57.巽為風
八卦の巽の正象は風。卦徳は伏入。乾という三陽の中に、新しい陰という風がスッと吹き込んでくるイメージです。目には見えないけれど、草木やカーテンが揺れたり、服や髪がたなびくことでその存在を知ることができます。巽はどんな場所や人の中にも自然と馴染んでいく性質であり、交流(交際)・流通の卦です。巽為風の場合、先の火山旅の個人的な範疇から発展し、内外ともに巽という相乗効果によって入り込めるあらゆる人や環境へと流れていきます。それは例えば、蔓延する風邪のウイルスにも、新しく公開された情報にも見立てることができます。ネットワークが多彩になったことで僕らの生活の中には様々なモノが舞い込んできますが、それが集団的な流行や噂として現れることもあるし、個人がその資質を活かして世界各地の街や幾つもの組織を渡り歩くこともあります。
それは時や場所の制約を可能な限り越えていこうとするので、社会のシステムにがっちり組み込まれた生活をしている人からすると憧れの対象になりやすいでしょう。しかし、こうした生き方にはそれ相応の心労を伴うし、自分自身を保つために見かけ以上のセルフコントロールを要するので大変です。怠惰になって勤労意欲を失ったり、慣れない境遇に心が揺らいでも、周囲は「それがあなたの選んだ生き方でしょ」と一歩引いた対応をされて、あまり理解を示してくれないかもしれません。それは外国からの移民や土地を追われた難民のようなもので、最初から別天地の地元民に歓迎されるわけではないからです。時が経てば異文化に溶け込むこともできるでしょうが、それまではどこか異人扱いされることが少なくないだろうと思います。まずは「郷に入れば郷に従え」の格言を思い出しましょう。
綜卦(賓主卦とも言う)は兌為沢。八卦の兌は正象が沢で卦徳が悦楽。人体では口や言葉、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)での具体的な感応を表わします。美味しいものを食べたり、友達との他愛ない会話に興じたり、趣味を楽しんだり、偉い先生の講釈を聞いたり、ショッピングしたり、恋人と映画を見たり、ペットとじゃれ合ったり…。巽為風が風のような素性不明な性質を持つのに対し、兌為沢は実際に体感できるもの全般を象徴しています。先の例で言えば、移住して来た人が新しい土地に受け容れられて、一つの定着した拠点を持つようなものです。ある人や物事にとっての特定のアクセス・ポイントができた状態。それは愛着とも言えますが、このポイントを通じて相手との実際的な接点を作り出すことができるので貴重です。
裏卦は震為雷。爻の陰陽が反転した状態なので、大本の動機や願望は同じでも双葉のようにその性質と表現方法が分極します。巽は伏入――時に自然に、時に狡猾に求める場へと流れ込んでいきますが、一方の雄である震は正象が雷で卦徳が振動、その強烈で鋭い切り口から進攻していきます。ゴロゴロとこだまする雷鳴とか爆撃、大地を振るわせる地震にイメージされる卦。印象としては、巽が柔らかい物腰で相手や環境に取り入ろうするのに対し、震は一発のインパクトや強い押しで有無を言わせずに自分の存在を割り込ませようとします。ドアで例えるならば、自分側に引いて開けるのが巽で、相手側に押して開けるのが震となるでしょうか。ドア(突破口)を開けるという作業は同じですが、交渉などの穏便な出方をするか、ちょっと短気で喧嘩腰な出方となるかの違いがあります。
類似関係は天雷无妄。屯&晋から23番目で3巡目の5です。5は手足の指や五官のように人体の基本数となっているだけでなく、五行(木火土金水)や五大元素(地水火風空)に表わされるように自然の摂理にも対応しています。いわば、この世界を形作るベーシック・ストラクチャー(基本構造)たる数字です。で、それは奇数なので元は外向きの力です。2巡目の14(雷地豫・水風井)では身近な人達や自分自身の深層を構造化して共有することに用いられましたが、今度の23(天雷无妄・巽為風)では世界と自分との関係構築に使われるのです。
ただ、それが巽為風では恭順的に、天雷无妄ではランダム(無作為的:成り行きに逆らわず)に働きかけるのが良いという点が異なります。これを理解するには視点が反転する綜卦を考えると良いです。巽の綜卦の兌では会話などで具体的に相手に関わり、无妄の綜卦の大畜でも自然発生的なものに人工的な手を加えて何らかの形(成果)にしていきます。これを逆に見れば、巽と无妄は欲張ったり無理強いすることは良くないということになります。つまり、加工なしの単純なトレードなら問題ありませんが、下手に画策を仕組んだり、メリットを強調した眉唾物の話には要注意というわけです。怪しいと思ったら深入りせずにスルーしましょう。
補完関係は風天小畜、その先のヴィジョンは天沢履。小畜とその類似関係の損は、巽および无妄と共に半月の様相をシンボライズしています。月の満ち欠けの30日の内の7日(上弦:小畜・損)と23日(下弦:无妄・巽)に相当するためですが、この両日で陰陽の力量が拮抗した後、次の8日(履・益)と24日(大畜・兌)で逆転して内訳が変わってきます。何らかの拮抗する対象(相手・物事・概念など)があって一時的に綱引き状態――7日側では足を引っ張られ、23日側では後ろ髪を引かれるような郷愁に駆られることになります。踏ん切りがつかずに思い悩み、ためらうかもしれませんが、それでも満ち欠けは進行します。結果的にはそれぞれの目的に向かうことになるはずです。
<爻意は後日、追加更新します。>
八卦の巽の正象は風。卦徳は伏入。乾という三陽の中に、新しい陰という風がスッと吹き込んでくるイメージです。目には見えないけれど、草木やカーテンが揺れたり、服や髪がたなびくことでその存在を知ることができます。巽はどんな場所や人の中にも自然と馴染んでいく性質であり、交流(交際)・流通の卦です。巽為風の場合、先の火山旅の個人的な範疇から発展し、内外ともに巽という相乗効果によって入り込めるあらゆる人や環境へと流れていきます。それは例えば、蔓延する風邪のウイルスにも、新しく公開された情報にも見立てることができます。ネットワークが多彩になったことで僕らの生活の中には様々なモノが舞い込んできますが、それが集団的な流行や噂として現れることもあるし、個人がその資質を活かして世界各地の街や幾つもの組織を渡り歩くこともあります。
それは時や場所の制約を可能な限り越えていこうとするので、社会のシステムにがっちり組み込まれた生活をしている人からすると憧れの対象になりやすいでしょう。しかし、こうした生き方にはそれ相応の心労を伴うし、自分自身を保つために見かけ以上のセルフコントロールを要するので大変です。怠惰になって勤労意欲を失ったり、慣れない境遇に心が揺らいでも、周囲は「それがあなたの選んだ生き方でしょ」と一歩引いた対応をされて、あまり理解を示してくれないかもしれません。それは外国からの移民や土地を追われた難民のようなもので、最初から別天地の地元民に歓迎されるわけではないからです。時が経てば異文化に溶け込むこともできるでしょうが、それまではどこか異人扱いされることが少なくないだろうと思います。まずは「郷に入れば郷に従え」の格言を思い出しましょう。
綜卦(賓主卦とも言う)は兌為沢。八卦の兌は正象が沢で卦徳が悦楽。人体では口や言葉、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)での具体的な感応を表わします。美味しいものを食べたり、友達との他愛ない会話に興じたり、趣味を楽しんだり、偉い先生の講釈を聞いたり、ショッピングしたり、恋人と映画を見たり、ペットとじゃれ合ったり…。巽為風が風のような素性不明な性質を持つのに対し、兌為沢は実際に体感できるもの全般を象徴しています。先の例で言えば、移住して来た人が新しい土地に受け容れられて、一つの定着した拠点を持つようなものです。ある人や物事にとっての特定のアクセス・ポイントができた状態。それは愛着とも言えますが、このポイントを通じて相手との実際的な接点を作り出すことができるので貴重です。
裏卦は震為雷。爻の陰陽が反転した状態なので、大本の動機や願望は同じでも双葉のようにその性質と表現方法が分極します。巽は伏入――時に自然に、時に狡猾に求める場へと流れ込んでいきますが、一方の雄である震は正象が雷で卦徳が振動、その強烈で鋭い切り口から進攻していきます。ゴロゴロとこだまする雷鳴とか爆撃、大地を振るわせる地震にイメージされる卦。印象としては、巽が柔らかい物腰で相手や環境に取り入ろうするのに対し、震は一発のインパクトや強い押しで有無を言わせずに自分の存在を割り込ませようとします。ドアで例えるならば、自分側に引いて開けるのが巽で、相手側に押して開けるのが震となるでしょうか。ドア(突破口)を開けるという作業は同じですが、交渉などの穏便な出方をするか、ちょっと短気で喧嘩腰な出方となるかの違いがあります。
類似関係は天雷无妄。屯&晋から23番目で3巡目の5です。5は手足の指や五官のように人体の基本数となっているだけでなく、五行(木火土金水)や五大元素(地水火風空)に表わされるように自然の摂理にも対応しています。いわば、この世界を形作るベーシック・ストラクチャー(基本構造)たる数字です。で、それは奇数なので元は外向きの力です。2巡目の14(雷地豫・水風井)では身近な人達や自分自身の深層を構造化して共有することに用いられましたが、今度の23(天雷无妄・巽為風)では世界と自分との関係構築に使われるのです。
ただ、それが巽為風では恭順的に、天雷无妄ではランダム(無作為的:成り行きに逆らわず)に働きかけるのが良いという点が異なります。これを理解するには視点が反転する綜卦を考えると良いです。巽の綜卦の兌では会話などで具体的に相手に関わり、无妄の綜卦の大畜でも自然発生的なものに人工的な手を加えて何らかの形(成果)にしていきます。これを逆に見れば、巽と无妄は欲張ったり無理強いすることは良くないということになります。つまり、加工なしの単純なトレードなら問題ありませんが、下手に画策を仕組んだり、メリットを強調した眉唾物の話には要注意というわけです。怪しいと思ったら深入りせずにスルーしましょう。
補完関係は風天小畜、その先のヴィジョンは天沢履。小畜とその類似関係の損は、巽および无妄と共に半月の様相をシンボライズしています。月の満ち欠けの30日の内の7日(上弦:小畜・損)と23日(下弦:无妄・巽)に相当するためですが、この両日で陰陽の力量が拮抗した後、次の8日(履・益)と24日(大畜・兌)で逆転して内訳が変わってきます。何らかの拮抗する対象(相手・物事・概念など)があって一時的に綱引き状態――7日側では足を引っ張られ、23日側では後ろ髪を引かれるような郷愁に駆られることになります。踏ん切りがつかずに思い悩み、ためらうかもしれませんが、それでも満ち欠けは進行します。結果的にはそれぞれの目的に向かうことになるはずです。
<爻意は後日、追加更新します。>
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