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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

車の運転

2015-04-22 | 徒然なるままに
「わかってるやん!!」
信号待ち、2秒ほど出遅れただけなのに後ろの車がブーブー鳴らすものだから、ついカッとなって車の中で叫んでしまった。
その人の人間性は車の運転にも滲み出るものだ。外に聞こえていないことをいいことに声を荒げるわたしの人間性も含めて…。


「わかい人」
車にのっていたら
ほそい道でバックができなくて
もたもたした車がとまっていました
いくらまってもバックができなかったので
おとうさんは
「バックもできんのんやったら車にのるな」
と車の中でどなっていました
それやのに車からおりて
しんせつにうごかしてあげました
にこにこしていました
わかい女の人でした
(小学1年生の詩)


免許を取ったばかりの時に、私もこの詩と全く同じようなことがあった。
バックしようとするのだが、焦れば焦るほど車は思うように動いてくれず、しまいにはハンドルを右に動かしたらいいのか左に動かしたらいいのかわからなくなってしまった。対向車はどんどん溜まる。クラクションはブーブー鳴らされる。
騒然とした空気が漂う中、「変わりましょう」とににこにこして車をスルスルっと動かしてくださった男の人がいた。
その人は、目の前の対向車ではなく、確かその4~5台ほど後ろの車を運転していた方だったと思う。
車は一気に流れだし、その男の人の車も行ってしまった。あの時きちんとお礼が言えなかったことが未だに悔やまれてならない。

人が困っていても知らんぷりの人、文句だけ言う人、救いの手を差し伸べてくれる人、たくさんの車が鼻を付き合わせたあの瞬間に人間模様を見た気がした。

人間性が内側から滲み出ると言うが、それは車を透しても見えるのだ。

今朝「わかってるやん!!」と車内で叫んだ瞬間、あの日、にこにこして車を動かしてくださった人のことを思い出した。


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「教える」覚悟、「教わる」覚悟

2015-04-21 | 徒然なるままに
今日の授業でいきなり質問された。「先週の授業のこの部分ですが…」

非常に熱心な男性で、その方の存在はちょっと無理して言えば、私にとって良いプレッシャーになっている。

それにしてもその男性は先週は欠席だったはずだ。それなのになぜ先週の授業の質問を…と思ってよく見れば、今日もその方の足元の鞄の陰で小さなレコーダーが動いている。前回は自分はどうしても出席できないのでそのレコーダーを隣の席の方に託されたそうだ。

自分は一体どれほどの覚悟で喋っているだろう。
自分自身が教わっていることもたくさんあるが、一体どれほどの覚悟で教わっているだろう。

全く、全く覚悟が足りていない。

「教える」覚悟、「教わる」覚悟を思い知らされた。

朝から一発殴られた気分である。


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切ない親指

2015-04-17 | 徒然なるままに

早朝、叩きつけるような雨音で目が覚めた。

「あめ」
せんせい
どうしてあめがふるか しってる?
木には手がないので 水をのめないから
かみさまが
かわいそうにおもってあげるのよ
せんせい しってた?
(小学1年生の詩)


雨女の応援歌であるこの詩も、どこか恨めしい今日この頃である。

「雨後の筍」とはよく言ったもので、この近くに竹薮を所有している友人から頻繁に届く筍、昨日はついに有難くもお断りさせて頂いた。もう充分食べさせて頂いたということもあるが、お断りしたのにはもう一つ理由がある。

今、右手の親指が使えない。
筍の皮を剥いているとき、親指の爪と肉の間に皮が深く突き刺さった。親指はずきずきと疼き出し二倍近くに腫れ上がった。
今日で5日目、腫れはようやく引いてきたが親指はまだ全く使い物にならない。
親指が使い物にならない不自由さが身にしみる。

改めて手を眺めてみる。
家族5人、他の4人は仲良く肩を寄せ合っているが、父親だけが遠く離れている。
家族4人を下の方で支えているようにも見えるが、ひとり下の方に追いやられているように見えなくないもない。

そんな切ない親指であるが、これがなければ何をするにも不自由でならない。
まず「握る」「摘まむ」ができない。いや、親指がなくても「握る」ことも「摘まむ」こともできなくはないが、親指があるからこそ落とさないという安心感がある。

私の親指の包帯に、昨日は友人たちとこんな話で盛り上がっていた矢先のこと、今朝のうつみ宮土理さんの言葉が心に染み入った。

「私が思うように仕事ができたり、友達と旅行したり楽しく過ごせるのは、主人がいてくれているという安心感のお陰です」

愛川欽也さん、ご冥福をお祈り申し上げます。






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町のスーパーマン

2015-04-11 | 徒然なるままに
普段はちょっと間の抜けた決して一流とは言い難い新聞記者。それがいざ事件が発生すれば、さっそうと胸に「S」マークのついた青い全身タイツ、赤いマント、赤いブーツに身を包んだスーパーマンに変身して空を飛びスーパーパワーで悪者をやっつける、民衆を救う。
余談であるが私が昔からメガネの男性に弱いのは間違いなくこの黒ぶちメガネの新聞記者クラーク・ケントに出会ってからだ。私はかなりの眼鏡フェチである(笑)

頼りないうだつの上がらない新聞記者とスーパーパワーのヒーロー。惹かれるのは新聞記者の姿でもスーパーマンの姿でもなくそのギャップ。
いつも、何をさせても何と無く「普通」「中庸」いうのは生きやすいかもしれないが人間としての魅力には欠ける気がする。どうせ生きるなら両極端に突き抜けてギャップの中で生きる、これは私の憧れる生き方である。

さて、昨日は「三方良しの公共事業推進研究会奈良支部設立総会」に出席させて頂いた。そこで高知県から駆けつけておられたある建設業者I(あい)組のM氏のお話に胸を打たれた。

昨年は40年に一度と言われる大きな台風が二度に渡り高知県を直撃した。私たちが屋内で身を守っている時にI組さんが台風の中でされていたキケンでキツイ作業のお話。

今までどうしてこういうことに疑問を抱かなかったのだろうか。誰もが嫌がるキケンでキツイ作業が知らない間に行われていることに。
3Kなどといって嫌う仕事も誰かがやらないとライフラインはたちまちめちゃくちゃになってしまう。
台風、豪雪、洪水…何が起こってもしばらくすれば我々の生活は元に戻る。

M氏のお話を聴きながら、スーパーマンのことを思い出していた。
3Kのイメージといざという時に人知れず地域を守るスーパーヒーロー。
このギャップに気づいている人が一体どれだけいるだろう。

建設・土木業は町のスーパーマンではないか。















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錯覚

2015-04-06 | 徒然なるままに

知らない男性の訪問にじっと無言で堪えていたマリがついに沈黙を破った。
「おばーちゃん!」
点検終了の書類を記入していたガス会社の男性はマリの言葉に腰を抜かさんばかりに驚いた。
「い、今のはこの鳥ですか?」
鳥はしゃべらないという錯覚。

平城京時代のお料理の再現という行事に参加した時、甘いと思って口に入れた羊羹がしょっぱくて吐きそうになったことがある。友人宅で美味しそうなワンちゃんのお誕生日ケーキを盗み食いした時も味がないのに驚いた。羊羹もケーキも甘いという錯覚。

我が家にはBGMの音楽なんて全く流れていない。音楽家の家にはクラシック音楽が流れているという錯覚。

結婚して20年も一緒にいるという錯覚。主人は、朝会社に送り出したら夜遅くまで帰って来ない。帰って来てもさほど話をするわけでもなく、となると一体夫婦は一日何時間一緒に過ごしているのか。20年のうちどれだけ一緒にいたというのか。夫は会社の同僚と一緒にいる時間の方が遥かに長く、妻とて仕事仲間や仲良しの友だちと一緒にいる時間の方が遥かに長かったりする。

子供がいるから安心という錯覚。子供は学校を出て社会人になる。つまり親の元を離れて社会の人になるのだ。親のものではない。

政治家や教師は聖職者であるという錯覚。
警察官は悪いことをしないという錯覚。
女は男よりか弱くて繊細でキレイ好きであるという錯覚。

生まれが良いとか悪いとかいう錯覚。両親、その両親、そのまた両親…わずか5代遡っただけでも自分に血を分けてくれた人は62人。62人もいれば犯罪者の一人や二人いたかもしれない。62人の血を足して平均すればみんなたいして変わりはしない。もっと遡ればみんなおんなじ。

私たちは錯覚の中で生きている。
ときには生まれたての赤ちゃんのように頭をまっさらにしてみるのもいいものだ。


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ありがとう

2015-04-04 | 徒然なるままに

「…最後に私からご主人様のご両親にお願いがございます。結婚すると、この先いろんな障害が出てくると思いますが、怜子さんがこれからもずっと歌の勉強ができるよう、演奏活動を続けて行くことができるようご理解ご協力くださいますようどうぞよろしくお願い申し上げます」
これは遠い昔、恩師である声楽の先生が私の結婚式でくださった祝辞の最後の部分である。
この後、義父と義母は慌ててその場で起立すると「わかりました」と深々と頭を下げた。

実は、先生の祝辞の最後のこの部分は先生からのお願いではなく、結婚式でこう言って欲しいと私が先生に頼んだ私からのお願いなのである。
今、明かす真実…。

義父91歳、義母88歳、私はこの二人のお陰で、声楽家、うた語り、指導者、指揮者…何もかも一度も中断することなく、子どもが病める時も音楽活動最優先でここまで続けさせてもらうことができた。いつも温かく理解あるこの両親に私はどれほど感謝しても感謝し切れない。

今、心を込めて

「ありがとう」

義母88歳のお誕生日に

怜子



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桜の季節に

2015-04-02 | 徒然なるままに

今から10年ほど前の話である。

高校時代の親友が乳癌の手術をした。手術は成功したかのように思われたが、再発。そこから彼女の凄まじい癌との闘いが始まった。

辛い抗がん剤の点滴に付き添ったり、検査結果を一緒に聴いたりもした。病院の帰りには一緒にご飯に行って馬鹿な話をいっぱいして元気づけたりもした。あちこち旅行にも一緒に行った。彼女を励ましたい一心で彼女の地元でコンサートを開いたりもした。

最後に診察室で彼女と一緒に見たCTの画像、そして主治医の先生の言葉は今も頭から離れない。
癌細胞はついに彼女の肝臓全体を侵していた。

彼女はこれまで通院で治療をしてきたが、手術のため入院することになった。
手術の翌々日、病室のベッドから電話をしてきた。
「すぐ来て。会いたい。伝えておきたいことがあるの」
彼女は蚊のなくような声で、途切れ途切れにこう言った。
大きな手術の後だから仕方ない。これから日に日によくなって行くに違いない、私はそう思った。

コンサートの直前だった私は、すぐには行けないが、コンサートが終わったら飛んで行くからと伝えた。
すると彼女は、
「それでは間に合わない」
こう言った。

コンサートが終わって家に帰るや否や電話が鳴った。

間に合わなかった。

彼女は最後の桜を見たその春に帰らぬ人となった。

物事には「いつでもいいこと」と「今やらないといけないこと」とがある。「いつでも間に合うこと」と「後では間に合わないこと」とがある。
後からでも取り返しのつくことと、後からではどうがんばってみても取り返しのつかないことがある。
何でも都合よく自分に合わせて待ってくれると思ったら大間違いである。

大切なことを絶対に先に伸ばしてはいけない。

桜の季節が来ると思い出す。





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2015-03-31 | 徒然なるままに

私たちの目は起きている間じゅう常に涙が分泌されていて知らず知らずのうちに鼻の方へ流れている。
ところが泣いたときは一気に涙の量が増えるため、鼻の方へ流すだけでは追いつかなくなり目から涙があふれ出す、それが涙が流れる仕組みである。

余談であるが、日本人は涙を鼻の方へ送る管が細いため、泣いて涙が増量すると一気に目から溢れ出るが、西洋人はその管が太いため泣くと鼻水が増量する。西洋人の多くが泣くと鼻を押さえるのはそのためである。映画のシーンなどを注意してご覧いただくとわかる。

1日の涙の量は大人で0.5~1.0ml、1年間ためておくと缶ビール1本ぐらいの量になるという。
涙もろい私の場合は、ゆうにロング缶1本はあるだろう。

しかし、

もう簡単に泣くのはやめようと思う。

少年刑務所の待合室にこんな詩が掲げてあった。打ち合わせを終えて帰り際、急いでノートに書き写した。

「涙は神様がくれた魔法の水
だから泣きたい時に泣くのがいちばん
でも いつまでも泣いてちゃだめ
いちばん嬉しい時のために
いちばん悲しい時のために
涙はとっておかなくちゃ」

そうだ。
そう安安と泣くもんじゃない。
涙は一番大切な時のために…





昨日、今年度最後の授業を終えて
教室の窓からの風景(大阪市内)















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自分の番号

2015-03-29 | 徒然なるままに
多数が支配するこの世の中で、少数の意見、権利をどう守るか、これは民主主義の難所である。「数」で決めるのは最も民主主義的ではない気がする。

「数」だけでは解決出来ないからこそ「議論」が生まれる。投じられた一石が起こす波紋の広さ深さ、そこに様々な議論が生じるからこそ社会は磨かれ成熟していくのかもしれない。

実は私は多数決で物事を決めることがとても苦手だ。
賛成9人反対1人、こんな明確な結果が出ても1人の意見が気になって前に進めない。
昨年、網膜剥離の手術の前に「90%の確立で治ります」先生にこう言われた。治らないことがあるんだ…。
95と5、98と2、その時の私にはその数字に殆ど意味はなかった。

「数字」を並べて説明されるのが一番苦手だ。「数字」で説得されようとすると、「数字」で誤魔化されているような、「数字」でねじ伏せようとされているような、どうもすっきりしない私は厄介なアナログ人間である。

今年10月には12桁の「マイナンバー」が届くという。
それまでにはもう少し「数字」と仲良くできるようになっておかなければならないと思っている。
しかし12桁というと携帯電話番号よりあと1つ数字が増えるわけだ。そんなに長い自分の番号がまずちゃんと覚えられるかどうかだ…。

今朝、花壇や植木鉢に寄せ植えをしながら、花たちも議論し合うのかもしれないなぁ…なんてふと思った。全く違う種類の花たちがこれから同じ場所で暮らすのだ。必要な栄養分や水の量、陽射しの量も微妙に違う。彼らは逃げ出すことはできない。そこで協調し合い順応しなければ生きていけない。
大いに議論し合って仲良くやって欲しい。

「おい13番くん、もう少し右側に葉を伸ばしてくれないか!」




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でっかいモノサシ

2015-03-27 | 徒然なるままに

水中を浮遊する魚たちのあまりの美しさには全く息を飲んでしまう。かれらの身に施された色柄は、人間の想像を遥かに超えていて、一体どう表現したらよいのか言葉がまるで浮かばない。
あまりにも奇想天外なデザインに、神様の芸術的センス、ユーモアの凄さを改めて感じてしまう。

海の中の世界に憧れ「潜り」に夢中になった時期がある。しかし興味半分の水遊び程度では、想像を絶するほどの美しい世界を目にするのは難しいこともわかった。写真の魚たちは足繁く通った美ら海水族館の魚たちである。

私たちが日ごろ目にするものだけがこの世の世界ではない。空や海の中にはもちろんのこと、この地上にさえも知らないことがたくさんある。いや、知らないことの方が遥かに多い。

このでっかいモノサシでは、誰が誰より偉いとか偉くないとか、どこの会社がどこの大学がなんて、そんなちっぽけなことを計ることなど到底できやしない。体重計で米粒ひとつ一つの重さの違いを計ろうとしているようなものだ。

心の中にこのでっかいモノサシを持っている人は、決して人を非難することなどしない。

私は心の中のモノサシがちっさくなってきたら、海に山に…大自然の中に繰り出ていく。
でっかいモノサシを手に入れに。






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脳の忘れる力

2015-03-25 | 徒然なるままに
病院で目についたちびまるこちゃん。
「もの忘れ相談受付中」とあるが、一体どの程度になったら相談するべきなのか…最近、本当によくもの忘れをする。

少し前の話、買い物が終わって立体駐車場に戻ると、とめたはずの場所に私の白い車ではなく黒い車がとまっている。側まで行かなくてもそれは20メートルほど手前から見ても明らかで、私はすぐ館内に戻ってガードマンらしき男性を捕まえ「私の車がありません!盗まれたみたいです」と血相を変えて訴えた。そしてその男性を引っ張るようにして車を止めていた場所に案内した。
「……」
「どうされましたか?」
「すみません…ありました」
その日、私は主人の車に乗って買い物に来ていたのだった。
こうして書くと笑い話のようであるが、しばらく私はかなり落ち込んでいた。

友人同志で「もの忘れ」の話になると、最近は忘れ方の度合いを競うような変な風潮になってきた。「私なんかね…」と負けじと忘れた出来事を自慢したりする。
おかしな話だが、実はこれは一理あるのだ。

「必要なものは取って置き後は忘れる」これは脳の働きの中で一番大事な働きなのだ。辛く悲しいこともどんどん処理していく。これができる脳は健康である証拠なのだ。

私がある女性に出会った時、その女性は始めて会う私に涙ながらに失恋の話をした。それもそのはず、私と会う前日に5年間も付き合っていた男性に突然ふられたのだ。寝耳に水といったふられ様。
この世も終わり、自殺でもやらかしそうなその姿があまりにも痛々しくて、それとその女性のことをよく知らないこともあり、私はただただ話を聴いて頷くばかりだった。
あれから7年、彼女は別の男性と結婚し今では5才の女の子と3才の男の子お母さん、家族4人でとても幸せに暮らしている。

大失恋しても例え伴侶を亡くしても、大失敗しても、脳の「忘れる力」で、人はちゃんと立ち直れるようにできているのである。
不必要なこと、嫌なことをいつまでも引きずらずに忘れていくことができるというのは、脳が若々しく健康な証拠なのだ。

しかし、必要なことを忘れるのは…

そろそろ義父の点滴も終わり。
今日は白い車で来ていること、ちゃんと覚えている。




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「門」 …少年刑務所にて

2015-03-13 | 徒然なるままに
「面会ですか?」
門でかけられたこの一言で心が震えあがったまま、昨日はとうとう丸一日を悶々と過ごした。

打ち合わせの前に少年刑務所の中を案内して下さった。
貴重品、持ち込み禁止の携帯電話などを小さな待合室のロッカーに入れた。コートを脱ごうとすると「中は寒いのでどうぞそのままで」と。

ロマネスク調の見事な建物は、明治41年(1908年)に山下啓次郎設計により建てられたもので今もそのままに使われている。まるで映画のセットの中に居るような気がしてくる。

厳重な鍵があけられ物々しい扉が開く。受刑者たちが生活する空間に足を踏み入れた途端空気が変わる。暖房がない寒さのせいだけではない。

放射線状に伸びた五本の廊下にぎっしり並ぶ独房の扉。厚さ10センチはあろうかという分厚い一枚板で作られている扉には、監視用の小さな窓と食事が支給される足元の小さな扉がある。独房には誰もいない時間帯なので中を開けて見せて下さった。

小さなキャリーバッグ1つ、むき出しのトイレ、まるで折り紙のようにきちんと畳んで積み上げられた薄い布団、小さな小さな部屋は恐ろしく整然と片付いている。
泣くところではないと懸命に抑えるのだが、切なさで胸が張り裂けそうで涙が抑えられない。
もし我が子だったら…「面会ですか?」と門でかけられた言葉が頭の中で何度もこだまする。

施設内を隅々まで丁寧に案内して下さった。私語、脇見、一切禁止。私の姿が視野に入っているだろうに、誰ひとり振り向かない。受刑者同志の会話が唯一許されている昼食後の僅かな時間に見た青年たちの笑顔が忘れられない。

これまでにも養護学校、孤児院、ホスピス、重度認知症介護施設などで何度も今回と同じような思いをしてきた。

しばらく遠のいていた場所に戻ってきた。

社会の片隅で息を殺し影を潜めている所がたくさんある。社会が門を閉ざして隠しているのか、我々が門を開けようとしないのか…そういう所こそ目をそらさずしっかり見るべきだと思う。

震災にしても同じだ。

一人ひとりがそこから何かを感じ取るべきだと思う。人から理屈っぽく教わるのではなく自分で門を開けて自分で感じ取るべきだ。

必ず自分の中で何かが動く。人生観が変わる。

来年度は約五百人の受刑者たちを前に歌い語る〈言葉小箱〉(ことのは こばこ)でスタートする。
原点にかえって心新たに歩んで行きたい。





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三人姉妹

2015-03-10 | 徒然なるままに
実は私には生まれてすぐに亡くなった姉がいる。ふと自分は長女気質ではないなぁと思うことがある。もし姉が生きていたなら私は三人姉妹の次女ということになる。そのせいかもしれない。

さて、演劇・舞台の大先輩である友人のお陰でチェーホフの「三人姉妹」最終日前夜のS席ど真ん中のチケットをゲットすることができた。

いろんな事があり過ぎた今年度の私の幕引き寸前に、やはり幕引き寸前の芝居、自分への最高のプレゼント。

チェーホフは「かもめ」「ワーニャおじさん」「三人姉妹」「桜の園」の4つの戯曲を書いている。

その昔「三人姉妹」というタイトルに惹かれて初めてこの戯曲を読んだ時は、何か裏切られたような…そんな印象しか残っていない。
この「三人姉妹」には特定の主人公もいなければドラマが大きく展開するわけでもない。大事件も誰かの大出世も大手柄も何も起こらない。

そんな戯曲がなぜ演劇史に残る名作として未だにこうして上演されるのだろうか。

劇中の一見平凡で退屈そうな人々の生き様には、現代の人間模様に通じる要素がたくさん秘められている、この年になって分かるような気がしてきた。

私たちの日常は、毎日毎日テレビドラマのようにドラマティックではない。殆どの日が特に大事件もなく平凡に過ぎて行く。しかしそれは表面的なことであり内面はそうではない。
人の心は宇宙のように計り知れず大きい。私たちはその極々一部を覗かせて生きているのだ。
見せていない部分、あるいは自分でさえも気づいていない部分はとてつもなく深く大きい。

長女のオーリガには余貴美子、次女マーシャには宮沢りえ、三女のイリーナには蒼井優が登板。そして次女マーシャの不倫の恋人役に堤真一。

いろいろ分かったようなことを偉そうに語ってみたが、正直に言うとそんなことはどうでもいい。
ナマ 堤 真一に逢えることが普通に嬉しい!




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2015-02-18 | 徒然なるままに

私が慕っていたある女性は、幼い子を連れて里帰りしている間にご主人に出ていかれてしまった。家に帰るともぬけの殻、ご主人の身の回りの物も全てなくなっていた。
その後その女性は女手一つで一人息子を幼稚園から大学まで行かせ、就職させ結婚させ、孫が大学生にまでなり、昨年85歳で帰らぬ人となった。

ご主人との経緯を一度だけ聞いたことがある。それ以降その女性はそのことには一切触れなかった。
しかし、晩年にただ一度だけこう言った。
「あの人は最後には私のところに帰って来る」
その女性はそう信じて80年間を生き抜いたのだ。棺の中の彼女の固く一文字に結んだ口元を見て女の情念を感じずにはおられなかった。

昔の女性ならそんなこともあるだろ…と思っていたら、一昨日、その女性と全く同じ言葉を耳にした。
「あの人は最後には私のところに帰って来る」
虫ケラのように捨てられ踏みにじられたにもかかわらず、彼女は淡々とそう言う。
今も昔も女の情念は変わらない。執念ともいえるこの強い情念には同じ女でありながら恐ろしささえ感じる。

先月のこと、いつも笑顔を絶やさない朗らかな女性がふと私に涙を見せた。
深夜まで体を張って働いて夫と幼い一人息子との生活を支えていることを彼女は涙を拭いながら話した。
彼女には大きな夢があった。その夢を叶えるために頑張っているのだとその涙の目で笑った。私も涙の目で笑った。

女は強い。
一人で子ども達を立派に育てている女性もたくさんいる。みんな明るい。

女は凄い。
少々のことでくたばらない。ただの泣き寝入りなんてしない。

最近、そんなことを思う女性との出会いが多い。


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負の連鎖 「3組に1組」に想う

2015-02-18 | 徒然なるままに

「3組に1組」、これは今の日本の離婚率である。日本もアメリカ(2組に1組)的になってきたなぁ…と苦笑いしてはいられない。
シングルマザーの数が凄い。
子どもの人権について考えるにつけこの問題を無視するわけにはいかない。

今、6人に1人の子どもの貧困の中にあるという。その深刻な問題は、やはり深刻な問題になっている女性の貧困と深い関わりがある。

朝から晩まで、働けど働けど女性の非正規雇用では生活は一向に楽にならない。それでつい身入りの良い仕事へ…。
それは母親の深夜不在に、ネグレクト(育児放棄・育児怠慢)に、また深夜そうして働く女性に溺れてしまう男性の家庭崩壊に…そして離婚。こんな負の連鎖もある。

「3組に1組」これはあくまで法的に離婚が成立した夫婦の数である。
とっくに愛など冷めているが、経済力がないため離婚には踏み切れないで涙を飲んでいる女性が私の周りだけでもけっこういる。
法的に離婚が成立はしていないものの離婚しているのとほぼ変わらない状態にある夫婦の数まで入れると「3組に1組」どころではないはずだ。
子どもが大学を卒業するまで、結婚するまでとじっとその時を待っている女性もけっこう知っている。笑えない事実である。

夫との愛が絶えたから子どもに過干渉・過保護になるのか、子どもに過干渉・過保護になるあまり夫との愛が絶えるのか、いずれにしてもこういう母親が子どもの人生に一縷の影を落とすのかもしれないし、その夫は他にオアシスを求めるのかもしれない。
これもまた負の連鎖。

複雑に絡み合った負の連鎖はそう簡単に解決できるものではない。
しかし、テレビを騒がす目を覆いたくなるような事件、そのツルを辿っていけば意外なところに根があったりする。私たちは決して全く無関係ではないはずだ。

ただただ非難ばかりしていないで一度じっくり考えてみて欲しい。答えは見つからなくても構わない。どうしてこんなことになったのか真剣に考えてみて欲しい。

来週に子どもの人権をテーマにした〈ことのは こばこ〉公演を控え、今、様々な思いが頭を巡る。


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