「現場をまるごと資本に明け渡すことはできない」
[寄稿]パク・ユギ前現代自動車労組委員長救済運動を始めた理由
キム・ホギュ(金属労組現代自動車支部組合員)
民衆言論「チャムセサン」2009年07月24日付
KT労組が民主労総から脱退した原因はどこにあるのか? 断言するが、現場が死んだからであり、これを克服する試みも現場弾圧に暴力的に遮られているためだ。実に悲劇的で悲しい労組運動の現状だ。では次はどこか? 誰も言い出せなかったが、最も威力ある餌食は、誰が見ても現代自動車だ。産業的位置においても、垂直系列化さた企業関係においても、望もうが望むまいが、正しくても正しくなくても、現代自動車は労働運動の自然なキーワードだ。現代自動車の健全な活動家の現場活動が暴力的かつ全面的に阻まれる瞬間を想像すると恐ろしい。
ヤン・ボンスからリュ・ギヒョクまで
95年にこんなことがあった。会社の合意事項不履行に対しラインを停止させた時に代議員だったヤン・ボンス。これを理由に解雇された彼は、労働委に不当解雇無効確認訴訟を提起した。法的な訴訟の間は組合員資格が維持されるにもかかわらず、会社は労使交渉の場に代議員の資格で現れたヤン・ボンスを、警備を動員して正門外に放り出すという暴力を行使した。それを「わざと」傍観した当時の労組執行部。その年の5月、ヤンボンスは自らの身に火を放ち烈士となった。彼の怒りは労組執行部の「御用性」に向かっていた。会社はそもそもそういうものだからだ。
ちょうど10年後の2005年、現代自動車社内下請の労働者が、業者から一方的に解雇された。「月次休暇も使わせない。どうすればいいのか」と労組の門を叩いたリュギヒョク。彼はその年の6月に解雇を通報され、ひょっとしたらと思って申請した再審においても解雇になった。結局彼は、その年の9月、労組事務所の屋上で首を吊って自決した。そして烈士闘争が本格化する。その時、現代自動車労組の執行部はリュギヒョク「烈士ではない」と断定した。烈士かどうかの論争が重要なのではない。だがその時から、烈士闘争に連帯した人々の怒りは、会社ではなくて現代自動車労組側に向かった。やはり、会社はもともとそういうものだから。
誰がパクユギの労組懲戒を主導したのか
7月20日、現代自動車蔚山工場の活動家パクユギが金属労組現代自動車支部から権利停止1年という重い懲戒を受けた。「あなたはこれから1年間、組合員としての権利がない」という決定だ。どんな悪いことをしたのか? それよりもまず、その懲戒決定の採決の際に「賛成」した人々を探してみよう。前述のヤンボンス烈士を誕生(?)させた当時の労組執行部の人間も入っている。リュギヒョク烈士闘争に冷水を浴びせた「烈士ではない」論争を触発した当時の労組執行部側の人間も多い。一時、会社労務チームの法規部所属だった人間もいる。こうした人々が多数を占める中で採決によって決めた「パクユギ1年権利停止」の決定を裏で操縦した人がいるかどうかは、この文を読む読者の想像力に任せる。
今回の懲戒の発端は2006年にさかのぼる。組合費で労組創立記念品を組合員に配り、これが問題を引き起こした。記念品に「不良」が多く、納品した業者への不信がつのった。結局その業者は途中で不渡りを出し、労組の保証を信じてその業者に数億の金を借した銀行は損害を受けた。このことを理由に、当時、業者選定と銀行融資のための労組保証を主導した労組総務室長と業者社長が拘束された。事件がこれほどになると、保守メディアや捜査当局は、労組執行部が組織的にかかわり、何か利益をあげようとしたかも知れないという疑惑を振りまくものだ。それが民主労組の芽を摘もうとする人々の本分だからだ。しかし誰もが潔白だった。裁判所すら「労組総務室長の代表者が直接不法行為を行ったことはない」と公開で判示した。当時の事件を要約すれば、これで終わりだ。
3年たった事件で重懲戒
しかし、当時パクユギは労組の代表者だった。労組の代表者は労組執行幹部の任命権と管理監督の責任がある。特に、どんなささいなことでも、組合員をして労組の信頼を裏切るようなこと起こさせない無限責任者でもある。それを誰よりもよく知るパクユギは、当時「不正執行部」という汚名を自ら引き受け、中途辞任の道を選んだ。それが良いか悪いか以前に、労組代表者が持つべき責任感だからだ。労組の代表は「権力」ではなく「無限責任の役職」だからだ。すると会社は、出すと合意した成果金50%を、ピンハネすると挑発した。まるで労組委員長の席があくのを待ってましたと言わんばかりに。これに対しパクユギは代議員大会の場で「辞任を宣言したが、私が全ての責任を取る」と述べ、全員一致でストライキを率いて会社の降伏を引き出したのち、収監される境遇を選んだ。2006年末、非正規法改悪阻止に向けた12回の民主労総ストライキ指令をすべて遂行したという罪名も甘受した。出獄後、彼は現場組合員とともに平凡に出退勤を繰り返し、働いている。
ところが最近、3年が経過した事件でパクユギが権利停止1年という重懲戒を受けた。なぜか? 表面上は、最近の最高裁判決が理由だ。当時、労組の保証を信じて業者金を貸した銀行に対し、その保証人になった労組が金を返済しなければならないという判決があった。その判決をそのまま履行する方法をとって裁判所は、労組の組合費の中から、銀行が失った分を支払い、その分は、不法行為者に「求償権」を請求して取り戻せばよいという親切な説明までした。法的手続きは、このように単純だ。ところがこの単純な部分にも「見えざる手」が介入する。6月に現代自動車支部は代議員大会を開催し、単なる法的処理の過程すら票決で黙殺した。当時、労組の役員が銀行が踏み倒された金をすべて返済し、当時委員長だったパクユギを懲戒しようと言いだしたのだ。その代議員大会は、サンヨン自動車闘争に対する連帯ストライキ案を体よく否決した大会でもあった。そうして出されたのが、20日に行われた重懲戒だ。すべての過程は「票決」で進められた。
これは政派の問題ではない
もちろんパクユギは普通の組合員ではない。今年の2月、彼は〈全国現場労働者の会〉という全国現場組織の結成を主導し、その組織の代表になった。千人にのぼる会員が「政派間の対立の弊害が激しいのに、なぜ組織か」とためらうのを説得した。張り子の虎になりつつある産別労組、3年の間、失敗を繰り返し、ずるずると資本の言いなりになる金属労組を見て、「執行部のせい」と非難するだけでは無責任だと主張したのがパクユギだ。誰が労働組合の執行部かが重要なのではなく、現場がしっかりしなければならないということだった。21世紀版の「現場派」を自任した彼は、その対称点にいる誰かにとっては、きっと「邪魔な人」だっただろう。巨大産別労組の執行部がどんなに「反政府闘争」を叫んでも、現場は少しも動かないそんな時代にあって、現場を再組織しようとすることこそ、反対側にいる者たちを刺激する。ここで言う「反対側」とは、特定の政派を指す言葉ではないことを明確にしておく。この問題は決して政派的な問題でないからだ。
最近、KT労組の脱退について書かれたものの中で目を引く文章を発見した。「政派が KT御用労組を育てた」というタイトルがつけられた、KT労組内部のある活動家の文章だ。対立政派の成長を警戒する政派的「本能」によって、政派的な問題ではない本質的な問題をめぐって政派的な利害を追求する、そんな実態を批判する意見として読んだ。当面の利害に左右されて現場をまるごと資本に明け渡してしまった例は、今この瞬間にも起きているのに、人は経験だけで認識するため、最後まで行きついて、やっと後悔する。
第2のKT労組を作らないために
だから私はパクユギ救済運動(?)を始めた。組合員大衆の大々的な署名運動を主導することにしたのだ。問題の解決は、民主労組運動の対称点にいる者たち、またはその間でセクト的な利害を追求する者たちとの間で秘密裏に取り引きしたり妥協したりすれば済む話ではない。広範な組合員大衆との直接大衆政治が必要だ。広範な組合員の力を示すための企てだけが唯一の道だという真理は、労組運動の初めに習った「教科書」だが、われわれはなぜそれを覚えていなかったのか? パクユギの不当な懲戒を撤回させるのは、パクユギ個人の問題をはるかに越えた根源的な問題だと組合員に訴え、支持を引き出すときだ。第2、第3の現代重工業と KT労組を作らないために。パクユギという労働活動家の懲戒に潜む隠微な背景と、隠れた真意を、賢明な組合員大衆が真っ先に判断してくれると信じて疑わない。誰もが否決されると思った2006年産別転換を躍動的に成功させた組合員大衆の中に道があるのではないか。
最後にエピソードを一つ。パクユギが労組の事務局長だった時の話だ。当時、労組による就職不正が流行し、民主労総はそれだけでも道徳的な打撃を受けた。保守メディアと捜査当局は、当然、現代自動車労組に注目した。そして当時、パクユギ夫人の個人通帳に巨額の出し入れがあった痕跡を発見し、地域新聞は大々的に報じた。どうなったか? 組合費仮差押さえが流行した時(今でも横行しているが)、それを避けるため、労組監査委員会の承認のもとにパクユギ夫人の通帳に組合費をしばらく預け置き、その結果を包み隠さず組合員に公開したという事実を発見した捜査当局と保守メディアは、その後、鳴りをひそめた。ハプニングに終わった事件だ。民主労組に致命傷を与えようと彼らが日夜血眼になっていることを、是非とも思い起こしてもらいたい。
[寄稿]パク・ユギ前現代自動車労組委員長救済運動を始めた理由
キム・ホギュ(金属労組現代自動車支部組合員)
民衆言論「チャムセサン」2009年07月24日付
KT労組が民主労総から脱退した原因はどこにあるのか? 断言するが、現場が死んだからであり、これを克服する試みも現場弾圧に暴力的に遮られているためだ。実に悲劇的で悲しい労組運動の現状だ。では次はどこか? 誰も言い出せなかったが、最も威力ある餌食は、誰が見ても現代自動車だ。産業的位置においても、垂直系列化さた企業関係においても、望もうが望むまいが、正しくても正しくなくても、現代自動車は労働運動の自然なキーワードだ。現代自動車の健全な活動家の現場活動が暴力的かつ全面的に阻まれる瞬間を想像すると恐ろしい。
ヤン・ボンスからリュ・ギヒョクまで
95年にこんなことがあった。会社の合意事項不履行に対しラインを停止させた時に代議員だったヤン・ボンス。これを理由に解雇された彼は、労働委に不当解雇無効確認訴訟を提起した。法的な訴訟の間は組合員資格が維持されるにもかかわらず、会社は労使交渉の場に代議員の資格で現れたヤン・ボンスを、警備を動員して正門外に放り出すという暴力を行使した。それを「わざと」傍観した当時の労組執行部。その年の5月、ヤンボンスは自らの身に火を放ち烈士となった。彼の怒りは労組執行部の「御用性」に向かっていた。会社はそもそもそういうものだからだ。
ちょうど10年後の2005年、現代自動車社内下請の労働者が、業者から一方的に解雇された。「月次休暇も使わせない。どうすればいいのか」と労組の門を叩いたリュギヒョク。彼はその年の6月に解雇を通報され、ひょっとしたらと思って申請した再審においても解雇になった。結局彼は、その年の9月、労組事務所の屋上で首を吊って自決した。そして烈士闘争が本格化する。その時、現代自動車労組の執行部はリュギヒョク「烈士ではない」と断定した。烈士かどうかの論争が重要なのではない。だがその時から、烈士闘争に連帯した人々の怒りは、会社ではなくて現代自動車労組側に向かった。やはり、会社はもともとそういうものだから。
誰がパクユギの労組懲戒を主導したのか
7月20日、現代自動車蔚山工場の活動家パクユギが金属労組現代自動車支部から権利停止1年という重い懲戒を受けた。「あなたはこれから1年間、組合員としての権利がない」という決定だ。どんな悪いことをしたのか? それよりもまず、その懲戒決定の採決の際に「賛成」した人々を探してみよう。前述のヤンボンス烈士を誕生(?)させた当時の労組執行部の人間も入っている。リュギヒョク烈士闘争に冷水を浴びせた「烈士ではない」論争を触発した当時の労組執行部側の人間も多い。一時、会社労務チームの法規部所属だった人間もいる。こうした人々が多数を占める中で採決によって決めた「パクユギ1年権利停止」の決定を裏で操縦した人がいるかどうかは、この文を読む読者の想像力に任せる。
今回の懲戒の発端は2006年にさかのぼる。組合費で労組創立記念品を組合員に配り、これが問題を引き起こした。記念品に「不良」が多く、納品した業者への不信がつのった。結局その業者は途中で不渡りを出し、労組の保証を信じてその業者に数億の金を借した銀行は損害を受けた。このことを理由に、当時、業者選定と銀行融資のための労組保証を主導した労組総務室長と業者社長が拘束された。事件がこれほどになると、保守メディアや捜査当局は、労組執行部が組織的にかかわり、何か利益をあげようとしたかも知れないという疑惑を振りまくものだ。それが民主労組の芽を摘もうとする人々の本分だからだ。しかし誰もが潔白だった。裁判所すら「労組総務室長の代表者が直接不法行為を行ったことはない」と公開で判示した。当時の事件を要約すれば、これで終わりだ。
3年たった事件で重懲戒
しかし、当時パクユギは労組の代表者だった。労組の代表者は労組執行幹部の任命権と管理監督の責任がある。特に、どんなささいなことでも、組合員をして労組の信頼を裏切るようなこと起こさせない無限責任者でもある。それを誰よりもよく知るパクユギは、当時「不正執行部」という汚名を自ら引き受け、中途辞任の道を選んだ。それが良いか悪いか以前に、労組代表者が持つべき責任感だからだ。労組の代表は「権力」ではなく「無限責任の役職」だからだ。すると会社は、出すと合意した成果金50%を、ピンハネすると挑発した。まるで労組委員長の席があくのを待ってましたと言わんばかりに。これに対しパクユギは代議員大会の場で「辞任を宣言したが、私が全ての責任を取る」と述べ、全員一致でストライキを率いて会社の降伏を引き出したのち、収監される境遇を選んだ。2006年末、非正規法改悪阻止に向けた12回の民主労総ストライキ指令をすべて遂行したという罪名も甘受した。出獄後、彼は現場組合員とともに平凡に出退勤を繰り返し、働いている。
ところが最近、3年が経過した事件でパクユギが権利停止1年という重懲戒を受けた。なぜか? 表面上は、最近の最高裁判決が理由だ。当時、労組の保証を信じて業者金を貸した銀行に対し、その保証人になった労組が金を返済しなければならないという判決があった。その判決をそのまま履行する方法をとって裁判所は、労組の組合費の中から、銀行が失った分を支払い、その分は、不法行為者に「求償権」を請求して取り戻せばよいという親切な説明までした。法的手続きは、このように単純だ。ところがこの単純な部分にも「見えざる手」が介入する。6月に現代自動車支部は代議員大会を開催し、単なる法的処理の過程すら票決で黙殺した。当時、労組の役員が銀行が踏み倒された金をすべて返済し、当時委員長だったパクユギを懲戒しようと言いだしたのだ。その代議員大会は、サンヨン自動車闘争に対する連帯ストライキ案を体よく否決した大会でもあった。そうして出されたのが、20日に行われた重懲戒だ。すべての過程は「票決」で進められた。
これは政派の問題ではない
もちろんパクユギは普通の組合員ではない。今年の2月、彼は〈全国現場労働者の会〉という全国現場組織の結成を主導し、その組織の代表になった。千人にのぼる会員が「政派間の対立の弊害が激しいのに、なぜ組織か」とためらうのを説得した。張り子の虎になりつつある産別労組、3年の間、失敗を繰り返し、ずるずると資本の言いなりになる金属労組を見て、「執行部のせい」と非難するだけでは無責任だと主張したのがパクユギだ。誰が労働組合の執行部かが重要なのではなく、現場がしっかりしなければならないということだった。21世紀版の「現場派」を自任した彼は、その対称点にいる誰かにとっては、きっと「邪魔な人」だっただろう。巨大産別労組の執行部がどんなに「反政府闘争」を叫んでも、現場は少しも動かないそんな時代にあって、現場を再組織しようとすることこそ、反対側にいる者たちを刺激する。ここで言う「反対側」とは、特定の政派を指す言葉ではないことを明確にしておく。この問題は決して政派的な問題でないからだ。
最近、KT労組の脱退について書かれたものの中で目を引く文章を発見した。「政派が KT御用労組を育てた」というタイトルがつけられた、KT労組内部のある活動家の文章だ。対立政派の成長を警戒する政派的「本能」によって、政派的な問題ではない本質的な問題をめぐって政派的な利害を追求する、そんな実態を批判する意見として読んだ。当面の利害に左右されて現場をまるごと資本に明け渡してしまった例は、今この瞬間にも起きているのに、人は経験だけで認識するため、最後まで行きついて、やっと後悔する。
第2のKT労組を作らないために
だから私はパクユギ救済運動(?)を始めた。組合員大衆の大々的な署名運動を主導することにしたのだ。問題の解決は、民主労組運動の対称点にいる者たち、またはその間でセクト的な利害を追求する者たちとの間で秘密裏に取り引きしたり妥協したりすれば済む話ではない。広範な組合員大衆との直接大衆政治が必要だ。広範な組合員の力を示すための企てだけが唯一の道だという真理は、労組運動の初めに習った「教科書」だが、われわれはなぜそれを覚えていなかったのか? パクユギの不当な懲戒を撤回させるのは、パクユギ個人の問題をはるかに越えた根源的な問題だと組合員に訴え、支持を引き出すときだ。第2、第3の現代重工業と KT労組を作らないために。パクユギという労働活動家の懲戒に潜む隠微な背景と、隠れた真意を、賢明な組合員大衆が真っ先に判断してくれると信じて疑わない。誰もが否決されると思った2006年産別転換を躍動的に成功させた組合員大衆の中に道があるのではないか。
最後にエピソードを一つ。パクユギが労組の事務局長だった時の話だ。当時、労組による就職不正が流行し、民主労総はそれだけでも道徳的な打撃を受けた。保守メディアと捜査当局は、当然、現代自動車労組に注目した。そして当時、パクユギ夫人の個人通帳に巨額の出し入れがあった痕跡を発見し、地域新聞は大々的に報じた。どうなったか? 組合費仮差押さえが流行した時(今でも横行しているが)、それを避けるため、労組監査委員会の承認のもとにパクユギ夫人の通帳に組合費をしばらく預け置き、その結果を包み隠さず組合員に公開したという事実を発見した捜査当局と保守メディアは、その後、鳴りをひそめた。ハプニングに終わった事件だ。民主労組に致命傷を与えようと彼らが日夜血眼になっていることを、是非とも思い起こしてもらいたい。