夏目漱石の「こころ」の一節(上-二十八)が頭をよぎる。
惨たらしい幼児殺害事件を起こした男も、平生は善人として街の中に溶け込んでいたのかも分からないと思うと、事件そのものよりむしろそのことの方が恐ろしい気がする。
コンビニのレジの列の後ろの人が、電車の中でつり革を持って立っている人が、映画館の隣の席の人が、急に悪人に変わる人かもしれないと考えると恐ろしくて街に出ることができない。
しかし、
平生は悪人なのに、いざという間際に急に善人に変わる人はもっと恐ろしい。善人を装っている人はもっと油断ならない。
ここまで書いて、善人と悪人の境目は一体どこにあるのだろうか、と考えてしまう。
例えば「こころ」の一節、こんな風に言い換えたらどうだろう…
「善い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような善人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな悪人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に善人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
まんざらおかしくもないから、世の中やっぱり恐ろしい。