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鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は久しぶりに女友だちと昼ランチの予定。

2007-11-05 08:50:50 | 直言!
そんなことで夕べ、必死になって四天王寺ワッソの原稿を仕上げた。
1日中、たっての取材、3日は京都の取材、歩いた。歩いた。
御池中学校から河原町御池を京都の朝鮮通信使の再現行列がバーレドする。
前に歩いて写真撮影から入る。
歩きながら正使役の駐大阪韓国総領事館の総領事、沿道の人に手をふる。
私を見つけて手を振ってくれる。びっくりした。
思わず写真に撮った。
こり辺で抜けて京阪四条駅に出れば電車に乗って帰れるがもう少し辛抱して四条河原町交差点まであるいた。
この間沿道の観客にコメントをとりながら歩く。
在日韓国人の男性記者は私がこうして沿道でコメントをとっていくのでびっくりしている。男性記者の先輩記者である。
「チョンさんはやっぱり新聞記者に向いている」と話す。
先輩記者は男性である。
私は男性が沿道の人に声をかけながらコメント取ることは無理だと言うことを十分承知している。これは女性だからできる。女性は利害関係がないと井戸端会議のようにして話しかけることができる。
私は父親からできそこないと言われて何度も怒られたがこれが今の仕事に役にたっている。私は人を斜めから見ない。ストレートにそのまま真正面からみるのでつくろうこともなく気負うこともなくそのまま気さくに話しができる。
妹はまた違っていた。人を必ず疑ってからじっと見てから話すので人より少し出遅れることになる。しかし父親は妹が気に入ってかわいがっていた。
もの静かで思量深くてそして勉強もできたので妹と私を比べては私は誰とも話すのでこの性格が大嫌いだった。
しかし今の仕事でどれほど役にたっていることか。
親父、わかる。子どもそれぞれ持って生まれたものがあってそれを伸ばすことをしなければならないのに何度も押さえ込もうとしても私は反発していた。口答えできないぶん、大学ノートに父親の不満を書いてきたのが今の仕事につながっている。なんでもかんでも否定したらあかん。子どもは子どもでそれなりの天性をもってうまれている。それをひきだしてやらないといけない。
小学校の時に無口だった子どもが遅まきながら高校生になっておしゃべりで賑やかな性格になった。またこれを嫌って父親はお転婆であれはわしの子どもと違うと母親に責任をなすりつけていた。
卑怯な父親だったな。
そして私は先輩の男性記者に言った。
「私はまだまだ記者として勉強不足ですがこの仕事が性にあっていると思います」と話した。話しながら写真撮ったりして歩いていると四条河原町交差点にきた。ゴールの八坂神社はもう目の前に見えている。
せっかくここまできたのだからということで男性記者と一緒に歩いた。
歩いた。そしたらまだ祇園の中には入っていく。石畳の坂道を登った。さすが足が重くなってきた。しかしここで男性記者とはぐれた。
一緒だったらここで湯豆腐を食べて帰ろうと思ったが1人では入れない店だったので入らずに通り過ぎた。
最後までパレードと一緒に歩いた。しかしよかった。最後、終えた主催者代表のコメントをもらうことができた。
また蹴上げの京都市国際交流会館で次のイベントがあったが乗り物に便利なここで私は引き上げることにした。
しかし足はがくがくである。医師に歩くことを禁止されているのに歩きすぎた。八坂神社前からタクシーに乗って京都駅にでた。
そして翌日の昨日である。ブレス席は椅子がなくて立たなければならない。
1時半から4時ごろまで立ちんぼ。足が痛いががまんしなければならない。
そして帰ると今度は必死だ。
原稿を仕上げるのに。テレピから懐かしい歌が流れている。
フランク永井の「夜霧の第2国道」に「有楽町であいましよう」しかし耳で聞きながら仕事をした。隣のリビングで夫は一緒に歌いながらテレビ見ている。やかましいなともいえない。そんなこと言って喧嘩している時間もない。
仕上げたのが11時になっていた。
それからブログの書き込みをして11時半、まだ11月3日の夜より1時間、早く休むことができた。
さてこれから外出の支度して郵便局によって行きつけの喫茶店で新聞をよむことにしよう。女友達と少し会うまでの私の至福の時間である。


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