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韓国労働運動情報

民主労総はじめとした韓国労働運動関連記事の翻訳

パクユギ前現代自動車労組委員長救済運動を始めた理由

2009年08月12日 14時37分51秒 | 民主労総の危機
「現場をまるごと資本に明け渡すことはできない」
[寄稿]パク・ユギ前現代自動車労組委員長救済運動を始めた理由

キム・ホギュ(金属労組現代自動車支部組合員)
民衆言論「チャムセサン」2009年07月24日付

 KT労組が民主労総から脱退した原因はどこにあるのか? 断言するが、現場が死んだからであり、これを克服する試みも現場弾圧に暴力的に遮られているためだ。実に悲劇的で悲しい労組運動の現状だ。では次はどこか? 誰も言い出せなかったが、最も威力ある餌食は、誰が見ても現代自動車だ。産業的位置においても、垂直系列化さた企業関係においても、望もうが望むまいが、正しくても正しくなくても、現代自動車は労働運動の自然なキーワードだ。現代自動車の健全な活動家の現場活動が暴力的かつ全面的に阻まれる瞬間を想像すると恐ろしい。

 ヤン・ボンスからリュ・ギヒョクまで

 95年にこんなことがあった。会社の合意事項不履行に対しラインを停止させた時に代議員だったヤン・ボンス。これを理由に解雇された彼は、労働委に不当解雇無効確認訴訟を提起した。法的な訴訟の間は組合員資格が維持されるにもかかわらず、会社は労使交渉の場に代議員の資格で現れたヤン・ボンスを、警備を動員して正門外に放り出すという暴力を行使した。それを「わざと」傍観した当時の労組執行部。その年の5月、ヤンボンスは自らの身に火を放ち烈士となった。彼の怒りは労組執行部の「御用性」に向かっていた。会社はそもそもそういうものだからだ。

 ちょうど10年後の2005年、現代自動車社内下請の労働者が、業者から一方的に解雇された。「月次休暇も使わせない。どうすればいいのか」と労組の門を叩いたリュギヒョク。彼はその年の6月に解雇を通報され、ひょっとしたらと思って申請した再審においても解雇になった。結局彼は、その年の9月、労組事務所の屋上で首を吊って自決した。そして烈士闘争が本格化する。その時、現代自動車労組の執行部はリュギヒョク「烈士ではない」と断定した。烈士かどうかの論争が重要なのではない。だがその時から、烈士闘争に連帯した人々の怒りは、会社ではなくて現代自動車労組側に向かった。やはり、会社はもともとそういうものだから。

誰がパクユギの労組懲戒を主導したのか

 7月20日、現代自動車蔚山工場の活動家パクユギが金属労組現代自動車支部から権利停止1年という重い懲戒を受けた。「あなたはこれから1年間、組合員としての権利がない」という決定だ。どんな悪いことをしたのか? それよりもまず、その懲戒決定の採決の際に「賛成」した人々を探してみよう。前述のヤンボンス烈士を誕生(?)させた当時の労組執行部の人間も入っている。リュギヒョク烈士闘争に冷水を浴びせた「烈士ではない」論争を触発した当時の労組執行部側の人間も多い。一時、会社労務チームの法規部所属だった人間もいる。こうした人々が多数を占める中で採決によって決めた「パクユギ1年権利停止」の決定を裏で操縦した人がいるかどうかは、この文を読む読者の想像力に任せる。

 今回の懲戒の発端は2006年にさかのぼる。組合費で労組創立記念品を組合員に配り、これが問題を引き起こした。記念品に「不良」が多く、納品した業者への不信がつのった。結局その業者は途中で不渡りを出し、労組の保証を信じてその業者に数億の金を借した銀行は損害を受けた。このことを理由に、当時、業者選定と銀行融資のための労組保証を主導した労組総務室長と業者社長が拘束された。事件がこれほどになると、保守メディアや捜査当局は、労組執行部が組織的にかかわり、何か利益をあげようとしたかも知れないという疑惑を振りまくものだ。それが民主労組の芽を摘もうとする人々の本分だからだ。しかし誰もが潔白だった。裁判所すら「労組総務室長の代表者が直接不法行為を行ったことはない」と公開で判示した。当時の事件を要約すれば、これで終わりだ。

3年たった事件で重懲戒

 しかし、当時パクユギは労組の代表者だった。労組の代表者は労組執行幹部の任命権と管理監督の責任がある。特に、どんなささいなことでも、組合員をして労組の信頼を裏切るようなこと起こさせない無限責任者でもある。それを誰よりもよく知るパクユギは、当時「不正執行部」という汚名を自ら引き受け、中途辞任の道を選んだ。それが良いか悪いか以前に、労組代表者が持つべき責任感だからだ。労組の代表は「権力」ではなく「無限責任の役職」だからだ。すると会社は、出すと合意した成果金50%を、ピンハネすると挑発した。まるで労組委員長の席があくのを待ってましたと言わんばかりに。これに対しパクユギは代議員大会の場で「辞任を宣言したが、私が全ての責任を取る」と述べ、全員一致でストライキを率いて会社の降伏を引き出したのち、収監される境遇を選んだ。2006年末、非正規法改悪阻止に向けた12回の民主労総ストライキ指令をすべて遂行したという罪名も甘受した。出獄後、彼は現場組合員とともに平凡に出退勤を繰り返し、働いている。

 ところが最近、3年が経過した事件でパクユギが権利停止1年という重懲戒を受けた。なぜか? 表面上は、最近の最高裁判決が理由だ。当時、労組の保証を信じて業者金を貸した銀行に対し、その保証人になった労組が金を返済しなければならないという判決があった。その判決をそのまま履行する方法をとって裁判所は、労組の組合費の中から、銀行が失った分を支払い、その分は、不法行為者に「求償権」を請求して取り戻せばよいという親切な説明までした。法的手続きは、このように単純だ。ところがこの単純な部分にも「見えざる手」が介入する。6月に現代自動車支部は代議員大会を開催し、単なる法的処理の過程すら票決で黙殺した。当時、労組の役員が銀行が踏み倒された金をすべて返済し、当時委員長だったパクユギを懲戒しようと言いだしたのだ。その代議員大会は、サンヨン自動車闘争に対する連帯ストライキ案を体よく否決した大会でもあった。そうして出されたのが、20日に行われた重懲戒だ。すべての過程は「票決」で進められた。

これは政派の問題ではない

 もちろんパクユギは普通の組合員ではない。今年の2月、彼は〈全国現場労働者の会〉という全国現場組織の結成を主導し、その組織の代表になった。千人にのぼる会員が「政派間の対立の弊害が激しいのに、なぜ組織か」とためらうのを説得した。張り子の虎になりつつある産別労組、3年の間、失敗を繰り返し、ずるずると資本の言いなりになる金属労組を見て、「執行部のせい」と非難するだけでは無責任だと主張したのがパクユギだ。誰が労働組合の執行部かが重要なのではなく、現場がしっかりしなければならないということだった。21世紀版の「現場派」を自任した彼は、その対称点にいる誰かにとっては、きっと「邪魔な人」だっただろう。巨大産別労組の執行部がどんなに「反政府闘争」を叫んでも、現場は少しも動かないそんな時代にあって、現場を再組織しようとすることこそ、反対側にいる者たちを刺激する。ここで言う「反対側」とは、特定の政派を指す言葉ではないことを明確にしておく。この問題は決して政派的な問題でないからだ。

 最近、KT労組の脱退について書かれたものの中で目を引く文章を発見した。「政派が KT御用労組を育てた」というタイトルがつけられた、KT労組内部のある活動家の文章だ。対立政派の成長を警戒する政派的「本能」によって、政派的な問題ではない本質的な問題をめぐって政派的な利害を追求する、そんな実態を批判する意見として読んだ。当面の利害に左右されて現場をまるごと資本に明け渡してしまった例は、今この瞬間にも起きているのに、人は経験だけで認識するため、最後まで行きついて、やっと後悔する。

第2のKT労組を作らないために

だから私はパクユギ救済運動(?)を始めた。組合員大衆の大々的な署名運動を主導することにしたのだ。問題の解決は、民主労組運動の対称点にいる者たち、またはその間でセクト的な利害を追求する者たちとの間で秘密裏に取り引きしたり妥協したりすれば済む話ではない。広範な組合員大衆との直接大衆政治が必要だ。広範な組合員の力を示すための企てだけが唯一の道だという真理は、労組運動の初めに習った「教科書」だが、われわれはなぜそれを覚えていなかったのか? パクユギの不当な懲戒を撤回させるのは、パクユギ個人の問題をはるかに越えた根源的な問題だと組合員に訴え、支持を引き出すときだ。第2、第3の現代重工業と KT労組を作らないために。パクユギという労働活動家の懲戒に潜む隠微な背景と、隠れた真意を、賢明な組合員大衆が真っ先に判断してくれると信じて疑わない。誰もが否決されると思った2006年産別転換を躍動的に成功させた組合員大衆の中に道があるのではないか。

 最後にエピソードを一つ。パクユギが労組の事務局長だった時の話だ。当時、労組による就職不正が流行し、民主労総はそれだけでも道徳的な打撃を受けた。保守メディアと捜査当局は、当然、現代自動車労組に注目した。そして当時、パクユギ夫人の個人通帳に巨額の出し入れがあった痕跡を発見し、地域新聞は大々的に報じた。どうなったか? 組合費仮差押さえが流行した時(今でも横行しているが)、それを避けるため、労組監査委員会の承認のもとにパクユギ夫人の通帳に組合費をしばらく預け置き、その結果を包み隠さず組合員に公開したという事実を発見した捜査当局と保守メディアは、その後、鳴りをひそめた。ハプニングに終わった事件だ。民主労組に致命傷を与えようと彼らが日夜血眼になっていることを、是非とも思い起こしてもらいたい。

御用KT労組の脱退は、禍転じて福となすチャンス

2009年08月12日 12時36分29秒 | 民主労総の危機
御用KT労組の脱退は、禍転じて福となすチャンス
[寄稿]保守化と御用化とを区分できない民主労総の誤り

イ・ヘグァン(KT労働者)
民衆言論「チャムセサン」2009年07月20日付

 KT〔旧韓国通信〕労組が民主労総を脱退した。それも95%の圧倒的賛成で。保守メディアは歓迎一色だ。妄言専門家の金東吉は「民主党はKT労組を見習え」と一喝した。だが知る人ぞ知る、KT労組がはるか以前から完全に崩れていたということを。結局は民主労総を失脚させることを目的にイミョンバク政権が時を選んだだけのことであり、KT労組の脱退それ自体は民主労総にとって重大な問題とはならない。ところが、さらによく知る者(?)は、こう話す。「程度の差はあれ、他の大企業労組もあまり変わらない」と。そのためか、保守メディアの関心は断然、脱退ドミノが起きないかという期待まじりの観測だった。

 したがって、KT労組の脱退について、われわれはもっと根源的に考えることが必要だ。いくら時期的に民主主義が後退し、ファシズムの暗い影が復活していると言っても、いくら金をもらって客を泊めたとしても、KT労組の脱退を、民主労総を失脚させるための「政権次元の工作」という観点からだけ見てはならない。まさにその主体である労働者の視点が抜け落ちた観点はあまりにも悲しいことではないか!

 ほとんどの活動家が指摘するように、韓国の大企業正規職労働者は、90年代中盤を経て、特にIMF経済危機を経て保守化した。その原因は、正規職労働者が経済的に中産層入りに成功したことによる客観的理由によるものでなければ、運動の改良化による主体的な要因にもとづくものでもなく、明らかなことは、保守化が或る程度進展していたという点だ。資本の新自由主義構造調整攻撃は、大企業の労働者にとって、今の状態を維持することを中心とする労働運動、つまり「構造調整反対」のような保守的〔現状維持的〕観点を強化する一方、世界化による無限競争の中で、企業レベルの協力主義を通じて、グローバル競争力をつけて生き残ろうという協力主義路線、さらには完全に現場が崩れた事業場を中心として、露骨な御用労組の跋扈まで現れはじめた。

 ところが民主労総は、この御用化と保守化とを区分できなかった。いわゆる「国民派」と呼ばれる潮流は、KT労組を単に「保守化した集団」程度に把握した。「連盟費を払い続ければ民主労総の立派な構成員ではないか」という、非常に安易な認識のもとで、御用KT労組の、途方もない議決定足数を活用し、民主労総執行権の掌握に動員して何の恥じらいもなかった。闘争闘争で連盟費も出せない非正規職労組の議決権については制限し、民主労総の指針をただの一度も実践したことのないKT労組に対しては何の議決権制限もしなかった。その上、御用KT労組を民主労総から除名するよう主張したという理由で、KT労組が筆者を除名した際、当時のチョジュノ民主労総委員長が「KT労組を除名すべきだとすれば民主労総に残る労組はない』とまで言った記憶が今も生々しい。

 保守化と御用化とは全く違う。誰かに「KT労組員は保守化したか」と聞かれたら、私の答えは「そうだ!」だ。チョジュノ元民主労総委員長の指摘どおり、保守化を理由に民主労総からKT労組を除名すべきだとすれば、多くの大工場労働組合が除名されなければならないかもしれない。しかしKT労組は単に組合員が保守化したのではない。徹底的に御用化した労組だった。民主労組の基準だという自主性、民主性、連帯性――そのどれも見あたらない。

 自主性は全くない。すべての労組活動が会社の思うままにされている。その上、民主労総の選挙さえ、会社の労使協力チームの職員が査察し、摘発されるなどしたではないか! 民主性は完全にゼロだ。自由党の時に横行した公開投票はもちろん、開票操作まで日常茶飯事だ。連帯性に至っては何をか言わんやである! 最初の非正規職労働者闘争だった韓国通信契約職労働者の闘争を、最後まで無視したのが御用韓国通信労組ではなかったか!

 労働者がいつも進歩的であれば労働運動は不要かもしれない。労働者も時には保守的になることもあるではないか! 誰も今の韓国正規職労働者の相対的な保守化を否定しはしない。しかしそれでも、すべての労組が御用化したわけでは決してない! 保守と御用は別ものだ。問題は、御用化を保守化と装う、そんな政派的観点が、結局はKTの民主労総脱退を政権による工作と規定し、御用KT労組に脱退しないよう要求する苦しい状況を演出しているのだ。

 今や白黒はっきりした。もちろん民主労総が経る困難は今後も多いだろう。しかし御用KT労組の脱退は、長期的には民主労総にとって害にはならないだろう。世界経済危機の中で、そしてイミョンバク政権のもとで、保守化した労働運動の流れは、もはや通用しないだろう。80年代のような労働の大攻勢への転換は、さらに長い時間を要するだろうが、少なくともKT労組のようにはっきりと御用化した組織でなければ、どんなレベルであれ抵抗しないわけにはいかないのが今の現実ではないか!

 そうした面で、KT労組の脱退を、民主労総が「禍転じて福となす」チャンスととらえる自信を持ってほしい。わずかだが、KTにはまだ運動的に闘う仲間たちがいることを思い出そう。筆者は今でも信じている。保守化しても、適切なチャンスがあれば、KT労働者が95年に世の中を揺さぶったその勢いで、自分の胸の中に積もった怒りを解き放つ日が来るだろう。

20才の全教組、古い理念集団?

2009年03月18日 11時51分27秒 | 民主労総の危機
20才の全教組、古い理念集団?
進歩評論39号(2009年春号)が全教組20周年特集

チャムセサン09年3月11日付

 20周年を迎える全国教職員労働組合(全教組)が危機にある。右からは過度な全教組叩き、内部では政派対立の深まりと内部結集力の弱まり、この4年間に約1万6千人の組合離脱により現状維持すら難しい。一部の地域は支部長選挙の候補者選びすら不可能だ。その上、時代に取り残された古い理念集団のようなイメージを被されている。
 プンソン中学校のクォンジェウォン教師が「全教組20年」を特集した『進歩評論39号』(2009年春号)に寄せた文章、「危機の全教組とその希望の芽:内部からの挑戦」の中で試みた診断だ。
 組織運動を診断する場合、様々な視点と方法があるだろうが、クォンジェウォン教師は、危機の全教組を眺め、「無責任なイデオロギー攻撃である『初心論』」ではなく、「全教組が進歩陣営の中心に立つために、まず自ら進歩すべき」という趣旨でその可能性を提起する。
 クォンジェウォン教師は、全教組の危機を△政派エリート主義と組織結集力の低下、△民主集中制に起因する組織の非効率的運営、△代案の不在、△教員専門性の不在などと要約する。
 クォンジェウォン教師は特に「代案の不在――古い運動圏理念の影」の中で、教育運動団体が百年の計を提示できないことは致命的だと指摘する。そしてその原因を古い運動圏の理念に求める。運動圏の理念が、単に運動圏にとってなじみ深い理念に過ぎず、全く進歩的でないという説明だ。
 クォンジェウォン教師は、全教組は旧社会主義圏の没落が表面化した89年に設立され、遅れて理念を学習しつつ組織を確立する過程をだどるが、難しくややこしいマルクス主義よりも、単純で感性的な反米自主論、そして世の中を単純に民衆と持てる者の対立と見る多少人民主義的な論議が、全教組にとって特に影響力を発揮したと回顧する。
 一方、他の分野の活動家が多様な相互作用と対立、厳しい説得過程と理念的混乱を経験しつつ進化または転向の過程をたどる間、教師は安楽かつ安定的な学校という空間の特殊性のおかげで、自らの信念が崩壊したり疑念をもたれる状況にさらされなかったと振り返る。
 組合員たちが中年になり、全教組は80年代の理念を大切にする少数の活動家と多数の良心的小市民から成る非常に異質な集団になったと診断する。クォンジェウォン教師は、こうした現在の組織において、活発な代案が開発されるのを期待するのは難しいと断言する。
 クォンジェウォン教師は、民主労総の前職委員長と現職首席副委員長、そして韓国進歩連帯の共同代表、民主労働党の代表がすべて全教組出身だという点は偶然ではないと指摘し、これは全教組がそれほど進歩運動に献身してきたという意味よりも、それほど別のことを多くやってきたという意味だと皮肉る。代案開発の能力もなく、ただ人の良いだけの活動家が幅をきかせてきたという説明だ。
 全教組の活動家が「教育労働運動」という用語を好むことについてクォンジェウォン教師は、「教育運動」と呼ぶと労働階級中心主義にひっかかるので「労働」をくっつけただけにすぎないと切り捨てる。安堵感を得るための無意識の反応だという。
 クォンジェウォン教師はその証拠として、教育と労働に対する哲学が全教組の文献のどこにも見られないという点を挙げる。全教組の活動家のかなりの部分が、意識的・無意識的に「教師のように見せ、考えること」を拒否し、「労働者のように見せ、考えること」を望み、「知識が足りず、理論がなく、教育学について何も知らないこと」を恥じもしないと批判する。批判は続く。会話ができない英語教師、問題を解けない数学教師、経済記事を解説できない社会教師、古文の資料を解釈できない歴史教師が全教組を代弁し、内外で発言してきたと皮肉る。
 クォンジェウォン教師は、冒頭の約束どおり、危機を克服する新たな運動の芽を示す。政派エリート主義への挑戦の事例として、2006年11月の全教組委員長選挙に出た「全教組新たな力」に注目する。「教育労働運動の展望を探る人々」や「真の愛と幸福実践連合会」という2大政派が非公開のサイトをとおして内部意思疎通を行うのとは異なり、公開サイトを開設して公開で会員を募集するなど、全教組内の1、2を争うグループの大本である1500同志会に挑戦状を出しているという話だ。
 さらにクォンジェウォン教師は、「運動官僚主義を黙殺せよ」とし、今回の一斉学力テストで見られた自律主義的展望を紹介する。
 一斉学力テスト拒否運動の事例だ。全国的に10数名の教師が解任・罷免されたが、その過程で全教組は公式には何の役割も果たさなかったという。
 2008年下半期の一斉学力テスト拒否運動は、教師が全教組本部の意思決定を待たず、それぞれ自らができる水準の拒否行動を実施し、全教組本部や既成の古い全教組友軍団体と連帯闘争をせず、いわゆるアゴラ、ロウソク勢力、あるいは非運動団体と連帯したという点に注目する。
 クォンジェウォン教師は、こうした事例から、古い理念への挑戦として、脱近代的・省察的教育運動と教育専門性への要求を提起する。全教組が産業労働(産別)組合主義を克服し、専門職組合主義(Professional Unionism)を公式に採択できるかが、全教組運動の未来を計る指標になるだろうと見る。
 全教組20年に対するクォンジェウォン教師の診断と解決策が正しいかは、全教組当事者と読者が判断することだ。クォンジェウォン教師自身この文章について、全教組中央での活動経験を根拠に書いたものとして、主張を客観的事実として受け入れないよう注意を喚起している。
 『進歩評論』39号は、全教組20周年特集として、特集1―全教組20年の歴史、そして評価(クォンジェウォン、チンヨンホ)、特集2―全教組政策評価を越え代案を求め(イユンミ、シムグァンヒョン、パクコヨン、チャンソンファン)、特集3―全教組に望む(ノミョンウ、チンジュミョン、ヤンドルギュ)から成る。■