学生のころ、雑誌の中の一枚のセーターに一目惚れしてしまったことがある。それは当時流行していたアイビー・ファッション誌の中に紹介されていた、俗にフィッシャーマンセーターと呼ばれていたものである。手の込んだアラン模様が編みこまれた生成りのセーターに、さりげなく巻いたタータンチェックのマフラーが実にお洒落で、それがまた、そのモデルの男性によく似合っていた。
「クリスマスプレゼントはこれにしよう!」当時つき合っていた男性にこのセーターを、しかも自分の手で編んでプレゼントしようと決心したのだから、無謀極まりない話である。
その頃、アイビー・ファッションの流行と重なるように、若い女性の間での手編みブームがピークを迎えていた。休み時間には、友人たちがこぞって編み物をしていた。そう言えば、電車の中でも編み物をする女性の姿をよく見かけたものだが、今はそんな姿もすっかり見かけなくなってしまった。
店頭を彩る可愛い毛糸たちに誘われて、久しぶりに手芸店の中に入った。ここ何年か隅に追いやられる一方だった毛糸のコーナーが拡張され、壁一面を様々な毛糸が飾っている。また手編みのブームがやってきたのだろうか。
心躍らせながらあれこれ物色していると、お洒落なツイード風の毛糸が目に飛び込んできた。全体が朽葉色で、ところどころに赤やクリーム色などが散っている。「この秋色の毛糸でアラン模様を編んだらどんなに素敵だろう」そう思うが早いか、私はその秋色の毛糸玉5個抱きしめてレジに立っていた。
何の目的もなく衝動買いしたものだから、何を編むかがなかなか決まらない。秋色の毛糸と、愛用の生駒高山製の竹棒針を入れた籠を、ひとまず床に下ろした。そして書棚からアランニットの本を取り出した。
ヨーロッパの西の果て、北大西洋に浮かぶアイルランド。首都ダブリンからさらに西へ200㎞、ゴールウェイ湾の沖合に点在する3つの島がアラン諸島である。最も大きなイニシュモア島でも全長14㎞、人口は3つの島合わせても1400人足らずという小さな島の連なりである。世界中の人に愛されるアラン編みのセーターは、この最果ての小さな島の漁師の日常着として誕生した。
島は硬い岩盤に覆われていて、人々はその岩を砕き、海藻を混ぜて土を作った。そしてその大切な土が風で飛ばされないように、石垣を張り巡らせた。
石垣が大地につくる模様も、積み上げた石が石垣につくる模様も、この島が見せる模様は、みなアラン模様の元になっている。一つひとつのアラン模様には、過酷な自然と共に生きてきた人々の祈り、海で働く家族への想い、美しい島の風景への賛美や感謝の念が編み込まれているのだ。
岩の割れ目のわずかな土に、清楚な白い花を咲かせる野草の写真に目を奪われた。思い出すのはこの歌。
庭の千草も、虫の音も
枯れて淋しくなりにけり
ああ白菊 ああ白菊
ひとりおくれて 咲きにけり
日本でも愛されるこの歌は、アイルランド民謡『The Last Rose of Summer』を、里見義が日本語に訳し、明治17年に教科書に『庭の千草』として紹介したものである。原詩の「薔薇」を「白菊」に置き換えたところなどは、いかにも日本らしい。
緩やかな三拍子に乗せて歌われる、哀愁を帯びた美しい旋律に、思わず、やがて自分にも訪れるだろう人生の終焉のことを想ってしまう。原詩の最後はこう締めくくられる。
「愛する人がいなくなったら、この荒涼たる世の中で、誰が一人で生きられようか」
秋色の毛糸で編むものがようやく決まった。ネックウォーマー。編み込む模様は「ケーブル」と「ダイヤモンド」。「ケーブル」は漁師の使う命綱や農夫の収穫物を束ねる綱の象徴、「ダイヤモンド」は富や財宝、成功の象徴である。
「セーターがネックウォーマーか。えらく小さくなったな」と言われるかもしれないが、想いは変わらない。
人生のパートナーには、まだまだ元気で頑張ってもらわねば…。
(新聞掲載日 2016年11月11日)