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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

「平城山」二つの恋物語り

2014-08-21 | 徒然なるままに
「前方後円墳」歴史のテストで誰もが覚えた世界一の大きさを誇る仁徳天皇陵。
まずはその仁徳天皇と皇后 磐之媛命(イワノヒメノミコト)のお話。

ある時、帝は高い山から国を見渡し、炊事の煙が立っていないことから、民が貧しい暮らしをしていると察し、3年間の免税を行いました。こうして民の生活の立て直しを図られる一方で、自分は徹底した倹約をされた賢帝で、聖帝と讃えられていました。
一方で、帝はたいへん恋多き人で皇后の磐之媛は帝の浮気に悩まされ続けました。一夫多妻の時代であり当然と言えば当然のことだったのですが、帝への情念がたいへん深く、嫉妬深い皇后として有名な磐之媛は、夫の浮気を絶対許しませんでした。

帝は以前からお気に入りの八田若郎女(ヤタノワカイラツメ)を妃として迎え入れたかったのですが、磐之媛は絶対許しませんでした。しかし磐之媛が神事の酒宴に使う御綱柏(みつながしわ)を採るため紀伊国の熊野岬に出向いている隙に、帝は八田若郎女を宮中に迎え入れてしまわれたのです。
磐之媛は、帰途でそれを聞いて怒り心頭に発し、採っていた御綱柏を投げ捨て、平城山を越えて山城の筒城岡(つつきのおか)に籠もってしまいます。天皇は、磐之媛の心を和らげようと色々ご機嫌を取りましたが効果はなく、磐之媛は山城にこもったきり、帝のことを深く想いつつその5年後に亡くなりました。


平城山を散策中、万葉集に伝わるこのお話に我が身の辛い恋を重ね合わせて歌った女流歌人がいます。
歌曲「平城山」の詩を書いた北見志保子。若き恋人との愛の情念に燃えた人。

名歌「平城山」に秘められた二つの恋物語り。
9月15日「なら国際映画祭」で語らせていただくことになりました。

6月に平城山界隈を散策した時の写真。
写真の前方後円墳はウワナベ古墳。


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ツクツクボーシと先入観

2014-08-18 | 徒然なるままに
耳を済ましてみると、ミンミンゼミの声に混じってツクツクボウシの声。
昨日の夕方、この夏初めてツクツクボウシの鳴き声を聞きました。子どものころ、ツクツクボウシの声が聞こえると、夏休みも終わりか…と急に寂しくなったのを思い出します。

思い出すと言えばもう一つ、ツクツクボウシの鳴き声を聞くと必ず思い出すことがあります。

以前、友人とツクツクボウシの鳴き声で論争(笑)したことがあります。

「ツクツクボーシ ツクツクボーシ、だからツクツクボウシなんでしょ」と私が何の疑いもなく言うと、
「えっ?オーシーツクツク オーシーツクツクでしょ!」
「えーっ‼」

まさかの食い違いでした。
つまり「ツクツク」と「ボーシ」の二つの節に分けて、どちらが先に聞こえるか、と言う話です。

ボーシ ツクツク ボーシツクツク

そんな馬鹿な!

家に帰って早速調べてみると、

広辞苑…おおしいつくつく
大辞林…オウシイツクツク

日本の国語を支える二大辞典(かな?)が何と「オーシーツクツク」派。
しかも、ある本によるとオーシーツクツク派の人の方が多いと言うのです。

ものすごい敗北感…

それからと言うもの、ツクツクボウシの鳴き声を聞くと、一生懸命「オーシーツクツク」と聞こうとするのですが、私にはどうしても「ツクツクボーシ」にしか聞こえないのです。

先入観とは恐ろしいものです。
一度そう思い込むとなかなか拭い取れません。

年を重ねるほどに体は固く、頭は頑固になって来ます。

何事も先入観にとらわれず、いつまでも「柔らかく」生きたいと思います。

今日の朝日。
この陽射しの向こうには秋が…




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地獄の釜の蓋

2014-08-17 | 徒然なるままに
お正月の16日とお盆の16日、地獄の二大定休日の一つが終わりました。地獄ではまた今日から鬼が釜の蓋を閉めて罪人たちを煮ているのでしょうか。

地獄の鬼でさえも罪人を煮るための釜の蓋を開けて仕事を休む日なのだからこの世でもみんな仕事を休みなさい、というのが「地獄の釜の蓋も開く」という諺の意。

昔はこの両日を「十王詣」あるいは「藪入り」といい、商売をしている家では使用人に休暇を与え仕事を休ませたものですが、今では、この書き入れどきに休んでいるサービス業どありません。百貨店、スーパーケット、飲食店、観光地、遊園地どでは従業員を休ませるどころか働き手を増員してフル稼働です。
そう言えば、年中無休というお店が増えて来ました。そして24時間営業というお店も。

日本人は一体いつ休むのでしょうか…働き方がもっと上手くなるためには、休み方ももっと上手くなる必要があるような気がします。
地獄の釜の蓋をポーンと開けるように…

家族サービスに大奮闘だったお父さん方もご苦労様でした。
これから大渋滞の中を車で移動される方もどうぞ安全運転を!


長男が小さいころ大好きだった「じごくのそうべえ」


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台風回想

2014-08-10 | 徒然なるままに
突然大きな音がしたかと思うと家の中に雨風が吹き込んで来た。何かが飛んで来て雨戸とガラス戸を突き破ったのだ。母はすぐさまその穴を座布団で塞ぐと「怜子、新聞!早く!新聞紙を足元に敷いて!」と叫んだ。
新聞紙を敷こうとしたらそこには飛び散ったガラスで怪我をした血まみれの母の足があった。怜子4歳。

私は台風というと未だに血まみれの母の足を思い出す。そして台風が来ると父はいない、その記憶がこびりついている。
会社、仕事人間だった父は、台風が来るとなると必ず会社に出て行った。そして台風が通り過ぎると家に帰って来た。だから台風の日は、我が家はいつも母と私二人、妹が生まれてからは三人で過ごした。

男は仕事を守り女は家を守る、その典型的な家庭で育った私は、子どものころ夕飯を父と一緒に食べた記憶も極めて少ない。

幼い頃、台風が来るとなると母はロウソク、懐中電灯、おにぎり、お茶などを準備したが、さて私は今から何をすれば良いのだろうか…。


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父は父で…

2014-07-26 | 徒然なるままに
父を預かって貰っている施設が、このほど新しく施設を建てられた。
現在のところより我が家に少し近くなること、何より見学に行った父が大層気に入ったということで8月1日にそちらに引っ越すことになった。
今日はその新しい施設の内覧会で、母を連れて行ってきた。

新しい施設は美しく、便利よく、気持ちよく、それはそれは素晴らしいが、私はそんなところではなく家に連れて帰りたい!でもそれは諸事情により叶わない。

帰りに父に会ってきた。
父を抱きしめたら、怖かったこと、辛かったこと、悲しみ…堪えていた気持ちが一気に込み上げてきて涙が溢れてきた。

父の背中で思い切り泣いた。

認知症でも父は父で、私の父で、昔の父の背中と少しも変わらない。








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横山大観と蓮と曾祖父

2014-07-26 | 徒然なるままに
日本画家の巨匠、横山大観が住んでいた上野の住居がそのまま記念館として公開されている。東京公演の翌日、私はこの記念館を訪れた。

余談であるが、実は私の母方の曾祖父は横山大観と親交があり、曾祖父が滋賀の長浜で写真館を始める時、大観は「写真」と書いた木製の大きな看板を曾祖父に贈っている。実に力強い毛筆でもちろん横山大観のサインも入っている。

やがてテレビ番組の影響もあり骨董品ブームが訪れた。
さぁ大変!あれは一体どれほどの価値があるのか…
と私が気づいた時には、曾祖父から祖父、そして叔父へと代が変わった長浜の家の居間に長い間飾られていたその看板は、消えていた。

おじさん・・・

さて、大観の家の前に広がる不忍池の蓮に私は圧倒された。大観の蓮の絵がこの池の蓮であることにもこの日この蓮を見て始めて気がついた。
江戸時代から浮世絵の題材にもなった上野公園の不忍池の蓮、これは日本人として一見の価値がある。

7月13日、最後にこの蓮を見ることができて良かった…そんなことを思いながら、私は「横山大観住居」「不忍池」を後にした。

7月14日、右目網膜剥離緊急手術。
曾祖父に守られて…。












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みんな おんなじ

2014-07-21 | 徒然なるままに
どんな風に生きてきたか
どんな仕事をしているか
どんな生活をしているか
年齢も性別も
なんにも関係ない
ここにいると
みんな おんなじ



7月21日、手術をしてちょうど一週間目の朝、みんなで朝ご飯。

昨夜、同室の患者さんからいただいた無農薬の元気な野菜たち。




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夕暮れに

2014-07-19 | 徒然なるままに
今日も数え切れないたくさんのことがあった。
一日のほとんどをこんな小さな病室で過ごしているのに、普段の何倍ものことがあったような気がする。

「傷はきれいにふさぎましたよ。経過は良好!もうすぐ退院やな」
先生の言葉に涙。

同室の患者さんが退院。消灯時間ギリギリまでおしゃべりして病棟中響くような大きな声で笑った人。「もっといて!」「もっといたい!」って抱き合って泣いた。

胡瓜の糠漬け片手にお見舞いに来てくれた友だち。夕飯に「美味しいね」「上手だね」「優しいね」ってみんなで食べた。

「好物でしょ?」って、西瓜を冷た~く冷やして持って来てくれた義姉さん。

同室の患者さんたちは親切で助けてもらうことばかり。みんないい人過ぎ!

何でもないいつもの夕暮れが、とびきり優しくあったかい。







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やさしさの中で

2014-07-18 | 徒然なるままに
ブログを見てかけつけてくれた友。大きな袋から取り出したるは観葉植物アジアンタム。
「スマホなんか見てないで緑を見なさい!」

喰っちゃ寝、喰っちゃ寝、
ああ、元の木阿弥…



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今日

2014-07-17 | 徒然なるままに
真っ暗闇に光が差し
光が形を映し出し
今日、私の目の中に
風景がもどってきた

空が青いことも
雲が白いことも
山が緑色であることも
ダリアが赤いことも

人がやさしいことも
自分が愚かであることも
今日はじめてわかった

生きているうちに
一度だけ生まれ変わることができるとしたら
今日、私は生まれ変わる



友が届けてくれたブルーベリーとお花

病室の窓から


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常識って…

2014-07-16 | 徒然なるままに
同室のおばあちゃんが痛い足を引きずりながら、私の手を引いてトイレに連れて行ってくださる。

できて当たり前の点眼が、上手く視点が合わなくてできない。

手術以来、顔には一切何もつけられずスキンケアは全くゼロ。なのに何ら肌には問題はなし、むしろ普段よりしっとりしていて調子がいい。欠かしちゃいけないと思っていた化粧水や乳液、あれは一体なんだったんだろう。

お年寄りの世話になり、できて当たり前のことができなくて、しなければいけないと思っていたものが別にしなくても平気で、そして目が決まってしまってるからと24時を過ぎないと寝なかった私が22時、今消灯する。

入院3日目、私の常識は次々壊されていく。










22時消灯。






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友だち

2014-07-16 | 徒然なるままに
遠く離れていても、振り向けばいつもそこにいてくれる人

詮索し過ぎず喋り過ぎず、いつも心地よいポジションにいてくれる人

ずっと会っていなくても、長い間連絡を取っていなくても、身勝手な「助けて」にだまって応えてくれる人

うん、うん、がんばったね…ってうなずきながら、話を聞いてくれる人

何も言わなくても、心の痛みを感じてくれる人

落ち込んでいるときに、馬鹿なことを言って笑わせてくれる人

えーっ?来てくれなくていいのに…なんて泣かせる人

みんな
わたしの友だち

ありがとう



7月17日 病室にて





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ひとり鎮かな時間の中で

2014-07-15 | 徒然なるままに
病気知らず、病院とは無縁の私が、今、病室のベッドの上にいます。

東京公演が終わった直後に右目の状態が急変したわけですが、実はそれまでにも何度か危険信号を察知していました。
もともと網膜剥離の古傷をもっていますので、その危険信号がそれからくるものであることは分かっていたのですが、あえて気づかない振りをしていました。
体が発してくれる「痛み」「違和感」の信号を、私はまるで仕事や公演活動に支障を来す敵のように扱っていたのです。

「痛み」は私たちの味方です!意味があって体は「痛み」や「違和感」を発してくれているのです。『今ここが疲れてますよ、不具合が発生していますよ』という、私たちの体を守ろうとする味方の信号です。

「痛み」や「違和感」を感じなくなったというのは、多くの場合、慢性化した「痛み」や「違和感」に慣れてしまい感じなくなっただけで、それこそ「痛み」を敵にまわしたということです。
そうなると、その病気は治すのがもっと厄介なことになっなり、取り返しのつかないことになってしまいます。

「痛み」や「違和感」を感じたときには、『なんでこんなときに』『なんでいつまでも』なんてムッとしないこと、知らんぷりしないこと、私のように…。
「痛み」は私たちの味方なんですから。

ご心配、ご迷惑をおかけしました皆様、本当に申し訳ございませんでした。皆様の温かいお言葉には心から感謝しております。ありがとうございます。

眼科では権威ある病院の権威ある先生に執刀していただけたのは不幸中の幸いでした。
手術の寸前には網膜剥離が急激に進み右目の視界はほぼゼロでしたが、最初にかかった病院の適切な対応、執刀医の先生の適切な判断、手術で救っていただくことができました。
今朝の診察で術後の経過良好とのことでした。

思いがけず与えられた「ひとり鎮か」な時間の中で、ゆっくりわたしと向き合ってみようと思います。

7月13日 「不忍池」にて










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「音楽を読む」

2014-03-02 | 徒然なるままに

 音楽というと「聴く」というイメーを抱きますが、私は演奏活動の中では音楽を「読む」ように扱っています。また「読む」というと本来「文字を読む」というイメージを抱きますが、私がここで言う「読む」は「心を読む」方の「読む」です。

例えば《ことのは・こばこ》。この公演の中ではたくさんの歌と朗読を聴いていただきます。歌はクラシックから選ぶ場合もありますが、多くは馴染みある歌謡曲やポップスなどから選びます。それは一般の方々がメロディーを受け入れやすく、歌詞の内容も私たちの日常により近いからです。同じ考えで、朗読するものも、プロの作家さんのものではなく、一般の方々が綴られたものを選ぶようにしています。特に幼い子どもたちの書く詩には『上手に書こう』『こんなこと書いたら恥ずかしい』などという「作意」が全くなく、素朴で素直な心がストレートに伝わってきます。

公演の終了後、「あの歌こんな歌詞だったんですね」という言葉よく聞きます。私が一番嬉しい瞬間です。ふだん何気なく聴いている歌も、この公演の中で聴くと歌詞の隅々までが聴こえる…これは単なる耳ではなく、心の耳で聴いていただけたということではないかと私は受け取っています。

この現象は私の想いや声の力だけではなく、音楽の力、言葉の力…様々なものが微妙に絡み合わなければ起こりません。どのように絡み合わせるか、このプログラミングこそが《ことのは・こばこ》の全てであり、これを裏付けるものが「音楽を読む」ということなのです。

また「音楽を読む」ということで、敬遠されがちなクラシック音楽の扉を開けることもできます。それも正面玄関の扉ではなく、勝手口だったり時には窓だったり…。研究所のもう一つの公演《音楽遺産探訪》では、私は作曲家の生活、知られざるエピソードなどに触れながら、この扉を開ける役、案内役を勤めさせていただいています。

私の演奏活動は、この「音楽を読む」ということに裏付けられています。

 音楽を読む研究所 主宰   中橋怜子                                                

(ロータリークラブ機関紙 投稿記事より)


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母と息子

2014-02-23 | 徒然なるままに

「ふるさと」の3番の歌詞に触れるたびに私はある人のことを思い出します。

「先生…私ふるさとの3番の歌詞がどうしても歌えないんです。ですから、今回の慰問コンサート欠席させてください!どうかわがままを許してください!」それ以来、プログラムに「ふるさと」が入っているコンサートは、彼女は全て不参加でした。

   志を果たして いつの日にか帰らん

  山はあおきふるさと 水は清きふるさと (「ふるさと」3番)

「志を果たして、苦労をかけた母親の待つ故郷に帰るのが主人の夢でした。ところが、やっと校長になれた時に癌であることがわかり、主人は志を果たすことなく人生半ばで亡くなってしまいました。どれほど悔しかったことか…。胸が苦しくて、涙が溢れて、私にはこの歌詞がどうしても歌えないんです」と彼女はその理由を説明されました。

私も二人の息子の母親です。二人はそれぞれ十代で家を出て母親から遠く離れたところで暮らしていますが、物理的な距離とは全く異なる部分で、何か特別なもので結ばれているような気がします。それが何なのか言葉でうまく説明することはできませんが、非常に深く強いものであることは間違いありません。

我が家の場合、私から息子に連絡することはほとんどなく、忘れた頃に息子がひょっこり電話をしてきます。息子たちがひょっこり電話してくるのはどんな時か…ここには私だけが気づいているたった一つの「息子のルール」があります。これは二人ともに共通していることです。

たった一つの「息子のルール」…それは、母親である私が喜びそうな出来事があった時なのです。

息子たちに自分から電話をしたり訪ねて行ったりしない私に「どうして?」と不思議がる人がいるのですが、その理由はこの「息子のルール」を尊重するからなのです。息子たちの見て欲しくないこと、聞いて欲しくないことには触れない…これが私が長年守っているたった一つの「母親のルール」です。

昨夜、ある男性からメールが届きました。そこには愛するお母様を見送られた心境が切々と綴られていました。素晴らしき教育者として長年尊敬しお慕いしていた立派な男性の「息子」である一面に初めて触れ、今日はこんなことを綴ってみたくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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