地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

春日崎・大岡源三郎

2005年01月10日 11時47分05秒 | 佐渡地理
七浦海岸を色々まわり、最後の春日崎についた。見る機会の多い佐渡おけさを踊る人物と、灯籠をアレンジした観光パンフの写真はこの地でのものである。

 春日崎は相川に向かって移動してきた際、七浦海岸最後の景勝地である。岬の景色、金山を背後にした相川の町の遠望、いずれにせよ足を止めてしばらく過ごすのに良い場所である。一方、歴史的なエピソードもある。写真では紹介していないが、ここには円形の小さな塚がある。説明書きを見ると大岡源三郎という人物に関係するものだ。原文をそのまま紹介しておく。

大岡源三郎(生年不詳-1655)
 流人。槍術を教えて相川で自活した。慶安の事変で罪に問われ、慶安四年(1651)八月の流罪で、幕府御中間頭の父・大岡源右衛門、弟の虎之助と三人で来島。鉱山に近い諏訪町で道場を開いていた。
諏訪町の道場には多くの弟子たちが通っていたらしく、源三郎に提出した門弟九人連署の、槍術師範の「起請文」が『佐渡国略記』に記載されてある。
 源三郎は承応四年(1655)の四月、この春日崎で自害する。ここに残る円形の土塚は門弟が築いたとされる。源右衛門は病死したが、虎之助は万治年間(1658-80)に赦免となった。源右衛門と源三郎の墓は、諏訪町の真宗・万照寺に残っている。

 佐渡は流人の島でもある。島をあちこちまわると実に多くの人物が佐渡に関わった。この春日崎で自害した源三郎はどのような思いで果てたか..。最後を向かえた場としては景色の良いこの地であるので、せめてもの餞になったであろう。

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