With the I Ching

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あなたはわたし、In Lak'ech(イン・ラケチ)

2013-10-09 15:22:42 | スピリチュアリティ

昨日更新した記事(下記)に関連して、先月、もう一つ同じような内容を連ツイしたことを思い出しました。
自分がどんなことを考えていたかというメモも兼ねて、ここに一括して掲載します。 

また、それらのツイートは9月22日の僕のTwilogからでも読めます。
ツイログは検索機能も使いやすいし、記事を朝→夜、古→新に再配置できるのも便利です。 

関連記事:

やりとり、あれこれ Part4:運命と自由意志」(Facebookでのノートより)

新しい知覚を楽しみながら追いかける」(10月7日~8日の連ツイより)

 

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よく言われる「今、ここ」というのは、実際には“ある瞬間”を示す概念ではなく、全てを含んだ包括的な意識のことだと僕は思ってる。これは「愛」という言葉の表現形態にも通じていて、恋人間のような個人的関係に留まらず、全ての存在(生命・物体)が自分の構成要素であり、逆もそうだ、という理解。
posted at 12:54:27

9月22日
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Uteさんの9月21日付けの文末に「In Lak'ech!」とあり(※)、その意味を調べたら、I am You. ということだと知りました。自と他の区別なく世界を捉えること、それがハートの智であり、仏教でいう無分別智なんじゃないかとも思います。
posted at 12:58:38

PEACE IS THE FORMLESS FEELING OF BEING IS US

9月22日
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苦汁を嘗める経験であれ、幸せを享受する経験であれ、何かの経験に意味づけができるのは、その因果を包括する超越的な視点に立った時であり、数学の積分の概念に似ていると思う。一方、微分的に“特定の時期に”視点を固定すると、その時点での善悪吉凶の判断の中に生きる経験をするようになる。
posted at 13:15:17

9月22日
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自己啓発や能力開発、目的達成のためのヴィジョン化瞑想のようなことは、どこか自分の求める「経験」のために行っている感があり、何を感じたり味わいたいかを個別に取捨選択している状態に思います。一方で、ただ事象を心で感じ取るという在り方は、二元性を包含した「存在」をありのままに統合する。
posted at 13:24:18

9月22日
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僕ら生命は「大いなる一(全て)」から分化して、あるいは断片化して、それぞれが個別にテーマを決めた上で、意識的に各人生に向き合っている。そこには美しさもあれば醜さもある。悲劇もあれば喜劇もあるけれど、それらも「大いなる全て」に含まれていて、経験によって深化され、また進化していく。
posted at 13:30:49

9月22日
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人の生涯は一回きりではない、ということを受け入れる人が増えているように思う。繰り返し生まれ変わっては色々な人生を生きている、と。胎内記憶や退行催眠にはじまり、前世は何々、来世は何々という話が、この十数年で急速に出てきた気がします。
posted at 13:36:39

9月22日
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単純な因果論に基づけば、今の人生は過去の人生の結果であり、同様に今の人生が原因となって次の人生を形作る、という考え方になり、それが長年信じられてきたけれど、時間の概念が崩れてきた現状では、時間律にとらわれた見方ではなく、全ての生涯が同時に存在して関連し合っていると気がつき始めた。
posted at 13:43:56

9月22日
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時間と空間が本質的には同じという視点に立てば、「今」に生きることは「ここ」に生きることと同義。そして、一つの生涯が他のあらゆる時代・場所・次元での在り方と同期的に繋がっていることを理解できれば、「今ここ」は言葉の認識としては一点ながらも、実は無限大の広がりをもちます。
posted at 13:55:01

9月22日
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因果論において事物が具体化する過程で――見た目としては今私達が「現実」と思っているこの世が形成される段階で、神秘学的な均整の取れた状態から、まるで箍(タガ)が外れたかのように個別の経験を彩る“重み”を持つようになります。個々の(魂の)志向性によって識別されて分化するのです。
posted at 15:03:14

9月22日
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これは易で、全てを包含する無極や太極から陰陽→四象→八卦→六十四卦・・・と枝分かれしていく過程と似ています。また、世界にはこれと同様の考え方をするものが幾つもありますが(ジオマンシーなど)。細分化されて意味的に区切られては名前が付与される。そして各々が違った性質と事象を司る。
posted at 15:19:40

9月22日
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この展開のプロセスは、流れとしてはトップダウン式に始原的なところから次第にバラけていきますが、それと同時に分化した個別の要素が円環的および対称的に関わり合う一面も有しています。これが出来事や状況の背後、心理的な背景の共通項となり、自他の間に共感や理解を生み出す素地となります。
posted at 15:38:48

9月22日
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自分とあの人とは本質的・根本的な意味では「存在」の源を同じくするけれど、各々が意図して選択する「経験」は異なっている。言い換えれば、各自が別々の経験をしながら、世界全体を細部まで明らかにし、様々な経験を持ち寄って、より大局的な見地(意識)から世界を見ようとしているのだと思う。
posted at 15:49:23

9月22日
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全てを超越する視座/意識というのは、易で言えば六十四卦全体を包含した状態にいることじゃないかと思います。つまり、どの卦であれ望めば自由自在に経験できるし、好きなように扱える。このことは、例えばバシャールの言う「創造」を楽しむという在り方に通じているような気がします。
posted at 15:54:44

9月22日
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そして、時間(本質において空間と同義)や二元性を超えるというのは、陰陽(吉凶・善悪・ポジティブ/ネガティブなど)にとらわれなくなる、という意味だと思うので、これは易では無極、もしくは全ての卦が統合された太極(あるいは皇極という概念もある)の状態で生きる、ということじゃないか。
posted at 16:00:28

9月22日
CI@CI_ONOFF

バシャールがVoid(ボイド)、虚無や虚空という表現を使う時、ひょっとしたらこの無極のようなものを想起しているのかもしれないな、と思っています。
posted at 16:05:25

9月22日
CI@CI_ONOFF

そして繰り返しになりますが、「今ここ」という意識は、(易で言うと卦、一般的に言えば世界や次元)全体を見渡せる無極や太極の境地に「在る」という状態だろうと思います。そこから全ての創造が始まり、物理学的な意味での対称性を“個別の意志&選択”により自発的に破って、ここ3Dの現実にいる。
posted at 16:12:04

9月22日
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なぜなら、僕ら「存在する者」は、物質的には原子を構成する微細な粒子で構成されており、それは純粋に物理学上の理論とも呼応するものだからです。存在としてブレない不動の状態から、具体的な経験をするために特定の傾向を持つように動的に働きかけ、それが思考・感情・行動を通じて顕現される。
posted at 16:20:14

9月22日
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これらの意思・感情・行動は、それぞれ意識(潜在意識・深層意識)や次元のレイヤーとなって各自の心理(マインド)を支配しています。支配というとおっかないですが、要するに、何かを選択する意思、言葉やイメージや感情、そして期待や実際の行動といった総体が、自分を作り上げている、ということ。
posted at 16:30:47

9月22日
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言葉の使い方にもよると思いますが、バシャールはこれを「観念や定義、思考や感情、行動や反応」という言い方をしています。(http://waku2bashar.info/2723) これらのパターンを見直して自発的に変えることで、それまでとは別の現実に生きられるようになる、というもの。
posted at 16:47:44

9月22日
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観念(信念)や定義:物事をどう捉えるか。これが現実の方向性を決定付ける。思考や感情:ありていに言えば肉付け、色付け。どんな表現になるのか更なる条件が加わる。行動や反応:実際の振る舞いと、フィードバックによる補正。
posted at 17:05:41

9月22日
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この三つの要素が図で説明されているものがあるので、バシャールの公式サイトのページ(http://www.bashar.org/handouts.html)から抜き出して紹介します。 https://pic.twitter.com/luGUgg7gHn

posted at 17:15:04

9月22日
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個性を構成するこの三要素のバランスが取れて調和していれば、“自分をちゃんと知っている状態(knowing self)”となって、世界の源(Source)との連携がスムーズに運ぶが、アンバランスで無秩序状態(=意識の三層にも一貫性がない)だと、現実もそれを反映したものになる。
posted at 17:26:35

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