グー版・迷子の古事記

古事記の世界をあっちへふらふらこっちへふらふら
気になったことだけ勝手に想像して勝手に納得しています

月神

2013年09月30日 | 古事記
古代の太陽・太陽神は「ヒ」です。
では月・月神は「ツキ」なのだろうか?
太陽神「ヒ」は一音なのに、月神は「ツキ」で二音なのだろうか?
太陽神を一音で表現するなら、月神も一音で表現していたはずだ…
と言う何の根拠もない確信を持っていました

  《ツクヨミ》

①古事記での表記

 月読 … 「月を読む」は、月を読む・月を数える行動或いは職業の様に見えます。
 元々の神様の名前として何か腑に落ちない物があります。

②日本書紀での表記

 月夜見 … 「月夜を見る」は、月夜をめでる或いは月を数える行動の様に見えます。
 こちらも元々の神様の名前として納得しずらいです。

 月弓 … 月の形を弓に見立てた物です。
 弓の形の月になら当てはまると思います。弓の形でない月には当てはまりません。

③出雲国風土記の表記

 都久豆美 … 「ツクツミ」。
 月の神霊と言う意味に取れます。①②に比べ神様っぽい名前です。

  《名詞の変化》

古代の名詞は次に言葉が続くと変化することがあります。


ツキ(月) → ツク
カミ(神) → カム
ヨミ(黄泉) → ヨモ

「ツクヨミ」「ツクツミ」の「ク」は「キ」の変化形だと思います。

  《ツキとは?》

以前から「ツキ」の「ツ」は助詞の「ツ」で「~の」と言う意味では無いか?
と疑っていました。
もしそうなら、古代において月は一音の「キ」で表現していたという事になります。
太陽「ヒ」・月「キ」で感覚的にも私はしっくりするのです。

古代の言葉の成り立ちを想像すると、古代の人達の興味ある事柄から名前がついて行ったと想像できます。
そして初期に作られた言葉であるほど一音で表現されていただろう事は、容易に想像できます。


わたし = ア・ワ
あなた = ナ
水 = ミ
火・太陽 = ヒ

古代の人達にとって、月は太陽と比べて感心の低い物だったのでしょうか?
否、太陽よりも月のほうが興味ある対象だった可能性は高いのです

見た目では、月は太陽よりも多彩な変化をし、
人間の体においては、生理現象をつかさどり、
時の経過や季節の移り変わりを知るのも、月を指標としていた事は間違いありません。
世界中の暦の成り立ちがすべて、月を指標とする太陰暦から始まった事から考えても、月への関心の高さは太陽以上だった事は間違いないでしょう。

「月」は言葉の成立過程の初期に名前を与えられ、一音で表現されていても何ら不思議は無いのです

この事に思い至って、月について少し調べてみました。
私はまるで知らなかったのですが、
月は日々、南中高度を変えるのです。
そして季節により、満月の南中高度も変わるのです。

月は形だけでなく、天空を渡る軌道でさえ毎日変えていたのです
詳しくは「月 南中高度」で検索してください
一ヶ月の内でもかなりの高度変化があります。
月に興味の薄い現代人の私は、今まで知りませんでした

  《月》

さて今までの事から考えてみると、月を一音で表現していた可能性は高いと思います。
もし「ツキ」の「ツ」を助詞、「キ」を月だとするなら、
「ツキ」は「~の月」と言うことになります。

ちなみに「~ツヒ」となる太陽神は存在します。
マガツヒ … 禍々しい太陽の神霊
これは日食時の太陽を表していると思います。

では「~の月」とは何の月なのでしょう?
私は毎月訪れる「月」、一年間に12回或いは13回訪れる「月」では無いかと思います。
月は一回(ひと月)のサイクルで、誕生→成長→衰退→死 を行い、
それを一年間に12回或いは13回繰り返します。
誕生毎に名前を与えられたのではないでしょうか?
そしてそれが和風月名となって今現在残っているものだと思います。

そこで和風月名を調べてみたのですが…
これがあまりに多いのです…
それだけ、古代より月に対する興味が高かったのだろうといえそうですが、
どれがより古い月の名前か今となっては分かりません

  《暦》

元々は月・月神の名前として「○○ツキ(○○のキ)」と使われていた名前が、
暦として使われるようになり、後にその暦が「(数字)ツキ」へと代わり、
本来「キ」と表現していた「月」が、「ツキ」へと代わって行ったのではないでしょうか。
記紀成立時には、ツクヨミ(暦を読む)となっている所から察すると、「キ」はそれ以前に「ツキ」で一つの名詞になった物と思われます
今までの事から、最低でも月は十二神居たと思いますが、
この系列の月神はツクヨミにまとめられたと思います。

「キ」が月だとすると、気になる神様も出てきます。
タカギ、アラハバキなどの神様です。
以前結論を出したアラハバキは、もう一度見直す必要があるかもしれません。

また、別の集団の月神らしい神様が現在でも沢山残っています。
近いうちに、現在は月神ではない古代月神について書いてみたいと思います

アシナヅチとテナヅチ

2013年09月29日 | 古事記
出雲国風土記や出雲国造神賀詞で、スサノヲの八岐大蛇退治は語られていません。
当然アシナヅチ・テナヅチは出てこないということになります。

出雲国風土記には、
「大穴持命、越の八口を平げ賜ひて還り坐す」
と言う記述はあるそうです。
大穴持命とはオオクニヌシ(大国主)のこととされています。

またアシナヅチ・テナヅチは意外な所で祭られています。
謎の神・アラハバキと共に祭られていたり、何故こんな所に?と言うところで祭られていたりします。

とりあえず、アシナヅチ・テナヅチについて少し考えてみました

  《アシナヅチ・テナヅチ》

古事記では足名椎・手名椎、日本書紀は脚摩乳・手摩乳と表記します。

①足名椎・手名椎
全て訓読みですので全ての文字に意味があると考えています。

足・手 … 素直にそのまま足と手だと思います。

名 … 二人の娘がクシナダヒメ(櫛名田比売・奇稲田姫)と言う事から「稲」ではないだろうか。

椎 … 椎の木の神霊とも取れそうですが、杖を意味するのでは無いか?と思っています。
景行紀に、土蜘蛛と戦うために椿で「椎」を作ったという記事があります。

採海石榴樹作椎爲兵
ツバキを採りて椎を作り兵を為す

これがどうやら杖のようです、また元々この杖は霊力の強い桃の木で作っていたらしいです。
古代において杖は、イザナギの杖が衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)となった事からも分かるとおり、地面に突き立てる事で神聖な力を得られると考えられていたようです。
チの神霊で書いた「槌」と同じような意味を持っているのでは無いか?
音を出して存在を知らせるべき恐き(かしこき)神霊という意味ではないのか?
…と今は考えています。
はっきり言って分かりません

②脚摩乳・手摩乳
これも全て訓読みだと思われます。全ての文字に意味があると考えています。

脚・手 … そのまま脚・手だと思います。

摩 … さする。こする。触れる。

乳 … 乳。

アシナヅチとテナヅチの娘クシナダヒメ(櫛名田比売)が稲田の神と言うところから稲に関係ある神様なのではないか?と想像できます。
まだ成熟する前の稲の籾を潰すと乳の様な液体が出てきます。
古代において乳は神聖な物と考えられていたようです。
成熟する前に籾の中で乳に育てられ米になると考えられていたのだと思います。

アシナヅチ・テナヅチは籾を摩った時に出てくる稲乳の神霊という意味ではないでしょうか。
そうすると、脚と手をどのように解釈するか…
脚と手で摩って稲乳を出すような状況でもあったのだろうか?
そしてその稲乳で神酒でも造ったのだろうか?

祝詞で稲作の苦労を表現するのに、手と足に関する記述が使われます。

手肱に水泡掻垂り(たなひじにみなわかきたり)向股に泥掻寄せて(むかももにひじかきよせて)

ここから考えると、稲乳を与え稲の生育を助ける神様とも取れそうです。

アシナヅチ・テナヅチは…
稲の生育を掌る稲のムスビの神様
稲乳の神様
のどちらか或いは両方ではないかと思います

アメノウズメ

2013年09月28日 | 古事記
鈿(かんざし)の神でアメノウズメは、鈿(かんざし)の神であり太陽神の今再生せんとする姿だと言う事を明らかにしました。
しかし反面、鏡の神話でアメノウズメ(天鈿女)はアメノウスメ(天細目)だと仮定した事については有耶無耶なままにしていました
果たしてアメノウズメ(天鈿女)はアメノウスメ(天細目)でもいいのでしょうか?

  《神の目》

アメノウズメが太陽神の今再生せんとする姿だとするなら、太陽神アマテラスに関して少し考えてみる必要があります。

イザナギが黄泉の国から生還し、筑紫の国の阿波岐原(あわぎはら)で禊払いをした時に神々が産まれます。
最後に生まれた三柱の神様が三貴神と言われる、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲです。
アマテラスは左目から、ツクヨミは右目から、スサノヲは鼻から産まれます。

どうして古代の人々は、太陽神と月神に「目」を思い浮かべたのでしょう?
そこはやはり自分達の「目」を基準に考えたのではないでしょうか。
目を閉じたり目を失えば闇に包まれる、太陽と月もまたその姿が隠れれば世界は闇に包まれる、と言うことから考えたのでしょう

中国の古代神話に盤古という神様がいます。
宇宙開闢の創世神とされ、

彼の左目は太陽となり、右目は月となった。その瞼を開けると世界は染明け、閉じると黄昏となった。彼が息を吐くと世界は暑くなり、吸うと寒くなった。
(ウィキペディア)

このように見てくると、古代の人たちはアマテラスを「神の目」として考えていた可能性が高そうです。
そうすると、太陽神の今再生せんとする姿であるアメノウズメ(天鈿女)はアメノウスメ(天細目)と考えても問題無さそうです。
アメノウズメが太陽神の今再生せんとする姿であるという事は鈿(かんざし)の神で明らかにしたのでここでは省きます。

アメノウズメ(天鈿女)はアメノウスメ(天細目)であり、鈿(かんざし)の神であり、太陽神の今再生せんとする姿だったのです
アメノウズメの「ウズ」は「うすい(細い・薄い)」の意味だと思います。
当ブログのプロフィール欄にある画像をご覧下さい。
太陽神の今再生せんとする姿です。
「うす目」に見えませんか?

アマテラスとアメノウズメは「神の目」だと明らかになりました。
また天孫降臨でこの二柱の神と共に出てくるサルタヒコも「神の目」である可能性があることは鏡の神話で触れました。

古代においてサルタヒコが太陽神或いは月神と関係あったかどうかは分かりません。
アマテラスを祭っていた集団とサルタヒコを祭っていた集団が違う集団であろう事が想像できるため、
「神の目」=太陽神或いは月神
とは言えないかもしれません。
しかし古代サルタヒコを考える上で心の片隅に置いておくほうが良さそうです

チの神霊

2013年09月27日 | 古事記
もしあなたが恐ろしい場所へ入る時或いは入った時どの様な行動をとりますか?
抜き足差し足忍び足、少し声や音を立てる事もあるかと思います。
それでは古代の人々はどの様な行動をとったのでしょう?

  《加賀の潜戸》

古代からの風習が残ると思われるところに、出雲にある加賀の潜戸(くけど)があります。
加賀の潜戸は海岸沿いにある海食洞窟で、キサカイヒメを祭っているところです。
昔から地元の船頭は、この洞窟へ入る前に船を叩いて音を出します
これは洞窟内にいる魔に船が来た事を知らせる為だといいます。
これを怠ると船が沈められると信じられており、現在までも続いています

  《黄泉の国》

黄泉の国へイザナミを迎えに行ったイザナギは、その変わり果てた姿に恐れをなし逃げ出します。
日本書紀の一書によると、ヨモツシコメに追いかけられたイザナギは、千人で動かせる岩で道を塞ぎ持っていた杖を突き立てて「ここを過ぎる事勿れ」と言います。
また古事記ではこの記述はありませんが、イザナギの持っていた杖は禊払いで衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)となります。

  《音を出す》

加賀の潜戸と黄泉の国の記述から、古代の人たちは恐ろしい物に対する時、叩いて音を出す或いは地面を突いて音を出す、と言う行動をとったであろう事が想像できます
実はこの音を出す行動は、現在でも行われています。

神社で礼拝する時、恐き(かしこき)神に二拝二拍手一拝します。手を叩き音を出します。
また熊の出る地域では、腰に鈴をつけ音を出し熊(荒々しい神)に自分の存在を知らせます。

神域で音を出す行為は自分の存在を知らせる行為となり、
また魔に対しては地面を叩き音を出す事は、魔を払いのける行為となりそうです。

  《チの神霊》

神霊を表す言葉に「チ」があります。

タケミカヅチ(武甕槌)…剣神。雷神。

ホノカグツチ(火之迦具土)…火神。

ノヅチ(野槌)…野の神霊。蛇神。

ミヅチ(蛟)…水神。

「チ」の手前にある「ツ」は助詞で「~の」と言う意味になります。
「ツチ」は訓読みで漢字を振り当てている所から考えると、「槌」「土」にもまた意味がありそうです。

「槌」は叩く道具です。
槌で叩き音を出して存在を知らせるべき恐き(かしこき)神と言う意味なのだろうか?

「槌」とつくタケミカヅチ・ノヅチともにかなり古い神様ではないかと考えています。
 タケミカヅチは古事記成立時点で、本来の性格を失いかけているため。
 ノヅチは簡素な文字の組み合わせなどから。
タケミカヅチ・ノヅチともに、古代の人々は恐れていたであろうことが考えられます。
その事からも神霊を表す「チ」自体に音を出して存在を知らせるべき恐き(かしこき)神霊と言う意味があるのではないだろうか?
と今考えている所です

また前回のミ(水・天)の神霊から、
ミ(水)の神霊がアメ(天)の属性を持つという事から考えると、チの神霊は地(ツチ)の属性を持っているかもしれないという事も念頭に考えるべきでしょう。
そう考えると、ホノカグツチ(火之迦具土)の「土」は地(ツチ)の属性を表しているとも考えられそうです。
神霊を表す「チ」は地上の神という意味なのだろうか?
少なくとも神話成立時点のアマツカミとクニツカミと言う分類は止めた方が良い様に感じました

ミ(水・天)の神霊

2013年09月26日 | 古事記
雨は空から降ってくる。
当たり前の事ですが、古代の人々は本当にそう思っていたのだろうか?
何も無い空(カラ)からではなく、神霊の住む天(アメ)から落ちてくると思っていたのでは?
降ってくると言うより、落ちてくるなのかな?
そんな疑問から、古代の人々の神様に対する考え方と原風景について思いを巡らせて見ました

  《アメ》

天(アメ)は神霊の住む所です。
と言うことは神霊の住居である天(アメ)もまた、神聖な場所であると同時に神霊と考えていたのではないだろうか。
また天(アメ)から落ちてくる雨(アメ)は、天(アメ)の零れ落ちたカケラであり、天(アメ)の一部であったのでしょう。

地上に落ちた天(アメ)のカケラである雨(アメ)は、川へ集まり海へと向かいます。
天(アメ)・雨(アメ)・川・海の構成分子である水(ミ)もまた、天(アメ)の神霊と考えられたのではないか?と想像できます。

古代の神霊を表す言葉に「ミ」があります。
今までの事から考えると、「ミ」は水(ミ)と関係ある神霊と考えられそうです。

・神霊を表す「ミ」の名前をもつ神様

ワタツミ(海津見)…海神。水(ミ)の世界の神様です。

ヤマツミ(山津見)…山神。山は雨(アメ)を集め川を成します。

オオカムヅミ(意富加牟豆美)…桃の神。大神の実。桃の実は水々しく水(ミ)にあふれています。

また水に住む動物も神様と考えられたであろう事も、想像に難くありません。
古代神の顕現した姿の多くは水生生物です。

巳(ミ)…蛇

貝…キサカイヒメ・ウムギヒメ

ワニ(鮫)…トヨタマヒメ(鮫或いは竜と言われている)

ここでふと疑問を感じました。身近な水生生物であるカエルはどうなんだろう?
雨季には大合唱するカエルです。
古代人の心に響か無い訳が無いと思ったのです。
しかし古事記にはカエルの神様は出てきません。
ところが少し調べてみるとそれらしい神様がいたのです。

縄文土器にはカエルを模した模様が沢山あるようです。
カエルそのものを図案化したものや、カエルと人間を合わせたカエル人間とでも言うようなデザインもあるようです
そうすると、カエルも古代神だったようですが、神話の世界が始まる前に引退したのかもしれません。

今までの事から考えてみると、神霊を表す「ミ」という言葉は天(アメ)のカケラである水(ミ)の神霊を表すと言えるかもしれません
そうなると「ミ」はもともと天(アメ)の属性を持つと考える事が出来そうです。

  《因幡の白兎》

ここまでの事を想像した所で、私は因幡の白兎の神話は水(ミ)の神霊の神話では無いのか?と言う事を考えていました

大穴牟遲神(おおむなぢのかみ=大国主神のこと)の兄弟(八十神)たちは、稲羽の八神上売(やがみひめ)に求婚したいと思ったため、国を大国主に譲ってしまった。稲羽(いなば)に出掛けた時、八十神は大穴牟遲神(おおむなぢのかみ)に袋を持たせ、従者のように引き連れた。

「気多(けた)の前」に来たとき、裸の兎(あかはだのうさぎ)が伏せっていた。兎は、八十神に「海塩を浴び、山の頂で、強い風と日光にあたって、横になっていることだ」と教えられた通りに伏せていたが、海塩が乾くにつれ、体中の皮がことごとく裂けてきて、痛みに苦しんで泣いていると、最後に現れた大穴牟遲神が「なぜ泣いているの」と聞いた。

菟は「私は隠岐の島からこの地に渡ろうと思ったが、渡る手段がありませんでした。そこで、ワニザメ(和邇)を欺いて、『私とあなたたち一族とを比べて、どちらが同族が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。すると、欺かれてワニザメは列をなし、私はその上を踏んで数えるふりをしながら渡ってきて、今にも地に下りようとしたときに、私は『お前たちは欺されたのさ』と言いました。すると最後のワニザメは、たちまち私を捕えてすっかり毛を剥いでしまいました。それを泣き憂いていたところ、先に行った八十神たちが『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えたので、そうしたところ、この身はたちまち傷ついてしまったのです」といった。そこで、大穴牟遲神が兎に「今すぐ水門へ行き、真水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えたので、そうすると、その体は回復した。これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)である。
(ウィキペディア)

大穴牟遲神は大己貴とも書き、また神社の中には大巳貴と書いてある所もある神様です。大穴牟遲神は大蛇神とも言える神様です。
またウサギを隠岐の島から運んできたのは沢山のワニ(鮫)、そして傷ついたウサギに声をかけたのは沢山の神様(八十神)です。
八十神はワニ(鮫)なのでは?と言う疑問が生じてきます。

オオナムチ(大巳貴)と八十神は、蛇とワニ(鮫)を表しているのでは無いだろうか?
この事を証明する術はありません。

オオナムチ(大穴牟遲神)はこの後、兄弟の八十神に二度も殺されますが最後には兄弟神達を、山の坂という坂、川の瀬という瀬で追い払い、国を治めます。
兄弟神達を陸地から追い出すのです。
兄弟神をワニ(鮫)と考えると、陸地にワニ(鮫)がいない理由を説明している様にもみえます。

私には、蛇神とワニ神(鮫神)の戦いのように見えたのです