まずはその仁徳天皇と皇后 磐之媛命(イワノヒメノミコト)のお話。
ある時、帝は高い山から国を見渡し、炊事の煙が立っていないことから、民が貧しい暮らしをしていると察し、3年間の免税を行いました。こうして民の生活の立て直しを図られる一方で、自分は徹底した倹約をされた賢帝で、聖帝と讃えられていました。
一方で、帝はたいへん恋多き人で皇后の磐之媛は帝の浮気に悩まされ続けました。一夫多妻の時代であり当然と言えば当然のことだったのですが、帝への情念がたいへん深く、嫉妬深い皇后として有名な磐之媛は、夫の浮気を絶対許しませんでした。
帝は以前からお気に入りの八田若郎女(ヤタノワカイラツメ)を妃として迎え入れたかったのですが、磐之媛は絶対許しませんでした。しかし磐之媛が神事の酒宴に使う御綱柏(みつながしわ)を採るため紀伊国の熊野岬に出向いている隙に、帝は八田若郎女を宮中に迎え入れてしまわれたのです。
磐之媛は、帰途でそれを聞いて怒り心頭に発し、採っていた御綱柏を投げ捨て、平城山を越えて山城の筒城岡(つつきのおか)に籠もってしまいます。天皇は、磐之媛の心を和らげようと色々ご機嫌を取りましたが効果はなく、磐之媛は山城にこもったきり、帝のことを深く想いつつその5年後に亡くなりました。
平城山を散策中、万葉集に伝わるこのお話に我が身の辛い恋を重ね合わせて歌った女流歌人がいます。
歌曲「平城山」の詩を書いた北見志保子。若き恋人との愛の情念に燃えた人。
名歌「平城山」に秘められた二つの恋物語り。
9月15日「なら国際映画祭」で語らせていただくことになりました。
6月に平城山界隈を散策した時の写真。
写真の前方後円墳はウワナベ古墳。
