思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

H田君

2017-06-21 14:27:53 | 日常
H田君はなかなか面白い方だ。その思い切りの良い性格は清々しさがある。彼も特異な体験をしてきた方のようで、積極的ニヒリズムのようなものを感じる。
  彼は彼自身を満足させるために小説を書いているそうだ。作風は正直僕とは合わないが、その考えには賛同できる。文学賞の役割とか、宗教や、生と死についての話にもよく理解がある。どうなるかは分からないが、小説家に向いていると思う。
  また、向いているとか向いていないとか言い始めると、面倒くさいこともあるから、もう少し細かく書いた方がいいか?  いや、どうでもいいか。そのどうでもいいということが大切だね。

2017-06-20 11:53:43 | 日常
僕は六つ下の弟がいるのだが、彼がいつの間にか小説を読むようになった。古いものから新しいものまで読んでいるようだが、中でも室生犀星の、ある少女の死まで、が良かったらしい。
  正直、室生犀星なんて小景異情しか憶えていない。そもそも漢字合ってるのか?  まあ色々読んで何が好みか知ってみるのもいいだろう。僕も一つぐらいは読んでみようと思って、結局読んじゃいないわけだが。

なんだかんだ

2017-06-19 12:51:26 | 日常
なかなか進まねえなぁと思っていたら、いつの間にか、その作品を作り終えて、その次の作品に取り掛かっている。次は久方ぶりに現実的なものを書く。芥川龍之介の『蜜柑』のような、あんな感じのものを作り上げたい。
  難しいのは、下手に現実的なほど、余計な要素が出かねないことだ。私小説と呼ばれる作品群が流行らないのは、その技法があまりにも浸透してなかったせいじゃないかと思えてならない。自分を晒さずに自分を語っていくこと。それが真髄ではないかと思う。志賀直哉や芥川龍之介や梶井基次郎や井伏鱒二は、そんなところが上手いんだろうなぁ。

  そういえば、I上君が志賀直哉のことをブルジョワ文学だから嫌いですとかなんとか言ってたけど、ブルジョワジーってのは当時の感覚で言えばプロレタリアート以外の文学を示すわけで、プロレタリアート以外を否定していることになるから的外れな気がするなあ。金持ちって意味でブルジョワジーは使わないと思うよ?
  金持ちと金がないって話になると、僕はどちらも好みではない。それは語弊がある言い方だが、作家自身に金があろうがなかろうが関係はないね。その作品内でどれだけ金があるとかないとかを強調していくのかにあると思う。もちろん、強調して同情を得ようなんてのは浅はかだし、ただ不愉快なだけだ。それは金があっても、なくてもそうだ。

今日のメモ

2017-06-16 19:28:12 | 日常
文学の地位は第一次大戦後に向上した。それは商業とは切っても切れない関係だった。
  それまでの大御所作家ですらも700部しか売れなかった。芸術家としての小説家のあり方の論争が起こり、近松秋江や生田長江が批判されるようになった。そこで現れた志賀直哉が、まさに求められていた文学写像だったので、志賀直哉を頂点とするヒエラルキーが形成された。
  一方、芸術家のあり方の中にも、徳田秋声は、描く意義を込めつつ通俗小説を描いてもいいんじゃないか?  と提案する。その言葉通りの作家が島田清次郎の地上第1部だったが、それも一部までだった。また、素行が悪かったことも相まって、文壇からはあまり見向きもされなかった。
  面白いのは、通俗小説の売り上げとそうではない小説の売り上げとでは、十倍以上の差があったこと。昔から純粋文学と呼ばれるものは、少数派で、いそいそと書いていましたとさ。ただ、日本文学全集を発刊するときに、裕福になったものの、その後全く売れなくなったので、やっぱり生活は苦しくなりましたとさ。めでたしめでたし。

不安

2017-06-14 23:32:30 | 日常
  最近大がかりなものを一先ず終えたとはいえ、その出来がやっぱり信用できない僕としては、次の作品に取り掛からなければならなくなった。一応方針を決めて、さて始めてみようと思うが、どうも最初だけ上手いこといっても後でボロが出そうな具合だ。そんな気がするとなんだか萎えてきて、ああ、書けないものだねえと思ったりする。もう一つ前の作品なんてどうでもいい。頑張って書いたけど、それはそれ、良いか悪いかと言われると、正直どうだろう?  そんな出来だ。一応、教授には見せたりしているが、感想はまだ無いし、特別聞きたいわけでもない。褒められたらそれで結構。指摘されたら納得。それぐらいのものだろう。とりあえず、あれは改良の余地もあると思うが、現状の体調ではそれもできなさそうだ。
  それよりも今書けないことの方が問題だ。まだまだ僕は満足できないというのに。ともかく、少しずつ進めていこう。