7/3に北陸放送さんで放映された番組です。
今頃になってですがすみません。
『エール私たちの能登半島地震』
エール 私たちの能登半島地震
#TVer
https://tver.jp/episodes/epvausx9i8?p=546
今年1/1に起きた能登半島地震。いまだ爪痕色濃く残る現地を記者さんと歩く太一くん。
昨年の地震で窯が壊れ、クラファンでせっかく窯を再建したところにまたこの地震で多大な被害を被った丸和工業さん。
それでも現地に留まり『半分意地です』と。
今回の地震では、一部の政治家の方々から『集約化』という声もあがりました。
確かに効率を考えればそうなのかもしれない。復興にはお金も人手もかかる。人里離れた地に住む1人や2人のために道を整備するくらいなら、その方々にもっと人が住む地域への移住を促した方が良い、それが政治というものなのでしょう。
でも、娘さん方が心配して呼び寄せようとするのにもガンとして首を縦に振らず、『80年ここに生きてきたんだもの』と2人だけで蔵に住み続ける高齢のご夫婦を見ると、太一くんが『なんて言葉をかけたら良いんだろう。難しいね』って涙した気持ちがよく分かる。
人の心は簡単に割りきれるものじゃない。
また、こうした災害をニュースとして取り上げる際、報道する側はともすれば批判されることが多いし、私もまた『何故辛い思いをされている方々に敢えてカメラやマイクを向けるのか?』とこのブログにも書いてきました。
でも記者さん方も、ずっと葛藤しながら取材されているのですね…中にはご自身も被災者だったりご親戚を亡くされた方も。
それでも、伝えないといけないことがある、というその使命感。実際、報道されないと被災地の現状がどうなっているのか一般の人たちにはわからない。そしていつしか忘れてしまう。まるで何もなかったかのように。
珠洲市飯田高校ウェイトリフティング部の橋本選手はお母様といまだビニールハウス暮らし。橋本選手のおばあちゃまは1/1がお誕生日で、ご家族に囲まれお祝いされ幸せそうなあの数時間後に、あんな悲しい未来が待っていたなんて。
そしてそのおばあちゃまを地震の翌日、倒壊したご親戚の家で発見したのがおばあちゃん子だったという彼…
この地震によって、お年寄りも若い方も幼い子も、皆さんそれぞれがなんらかの苦しみや悲しみを抱え、それでもなんとか前に進もうとしていらっしゃる。
『エール 私たちの能登半島地震。』MROさん、この番組を今、放送してくれてありがとう。
太一くん『被災された方々にどうやって寄り添えばいいのかずっと考えてきけれど、こうやって少しでも笑顔が見られたことが少しでも寄り添えたのかなと。こんなことしかできないんだなと改めて思ったけど、でもその一瞬でもその人が笑ってくれるということが今ぼくができること』
太一くんありがとう。
私も自分ができることをこれからも考えます。