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伊東ゆかり 「 さすらい 」 1970年

2020年06月12日 | 音楽
伊東ゆかり 「 さすらい 」 1970年

 唯々、懐かしく聴き入ってしまいました。
私はこの歌は長い間 「加藤登紀子さん」 が歌われていた
と勘違いしておりました。
このブログに立ち寄ってくださる諸姉、諸兄の皆様も一度は
聴かれた事があるかもしれませんが、 こんなにシットリと抒情溢れる
歌い方が出来るシンガーは少なくなりました。

( 以下はウィキペディアより参照しました。 敬称略 )
伊東 ゆかりさんは( いとう ゆかり、1947年4月6日 - )
日本の女性歌手で女優。
本名:伊東 信子(いとう のぶこ)。 東京都品川区出身。 父親は沖縄県出身。
関東学園女子高等学校 ( 現・関東国際高等学校 ) 卒業。
1960年代から1970年代に掛けて一世を風靡した和製ポップス歌手の一人。
現在も現役歌手として音楽番組への出演やコンサート活動のほか、 女優としても活躍中。

幼少期から進駐軍キャンプで唄い始め、
11歳のとき ( 1958年6月 ) 「 かたみの十字架/クワイ河マーチ ( 映画 『 戦場にかける橋 』 テーマソング ) で
キングレコードより本格デビュー。
その後一時芸能活動を休止するが、 渡辺プロダクションに移籍し活動を再開。
ポップスを得意とした中尾ミエ、園まりと三人で “スパーク3人娘” を結成。
『 シャボン玉ホリデー 』や 『 歌え ! 一億 』 に出演し、知名度を全国区にした。
1967年にリリースした 「 小指の想い出 」 は爆発的なヒットとなり、 その後も長く歌い継がれている。
その後も 「 恋のしずく 」 「 朝のくちづけ 」 「 知らなかったの 」 と立て続けにヒット曲を飛ばした。
この頃、巨人軍選手の柴田勲との交際が話題となり、
一時は柴田との結婚話まで浮上した ( 詳細は柴田勲#交友関係を参照 )
1969年には映画 『 愛するあした 』 に主演、
同年第20回NHK紅白歌合戦の紅組司会を務めた。
1970年、シングル「結婚」を最後に渡辺プロダクションから独立。
1971年に 「 誰も知らない 」 がヒットするものの、 大手プロダクションの後ろ盾を失った厳しさや、結婚・出産・離婚の経験。
さらには “スパーク3人娘” の自然解散や “新三人娘”・“花の中三トリオ” 等の後輩歌手が台頭してきたために、その後は一時的に低迷する。

しかし、1977年から1981年までメイン司会を務めたTBSの音楽番組 『サウンド・イン"S" 』 が一つの転機となり、
“大人の歌手” として再評価されるようになる。
この番組は彼女が得意とする洋楽を中心とした構成で、 時には自らもゲストとデュエットしつつ、
エンディングで世良譲のピアノにのせスタンダード・ナンバーを歌い上げていた。
同番組は2007年までCS放送のTBSチャンネルで再放送された。

この他にも単独での出演のほか、近年は上記の “スパーク3人娘” でのツアーの他、
揃ってテレビ出演することも多くなってきている。
前夫は歌手で俳優の佐川満男で、 その間に生まれた実娘が歌手の宙美 ( 親権は伊東が持っている )
現在所属レコード会社はフリー。 所属事務所は小澤音楽事務所。

2010年より(株)夢みぃな。 2019年より 株式会社ビバリーメディアアイランド。
歌手生活60周年を迎えた2013年4月20日には、 渋谷の大和田さくらホールにてコンサートを開催。
MJQ ( マンハッタン・ジャズ・クインテッド ) のデビッド・マシューズをプロデューサーに迎え、
歌手生活60周年記念アルバム 『 メモリーズ・オブ・ミー 』 を同年4月3日にリリースした。
テレビ朝日系列 『 徹子の部屋 』 では、2010年10月13日に娘の宙美と共演、二人でデュエットソングを披露。
それから7年後の2017年8月25日には、前夫・佐川と宙美の三人で出演、1年後の2018年7月16日にも三人で仲良く再登場。
さらに翌2019年8月5日は “スパーク3人娘” の園まりと一緒に出演した。



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