写真機購入という名の趣味 終わりの始まり

2023-05-30 23:54:26 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、こんばんは。

昨秋から今春に掛けて、カメラの整理を進めてきました。

 

多い時で12台あったレンズ交換式カメラ(フィルム式除く)は、今や4台となっています。

喜び勇んで買い、一時は4台に増えたαNEX-7も、手元にあるのは1台のみです。

 

カメラの整理を始めたのは、ただ単に他のものを買うためのお金を捻出するためでした。

処分を進める過程において、増えたカメラの意味合い考えるようになり、そこに幾らかの疑念を持つようになりました。

 

振り返って見れば、買ったカメラの大半がただ取得するのみで、ほとんど使っていなかったか、或いは稼働率が極端に低い状態でした。

あちらを立てれば、こちらが立たずという具合に、複数のカメラの内、どれか一つを使うことになると、別のどれかの使用を見合わせなければなりません。

 

数多くのカメラがあれば、一台当たりの稼働率が下がるのはごく当たり前のことです。

同じ被写体を複数のカメラで撮影することもありましたが、例えば遠方に写真撮影に出掛ける時など、ごく限られた少ないケースでした。

 

結局のところ、写真撮影が目的で機材を購入するのではなく、そもそも写真機の取得が目的のようなところがありました。

カメラの収集ならそのまま保持すれば良いのですが、集めることは目的ではありません。

 

手にして、操作して撫でまわし、少しシャッターを切ってそのフィーリングを楽しみ、少し撮影して、気に入った絵が出てくればそれでお終いです。

だから、買ってしまえばそのカメラに対する興味は無くすし、次から次へと関心が向かうカメラが変わります。

最近では欲しい機器がかなり減ってきましたけれど、それでもあと数機種は導入しようなどと、とぼけた感覚を持っていました。

 

それが重荷になってきました。

導入間隔も短くなってきていて経済的負担をかなり感じ始めているところでした。

 

終わらない欲求。

そのさしたる意味も無い、単なる物欲に抗う気持ちが、ここで強く芽生えてきました。

その気持ちが芽生えて来るのが随分遅かったのは何とも残念ですが、これは仕方が在りません。

 

幾つかの機材を放出する中で、手元に残しておきたい気持ちと手放しても構わないという気持ちが拮抗する状態となって、なかなか踏ん切りがつかないものもありました。

でも、処分した後は、特段の後悔の念は生じていません。

むしろそれをきっかけにして、意を強くして機材の整理を進めてきました。

 

そして、ここに至って、写真撮影の趣味(自分の場合は光学機器の取得趣味とでも言いましょうか)に決別する時が来たという風に、強く感じています。

 

思えば、小さなころから随分この趣味に振り回されてきたように思います。

これまでずっとこの物欲に支配され続けてきたのでしょう。

写真機・光学機材に引き寄せられる気持ちを断ち切って、これ以上、この分野に関心を持つのを止めようと、最近、そのように意識を改めました。

 

ごく普通の人が、適当に売れ筋のカメラを買って、旅行先で記念写真を撮るようなことを考えればわかりますが、写真撮影=趣味ではないですし、カメラ購入=趣味でもありません。

カメラを買うことについての特段の是非はありません。

その意味合いが問題だということです。

 

鳥類や鉄道、モータスポーツや人物、風景など、撮影を目的として機材に凝る、そこに資金を投入するというのは、健全で良い趣味だと思います。

自分もそうなら良いのですが、残念ながら特定の分野における撮影というものに関心がありません。

 

ま、遠方に行って気に入った風景を撮ることぐらいでしょうか。

撮影旅行というものはほぼやりませんし、近所の何かを記録として残す、というようなこともしていませんね。

 

あくまで機材に対する関心なんです。

写真撮影を行うための道具立てとしての機器という立ち位置ではありませんでした。

 

手段が目的に転化したものが趣味だとか言っていたのは、オーディオ評論家の故・長岡鉄男氏だったように記憶していますけれど、自分の写真趣味の場合は、それの最たるものかもしれません。

 

冒頭に書きましたとおり、手元のカメラは、まだ4台残っています。

カメラに関心の無い普通の人から見れば、まだ随分多いと思いますね。

だから、後1~2台は整理することになるでしょう。

 

半リタイア状態のEOS-1Dmk4も手放すかもしれません。

売ってもですね、大した金額にはなりません。

 

しかし、気持ちの整理を付ける、踏ん切りをつけるという意味では、処分することにそれなりに意味があると思います。

EFマウントレンズも多くはありませんが、手放すことになるでしょう。

 

結局のところ、こうしてカメラが増えていったのは、ほんのちょっとの”こだわり”のせいなんです。

そのこだわりを捨て去ってしまえば、写真機に対する関心は霧散消失すると思います。

 

そしてその小さな”こだわり”の最たるもの、牙城が645formatのペンタックス645Dですね。

EOS-1Dmk4をリプレースする形で稼働率が上がってきましたが、そうは言っても機動力に欠け、万能性に乏しい中判デジタルカメラは、どうしたって出番が限られます。

防湿ケースに眠らせておく時間は長くなります。

 

”使ってなンぼ”の世界に転じた以上、例外を作ってはいけません。

今は、このカメラの放出は考えていませんが、気になり始めた時が来たら、このカメラとのお別れの時です。

 

もうメーカーによるメンテナンスは出来ません。

手放すとなったら、二束三文で叩き売ることになるでしょう。

 

SMC645レンズ数本も同じ運命です。

その時が来たのなら、ここでまた報告することになると思います。

 

そうそう、レンズ交換式カメラ以外に、手元にはコンパクトデジタルカメラが何台かあります。

それらはほぼメモ代わりに使っていますから、壊れるまではそのまま残すことにします。

 

ではこれで失礼します。

ごきげんよう、さようなら。