写真:2018/6/34~28 「対馬・壱岐」
写真上:「万松院」対馬藩主宗家の墓所 樹木に囲まれ眠る
「対馬には韓国観光客が大勢押し寄せる」といった報道は多いです。実際対馬は福岡県博多港までは132kmなのに韓国までは約50kmとかなり近く、「国境の島」とも呼ばれます。島の大きさは南北82km、東西18km、面積約708㎢は佐渡島・奄美大島に次ぐ広さで、なんと淡路島より広いのですね! 平成15年に島内全域が合併し長崎県対馬市となりました。
こうした地勢から古来、対馬・壱岐は大陸・朝鮮半島との外交の拠点となり賑わいました。最も栄えた黄金期は、江戸元禄期に歴代藩主である宗氏の宗義真(そうよしざね)の時代で、彼は朝鮮貿易によって莫大な利益を得て、大規模公共事業を行うなど「西の長者」と称されました。
江戸徳川幕府は秀吉の朝鮮侵略による両国の関係修復のために「朝鮮通信使」による交流を始めましたが、江戸までの往復は困難だったので、対馬において宗氏に対朝鮮外交を一任しました。対馬藩は朝鮮半島に10万坪の外交通商施設「倭館」(わかん)を設置し、対馬藩士400~500人が滞在していたそうです。現在の釜山市は対馬の人々がつくった草梁(チョリャン)の町から発展したといいます。やはり強い結びつきがあったのですね~。
厳原港に近い「万松院(ばんしょういん)」は宗家の菩提寺で、歴代藩主のお墓が整然と並び、「日本三大墓所」のひとつです。山門は1615年(源和元年)に建造された対馬最古の建造物で、樹齢1000年の大杉(長崎県指定天然記念物)が宗家のお墓を見守っています。
こうした「朝鮮通信使」による外交をはじめ、大陸・朝鮮半島との交流歴史や成果が、「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋」として平成27年、第1号の「日本遺産」に認定されました。
しかし人々の行き来、文化や伝統をつなぐ重要な道筋であることは反面、大陸・朝鮮半島の国々とのなわばり争いの最先端、つまり「戦いの島」であり、国を守る「防人の島」という面も持ちます。両島には戦いのための城跡や砲台の跡といった遺跡も数多く残ります。
この砲台遺跡を「対馬要塞(つしまようさい)」と称し、ウォーキングルートとして整備しています。砲台跡は明治時代の18基、昭和時代の13基など全島に31基が残っています。当時の建造技術や豊かな知識に思いをはせながら砲台巡りをするのも興味深いですね。
*** 続く ***
「万松院」の別名ともなっている「百雁木(ひゃくがんぎ)」
幽玄な雰囲気の石段が美しい
樹齢1000年ともいわれる大杉。塀のためか?幹が角ばっている
「韓国展望所」韓国の古代建築様式で作られている。
やはり北部のこのあたりには韓国からの観光客が多いようです
「三宇田浜(みうたはま)海水浴場」対島では珍しい白砂の美しい浜。
韓国語が多く聞こえます
上下:侵蝕された面白い小島もあり興味しんしん
写真下:「烏帽子岳(えぼしだけ)展望台」「浅茅(あそう)湾」
リアス式海岸とまるっぽい島々が美しい。