chuo1976

心のたねを言の葉として

逃げることがほとんど生きることなりき落ちて形のきれいな椿(山下翔)

2019-10-17 06:40:35 | 文学

毎日新聞 10月14日 23面 川野里子(歌人)

台風が去った朝、これが本当に水と空気の仕業か、と驚く。瓦が飛び、塀が倒れ、公園の樹木がことごとく折れている。猛烈な雨と風、つまり液体と気体に襲われたのだ。

私たちの日常生活は目の前のコップ、窓の外のビル、自分の体、とみんな固体の姿を保っている。固体を信じ、固体から固体へと目を移すことによって生活は成り立っている。

しかしもしかするとそうした私たちの姿はかりそめのものかもしれない。

形代のごとく浮かべる自が影を見つめてゐたり秋の日の水に(伊藤一彦)

固体、液体、気体という物質の三態によって人間の歴史を眺める時、近代以降はいかにも固体優勢の時代であった。鉄道という鉄によって全国を繋ぎ、国土という土地を拡大し守るために戦い、コンクリートであらゆる場所を固めた。

しかし、振り返ってみると、近代以前は、海や川を使った水上交通が主要であり、天気予報がないから空模様をよく読んだ。つまり、液体と気体のゆらめきと不安定さに寄り添いながら生きていたのだ。

固体優勢の世界は、液体と気体の氾濫に弱い。気候変動などの環境問題は多く海と大気に関わる。国土などに関わりなく溢れ出ている。私たちは固体を中心にする思考に慣れ過ぎ、液体と気体を扱いかねているのだ。

あるいは人間の心にとっても固体優位の世界は硬すぎて辛くなっているのかもしれない。

逃げることがほとんど生きることなりき落ちて形のきれいな椿(山下翔)

液体のように流れ、あるいは気体のように気化して「逃げる」。そのようにして自分を守ることは一つの生き方だ。苦しい現実を背負う若者の一人として山下が見ているのは、固体と固体のすき間であり、そこをどのように変態して生き抜くかという切実な問いなのだ。美しい形を保つ椿が目に痛い。

台風はまたやって来る。水と空気からの激しい詰問のように。

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