グー版・迷子の古事記

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鳴らない電話(1)

2013年12月23日 | 落書き帖
僕が明日香と出会ったのは二十歳の時だった。
当時僕は東京でも有名な繁華街で深夜ウェイターとしてアルコールを運ぶ仕事をしていた。
店には専属のバンドがおり30分間隔の演奏と休憩を繰り返していた。
僕たちウェイターはバンドの休憩中に注文をとり、それを運んでいくのが営業時間中の主な仕事だった。
バンドの演奏中には注文が少ないので、壁に寄りかかりバンドの演奏を聴いていた。
僕にとってはバンドの演奏を聴いているこの時間が一日の中で一番楽しい時間であった。

また場所柄であろうか、店の客・バンドメンバー・従業員の中にも業界周辺の関係者が相当数いた。
何気に聞こえてくる会話の端々に田舎者には一見華やかそうな話もちょくちょく聞こえてくる。
しかし何の目的も無く何も考えないで田舎を飛び出してきた若者にとってはまるで関係の無い話だった。

夕方17時には出勤し19時の開店に備え店の清掃をし、25時に客を送り出した後は閉店後の清掃をし朝5時の地下鉄の始発まで他の従業員とカードなどで時間を潰していた。
窓から東京タワーが見える従業員の寮へ着く頃にはすっかり辺りは明るくなり世の中の人の生活の音が聞こえてくる。
ただ寝る為だけに寮へ帰り15時には起きるとまた前の日と何ら変わらない日を送っていた。
夜のネオンの華やかさとは無縁でもあるかの様に漫然とした日々をただただ送っていた。

明日香が初めて店に顔を見せたのは、ある金曜日の夏の夜だった。
彼女は四十代くらいの男性に同伴されてフロアーのテーブル席についた。
彼女にはこの都会でも目を見張るであろう華やかさが漂っていた。

僕は注文を取りにそのテーブルへ向かうと、同伴の男性から注文をとった。
その間中僕に注がれている彼女の視線に、僕は何か恥ずかしさの様なものを感じていた。
明日香は注文をとっている僕を眺めながらずっと微笑んでいた。

彼女は周りとは違う飛び抜けた華やかさを持っていたが、彼女自身は寧ろそれを隠そうとでもしていたのかもしれない。
美しすぎる物と言うのは、大概傍目から見ると長い時間見るには耐えられない物である。
美形の人物・美しい写真・美しい光景、第一印象は衝撃的なものだが、それを長く見続けるのはただただ神経が磨り減ってくる。

彼女にはそう言う物がまるで感じられなかった。
控えめな物腰と柔らかな笑顔はそれを隠そうとしているかのようだった。
しかし幾ら隠そうとしても隠し切れない物が滲み出ていた。

つづく


(迷子の古事記 2013.11.25)