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Mr.マトリョーシカの脱走

マトリョーシカ(Матрёшка)式世界からの大脱走。脱兎のごとく。

本と自己啓発

2008-07-08 02:46:25 | 解釈
「本による自己啓発は不可能である」という仮説を考え付いた。


事実、俺は読書から何かを得ようと思っても、自分が今までうすうす感じていたり考えていたりしたことの確認で終わっていることが多い。

もちろん本には自分が考えてもいなかったこともたくさん書いてあるんだけど、記憶として残るのは、ほとんどが以前から考えていたことだ。

もし新たな考え方を記憶に残せたとしても、自分の経験を由来としていない考え方や教訓をリアル感をもって理解することはなかなか難しい。つまり薄っぺらい。



よく雑誌とかで、経営者とかが「私はこの本から学んだ」的なことを話しているけど、それって本当なのだろうか。

単に自分の考えと合致するところを発見して納得感を得たにすぎないのではないだろうか。



まあ自分の考えを言語化・一般化して整理できるっていうのは十分に読書のメリットで、それは自己啓発につながるんじゃない?と言われればまあそれまでだけど。

だけどなんかもったいないよなあ、と本棚の大量の本を眺めながら思う。

自己啓発目的で本を読むことはほとんどないんだけどね。


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雨の季節はいやな季節?
でも雨の良い曲はたくさんある。

Bonnie Pink / it's gonna rain!


RCサクセション/雨上がりの夜空に

ハウスとヒップホップ

2008-07-05 22:53:07 | サブ・カルチャー
クラブに行ってきた。楽しかった。

今回はハウスのイベントだったんだけど、前回行ったヒップホップのイベントと比べてかなり疲労した。

っていうかクラブはこの2回しか行ったことないですけど(><)



この疲労感の違いの原因は、おそらくハウスとヒップホップのクラブでの客とDJの立ち位置の違いにあると感じた。


説明しよう。


ハウスのイベントで印象的だったのが、客のほとんどがDJの方向を向いて踊っていたことだ。

このことから、ハウスのイベントにおけるDJと客の立場は、DJ>客 となっているようだ。

DJの中田ヤスタカが「ちゃんとついてきてください」とアジテートしていたのが象徴的だ。


これは明らかにヒップホップの場合とは違っている。

ヒップホップのイベントでは、客は思い思いの方向を向いて踊っていた。

それどころかDJを意識してる客なんかいなかった。

最初俺はDJの存在に気付かなかったくらいだもん。

このように、ヒップホップにおいてDJは完全に黒子に徹している印象だった。

よって、DJと客の立場は、DJ<客 だ。

考えてみればヒップホップっていうのは、ラップやダンスが主体で、演奏者にはスポットが当たらない音楽なんだNA。




思い思いのペースで踊るヒップホップに比べると、DJに「ついていく」ことを要求されたハウスの方が圧倒的に疲れる。


まあ乏しいクラブ経験値では仰々しく分析なんてするべきじゃないかもしれない。

だってイベントの外国人率の高低によって雰囲気は全く変わるかもしれない。

あるいは男女比で変わったりすることもあるかもしれないし(女性が多い方がナンパが発生するから客がバラバラの方向を向いて踊る、とか)、イベントの性格によっても変わってくるだろう。



ここまで書いてたらもうどうでもいいやと思ってきた。


        *'``・* 。
        |     `*。
       ,。∩      *    もうどうにでもな~れ
      + (´・ω・`) *。+゜
      `*。 ヽ、  つ *゜*
       `・+。*・' ゜⊃ +゜
       ☆   ∪~ 。*゜
        `・+。*・ ゜

勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし。

2008-06-30 16:19:41 | 解釈


●負けには何かしらの原因はある。勝ちの中には偶然の勝ちもある。 (2ちゃんねる 某板)

●勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし。 (ノムさん)


この類の言葉が真理か真理でないかは問題ではないと思う。

まあ厳密に考えたら真理ではないんだろう。

でも、こういう考え方は自分を成長させるのには不可欠なことだと思う。



嗚呼。今日はレポートを終わらせるんだった。

あと2時間、いや、1時間で終わらせよう。

詰め替えシャンプー

2008-06-29 23:01:17 | Weblog



前から思ってるんだけど、どうにかならないもんかね。詰め替え用のシャンプーの開けにくさ。

詰め替え口をちぎるのがうまくいかない。

すべる。ヌルッとかツルッと。



ほとんどの人はシャンプーを風呂場で詰め替えると思う。(確認したわけじゃないけど。もし違ったら衝撃だ。)

風呂場では大抵手が濡れてる。

だから、詰め替え用のシャンプーは俺らに「ちぎる」とか「ひっぱる」みたいな摩擦を伴う行動を要求すべきではないのDA。



とすれば、次世代の詰め替え用シャンプーは俺らに対してどんな詰め替え方を提案すればいいんだろう。

なんだろね。

「刺す」とか?

他にない?

「押す」とか?

うーん。



たとえばさ、俺が新しい詰め替え用シャンプーのアイデアを思いついたとしたら、シャンプー会社にその提案を飛び込みで売りこむことってできるのかな。

会社や社会の仕組みってよく分からないけど、報酬なしならいけるかもしれん。

っていうか、特許ってアイデアだけで取れるの?フヒヒ

夢は広がりますな。

ジュノは良い映画

2008-06-26 00:07:03 | サブ・カルチャー



16歳の少女が予想外の妊娠を経験し、現実を受け止めながら成長していくさまを描いたヒューマンコメディー。『サンキュー・スモーキング』のジェイソン・ライトマン監督が、『ハード キャンディ』で衝撃を与えた成長著しいエレン・ペイジの魅力をいかんなく引き出した。共演にはカナダの子役出身マイケル・セラ、『キングダム/見えざる敵』のジェニファー・ガーナー。周りを振り回すほど自意識過剰な少女を取り囲む家族や女友だちや、ボーイフレンドの視線がほほ笑ましい。(シネマトゥデイ)


見たかった「ジュノ」という映画を観た。

とてもいい映画。

見たかった理由は主に2つ。

①16、7の少年少女が葛藤する物語が映画・小説を問わず好きだから。

②モルディ・ピーチズやそのメンバーのキミヤ・ドーソンの楽曲が使われてるから。



まず①についての結論から言うと、ジュノは意外と葛藤はしていなかった。

あ、葛藤はしてたかもしれないけど、それはあくまで現実の諸問題に対してで、僕の予想していた内面的な葛藤は描かれていなかった。

でもだからといってこの映画が優れていないわけではない。

出産によって結局はいろんな人がハッピーになっていく過程がすごくほほえましくて、ちょっぴり切なく感じた。



というか、イギー・ポップ好きっていうジュノの設定にときめいた。

もしジュノがピストルズ好きって設定だったらなんかガッカリする。

深い意味はなくて感覚的なものだけど。



②については、サイコー。

ラストシーンは「anyone else but you」を恋人同士になったジュノとポーリーが歌う。

このシーン、すごくいい。



全体的に挿入歌が多過ぎたのが難点かな。

名曲だらけだったのはまちがいない。



The Moldy Peaches - Anyone Else but You
「君はときどき恋人、いつもは友達」っていう歌いだしからしてジュノとポーリーの関係にぴったりあてはまってるので、うーんナイスな選曲、っておもった。


You're a part time lover and a full time friend
The monkey on you're back is the latest trend
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

I kiss you on the brain in the shadow of a train
I kiss you all starry eyed, my body's swinging from side to side
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

Here is the church and here is the steeple
We sure are cute for two ugly people
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

The pebbles forgive me, the trees forgive me
So why can't, you forgive me?
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

I will find my nitch in your car
With my mp3 DVD rumple-packed guitar
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

Du du du du du du dudu
Du du du du du du dudu
Du du du du du du dudu du

Up up down down left right left right B A start
Just because we use cheats doesn't mean we're not smart
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

You are always trying to keep it real
I'm in love with how you feel
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

We both have shiny happy fits of rage
You want more fans, I want more stage
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

Don Quixote was a steel driving man
My name is Adam I'm your biggest fan
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

Squinched up your face and did a dance
You shook a little turd out of the bottom of your pants
I don't see what anyone can see, in anyone else
But you

Du du du du du du dudu
Du du du du du du dudu
Du du du du du du dudu du
But you

格差

2008-06-23 02:24:26 | Weblog



勝ち組負け組とか。

あるいは格差社会とか2極化とか。

いろいろ騒いでたけど、実はテータを見てみると、たとえば2000万以上所得がある人の割合というのは近年ほとんど変化していないらしい。

1000万以上の層もほとんど変化なし。

800万以上、700万以上…ずーっと見ていっても変化がないらしい。


その中で唯一増えているのが100万円台の層。




つまり、誰も勝ってない。

勝ち組ゼロだよ。

勝ち組負け組とかではなくて、所得のグラフの山が1個ずつ下にずれただけだったんだな。


超騙されていた。m9(^Д^)プギャーーーッ

この現実はもっと注目されるべき。


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という文章を前日の深夜に投稿しましたが、

>所得のグラフの山が1個ずつ下にずれただけだったんだな。

という部分は理屈としておかしいですね。

こう表現したいなら、2000万円以上の層がガクンと減ってないとだめですかね。

頭の中で削除して読んでくらさい。




基本的に国民全体が負けたおかげで、今までも存在していたはずの高所得者層の存在感が際立っただけってことだ。

誰も勝っていないっていう事実にもっと危機感を持つべきだと僕は言いたかった。

なにを偉そうに。

村上春樹はなぜ売れるのか

2008-06-22 01:30:15 | 解釈
今回のゴールデンのすべらない話、小藪がMVSだった。

やっぱこの人の語りはおもしろい。

前ライブで見た時もそうだけど、彼の表情とかテンポは秀逸。

あまりテレビ向きの人ではないと思うけど、ぜひ頑張ってほしい。

↓以前書いた小藪のお笑いライブの感想↓
http://blog.goo.ne.jp/dassou-net/e/f4c81e26558004cc87f1a12e954f91b5



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最近また村上春樹を読み直して思った事を書く。

珍しく春樹批判みたいなものになるかも。




ご存じかどうかは知らないけど、僕は村上春樹の作品が好きだ。

フリークではないが、ファンではある。

出た作品はだいたい買うし、そのおかげで村上春樹の著作は大体持っている。

僕という人間が村上春樹から受けた影響というものも結構大きいと思ってる。



世の中的にも、今や村上春樹ほど影響力のある作家はいない。

本は出せば売れるし、世界中で読まれている。

売れるだけではなく文学的な評価も高く、たぶん日本でノーベル賞に一番近い人物だろう。




でも僕には村上春樹がなぜここまで売れるのかが分からない。

なぜ出す本出す本ベストセラーになるのか、すごく不思議だ。

だって村上春樹の小説って難しい。

これは本人もよく言ってることだけど、文章自体は簡単だけど、ストーリーはあまりにも難解。

難解な物語が果たして売れますか?



ここでちょっと視点を変える。

たとえば他に日本で「本を出せば売れる」レベルの作家は誰がいるんだろう。


石田衣良
宮部みゆき
重松清


この辺かな。


オーケー。もっといるかもしれないけど、少なくとも彼らは出せば売れる。

いわば日本の小説界の頂点、モンスターみたいな人たちだ。




さて彼らがなぜ売れるのか。

それは、分かりやすくておもしろいからである。

ストーリーが明解で、その面白さが読み手をがっちりと掴んで離さない。

ハラハラドキドキ。

そんな彼らの作品が売れるのは、至極当然のことのように思います。



さて、これって何か変だ。

果たして村上春樹が売れるのは、わかりやすくておもしろいからなんでしょうか。

いや、っていうか村上春樹の作品をわかりやすいと感じる人なんているんでしょうか。




僕の周りにも村上春樹ファンはたくさんいます。

彼らに春樹のどこがいいのかを問うと、ほとんどの人が「あの独特の掴みどころがない雰囲気」的な曖昧な返事がかえってくる。



これってすごくおかしい。

売れる本の条件である「わかりやすいおもしろさ」とは全く逆の理由でウケているのだ。

「雰囲気」や、挙句の果てには「掴みどころのなさ」がウケて売れているのだ。



春樹の作品に、ベストセラーのわかりやすさなんてない。

ということは、春樹がベストセラー作家になり得ているのは、ほかの作家とは全く別の要素が読者に受け入れられているからだと考えられる。



そこまで受け入れられる要素とは一体なんだ。


そのことを考える際、僕は春樹の小説の立ち位置に注目する。

面倒なので結論から書いてしまうが、春樹の小説は「弱者の文学」あるいは「マイノリティの文学」である。

春樹の小説が売れるのは「弱者」の視点で書かれた「弱者の文学」だからではないだろうか。



村上春樹はいわゆる団塊の世代に属している作家で、彼の最初の読者となったのも団塊の世代と呼ばれる人々だ。

この世代というのは学生時代に安保闘争などを通じて権力に抗った人々だ。


春樹の作品中にも学生運動のモチーフが描かれる場面があるが、主人公はそういった学生運動に非常に冷めたまなざしを向ける。

その冷めたまなざしには、「弱者のままでいいのだ」というイデオロギーが存在している。


「弱者のままでいい」「このままでいいんだ」

春樹がここまで受け入れられるのは、この弱者肯定のイデオロギーが支持されているからではないだろうか。


団塊の世代が繰り広げた安保闘争/学生運動はやがて敗北し、強者の論理に組み込まれていった。

そんな彼らが春樹の最初の読者層になったことは偶然ではあるまい。



最初に言ったように、僕は村上春樹が好きだ。

でも、「弱いままでいい」というメッセージを発する村上春樹が一般レベルで広く人々に受け入れられ、何百万部も売れてしまう世の中ってなんか変だなって感じる。

純粋に雰囲気がウケただけで売れたのなら心配無用で大変おっぱっぴーなんですが、そんなわけはないでしょう。

本というのは雰囲気だけで何百万部も売れはしないものだ、jk。



歴史的に見て、「弱者のままでいい」に類するメッセージというのは、いろんな人たちが発してきた。

でもそういったメッセージの受け手というのは、大抵が反抗期真っ盛り、権力大嫌いの一部のティーン・エイジャー達だった。

ここまで国民的な人気を博するようなイデオロギーではなかったはずなんだ。

しかも「権力大嫌いティーン・エイジャー」が求めたのは「代弁」あるいは「弱者であることからの脱出」だったが、春樹の読者が求めているのは単に「弱い自分の追認」あるいは「安堵」である気がしてならない。




何度も言うけど、僕は村上春樹の作品は素晴らしいと思う。

明治の文豪たちに引けを取ってないと思う。

でもそれはあくまで作品に対する評価である。



はっきり言おう。

僕は、村上春樹が売れることは世の中にとってあまり良いことではないと思う。

やっぱり人間は強くならなきゃいけないし、俺はそっちのイデオロギーの方が共感できる。



Bob Dylan - Blowin' in the wind

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の最後の章で、カーラジオのボブ・ディランはこの「風に吹かれて」を唄う。
この曲聞くと俺はだめだ。いろんな思い出が蘇ってきて参る。
『世界の終り』を黙々と読んでた中3の春休みとか、この曲を繰り返し聞いてた旅行の思い出とか。

日本とアート

2008-06-19 23:51:55 | サブ・カルチャー




クーリエ・ジャポン7月号に載ってる村上隆のインタビューがとても興味深かった。


おっ、って思った所に勝手にタイトルをつけて抜粋してみる。

斜体が引用部分。


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①日本におけるアートの限界

日本では、アートの見方のルールがメチャクチャなので、勝負球が投げられない。
やっぱり、オペラのように、ファイン・アートは西洋人の文化であって、そのルールを基盤にしてからでないと楽しめない。
言ってみれば、ぼくはイタリアでオペラの主役をはらせてもらっているようなもの。それを日本から見ても良くわからんでしょうし、理解する必要がないでしょうね。






②欧米におけるアートの切実さ

欧米の人たちにとって、アートというのはキリスト教やユダヤ教と密接にかかわってる、ある種のイコンへの道筋なんです。
(中略)
そして、国の立ち位置によっても(アートへの)目線は違いますよね。戦争に勝利した国と、日本のように敗戦した国では、リアリティが違う。





③ユートピアとしての日本

これまで、「日本は世界の未来だ」とぼくが言ってきたのはなぜかというと、日本人は、毎日毎日鬱屈しているなかで、ちっちゃいエンターテインメントを見つけて発散して、自力で癒している。それって経済的にすごくリーズナブルなんですよ。それが成功しているぼくらの文化というのは、全世界に行き渡ってしかるべきです。たとえば、「お金をかければいいものができる」というハリウッドムービーのような考え方と、日本は真逆を行っている。それは、産業革命時に未来を思う小説家が夢想したユートピアそのものだと思います。だから、最近海外からの旅行者が増えているんだと思う。それに世界で、マンガを読むルールを理解できる子たちが育ってきたら、マンガが世界言語になるんじゃないですか。あと30年後、ほんとに日本の文化が世界の共通言語になると思うんです。まあ、それに対して、ぼくらは別にこぶし振り上げて誇りに思う必要はないとは思うんですけど。






④世界の救済者としてのオタク

いまは、「心の救済」にもっぱら争点が集中している時代です。だからこそ、音楽家や芸術家がこれほどまでに求められ、尊敬されている。そんななか、オタク文化は、一見わかり辛いですが、人間の「心の救済」に射程を定めて、すでに30年も起動し続けてきたんです。その答えとして、「萌え」がある。
(中略)
オタクのキャラ設定は、いまだネガティブな部分に集中しがちですが、彼らは、世界一センシティブで包容力のある人種に、一気に生まれ変わる可能性を持っているとも言える。日本のコンテンツは、ほとんどオタクたちがつくっていますから。それは、感受性の鋭さが武器になっているんです。
なので、オタクが世界を救うというか、世の中全部オタク化すると思います。かつてのコカ・コーラやマクドナルドみたいに、オタクが大爆発して、全世界、全員が知って、幸福になれると思いますよ。「萌え~」って。



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「村上隆のどこがいいのかわからない。結局あの人の作品って『前衛的なアートを理解できる俺は一流だ!』というステータスを誇示するためのアートじゃないか」

っていう趣旨の批判って結構ありますね。

実際俺も村上隆が芸術家として評価される理由が分からない。



でもこれ読むと、「村上隆のどこがいいのかわからない」っていう理由がわかった。

村上隆の作品はファイン・アートの流れを前提としてはじめて評価しうる芸術だから、ファイン・アートの前提がない日本人には理解不能なのかなー、なんて。

海外での評価の方が高いというのは、悲しいけど必然なのかもな。


でも③④にあるみたいに日本の文化は近い将来、世界のスタンダードに近い位置に来るのかもしれないから、そこまで悲観する必要はないかもしれない。



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The Teenagers - Homecoming

PVがシャレオツなことを除けば良い曲ね。

あついぞ

2008-06-14 01:23:25 | Weblog
今日、というか13日は暑かった。

まあ26度までしか行かなかったらしいけどすごく暑く感じた。

でも電車や建物はほとんど冷房が入っていないからちょっとがっかりする。

そうだよね。-6%が目標ですもんね。



そういえば東南アジアにいくと冷房が狂ったみたいにガンガンかかってる建物が多い。

もちろんひどい寒さで全く快適ではないので、旅行先のタイ人に「何で?バカでしょ」って聞いたら、冷たい空気=清潔な空気というイメージがあるらしい。

その発想は日本にはないだろうからおもしろい。


けど。

途上国もせめてこういう無駄は省けると思うんだけどなー。

こういうの見てしまうとチーム-6%とかすごく虚しい。

人生の孤独感

2008-06-11 21:09:26 | 解釈




人生って陽気さと陰鬱さの繰り返しだな。

これは誰でもそうだろうと思う。


自分が切ない気分の時は「こんな気分なのは俺だけだ」って思いがち。

「あいつは気楽でいいなあ」とか思ったりして。


でもそれは傲慢な考え方で、人は誰だって辛くて切ないときがある。

そういう気分になる頻度は人によってまちまちなのかもしれないけれど、みんなそういう時がある。

切なかったり自信なくなったり卑屈になったり自分の存在意義を見失ったり。


例えば今まで遊んでいて外から帰ってきてふと落ち着くと、世界が俺一人になってしまったような気分になることがたまに無い?

結局俺一人いなくても世界なんて変わらないんだなって。

たぶんそう感じることがある人は少なくないと思う。

なぜなら都会では周りのみんなが常に何らかの目的をもって行動していて、そんな中で一人立ち止まると、あっという間に取り残されてしまうような気になってしまうから。


でも、周りの輝いて見える人たちも、それなりの悩みだったりや暗い部分を抱えて生きている。

誰もがふとした瞬間にそういうものに苛まれる。

もしかしたら笑顔の裏に苦悩を隠しているかもしれない。

少なくとも、暗いものを抱えているのは「俺だけ」じゃない。


「誰も分かってくれない」と嘆く奴がいるとすれば、それは他人に対して何ら想像力を働かせていない証拠だ。

誰もわかってくれない?それがどうした。


誰もが葛藤していることを忘れないこと。

今の世の中に何かが足りないとすれば、それは想像力なんじゃないだろうか。

東京スカイツリー

2008-06-11 00:16:52 | Weblog
だせー。

無条件で批判したくなる。


まさか「東京スカイツリー行こうぜ」とは誰も言うまい。

略称はどうなるだろう。

東スカ
スカイツ
スカツー

どれもダメ。

たぶん「新しい東京タワー」と呼ばれるのだろう。




もうロゴはこれでいいだろ。


  (TsT)
Tokyo Sky Tree


泣きたくなってくるな。

東京オタワー\(^o^)/

ポジティブ思考

2008-06-08 02:09:35 | 解釈



俺はポジティブな人に憧れるし、そんな風になりたい。

俺自身はまあまあポジティブな方だと思ってるけど、それでもたまに弱音を吐きたくなるし、半端ない逆境にあっても生き生きと活動してらっしゃる人に出会うと、嗚呼まだまだ敵わないなと思う。



ポジティブ思考っていうのは、数ある考え方の中から積極的に獲得される性質だと思われがち。

でも実は、ポジティブ思考というのは、ポジティブであることを選択せざるを得ないというギリギリの地点で獲得される性質なんじゃないだろうか。


つまり、ポジティブ思考を一番根っこの部分で支えているのは、希望や屈託の無さではなくて覚悟や責任なのではないだろうか。

逆にいえば、覚悟や責任の伴わないポジティブ思考は、単なる勘違いであったり、何も考えていないだけのことが多い気がする。



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田中麗奈ってかわいくなったよなー。

今更かもしれないけど、俺は最近気づいた。


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嗚呼、何ていうか、今日はすまんかった。


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ドラえもんの映画の主題歌だけを集めたアルバムがリリースされたら間違いなく買う。
良い曲だらけでほんと驚く。


白鳥英美子/夢のゆくえ


島崎和歌子/何かいい事きっとある

一年の長短

2008-06-04 01:28:20 | 解釈



人って幼いころに「一年は長い」っていう先入観を得ているんだと思う。

だから必要以上に「短い」って嘆く。


僕らには「一年は短い」っていう新しい前提が必要。まじで。

萌えの定義

2008-06-02 00:12:17 | サブ・カルチャー
使い古された今だからこそ考えてみる。



仮説:

「萌えとは、抑制されているもの(者)に対する感情である」



一般的な「萌え」な場面に当てはめてみると。


制服によって、個性や自己表現が抑制されている者に萌える。

ツンデレなど、自らの性格によって素直な意志表示が抑制されている者に萌える。

天然、不思議ちゃんなど、周囲の人間との円滑なコミュニケーションが抑制されている者に萌える。

言葉が拙く、本人は必至にもかかわらずに変な日本語になっている者に萌える。(琴欧州とか。日本人女性がモテるのは逆の理由?)

メイドなど、その身分によって自己の行動が抑制されている者に萌える。


(書き出してみると、圧倒的にキモチワルイ…)




こう考えると、たぶんアニメやフィギアなど秋葉原系と括られる文化っていうのは、抑制の文化なのだろうと感じる。



現代っていうのは「解放」の時代だなあ。

いろんなもののベクトルが解放に向かっている。

つまり、抑制が自然発生する場面というのはかなり稀になっている。

だからその反発として「抑制」へのニーズが高まっていったのではないか。

「抑制」の希少性によって付加価値がついた?





あと別の観点からこう言うこともできる。

実写のドラマや映画だと、出演者は撮影が終われば各々プライベートというユーザーの知らない世界に「解放」されていく。

しかしアニメやフィギアなど2次元の人物たち(フィギアもある意味3次元との異論は受け付けない)はユーザーの知らない世界に解放されることなく、ユーザーの観た世界にとどまり続ける。

つまり、ユーザーの世界に「抑制」し続けることが可能である。

「2次元は裏切らない」の真意はここにあるのだろう。






Da Pump - Rhapsody in Blue

6月になると割と毎年ダパンプ症候群。
夏本番に向けて夏のイメージを最も醸成する季節だから?

臼田氏の距離感

2008-05-27 01:06:37 | 芸能


森タワーのスカイデッキ(屋上)に登ってみた。

そっから見る風景が展望台からの風景と比べて、あまりにも鮮やかなので驚いた。

普段僕らがガラス越しに見てる外の風景っていうのは、たとえ鮮明に見えても、実はかなりくすんで見えていたということじゃ。

でも普通にしてたらそんなことには気づかない。



なんだか教訓話っぽい。



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臼田氏いいね。臼田あさ美氏。

さんま御殿に出てた。初見。


アネキャンっていう雑誌のモデルらしい。

いや、俺だってANECANくらい知ってるさ。

キャンキャンの高齢層向けだろ?

押切もえだろ?

知ってるよ。


でも臼田氏、アネキャンとかキャンキャンとは系統ちがくない?

見た目もキャラも。


あーごめん。ファッション誌知らないから誤解してんのかもしれない。

だって俺はおととしまでキャンキャンはエッグの亜流かと思ってて、なんて不潔な!って蔑んでいたくらいだし。(これはマジ)

だって俺は★蛯ちゃん★とか★もえちゃん★をカンボジアと同じFIFAランクに格付けしたことで有名だし。(これは嘘。実際はタイと同じ)

てか「蛯ちゃん」を反射的にうばちゃんと読んでしまう癖が未だに直らないし。(マジ)



どっちにしろ臼田氏ってキャンキャン的じゃない気がするけどな。

なんか文化系・根暗のにおいがするから。明るい根暗。

しかも人が良すぎるし、ファンとの距離が短い。

別にキャンキャン系が人が悪いって言ってるわけじゃなくて、キャンキャン系モデルってカリスマでしょ?その点、臼田氏には良い意味でカリスマ性を感じないってこと。

俺も実際身近な存在に思えてしまうから、年上である彼女を「臼田あさ美」って呼び捨てする気にならない。

遠い存在であれば呼び捨てになるからね。有名人に関しては。


臼田氏はモデルであることにすら恐縮している感じがする。

「え~そんなことないですよ~。実は食べ過ぎて1キロ増えちゃったんですよぉ☆」的な恐縮ならどんなモデルや女優でもしそうなもんだけど、臼田氏の恐縮はマジだもんなー。

嫌味が全くなくて、誰からも愛されそう。

この距離感、天才だと思う。