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CYCLINGFAN!!

自転車をこよなく愛し、自分の脚と熱いハートで幾つになっても、可能な限り、どこまでも走り続けます~♪

オリンピックを考える(4)

2024-07-30 09:43:20 | オリンピック
 まさに深夜の大逆転劇。まず、スケートボード男子ストリートの堀米雄斗でした。世界ランク1位の小野寺吟雲が熱中症の症状を見せ予選敗退となり、堀米も得意なベストトリックで3度連続の失敗で後がない状況から最後のトリックで高得点をマークし大逆転で、東京からの2連覇を達成してみせたのです。

 世紀の大逆転を演じて見せた堀米選手の精神力の強さは驚異的です。世代交代の激しいスケートボードで25歳の堀米選手の連覇はそれだけでも凄いことなのですが、それも97点近い差を付けられた状況から、ラストの1本で97点を越える技を成功させるなんて、ほぼ奇跡の領域なのです。
 男子体操団体でも最後の鉄棒で中国を逆転し2大会振りとなる金メダルを獲得しています。今回のオリンピックはエース橋本大輝の怪我による不調で、正直、金メダルは難しいと思っていたのですが、嬉しい誤算でした。体操団体でもあん馬での橋本の落下ミスもあり、最後の種目鉄棒が始まる前は中国に大きくリードを許していたのです。誰もがもう駄目だろうと思って見ていたと思いますが、選手たちは違っていたようです。

 キャプテンの萱選手が「絶対諦めんな」「絶対いけるから」と声をかけ続けていたのです。諦めたら終わりなのはスポーツだけではありません。学業でも仕事でもそれは同じでしょう。諦めずに続けることが成長の秘訣なのですから。ただ、この諦めないことを続けて行けるのもひとつの才能ではあるのですが…

 アスリートは身体能力の高さは勿論ですが、この諦めないという気持ちが強い人たちなのかもしれません。団体競技では仲間が声掛けしたり励ましたりすることも出来ますが、個人競技ではそれも出来ないので、より諦めない気持ちの強さが求められるのです。堀米選手はこの諦めない気持ちの強さが並外れているのだと思います。試合後のインタビューで「1%の可能性を最後まで信じてやった すごくうれしい」と答えていたのがとても印象的でした。
 ミスも同じです。野球やサッカー等で個人のミスはチームでカバーしたというケースは少なくありません。エラーで出塁しても、それを得点に結びつけなければミスはミスでなくなるのですから。日本人にはそういう競技が向ていると思っています。今回の体操団体の鉄棒でも落下した選手にチームが適切に声をかけ、落ち着かせていたら、2度目の落下は無く、中国が金メダルだったかもしれないのです。
 ただ、個人競技ではミスはミスで自分一人で何とかしなければなりません。コーチや監督のアドバイスや声掛けはあるにしても、対応するのはあくまでも選手自身なのです。これは選手にとっては相当にキツイことだと思います。それをあっさりではないにせよやってのけた堀米選手は持っている選手とだけで片付けることはできないでしょう。
 女子のスケートボードも2大会連速の金メダルですが、選手が違います。若い才能が勢いで勝っているという感じが強いのです。それはそれで凄いことなのですが、14歳の金メダルと25歳の金メダルではメダルの重さが違うのではないでしょうか。昔なら汗と涙の重みといわれるのでしょう。ただ、今はメンタルの強さの維持が出来ているのだと考えた方が良いと思っています。技術は練習で磨くことが出来ますが、メンタルは練習だけではどうにもならない部分があるのも事実なのです。
 近年、アスリートはメンタルトレーニングを取り入れていますが、それでもフィジカル同様に限界があります。俗に持っている選手というのは、鬼メンタルを持つ選手のことだと私は考えています。

 日本人アスリートはどちらかというとメンタルは強い方だと思っています。諦めない気持ちの強さは女子サッカーのブラジル戦にも見られました。ロスタイムでの2得点での逆転勝利は鳥肌が立つほどでした。サッカーは技術とフィジカルとメンタルに頭脳という総合的な力が戦力になり、フィジカルで劣るといわれていた日本がワールドカップ常連国に名を連ねるまでに成れたのは育成からの技術やメンタルの強化が大きかったと思っているのです。
 今年のオリンピックでバレーボールやバスケットボールという高さというフィジカルで劣る日本人たちには最後まで諦めないメンタルの強さが勝敗を分けるシーンがありそうです。技術とメンタルに努力を惜しまない力はフェンシングの金メダルにも大きく貢献しています。加えて小柄でも機敏性のある日本人には向いていた競技で、日本人が力を入れれば勝てる競技だったのかもしれません。
 




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オリンピックを考える(3)

2024-07-29 10:14:13 | オリンピック
 そんな私が70代が近づいて来た今ロードバイクに乗って苦しい坂道を登っているのですから人生は分かりません。マラソンは大の苦手で、小学校の頃からマラソン大会を完走したことはありません。短距離も100mまでなら何とか熟せましたが、200mは息が持ちません。そのくせ球技は好きで子供の頃は野球、中学ではバスケット、高校ではバレーボールをしていました。部活ではなくあくまでも趣味としてのスポーツとしてですが。

 運動は苦手でもスポーツは好きという子供も少なくないはずですが、今はゲームというとてつもないライバルが登場し、そもそも身体を動かすことすら嫌がる子供もいると聞きます。そんな子供たちには是非オリンピックを観てもらいたいと思っています。スポーツの素晴らしさや楽しさ、感動を与える力等々、ゲームでは味わえない要素が盛沢山なのです。

 例えば、柔道で連覇を狙っていた阿部詩選手が2回戦で負け、号泣したシーン。スポーツをしたことが無い人には試合に負けたから泣いている程度にしか見えないかもしれません。高校野球の甲子園でも泥にまみれた選手たちの涙が印象的ですが、勝ったから嬉しいとか、負けたから悔しいという単純なことではないのです。高校生活の全てを懸けて積み上げて来たことの結末で、その背景を思い描いた時、観ている者の心を打つ感動が生まれるのです。それが世界最高峰のオリンピックの舞台なら尚更でしょう。

 そうした感動的なシーンンの数々が、今はTVでなくてもスマホやタブレットでも見られる時代になっているのです。パリオリンピックはTverで全競技が観られます。フランスとの時差が7時間もあり、東京オリンピックのようなTV観戦は難しく、メイン競技はほぼほぼ深夜という時間帯になっているのです。サッカーの予選は早起きしてリアルタイムで観ましたが、バスケットの予選は録画でした。柔道は途中で寝落ちしてしまったので、翌日Tverのアーカイブで観ることになりました。
 とにかくオリンピックは競技が多いのでTV観戦だけでは見切れないのです。録画も競技が時間が重なってしまうと難しく、リアルタイム観戦と録画だけでは見切れないのですが、Tverのアーカイブなら興味のある競技を後から見返すことが可能になっています。ただ、どうしてもメダル獲得がかかる競技が中心で、出場選手のいない自転車のロードレースなどはアーカイブがありませんでした。ただ、TV放送の無い競技でもリアルタイムなら観られるのは有難い。それも無料なのです。
 




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オリンピックを考える(2)

2024-07-28 16:34:12 | オリンピック
 最初の東京オリンピックが開催された1964年、私は北海道の片田舎の小学生でした。学校行事で連れて行かれた町の映画館で見せられた記録映画の印象しか残っていません。スポーツに全く興味の無かった小学生の目と耳にも「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールの選手達の活躍がまぶしかった記憶があります。

 この東京大会からオリンピックの正式種目になったバレーボールで圧倒的な強さを見せたものの、世界が本気になり始めると、オリンピックでのメダルの色は銀から銅へと変わっていきました。バレーボールやバスケットボールという競技は身長の高さが圧倒的にモノを言い、身長もパワーも無い日本人が世界で勝ち続けるのは難しくなって行くのでした。

 それでも日本は速攻やレシーブの新技を編み出し、それを磨き世界と戦っていました。それが身を結んだのがミュンウヘンの奇跡と呼ばれることになる男子バレーボールの金メダルの獲得でした。ただ、それも海外の選手が真似し始めるとあっという間に世界の頂点は遠のいて行きます。オリンピックに出場すら出来ない時代が続きます。
 同じく東京オリンピックから正式種目となったのが「柔道」でした。「野球」や「ソフトボール」といった日本やアメリカで人気の高い競技が姿を消す中、「柔道」は日本発祥の競技ながらヨーロッパでの人気が高く、ことフランスに至っては競技人口が日本の4倍というのですから驚きです。フランス人は日本の文化が好きなようで、且つて印象派の画家たちが日本の浮世絵の影響を強く受けたことなどが有名です。今は日本のアニメに夢中なようです。
 柔道といえば日本のお家芸でメダルの数も多いのは事実ですが、海外勢の力も増し、技の研究が進み、身体能力の高い海外選手に日本の選手が敗れるという傾向が強まっているのも事実なのです。ただ、フランスに競技人口で負けている日本の柔道人気は決して高くはないのです。競技人口はブラジルが200万人超えで断トツです。次いでフランスの56万人、3位はドイツの18万人、日本は16万人なのです。それも平成20年から中学校の体育の一環として柔道が必修になっているにも関わらずです。

 むしろ、こうした特定の競技を必修としてしまったことで、危険・危ないという意見が出始めたことも事実なのです。強要されると人の心は却って離れて行くことを文科省は気付くべきでしょう。子供の頃は様々な競技に接し、好きなものを選べば良いのではと思っています。運動が得意な子もいれば、私のように運動が苦手で体育は大嫌いという人も少なからずいるのです。それは、体育の競技を強制された反動かもしれないのです。
 




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オリンピックを考える(1)

2024-07-27 12:14:37 | オリンピック
 パリオリンピックが幕を開けました。パリでの開催は1924年以来100年ぶり3回目で、冬季大会を含めればフランスでの開催は1992年アルベールビルオリンピック以来32年ぶり6回目となります。オリンピックのベテランともいえるフランス人が新時代に入った大会をどのように運営するのかに注目していましたが、開会式を競技場の外、しかもセーヌ河の上で行うというのです。おそらくコロナ禍を想定して計画されたものなのかもしれません。
 聖火がどこで点火されるのか、最終聖火ランナーは誰なのかを明かさないまま当日を迎え、映像と実像を織り交ぜた演出で選手たちが船に乗って登場。雨の降る中、選手もパフォーマーもずぶ濡れ。芸術の都パリならでは演出は素晴らしいものがありました。フランス国旗に込められた、自由・平等・博愛をテーマにしたパフォーマンスを織り交ぜながら、各国の選手たちが登場。パリの街並みを背景に進んでゆく船。国旗を振りながら喜びを露わにする選手達。素晴らしいしショーを見ているようでした。

 ただ、近年のオリンピックは商業化が顕著となり、小さなオリンピック、お金をかけないオリンピックを掲げた東京オリンピックも終わってみれば2兆・3兆という規模になっていて、その利権を巡る汚職が摘発される事態になっているのです。そんな汚れを雨が洗い流しているように感じられました。
 今回のパリオリンピックはパリの街中に会場を集中させ、新規の施設の建設は全体のわずか5%で、既存の建物や仮設で行われると言われています。フランスではテロ警備の関係で会場を点在させられないというお国事情もあるのですが、実際に警備がパリに集中させた結果TGVで設備破壊が起きているのも事実なのです。
 ウクライナやパレスチナで戦争が行われている中でのオリンピックで、マクロン大統領はロシアの国旗は掲げさせないと発言していましたが、イスラエルは国旗を掲げ堂々と参加しているのは何故でしょう。オリンピックは政治とは切り離されているとはいえ、平和の祭典と呼ばれている以上、戦争当事国の参加はいかがなものかという意見があるのは理解していますが、むしろ当事者同士が武器ではなく、競技で戦う舞台であって欲しいと私は思っています。
 こうした華やかな舞台の裏でより霞んでしまっていますが、ウクライナやパレスチナでは悲惨な戦争が今も続いているのです。もはや戦争とは呼べないような、大国が小国を力づくで攻めるという状況が…オリンピックは戦争という悲劇を忘れさせるものではなく、戦争を無くすために私たちがどうする、どうあるべきなのかを考える4年に一度のチャンスなのかもしれません。

 100年振りとなるパリでのオリンピック。近代オリンピックの祖とされるクーベルタン伯爵の母国で行われる意味。最後に五輪旗を纏いセーヌ河を疾走するメタルホースが印象的でした。まさに自由の象徴ジャンヌダルクでした。それが陸地で白馬に乗る鎧の騎士に切り替わり、五輪旗をエッフェル塔の下へと運びます。五輪旗が掲げられ、開会宣言が終わり、いよいよ聖火の点灯となります。
 その舞台に現れたのがスーツ姿のサッカー選手のジダン、謎のパフォーマーから聖火を受け取ると、テニスプレイヤーのナダルへと手渡されます。目を奪われたのはエッフェル塔のライトアップでした。100年以上も昔の建造物をライティングによって近未来的な建造物に見せた素晴らしい演出でした。日本では電波塔として高さが足りなくなると、東京スカイツリーを新しく作ってしまいますが、フランスは歴史的建造物に新たな価値を見出しているように見えました。

 東京オリンピックもそうでしたが、日本は箱モノを作るのが大好きで、メインスタジアムの国立競技場(1964年の東京五輪の会場)を建て替えてしまうのです。地震の無いフランスと地震大国日本では建造物の耐久年数が違いますから、一概には比較できないのですが、パリオリンピックと比べるともっと費用を抑えることが出来たはずだと思ってしまうのは私だけではないでしょう。

 一旦、エッフェル塔に到着した聖火ですが、ボートに乗ったオリンピアンたちによってセーヌ河を戻って行きます。フランスのオリンピアン達の手から手へと手渡された聖火は、やがてルーブル美術館の前を通り、カルーゼル凱旋門をくぐり、大きな気球状の物体の前に到着します。そこに聖火が点火されると、気球が上空へと上がって行くのでした。空に舞う聖火は斬新でした。

 宙に浮く聖火の向こうでは近未来的な光を放つエッフェル塔が映し出され、愛の讃歌が流れ始めます。歌声はセリーヌ・ディオンでした。2022年12月に神経性の難病「スティッフパーソン症候群」と診断され、表舞台から姿を消していたセリーヌが復活の舞台に選んだのがここでした。苦難からの克服の象徴としてのセリーヌ・ディオンの歌声には涙が溢れそうになりました。この歌声は世界中に届けられ、戦争や病に傷ついている人々へのエールとなることを祈らずにはいられませんでした。
 オリンピックの開会式をここまで真剣に観たことはありません。本来ならロードバイクで走りに出ているはずなのですが、ツール・ド・フランス観戦と熱帯夜が重なっての寝不足で、身体の奥にずっしりとした疲れがあり、走るのを躊躇い、たまたま点けたTVで流れていた開会式に目が止まり、そのまま最後まで見続けていたのです。
 大学の専攻がフランス文学ということもあり、フランスは好きな国のひとつです。そのフランスを舞台に繰り広げられた世界最大のサイクル・ロードレースのツール・ド・フランスに続き、今度は世界最大のスポーツイベントのオリンピックと私の寝不足の日数はまだまだ増えて行きそうです。
 




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