グー版・迷子の古事記

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光源氏

2014年01月11日 | いろは歌
「源氏物語」で絶世の美男子と言われた光源氏。
そして光源氏の不義の子・冷泉帝もまた光源氏に瓜二つの美男子でした。
実は実在した冷泉天皇もまた絶世の美男子だったのです
冷泉天皇と鬼女・紅葉。
二人の周辺を探っていくともう一人美男子の存在が明らかになります。
それが紅葉の夫・源経基です
彼もまた「いろは歌」に「我が世」を織り込みえた人物かもしれません。
一条天皇に、「日本紀」を講義したらいい、と言われた程の歴史通「源氏物語」の作者・紫式部は作品で何かを伝えたかったのでしょうか?


源経基(みなもとのつねもと)
清和源氏の祖。源頼朝の祖先。
武家源氏の大元のような人です
清和天皇の第六皇子・皇子貞純親王の子。生没年は諸説あり。
正史では清和天皇の孫とされます。父は貞純親王、母は文徳天皇の孫、血統的には充分次の世代の天皇候補にもなりえる存在でありながら臣籍降下されてしまいます。
晩年には臣籍降下を命じられたことに憤慨していた、と伝えられています。
臣籍降下されなければ皇族として天皇になるチャンスもあったかもしれないのです。
しかし実際は臣籍降下されたと言うことは、彼には後ろ盾が無かったのでしょう

では何故後ろ盾が無かったのでしょうか?
実は経基の出生には何か秘密めいた所があるのです

正史の上では、清和天皇の第六皇子・貞純親王の子、となっていますが…
経基の孫とされる源頼信が誉田八幡宮に奉ったという告文には別の系図が掲げられています。
それによると経基の父は陽成天皇の皇子・元平親王なのです。

清和天皇 ー 陽成天皇 ー 元平親王 ー 源経基(告文)…「陽成源氏
     ∟ 貞純親王 ー 源経基(尊卑分脈)…「清和源氏

「この子お前に似てるけどお前の子じゃね?」
「お前の子だろ」

そんな事があったのかもしれません…
とにかく経基には後ろ盾が無かったのでしょう。
皇族から外され官位も天皇の孫とは思えない様な物しか与えられませんでした。

ここで一つ面白い事があります
上の系図を見てください。系図の最後には「陽成源氏」と「清和源氏」とありますね。
源経基は、正史から言うと「清和源氏」ですが…
「誉田八幡宮の告文」が伝える所によると「陽成源氏」です。

もう気付いた方もいるでしょう
「陽成源氏」は「ようぜいげんじ」と読みますが…
「陽成」を訓読みしてみてください。

陽成源氏 → ひなる源氏

美男子・源経基は「ひなる源氏」なのです

(迷子の古事記 2013.12.18)