昨日、学年会があって、学校に行ってきた。
夏休みの最後の頃から、連絡網や謝恩会のことで、お互い、齟齬を来していた部分

があったので、すりあわせをする意味もあって、早めに会ってお昼を食べながら、いろいろ話し合った。
coconutのクラスも、連絡網に関するごたごたがあって、そこいらへんの改善もお願いしたかった。
実は、個人的には、

防災訓練の日

に、担任の先生に状況を話し、クラスの保護者にアンケートを採ったうえで、希望者にだけでもメール配信

できないでしょうかとお願いしてみたところ、seraphimの兄貴も元いた某コンピュータ関係の会社

出身の担任の先生、二つ返事で快諾してくださっていた

。
その辺の事情は、各クラス似たり寄ったりだったので、3年の意向として、「指導者同志」にお願い

してみようと言うことになった。
今年度は、異常に連絡網でまわしてくださいっていうのが多いという話はしたが、ど~も執行部の某さんが原因らしく、委員長に聞いたところ、それでも何件かは話してやめさせたり握りつぶしたりしたのだそうだ。
まったく、言われるままにまわしていたら、ど~なってたんざんしょ・・
あと、coconutが主張したことは、「謝恩会」に関して、執行部がしゃしゃり出るのはいかがなものか?ということだった。
今月の中旬以降に、学年委員と執行部で、謝恩会に関する打ち合わせをしましょうと申し入れがあったそうだが、執行部は、学校全体を統括する人たちであり、たまたま今年度、3年生の親が多かったということで、謝恩会の方にも口を出したくなったんだろうけど、筋違いじゃないかっていうのがcoconutの意見。
ところが、他の人は、
「単にお手伝いしてくれるってことじゃないかなあ。むやみに断るのも亀裂

が生じるし・・」
と、歯切れが悪かった

。
船頭多くして・・ってことわざもあるくらいだから、たくさんの人でやり始めると、意思の疎通がうまくいかなかったり、意見の対立

があったりして、やりにくくなるっしょ?と思ったけど、そのときはそこで自分の意見は引っ込めた。
ところが、この件に関しては、すぐに「意見の一致」を見られた。
学校に行って、「指導者同志」と話をしたときに、執行部のとある保護者が、
「謝恩会、子供も一緒に参加した方がいいのではないでしょうか。」
と、指導者同志に提案してきたと聞いたからである

。
私たちはもう、謝恩会の会場として、某ホテルの宴会場をキープしてある。
子供も一緒にとか、「大前提」から覆された日には、日程から、会場から、変更しなければならなくなる

。
「ほ~ら、みなさいよぉ~!あの人たちが、お手伝いだけ・・なんて殊勝なこと言うわけないじゃん!こうやって、最初からやり直すんなら、逆に私たちがその件から手を引くか、向こうに手を引いてもらうしかないよ~。」
と言うと、みんなも考え込んでしまった。
(それにしても、執行部から離れたcoconut、つい、「

反執行部発言

」が多くなっている・・・笑)
結局、向こうから何か言われたら、こっちはこっちで順調

にやっていますので、当日、何かお手伝いしていただけることがありましたら、こちらからご連絡しますのでお待ちくださいと、委員長から執行部某さんに言ってもらうことにした。
それから、お亡くなりになった前校長先生の話になった

。
用事があって、指導者同志は、最近、前校長先生宅を訪れたそうだけど、奥様が言うには、前校長先生は、家では全く喋らず笑わずの方だったらしい。
今は、夫婦二人だけの暮らしだったそうだが、用事があっても、メモに書いてよこすような感じで、会話もなかったし、学校の様子なんか話したことがなかったそうである。
その先生が、修学旅行から帰ってきたあとは、
「いやあ、いい修学旅行だった

。子供たちもみんないい子だ

。」
と、楽しそうに、何回も何回もお話しされたそうである。
奥様は、亡くなる直前に、本当に幸せないい思いをさせていただいてありがとうございますとおっしゃってくれたそうである。
しかも、卒業アルバム用に学校で撮っていた写真が、ものすごく穏やかな、家では見せたことのない様ないい笑顔で写っていたそうで、お葬式の朝に、
「この写真を遺影にしてください。」
と、奥様が要請されて、遺影を急遽差し替えたそうである。

荒れていたうちの中学

が、今年度になって落ち着きを取り戻したのも、校長先生が、悪いことをしたら、しかるべき所にちゃんと連絡するという、当たり前といえば当たり前の方針を打ち出してくれたからだが、それだけと思っていたが違ったようだ。
先生は、そういった子供たちと自分の間に「約束」をしたそうだ。
朝

、登校したら校長室に行って
「おはようございます

。」
と、挨拶をすること、下校の時にも校長室に行って、
「さようなら

」
を言うことを守らせたところ、子供たちは見違えるように変わったのだそうだ。
制服もだらしなく着て、外では「

特攻服

」のよ~なもんばっか着ていたJくんも、この夏休みは、
「そういえば、普通の服を着ていたので驚いたわ~。」
と、同じ学年委員のIさんが話していた。
いろんな意味で、私たちは、本当にいい先生を失ってしまったわけである

。
前校長の話、進学関係の話、謝恩会の話、連絡網に関するお願いなんぞを話し、夕方になってきたので解散することになった。
謝恩会、某ホテルでやることになっているので、金額もちょっとはるということで、概数を把握するためのアンケートを配るのに、副校長先生の許可を取ろうと思っていたが、指導者同志が、
「せっかくだから、新しい校長先生の所に顔を出してみてよ。」
とおっしゃるので、そうすることにした。
新しい校長先生は、区外の中学の教頭をしていたそうだが、任期途中で任命されたそうで、校長研修も受けていないということで、今年度は「出張」でいないことが多くなりそうだし・・という指導者同志の話である。
私たちは、まあ、ご挨拶だけ・・といった軽い気持ちで、校長室に向かった。
そのとき、指導者同志が、
「謝恩会の日、あけておいてくださいねって一言言ってね。」
と言って、私たちを送り出した。
校長室へ通され、椅子に座った。
「3学年の学年委員です。」
と、私たちは挨拶したが、聞いてるんだか聞いていないんだか、突然、自分のことばかり話し始めた。
普通は、
「何組の委員さんですか?」
とか、
「お名前は?」
とか、聞かないか?
こっちも名乗る暇もないうちに、喋りだす新しい校長・・・
「こっちは初めてでねえ。いろんな学校に行ったけど、一度として同じ区に配属されたことはないんですよ。教育委員会は何を考えているんでしょうねえ・・」
から始まって、
「みんなからは、いい学校に配属されたって言われるんですけどね。成績も区内でトップクラスだそうじゃないですか。環境にも恵まれているし。でも、まあ、どこにでもいるんですよね、問題のある子は。全部が全部、優秀なお子さんのわけはないですからね。」
黙って聞いているcoconutたち、みんな顔が青ざめて、無表情になっていく。
ひとしきり喋って、一段落ついたところで、委員長が、
「3月に謝恩会があるのですが、お時間を空けておいていただけませんか?」
と切り出したところ、
「謝恩会??」
と、噛みついてきた。
「謝恩会なんてものは、やっちゃいけないんじゃないの?ボクが今までいたどこの区も、謝恩会なんてやっていなかったですよ。ここの区は、そんなこと認めてるのぉ?」
と、大仰に騒ぐ。
委員長が手にしていて、副校長に許可をいただこうとしていた手紙を取り上げて、
「何これ?なんでこんな事する必要があるの?こういうのって時代に逆行してるじゃない。謝恩会って名称は使っちゃいけないことになってるんじゃなかったっけ?」
委員長、
「名称は何でもいいです。謝恩会が駄目でしたら、校長先生のおっしゃるとおりにいたします。」
「なんでホテルなの?こんな金額じゃ、文句を言う保護者も出るんじゃないの?」
次々に言われ、しかも、委員長が持っていた資料を取り上げて、
「去年はどうなってたの?一昨年は??」
一昨年は某居酒屋で謝恩会だったらしいが、去年は、先生方と保護者の関係がうまくいっていなかったこともあって(現小学校PのMさんが、その辺の事情は詳しい・・笑)学校の多目的室でお茶会になっていた。
ちなみに、その前の年は、今年度と同じホテルだった。
その資料をみながら、
「おかしいよ~。これ、おかしいよ・・なんで先生と保護者の集める金額が違うわけ?こんなのは駄目だよ~(と、一昨年のを見ながら言う)。それが、去年は学校の中に変わっているじゃない。この、お店から学校に変わったというのは、なにかいきさつがあったはずだよ。行政から、こういうことをやっちゃいけないって言われてこういう形にしたんじゃないの?その辺のいきさつをちゃんと調べた?」
だからそれは、先生方と保護者の関係がうまくいっていなかったからですよ。
去年の学年委員さんも、できることならば、例年通り、どこかでやりたかったと言っていたもん・・・
と、心の中では思ったが、それを言ってしまうと、現在も残っている先生方の批判にもなるので(しかも、ぴかこ

たちは今現在その中にいる)みんな、言いたいのを我慢していた。
さらに一人で何か話し、一人で納得して大騒ぎしている。
私たちは皆、うんざりしてきた。
「これ、保留にしておきますから、先生の方でお調べください。」
といって、話を切り上げて校長室を出た。
校長室の外に、たまたま、去年までの電車男



の担任だったま~るまるがいたのだが、ストレスと怒りで険悪な顔になっていたcoconut、つい、ま~るまるの大きなお腹に向かってシャドーボクシング、パンチ

!パンチ

!パンチ

!を繰り出してしまった。
その後、指導者同志とD組の担任のU先生に廊下であったので、二人を物陰に連れ込んで(笑)今のいきさつを話した。
二人とも、驚いていたようだが、
「ま、サイアク、彼は呼ばなきゃいいってことで・・」
と、指導者同志は気にも留めていないようであった。
が、校長に関しては、ど~も、みな、感じるところは同じみたい。
ま~るまるが、校長室から出てきて、いきなりパンチを繰り出したcoconutを見ても、驚きもせず、ニヤニヤ笑いをしていたということは、何があったかはわからなくても、ある程度状況を把握していたからだろう。
今年度も教頭で行くつもりが、いきなり、区一番のマンモス校の校長に抜擢され、気負ったり、舐められたりしてはいけないと思う気持ちはわからないでもない。
だが、あの「行政が言うことは、黒いものも白い。教育委員会と保護者からのつきあげを恐れて、芽を摘むどころか、種からほじくりかえす」ところは、伝説のM子ちゃんに相通じるところもある様な気がする。
とにかく、coconutはああいったタイプは苦手であるし、いっぺんで嫌いになってしまった。
IちゃんとTちゃんも同意見であったが、委員長だけは、自分も教職に就いているせいか、
「ああいった人もいるでしょう・・・」
と、変に寛容であった。
去年までの校長のC先生と、お亡くなりになった校長先生は、全く正反対のタイプであった。
C先生は、校長としては疑問に感じる点がないわけではなかったが、人間的には「いいオッサン」(いい加減なオッサンという説もあるが・・笑)だったし、嫌いではなかった。
今度の校長は、「子供のため、学校のため、教育委員会や保護者の目を恐れず信念を貫いた」前校長先生とは、全く正反対の方のようである。
C先生も、新しい校長も、亡くなった校長とは正反対の方だが、「反対の反対」でも、同じにはならないんだな~・・と、変なことで感心してしまったcoconutであった。
副校長、今度の校長とは、さらにうまくやっていけないだろう。
亡くなった校長先生の良さを、彼も私たちと一緒に、改めて噛みしめることになるのだろうなあ・・・
(お詫び・・・超超長くて、本当にごめんなさい

)