて示してくれた。政府と工場機械など生産手段を誰が運営して統制するのかを正面から問い、こうした革命的で根本的な問題意識のもとに労働者階級全体を単一の闘争戦線に結合させることができる全国的運動が組織されてこそ勝利を握ることができる。労働者階級全体を代弁して革命的政治に立脚し、下から現場政治活動を展開する新しい活動家層を労働組合の中で養成するのは、そのため最も決定的な推進力だ。ひいてはこのような成果を現場の先進労働者闘士らに基礎をおいた革命的労働者政党結成運動に昇華させていかなければならない!

●双龍車闘争は完全な正解を示したわけではもちろんない。しかしこの点は明らかだ。双龍車労働者は、全てをかけた闘争を通じて、すべての労働者闘士がいかなる方向に、いかなる精神で進まなければならないのかを示してくれた。さしあたり勝利できなかったが、まさにそれを通じて、勝利のためには全労働者階級が何をさらに準備して、どんな病原菌をえぐり取るべきであり、どんな弱点を克服していかなければならないのかを提示してくれた。韓国労働者階級が、労働者の切迫した生存権を守り、労働運動の陣地を死守しながら、ひいては労働者階級の完全な解放という偉大な日々を切り開くのはまさにこの双龍車闘争から学び、この闘争の精神を防御することを通じてはじめて可能になる。社会主義労働者連合もまた学ぶだろう。それでさらに強く献身的な闘士組織に生まれ変わるだろう。
私たちの最後の言葉はこうだ。「双龍車同志たち、あなた方は正しかった。あなた方が提示した道に沿って私たちもまた前進するでしょう。労働解放の一筋で同志らと肩を組んで共に学びながら必ず勝利するでしょう。双龍車闘争万歳!!
(了)



われわれは双龍自動車闘争から学びました

2009年09月11日 17時48分21秒 | 双龍自動車
われわれは双龍自動車闘争から学びました
今日も整理解雇撤廃闘争に

キムテソク

メディア忠清 09年9月8日

 俺は整理解雇労働者だ。ティムチェというキムチ冷蔵庫、ウィニア・エアコンを作るウィニアマンド(万都)からリストラされた解雇労働者だ。「寡婦のつらさはやもめが知り、やもめの事情は寡婦が知る」と整理解雇されてみると、しかたなく工場から追い出される労働者たちの胸の内がわかるようだ。
 双龍自動車の労働者たちがなぜ塗装班の屋上で「対話しないのなら、いっそ殺せ!」と叫ばざるを得なかったのか、「共に生きよう」という彼らの絶叫がどれほど切々たるものだったのか今はわかる。かんかん照りと催涙液爆弾、ヘリの騒音、昼夜を分かたぬ会社側のパチンコ攻撃…。そんなものより双龍自動車の労働者を苦しめ、追いつめたのは何だったのか、わかるようだ。
 数ヶ月前に整理解雇された労働者として、双龍自動車の闘争を見守りながら玉砕ストが終わるまで、たくさんの涙を流した。彼らがあれほど渇望した連帯闘争が実現しなかったくやしさに泣き、「共に生きよう」という素朴な願いを守るために命をかけなければならない残酷な現実が辛くて泣いた。ついに生存権を死守できなかった無念さに、同じ解雇者でありながら、ともに命をかけられなかった罪責感にまた泣いた。解雇者として生き、苦しむ家族と双龍自動車同志たちの辛い生き方こそ私の生き方だから…
 当初の双龍自動車闘争に対する懸念と批判的な見方を克服し、77日間行われた双龍自動車闘争は、私をはじめ多くの労働者に、連帯の必要性、労働者が守るべき階級性、民主労総に対する自己反省、資本主義下の労働者の苦痛など、多くの反省と覚醒を胸深く刻みつけた闘いだった。
 双龍自動車の闘いがなかったら、その闘いから労働者の生き方を学べなかったら、果たして俺はウィニアマンドの整理解雇者として今のように復職闘争をやれたであろうか。自らに問うてみる。
 「希望退職」という名で、闘うことなしに大量解雇に合意していたなら、俺のような多くの労働者を自覚させなかったなら、ウィニアマンド整理解雇者たちの闘争は今のように続いていただろうか。労働者連帯の必要をはっきりわかっていながら共に命をかけられず恥ずかしい思いをしているわれわれに、双龍自動車の同志たちは「自覚と闘争」という贈りものをくれた。本当に感謝すべきことだ。
 ウィニアマンドの「整理解雇者」と、整理解雇の前に去っていった「希望退職者」は、ひと月に一度顔を合わせる。同じ時期の、異なる方式の解雇だったが、失業給与の受給日に互いに顔を合わせる。「とことん闘って必ず勝利しろ」という希望退職者たちの悔恨をあとに、われわれは今日も整理解雇撤廃闘争を続けている。双龍自動車闘争を胸に、復職闘争を続けている。
(キムテソク氏はウィニアマンド整理解雇労働者)