古代の太陽・太陽神は「ヒ」です。
では月・月神は「ツキ」なのだろうか?
太陽神「ヒ」は一音なのに、月神は「ツキ」で二音なのだろうか?
太陽神を一音で表現するなら、月神も一音で表現していたはずだ…
と言う何の根拠もない確信を持っていました
《ツクヨミ》
①古事記での表記
月読 … 「月を読む」は、月を読む・月を数える行動或いは職業の様に見えます。
元々の神様の名前として何か腑に落ちない物があります。
②日本書紀での表記
月夜見 … 「月夜を見る」は、月夜をめでる或いは月を数える行動の様に見えます。
こちらも元々の神様の名前として納得しずらいです。
月弓 … 月の形を弓に見立てた物です。
弓の形の月になら当てはまると思います。弓の形でない月には当てはまりません。
③出雲国風土記の表記
都久豆美 … 「ツクツミ」。
月の神霊と言う意味に取れます。①②に比べ神様っぽい名前です。
《名詞の変化》
古代の名詞は次に言葉が続くと変化することがあります。
例
ツキ(月) → ツク
カミ(神) → カム
ヨミ(黄泉) → ヨモ
「ツクヨミ」「ツクツミ」の「ク」は「キ」の変化形だと思います。
《ツキとは?》
以前から「ツキ」の「ツ」は助詞の「ツ」で「~の」と言う意味では無いか?
と疑っていました。
もしそうなら、古代において月は一音の「キ」で表現していたという事になります。
太陽「ヒ」・月「キ」で感覚的にも私はしっくりするのです。
古代の言葉の成り立ちを想像すると、古代の人達の興味ある事柄から名前がついて行ったと想像できます。
そして初期に作られた言葉であるほど一音で表現されていただろう事は、容易に想像できます。
例
わたし = ア・ワ
あなた = ナ
水 = ミ
火・太陽 = ヒ
古代の人達にとって、月は太陽と比べて感心の低い物だったのでしょうか?
否、太陽よりも月のほうが興味ある対象だった可能性は高いのです
見た目では、月は太陽よりも多彩な変化をし、
人間の体においては、生理現象をつかさどり、
時の経過や季節の移り変わりを知るのも、月を指標としていた事は間違いありません。
世界中の暦の成り立ちがすべて、月を指標とする太陰暦から始まった事から考えても、月への関心の高さは太陽以上だった事は間違いないでしょう。
「月」は言葉の成立過程の初期に名前を与えられ、一音で表現されていても何ら不思議は無いのです
この事に思い至って、月について少し調べてみました。
私はまるで知らなかったのですが、
月は日々、南中高度を変えるのです。
そして季節により、満月の南中高度も変わるのです。
月は形だけでなく、天空を渡る軌道でさえ毎日変えていたのです
詳しくは「月 南中高度」で検索してください
一ヶ月の内でもかなりの高度変化があります。
月に興味の薄い現代人の私は、今まで知りませんでした
《月》
さて今までの事から考えてみると、月を一音で表現していた可能性は高いと思います。
もし「ツキ」の「ツ」を助詞、「キ」を月だとするなら、
「ツキ」は「~の月」と言うことになります。
ちなみに「~ツヒ」となる太陽神は存在します。
マガツヒ … 禍々しい太陽の神霊
これは日食時の太陽を表していると思います。
では「~の月」とは何の月なのでしょう?
私は毎月訪れる「月」、一年間に12回或いは13回訪れる「月」では無いかと思います。
月は一回(ひと月)のサイクルで、誕生→成長→衰退→死 を行い、
それを一年間に12回或いは13回繰り返します。
誕生毎に名前を与えられたのではないでしょうか?
そしてそれが和風月名となって今現在残っているものだと思います。
そこで和風月名を調べてみたのですが…
これがあまりに多いのです…
それだけ、古代より月に対する興味が高かったのだろうといえそうですが、
どれがより古い月の名前か今となっては分かりません
《暦》
元々は月・月神の名前として「○○ツキ(○○のキ)」と使われていた名前が、
暦として使われるようになり、後にその暦が「(数字)ツキ」へと代わり、
本来「キ」と表現していた「月」が、「ツキ」へと代わって行ったのではないでしょうか。
記紀成立時には、ツクヨミ(暦を読む)となっている所から察すると、「キ」はそれ以前に「ツキ」で一つの名詞になった物と思われます
今までの事から、最低でも月は十二神居たと思いますが、
この系列の月神はツクヨミにまとめられたと思います。
「キ」が月だとすると、気になる神様も出てきます。
タカギ、アラハバキなどの神様です。
以前結論を出したアラハバキは、もう一度見直す必要があるかもしれません。
また、別の集団の月神らしい神様が現在でも沢山残っています。
近いうちに、現在は月神ではない古代月神について書いてみたいと思います
では月・月神は「ツキ」なのだろうか?
太陽神「ヒ」は一音なのに、月神は「ツキ」で二音なのだろうか?
太陽神を一音で表現するなら、月神も一音で表現していたはずだ…
と言う何の根拠もない確信を持っていました
《ツクヨミ》
①古事記での表記
月読 … 「月を読む」は、月を読む・月を数える行動或いは職業の様に見えます。
元々の神様の名前として何か腑に落ちない物があります。
②日本書紀での表記
月夜見 … 「月夜を見る」は、月夜をめでる或いは月を数える行動の様に見えます。
こちらも元々の神様の名前として納得しずらいです。
月弓 … 月の形を弓に見立てた物です。
弓の形の月になら当てはまると思います。弓の形でない月には当てはまりません。
③出雲国風土記の表記
都久豆美 … 「ツクツミ」。
月の神霊と言う意味に取れます。①②に比べ神様っぽい名前です。
《名詞の変化》
古代の名詞は次に言葉が続くと変化することがあります。
例
ツキ(月) → ツク
カミ(神) → カム
ヨミ(黄泉) → ヨモ
「ツクヨミ」「ツクツミ」の「ク」は「キ」の変化形だと思います。
《ツキとは?》
以前から「ツキ」の「ツ」は助詞の「ツ」で「~の」と言う意味では無いか?
と疑っていました。
もしそうなら、古代において月は一音の「キ」で表現していたという事になります。
太陽「ヒ」・月「キ」で感覚的にも私はしっくりするのです。
古代の言葉の成り立ちを想像すると、古代の人達の興味ある事柄から名前がついて行ったと想像できます。
そして初期に作られた言葉であるほど一音で表現されていただろう事は、容易に想像できます。
例
わたし = ア・ワ
あなた = ナ
水 = ミ
火・太陽 = ヒ
古代の人達にとって、月は太陽と比べて感心の低い物だったのでしょうか?
否、太陽よりも月のほうが興味ある対象だった可能性は高いのです
見た目では、月は太陽よりも多彩な変化をし、
人間の体においては、生理現象をつかさどり、
時の経過や季節の移り変わりを知るのも、月を指標としていた事は間違いありません。
世界中の暦の成り立ちがすべて、月を指標とする太陰暦から始まった事から考えても、月への関心の高さは太陽以上だった事は間違いないでしょう。
「月」は言葉の成立過程の初期に名前を与えられ、一音で表現されていても何ら不思議は無いのです
この事に思い至って、月について少し調べてみました。
私はまるで知らなかったのですが、
月は日々、南中高度を変えるのです。
そして季節により、満月の南中高度も変わるのです。
月は形だけでなく、天空を渡る軌道でさえ毎日変えていたのです
詳しくは「月 南中高度」で検索してください
一ヶ月の内でもかなりの高度変化があります。
月に興味の薄い現代人の私は、今まで知りませんでした
《月》
さて今までの事から考えてみると、月を一音で表現していた可能性は高いと思います。
もし「ツキ」の「ツ」を助詞、「キ」を月だとするなら、
「ツキ」は「~の月」と言うことになります。
ちなみに「~ツヒ」となる太陽神は存在します。
マガツヒ … 禍々しい太陽の神霊
これは日食時の太陽を表していると思います。
では「~の月」とは何の月なのでしょう?
私は毎月訪れる「月」、一年間に12回或いは13回訪れる「月」では無いかと思います。
月は一回(ひと月)のサイクルで、誕生→成長→衰退→死 を行い、
それを一年間に12回或いは13回繰り返します。
誕生毎に名前を与えられたのではないでしょうか?
そしてそれが和風月名となって今現在残っているものだと思います。
そこで和風月名を調べてみたのですが…
これがあまりに多いのです…
それだけ、古代より月に対する興味が高かったのだろうといえそうですが、
どれがより古い月の名前か今となっては分かりません
《暦》
元々は月・月神の名前として「○○ツキ(○○のキ)」と使われていた名前が、
暦として使われるようになり、後にその暦が「(数字)ツキ」へと代わり、
本来「キ」と表現していた「月」が、「ツキ」へと代わって行ったのではないでしょうか。
記紀成立時には、ツクヨミ(暦を読む)となっている所から察すると、「キ」はそれ以前に「ツキ」で一つの名詞になった物と思われます
今までの事から、最低でも月は十二神居たと思いますが、
この系列の月神はツクヨミにまとめられたと思います。
「キ」が月だとすると、気になる神様も出てきます。
タカギ、アラハバキなどの神様です。
以前結論を出したアラハバキは、もう一度見直す必要があるかもしれません。
また、別の集団の月神らしい神様が現在でも沢山残っています。
近いうちに、現在は月神ではない古代月神について書いてみたいと思います
申し訳ありません。