思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

作者と読者

2018-12-07 15:55:10 | 日常
作者と読者はある程度似た傾向の人物になりやすいのではないか、と友人が言っていた。確かにその通りだろうと思いつつも、必ずしもそうではないという気持ちもある。ただ、例えばグロを好む人がグロの作品ばかり読むのは当然だろうし、もっと言えば、作者は自然とどこかの系譜に収まっていくに違いないとすれば、読者もまた同じような系譜に属していく可能性がある。受け取る側にもそれなりの系譜が存在しているだろう。
  例えば、自分を例に挙げると、僕の作品は梶井・井伏辺りの影響が見られ、その前後は問わず系譜の人たち(太宰であるとか、春夫であるとか、あるいはボードレールなんかも入るだろう)との関連性も見られるだろう。となると、好むだろう読者は自然とその辺りの作品を好む可能性がある。もちろん、そうでない場合もある。それは所々にグロテスクな面があるせいかもしれないし、後期の芥川的な調子や、フランツカフカの真似をしていたこともある(もちろん、真似もできないのだ)。色々混ぜ合わさればさるほど、どのような読者が好むかはいまいち分からない。小説を読まない人が好む可能性もある。
  性質的に近い人が好む可能性、というのは、物語の内容よりも、その語り方によって高まるのかもしれない。作品にもある程度の年齢がある。どうもそれはその語る調子に現れるように思う。どれだけ身の丈に合わせられるか、それが大事な気もする。

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