Uteさんのチャネリングによる、God-Selfからのメッセージを翻訳しました。
self / Self / SELF / yourself / Yourself / Your Self といった具合に、微妙な定義の違いで言葉を使い分けられています。訳す人間としては、「うーん、どうしたらいいんだ・・・」と唸ってしまいましたが、とにかく、いつもより時間をかけながら考えて訳しました。日本語にしないほうがいいと思われる部分は、英語そのままにしています。
(できればもっと煮詰めたかったのですが、もう既に次の(PERSONAL UPDATE: RADIANCE)が掲載されているのを見てしまったので、ひとまずUPすることにしました。)
翻訳力の不足を棚上げするようで恥ずかしいのですが、やはりニュアンスの違いをきちんと理解するためには、原文を読んでいただくしかないと思います。英語に自信がある方は、ぜひ原文も併せてお読みください。
※追記:9月26日夜
他の方の翻訳を見つけました。悟茶さん、という方が訳されているのかな?
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http://radiantlyhappy.blogspot.jp/2012/09/self-love-is-true-healing-of-humanity.html
WEDNESDAY, SEPTEMBER 12, 2012
SELF-LOVE IS TRUE HEALING OF HUMANITY
By Ute Posegga-Rudel
2012年9月12日(水曜日)
自愛は人間の真の癒し
Ute-Posegga-Rudelより
2012年8月21日付の更新記事も読んでください。(※訳注:翻訳はここにあります)
Youtubeもご覧下さい(推奨)。
私達のGod-Selfからのメッセージ!
親愛なる皆さん、
自愛(※Self-love:または自己愛)は、そのまさに核心をほとんど理解されていません! これまで頻繁に議論されてきましたし、「自分自身を愛しなさい!」との訓告に、あなた方は慣れ親しんではいますが。
でも、自愛とは一体どんな意味合いでしょうか?
あなたは、たぶん自分の子供時代 ~ 両親や社会が、あなたに自分自身を愛さない諸々の理由を与えたと思われる時期 ~ にした以上に今は自分自身を愛し、働いて(愛するように取り組んで?)、自分自身を愛していると確信しているかもしれません。
現在、この挑戦し甲斐のある栄光の時期に、全ての未解決問題 ~ おそらく今まであなたの潜在意識の中に深く隠されてきたもの ~ が表面化して来て、決定的にあなたの注意を引く時、なくなったと思っていた感情に直面するかもしれません。
恐れはそうした感情の根っこであり、怒りや後悔、悲しみや心配でさえ、恐れに基づいています。恐れはネガティブな感情全てのコアおよび発生源で、それはあなた自身の根の収縮なのです。従って、愛または恐れという、互いに絶対に相容れない二つの状態があると言われるのです。愛は拡張であり、恐れは収縮です。
あなたはこんな風に言われますね。愛!――恐れは消えます! 愛!――怒りは消えます! 愛!――他のどんな種類のネガティブな感情も消えます、と。それから、この頃ではよく、愛情がないという理由で道義的な人々から裁かれています。
だから、あなたは愛そうとして一生懸命です! これはそれ自体、愛したいという考えを表していて、それであなたは、愛するために、あらん限りの努力に従事するのです。
それなのに、あなたの心はまだ虚ろのままだと感じてしまいます! たとえあなたが愛することに最善を尽くしていても。あなたは直観的に知っています・・・頭では愛することはできず、それはただ「愛は心の隙間全部を埋めて、その結果、全身を満たすに違いない。私は愛そのものだから」と心の中で感じるだけであることを。
このような、他者を真剣に愛するには大抵、役に立たない試みがありながら、自愛が最初に来なければならないという洞察が、スピリチュアル・コミュニティの中で、今は圧倒的な支持を得ているのが見られます。
最終的に、一世紀の後には、あなたは無私(※訳注:self-denial;仏教や禅的な用語で私心がないこと。または、言葉通りの自己否定)を教わります(それは実際には神の否定です)が、同時に他者を愛することも必要で、あなたは自己評価(自己賛美)に対する正当な権利を探る許可を与えられています。なぜなら、無私の状態では他者を愛することは不可能だからです。それは、かつて人間のマインドに埋め込まれた最も不合理で気の狂った矛盾です!
しかし、自愛は未だ全般的には正しく理解されていませんし、認識されてもいません! この美徳は文字通り、あらゆる成長のコアです・・・人間的なレベルだけでなく、スピリチュアルなレベルにおいても。
例えば、スピリチュアル・コミュニティでの愛に対する道義的な要求は、本当には自愛を理解したものではありません! なぜなら、あなたが自分自身を愛する限り、道義は存在しないからです!
それに最初にいつも他者を関連付けることは、自愛においては存在しません! これはまさに関係が壊れる第一原因です!
それでは、他者を愛するために、どうしたら自分自身を真に愛せるのでしょうか?
命運を握るポイントは、あなたが“SELF”を小文字で書くか、大文字の“S”で書くかどうかです。
もちろん、私達が今話しているSelfは、大文字の“S”です!
その理由は、それがあなたに関する他の全てを含んだもの(一なるもの)だからです。
真の自愛が意味することは、あなたが気がつき、認識し、自分自身のSELFを尊ぶことです。それは、無条件であるもの、無限であるものという、あなた自身の本源の状態(Source-Condition)に関わるものものです。
もしあなたが、「そういうもの(一つであるもの)」を信じることができなければ、あなた自身も他の人達も、他のどんなものも愛せません!
ですから、愛があなたの心の中に現れる時はいつでも、それがSELFであり、輝きが漏れ出して語り出すことを知ってください!
古い伝統の中で言明されているあなたの“Self”と“The SELF”は、実際には互いに違っておらず、変わり目は流動的です。傾向と習性によって分離と“他者”を脚色する場合に限り、あなたはこの区分を作り出すのです!
そしてあなたは、その無限大の自己(Infinite Self)・神の自己(God-Self)・私(Me)・あなたの本源の状態を、どこで愛し慈しみ始めるのでしょうか? もちろん、あなた自身の心の中ですね! そここそ、あなたが真に自分自身を愛し始める場所です! そこで愛するものは、あなたから分離した“もう一方”・神性・神ではありません。愛するため、愛になるために、愛が存在する場所・空間・状況があります。それと、愛するあなた特有の自己(Self ※訳注:これ以下、原文では単独のセルフ(自己)は全てSelfと表記されている)、あなた自身とが同時に存在します。
この愛は“Self”と同じです。それは幸福と同じです。そして喜びに他ならず、静寂(※訳注:または禅や仏教用語での寂静)から分離していません。それは多くの外観と自己表現を備えています。しかもこの自己は、他の皆の自己でもあります!
それで、あなたは自分の心に自己として存在し現れる愛によって、自分自身を真剣に愛し始めるのです。あなたが「そういうもの(一つであるもの)」を崇める時、またそれを崇める間、あなたは本来的に、全ての存在と世界と物事を含んでいます。なぜなら、全ての生物と存在の共有こそが自己であるからです。
ですから、もし恐れが起き上がってきたら、あなたは自分自身を愛していないと知ってください。もし怒りがしつこく出てきたら、あなたは自分自身を愛していません。心配する時、あなたは自分自身を貶めていて、心の無限の空間(宇宙)の中であなた特有の自己として存在している神を信頼していません。
もし誰かが他者を愛せないのなら、もし誰かが“より良い”と思われるために他者を蹴落とすならば、その人は彼/彼女自身を愛していません。従って、愛せない人達に思いやり深くあってください・・・彼/彼女らは自分自身を愛せないのだから。
あなた方は、この自愛を実証するためにここに来ています。それは、他者を愛することと同じですが、自分自身(を愛すること)から始めなければなりません。なぜなら、あなたが神を発見する場所は、あなた自身だからです・・・他者の中にではなくて。あなたは自己(Your Self)の中に見るものだけを、他者の中に見るのです。
この自愛は、奴隷状態と無価値 ~ あなたの存在に関する嘘 ~ という偽りの憶測から回復する、人間の真の癒しです。もしあなたが自分自身を真に愛するなら、あなたは人の中の神の意識を取り戻させる贈り物になります。まず自分自身を愛することは、他の人達に栄誉と感謝(正しい評価)を与え、それ自身が“他者”のために生きるあなた、という愛なのです。
この自愛は、あなたの心 ~ そこに整列し、そこを拠り所とし、確実性という空間に彩飾を施したハート ~ の中で、具体的に触れることのできるものです。
この確実性は恐れを知らず、それは包含しつつ全存在と共に一つであり、あなたの人生を創造します。
あなたが最高のベストを尽くすその時まで、あなたが他者からではなく、自分自身から始めることが重要です。それは、あなたの自己をあえて最初に知るということであり、あなたが別の方法では愛しておらず、見せかけていないと認めることです。なぜなら、これは、あなたが本当に自分の真実を追求する途上にあることを示すサインだからです。
逆説的なことですが、それはあなたが他者を愛していないということの証明ではありません。なぜなら、あなたはできる限り愛しているからであり、たとえあなた自身の自己に無自覚でも、あなたの努力全ては駆動しているからです。
ただし、それもあなたが自己(Your Self)を愛し始めるまで、です。というのは、真のあなたを発見するために、あなたは進んで自らの心を大きく開くからです。また、単に愛という観念(IDEA:イデア) ~ それに対する意図、神の意志 ~ を共有するというのも真実です。多くの人は、それについての概念と愛の実在の違いに気がついていませんが、これらは自己の前庭にある階段なのです・・・光り輝く、あなたの神のリアリティへの沈黙のドアが開かれる、その時まで。
「そういうもの(一つであるもの)」を養ってください。常に最初に、それに栄養を与えてください。外側を見ることなく、あなた自身の心と全ての心の中に自己を見出してください。それが、あなたが真に自分自身(Your Self)を愛する方法です。自己の愛は神の愛であり、あらゆるもの全ての愛です。
私はあなたのGod-Selfです!
Uteによって伝えられたメッセージ
http://radiantlyhappy.blogspot.com.au/2012/09/self-love-is-true-healing-of-humanity.html
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Copyright© 2012. All rights reserved: Ute Posegga-Rudel, http://radiantlyhappy.blogspot.com
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-Translated by CI
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※雑記:
ここ最近、ちょっと生活リズムが狂いがちで、頭痛がしたり、体調が優れなかったり、なかなか翻訳に集中できませんでした。掲載が遅れ気味なのは、そのせいもあります。
もう少しバランスの取れた生活が必要だと感じています。自分の健康管理も仕事の内ですね。
TLC (Tender Loving Care)
皆様、「ご自愛」ください(笑)
With much Love,
CI
P.S.
この翻訳をする少し前、僕は「十牛図」や「十象図」や「十住心論」、あるいは仏教の「九識(八識)」や、バシャールの言う「意識の9つのレベル」や「カバラーのセフィロート(生命の木)」などを考察していました。(十牛図などは各自で検索してみてください。)
だから、この翻訳をしてみて、ここでの自己(Self/SELF)というのは真我(アートマン:神我)を見出すことを意味するのか、あるいは、根源意識としてのブラフマンの領域で、大いなる全て(All That Is:全宇宙・森羅万象)と一つになる体験をすることなのかな、と考えずにはいられませんでした。(もっとも、生来的には「一体になる」というよりは「もともと同じ」でしょうけど)
仏教では、まず己の修行を完成させる「小乗」というプロセスを経るとされます。古典的には、個人の修行を達成した人のことを「阿羅漢」と呼んでいます。十牛図や十象図では、いったん個人としての最上の境地にまで到達した状態を示しています。
そしてその後、現世に還ってきます。というのは、かつての自分と同じく、まだ世界の真理、自分自身の真実に気がついていない人が大勢残されているためです。あるいは、すでに悟りや解脱の流れには入っているけども、まだまだサポートを必要とする人もいるだろうと考えるからです。もちろん、カバラーなどの文献にも時折見られるように、頂上まで行ってそのまま戻ってこない人もいます。それも選択の自由なのでしょう。
一方、自分の修行の経験を、後に続く人達のために役立てようと、他者の成長を願って舞い戻ってくる人のことを、仏教では「大乗」の修行者、菩提心を持った実践者という風に呼んでいます。
当然ながら、真の意味での「大乗の修行者」とは、「小乗」の修行を満了した者だけが条件をクリアしていると思われますが、他方では、今日の翻訳の後半部で、
「逆説的なことですが、それはあなたが他者を愛していないということの証明ではありません。なぜなら、あなたはできる限り愛しているからであり、たとえあなた自身の自己に無自覚でも、あなたの努力全ては駆動しているからです。」
といったことが書かれているように、実際には僕らは大乗「的」、大乗「風」な実践を日々、行なっているのです。そして、
「光り輝く、あなたの神のリアリティへの沈黙のドアが開かれる」ことによって、
本当の意味での菩提心を獲得し、晴れて菩薩として大乗のプロセスを正式に歩み始めるのだと思います。
それはつまり、僕らが地球と共に自らを真理に目覚めさせ、目的としてきた進化を果たした後に、今の僕らと同じような境遇に陥っている星の存在をサポートする側になる、ということです。
より狭義的もしくは直接的には、この地球内で順調に次元上昇の波に乗れた人から、まだ上手く乗れていない人を助けたり、その背中を押してあげる段階に、本格的に移行していくということです。
それぞれの伝統的な教えで用いられている用語は異なれど、基本的に示されている内容は共通しています。仏教であれキリスト教であれ、ヒンズー教であれ、イスラム教であれ、神道であれ、表面的な違いにこだわることなく、その本質を突き合わせることが大切だと思います。
また、宗教やスピリチュアル的な教えの知識の有無に関わらず、各自の人生経験の中で、ある時、スッと認識・意識の転換が起きる人も少なくありません。古来からの教えの体系や、現在のチャネリング情報などは、僕ら自身の宝物を発見するヒントとなるものではありますが、それに依存して頼り切る必要はないのです。どんな方法・経路であれ、ただ真の「自己(Self:真我)」に到達できればいいのですから。
そしてそれから先に、自分がどんな生き方を選ぶのか ~他の人達を手助けする生き方をするか、あるいは、ただ静寂の中でゆったりと生きるか、あるいは別の生き方をするか~ は、全て各自の自由意思に任されているのだと思います。
それでその状態になれば、Uteさんの以前のメッセージの中で、
「皆さんの賢明な(文明の進んだ)宇宙家族は、いつも皆さんと共にあり、皆さん自身の真理に目覚める時を待っています。これ(真実・真理に目覚めること)が皆さんの世界を本気で変え、彼ら宇宙家族と一緒になるべく招き寄せるのです。それというのも、皆さんは彼らが誰なのかを本当に認識するからです。自分自身を知れば、彼らのことが分かります。」
と、God-Selfが述べていることは至極、当然のことだと思えるようになるんじゃないかと思います。
スペース・ファミリーが、すでに各自の「小乗」としての自己の真理に到達しているならば、残る関心事は、おそらく「大乗」としての他の存在の成長を支援することのみ(静かに自らの真理の境地に留まっているのでなければ)。だからこそ、サポートを必要としている(地球のような)存在に対して、手を差し伸べているのだと僕は思うのです。
そして彼らと同じように、僕らもその境地に至れば、自ずと同じ道を歩むことを選択するだろうと思います。少なくとも、その状態に近づけば近づくほど、より波長的に、周波数的に共鳴しやすい状態になることは確かです。
僕らが愛(仏教的には慈愛)として自らを生きる時、自然と必要なものが満たされます。なぜなら、「自己」(真我・神我)に到達するということは、そこで一切の不足がなくなるからです。
もっとも、それ以前に「少欲知足」の流れを歩んできているでしょうから、欲としての分母が小さく、満足を知る心としての分子が大きくなり、その比率の差が徐々に広がっていきます。
(幸福度=知足÷少欲) → わかりやすく言えば、幸せ=「ありがとう ÷ これで十分です」
そのため、究極的には、どんな状況にあっても不足を感じるという思い、その感覚すら沸き起らない状態になるんだと思います。つまり、本当の意味での「自己充足」が起きる。そうなると「自己」としての「我」が認識対象から外れ、「私=あなた」となってしまうから、仏教的には「無我」または「非我」として説かれていたりもします。あるいは、今日の翻訳の中に出てきた無私、つまり「私では無いもの」とも概念としては同じと言えるでしょう。
そのどれであれ、本質的には梵我一如であり、「自己(個)=他者(全体)」ということではないかと思います。それで、もう自分自身に関する課程は修了となり、必然的に新しいドアが開いて次のステップに移っていく。
そしてこの時になって、「ああ、そうか」と、スペース・ファミリーも同じ道を歩んでいる仲間、家族、兄弟・・・究極的には「自分自身」であることを真に理解するのではないかと思うのです。
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