グー版・迷子の古事記

古事記の世界をあっちへふらふらこっちへふらふら
気になったことだけ勝手に想像して勝手に納得しています

2013年12月03日 | 落書き帖
「春ちゃん、スーパーライトある?」

BARアジアンナイトのマスター春ちゃんはアラサーにして既に一城の主。
料金も比較的良心的でその上、春ちゃんがハンサムときてるから周りの店に比べ若い客で賑わっている。

「すいません、今切らしてるみたい。すぐ買ってきますよ。」

アルバイトの女の子に目配せして、近くの自動販売機でタバコを買ってくるように促した。

「スーパーライトですね、行ってきます。」
「あ、いいよ。だいぶ酔ってきたから、ついでに外の風にあたってくる。」

いつもに比べ、今日は酔いが回るのが早かった。
いつもいくら飲んでもあまり酔った気になれない。
他の幸せそうな人のように記憶をなくす事もない。
アルコールの量が増えるとただただ頭が痛くなってくる。
それでも何か雰囲気だけ楽しみたかった。

「一度清算しようか?」
「最後でいいですよ」
「じゃあ、ちょっと出てくるね」
「行ってらっしゃーい」

カランコロンっと扉の開閉を告げる音を立て店の外へ出た。
冬の寒々とした空気に息が白く応えている。

店の前の通りは、この町のメインストリートとでも言うのだろうか?
昼間はゴーストタウンだが、工業地帯に隣接しているため夜になるとそれなりの人出がある。
地方の田舎都市にある商店街…
ふとハマショー(浜田 省吾)の「マネー」を思い出した。

「この町のメインストゥリートゥわずか数百メトール、寂れた映画館とバーが5,6軒」

随分前にはこの商店街のこの通りにも
映画館があったのだが、その当時の栄華を残している物は夜の街のネオンだけとなっている。
映画館のあった場所は駐車場となり、夜の街にかかわる人達が使用している。

タバコの自動販売機までは直線距離で50メートルほど。
通りの明るい道を歩いて行くとなると、どうしても途中呼び込みに声をかけられてしまう。
少し頭痛もしてきたので、誰にも声をかけられる事のない暗い裏の通りを歩いていく事にした。

……ここは本当に同じ街だろうか?

裏の通りを進んで行くと、表の通りとはまるで別の世界が広がってくる。
奥に進むにつれ暗闇と静寂が増し、生きている物の気配はまるでなくなってきた。

右に曲がればタバコの自動販売機があるところまで来た。
何も来るはずはないのだが、いつもの癖で右へ曲がる前に左へ注意を払った。

……海だ

左の細い路地の奥に海が見える。
白い砂浜とその浜にある小さな木造の船が、月の光に微かに照らされていた。
言いも知れぬ懐かしい気持ちでいっぱいになり、思わず船の方へ歩き出した。

その船は二人乗りくらいの木造の船だった。
塗装などは施されておらず、年を経た木の色そのままであった。

遠い幼い頃の記憶が蘇ってくる。

……あの船だ

まだ言葉が話せるか話せなかった頃、漁師の爺さんに乗せてもらった船だった。
懐かしさでいっぱいになった。

……今でも海が大好きな原因は、きっとこの船に違いない

自分の気持ちの一つが理解できた気がした。

もうすぐで船まで手が届きそうな所まで来た。
その時、鋭い声が後ろから響いてきた。

「何してるの?」
「海が…」

私は振り返りながらその声に応えていた。
後ろは暗闇と静寂に包まれ、呼び止めた人の気配すらない。

私は我に返り、船と海のあった正面に目を凝らした。
今まで目の前の景色を薄く照らしていた月の光さえ消え、暗闇と静寂だけが辺りを支配している。

目が慣れるまで動かずに暫くその場にとどまる事にした。
何か良くない事が起こるかもしれない不安が込み上げてくる。

自分の冷たい白い息が見えてきた。
ようやく目が慣れてくると、やはりその場に海も船もなかった。
目の前は切り立っており、もう一歩踏み出せば2メートル下の川に投げ出されるところだった。

私は遠くに見えるネオンに向かい足を速めた。

(2013.11.4 迷子の古事記)