まだまだ日常生活がバタバタしていて、何やら落ち着かないiです。(笑)
私事ではありますが、免許証の住所変更(正確には記載事項変更届と言うらしい?!)で東大和警察署まで出かけてきました。
車いす生活になってからというもの、運転はしていません。
そうは言っても、この先また必要になるかも知れないし、再度、取得するとなっても大変なので、条件変更をおこない更新はかかさずしています。
ペーパードライバーなので、当然、ゴールド免許。(笑)
アクセスを調べてみると、多摩モノレールの上北台駅が最寄り駅。
多摩モノレールは利用したことないし、ちょうどいい機会なので、やや遠回りになる感じだけど、それでいってみることに。
愚痴っぽくなって申し訳ないが、比較的新しい公共交通機関のわりには、まだまだ車椅子には、あまりやさしくないなというのが第一印象。
一応、一番前と後ろの車両、それぞれ一か所ずつの乗降口にスロープ設置と駅構内の案内にはあったので、多少は期待しつつ、ホームで到着を待っていたわけですよ。
ホームドアが開き、期待のスロープを目の当たりにして・・・
「はぁ?!」
(わかりにくいけど、車いすの後輪が載っているあたり)
たしかに、それらしきものはありました。
とてもとても、単独で乗降できる代物とは言い難い。
これって、単独で手動車いすが乗降できると思いますか?
(写真は、別の機会に撮ったものですが、後ろには介助者がいます。)
写真のようにキャストアップ(前輪を上げること。)して、その体勢維持したまま走行(いわゆる車いす版ウィリー走行)出来るなら、いざ知らず不特定多数の方が利用する公共交通機関が採用するには、どうなんでしょうね?
設置するという姿勢は評価できますよ。
でもね~、いったいどれだけの車椅子ユーザーが、あのままいけるの???
乗降が難しい場合、無人駅なら運転士が別途スロープをかけるそうだが、かえってそのほうがいいような気がする。
このスロープ設置にどれだけのコストがかかっているかはわからないが、そこに更に必要な場合は運転士対応という人件費というコストもかけている。
であるなら、最初から設備にもっと投資が出来なかったのかと疑問に感じてしょうがない。
あくまで、素人考えではあることを最初にお断りしておくが、今のセンサー技術などを応用すれば、コストこそかかっても、今以上に利用対象を広げられるものが出来たはず。
数年前のネットで紹介されていてもので、私も詳細は失念したが、中部あたりの私鉄だったかなぁ、列車とホームとの間隔、高さをセンサーが感知してスロープがせり上がってくるのが、車両側だったかな?装備された例があったはず。
現在は、運用されていないと思ったけど、京急の一部駅にホーム乗降口部分が、単にせり上がってスロープになるものがあったと記憶している。
他にも、一部の路線バスでも採用されている、運転手が席を動かずにボタン一つで、出し入れが出来る電動のスロープ、これの逆バージョン的なもの、ホーム側に設置して操作は運転士がおこなう。
乗降口は限定されるが、運転士側、一番前の乗降口なら目視でも確認できるように出来るはず。
話はそれるが、今は地下鉄に半ば当たり前のように設置されているエレベーター、これだって全国初のエレベーターが設置されたのが、1980年のことで大阪の喜連瓜破駅(きれうりわりえき)というところ。
詳細を書くと、それだけで終わってしまうので端折るけど、この実現だって車いすユーザー当事者団体が当局との粘り強い交渉と運動が大きなうねりを生み、その結果、当時、新駅計画が進められて冒頭の駅に設置となった。
その後も、乗る駅にエレベーターがあっても、降りる駅にも無くては意味ないよねと運動は続けられ、結果、現在の大阪の地下鉄設置率100%となっている。
ここのエレベーターは確かまだ現役で運行されていて、これも数年前にNHKのドキュメンタリーで、日頃、ベビーカーで利用しているママさんたちに、レポーターが設置までの経緯を説明して一様に驚いていたことを、ふとこのブログを書きながら思い出した。
もう何年かしたら、スロープという概念自体なくなって、「段差のない乗降口」それって当たり前じゃないの?なんて時代が来るかもしれない。
必要としているのは、何も車椅子ユーザーに限ったことではないと思う。
例えば、先ほどのベビーカーを押しているママさんとかだって、そうじゃないかな?
私がスロープを利用して乗降している後ろから、「一緒に利用させてもらっていいですか?」と尋ねられたこと幾度も経験している。
「段差のない乗降口」、それを実現するには私が気づいてない課題や問題も多々あるとは思う。
しかし不特定多数の方が、日常の足として利用する、今回取り上げた「多摩モノレール」をはじめとする公共交通機関にはこれからの社会、そして来たるオリンピック開催を見据え、誰でも快適に利用できるような取り組みを、もっと積極的に進めていただけたらと。
だって「移動の自由」は、誰にも平等にある「交通権」という一つの権利なのだから。