グー版・迷子の古事記

古事記の世界をあっちへふらふらこっちへふらふら
気になったことだけ勝手に想像して勝手に納得しています

2014年01月12日 | いろは歌
「源氏物語」の主人公・光源氏と不義の子・冷泉帝。
作者・紫式部は実在した冷泉天皇の秘密を何か知っていたのでしょうか?
今となってはそれを知る術はありません
ただ彼女が胸の内で留めて置けない秘密を物語の中で暴露しようとしていた可能性はあるのです。
今回はそんな彼女の胸の内が垣間見える物を紹介したいと思います。

「源氏物語」第二十五帖「 蛍 」。
光源氏の口を借りて紫式部が物語論を熱く語ります。
まるでこの部分だけ別の物語のように「源氏物語」では異質な存在です
前半で物語をとことんけなしますが、後半では冷静になった光源氏が物語りについてしんみりと語っています。

ビギナーズクラシック日本の古典より
源氏物語 (武田友宏)

「いやはや、見るのもうっとうしいなあ。そんなこと、めんどうじゃないのかね。女性というものは、だまされるために生まれてきたようなものなんだね。物語はたくさんあるが、実話はごくわずかだろうに。作り話だと知っているくせに、そんなでたらめな話に夢中になり、だまされて、この蒸し暑い五月雨どきに、髪の乱れもかまわずに、書き写しているとはねえ」

と言って、源氏は笑った。
その一方で、

「なるほどなあ、こういう古物語でなくては、どうしようもない退屈を慰めることはできないよなあ。
それにしても、この作り話のなかに、いかにもそれらしく、しみじみした味を見せ、もっともらしく書き続けているものがある。
それはそれで、根もない話とは知りながらも、妙に興味がそそられるし、美しい姫君が悩んでいる場面などを見ると、ちょっと気になるものだ。また、まるで非現実的だとは思うものの、誇張した表現に目を奪われ、冷静になってもう一度聞きなおしてみると、だまされたと腹立たしくなるけれど、ふと心を動かされるところが、はっきりわかるような物語もあるようだね。
このごろ幼い人(明石の姫君)が、女房などに時々読ませているのを立ち聞きすると、巧みなうそつきが、世の中にはいるものらしいね。上手にうそをつき慣れている、その口から物語を語り出すのだろうと思うが、そうとも限らないのかな。」

とからかった。
玉鬘は、

「おっしゃるとおり、殿のようにうそをつき慣れた人が、あれこれと作り話に受け取るのでしょう。私などには、まったくの事実としかおもわれませんわ。」

と切り返して、硯を傍らへ押しやった。
源氏は、

「無粋にも、物語をけなしてしまったね。物語というものは、神代から人間の世界のことを書きつけてきたものだそうだ。『日本紀』(日本書紀)などの歴史書は、ほんの一面的な記述に過ぎないのだよ。物語にこそ、真実を求める生き方がていねいに書かれてあると思う。」

と言って笑った。
さらに続けて、

「物語は、実在する人のことだからといって、事実通りに語ることはないけれど、よいことも悪いことも、この世に生きる人間の姿について、見ても聞いてもそれきりにしておけないような話題で、後世にも語り伝えさせたい事柄を、自分の心にしまいこんでおけなくて、語りだし始めたものなんです。好意的に語る場合にはよいことばかりを選び出し、聞き手に迎合しようとして、悪事でも珍しいものを選び集めてあるが、善悪どちらに関したことでも、すべて、この人間世界のことばかりなのだ。 ……」

(迷子の古事記 2013.12.19)

光源氏

2014年01月11日 | いろは歌
「源氏物語」で絶世の美男子と言われた光源氏。
そして光源氏の不義の子・冷泉帝もまた光源氏に瓜二つの美男子でした。
実は実在した冷泉天皇もまた絶世の美男子だったのです
冷泉天皇と鬼女・紅葉。
二人の周辺を探っていくともう一人美男子の存在が明らかになります。
それが紅葉の夫・源経基です
彼もまた「いろは歌」に「我が世」を織り込みえた人物かもしれません。
一条天皇に、「日本紀」を講義したらいい、と言われた程の歴史通「源氏物語」の作者・紫式部は作品で何かを伝えたかったのでしょうか?


源経基(みなもとのつねもと)
清和源氏の祖。源頼朝の祖先。
武家源氏の大元のような人です
清和天皇の第六皇子・皇子貞純親王の子。生没年は諸説あり。
正史では清和天皇の孫とされます。父は貞純親王、母は文徳天皇の孫、血統的には充分次の世代の天皇候補にもなりえる存在でありながら臣籍降下されてしまいます。
晩年には臣籍降下を命じられたことに憤慨していた、と伝えられています。
臣籍降下されなければ皇族として天皇になるチャンスもあったかもしれないのです。
しかし実際は臣籍降下されたと言うことは、彼には後ろ盾が無かったのでしょう

では何故後ろ盾が無かったのでしょうか?
実は経基の出生には何か秘密めいた所があるのです

正史の上では、清和天皇の第六皇子・貞純親王の子、となっていますが…
経基の孫とされる源頼信が誉田八幡宮に奉ったという告文には別の系図が掲げられています。
それによると経基の父は陽成天皇の皇子・元平親王なのです。

清和天皇 ー 陽成天皇 ー 元平親王 ー 源経基(告文)…「陽成源氏
     ∟ 貞純親王 ー 源経基(尊卑分脈)…「清和源氏

「この子お前に似てるけどお前の子じゃね?」
「お前の子だろ」

そんな事があったのかもしれません…
とにかく経基には後ろ盾が無かったのでしょう。
皇族から外され官位も天皇の孫とは思えない様な物しか与えられませんでした。

ここで一つ面白い事があります
上の系図を見てください。系図の最後には「陽成源氏」と「清和源氏」とありますね。
源経基は、正史から言うと「清和源氏」ですが…
「誉田八幡宮の告文」が伝える所によると「陽成源氏」です。

もう気付いた方もいるでしょう
「陽成源氏」は「ようぜいげんじ」と読みますが…
「陽成」を訓読みしてみてください。

陽成源氏 → ひなる源氏

美男子・源経基は「ひなる源氏」なのです

(迷子の古事記 2013.12.18)

冷泉天皇

2014年01月10日 | いろは歌
「いろは歌」から炙り出されてきた紅葉と冷泉天皇。
鬼女・紅葉伝説に出てくる冷泉天皇は果たして「いろは歌」の作者なのでしょうか?
実は紅葉と冷泉天皇を繋げる物は「いろは歌」以外にもあるのです。
それが「源氏物語」です
そして「源氏物語」に目を向けた時、あなたはもう一人の主人公の存在を目にする事になります。


冷泉天皇(れいぜいてんのう)
 天暦4年5月24日(950年6月12日)- 寛弘8年10月24日(1011年11月21日)
 在位:康保4年10月11日(967年11月15日) - 安和2年8月13日(969年9月27日)

生後まもなく立太子され、父・村上天皇の崩御を受けて18歳で即位するも2年弱で円融天皇に譲位します。
そうです、冷泉天皇には政治的力はなかったのです。
その冷泉天皇が鬼女・紅葉伝説では、紅葉に討伐軍を送った事になっています。
短い在位期間に軍事力を使う政治力があったのでしょうか?

また現在伝わっている冷泉天皇の人物像は、奇行が目立ちかなり残念な人と言う印象です。

・足が傷つくのも全く構わず、一日中蹴鞠を続けた。
・ 幼い頃、父帝(村上天皇)に手紙の返事として、男性の陰茎が大きく描かれた絵を送りつけた。
・ 清涼殿近くの番小屋の屋根の上に座り込んだ。
・ 病気で床に伏していた時、大声で歌を歌っていた。
・ 退位後に住んでいた御所が火事になった折、避難するときに牛車の中で大声で歌を歌った。
(ウィキペディア)

何か臭いませんか?
精神的に問題があり、2年で天皇を譲位させられた冷泉天皇ですが…
その後も肉体的には健在で、天皇を退位後42年程生き続け62歳で崩御されます。
当時にしては結構長生きなのではないでしょうか?
全く私の思い込みでしかありませんが…
精神的に問題あるお方が、周囲と比べても長生きするものなのでしょうか?
しかも天皇から引き摺り下ろされた屈辱を抱えた人物が…

この事だけでも何かひっかかります
もしかすると何か裏があるのでは?
例えば…
ただの傀儡天皇であるが故に、自らの身を守る為装っていたとか…

力の無い者が知恵を誇る事は身の破滅を招きます
また俗に、「馬鹿と天才は紙一重」ともいいます。
「いろは歌」ほどの優れた歌を作った可能性は、もしかするともしかするのではないでしょうか?

もしそうだとすると、冷泉天皇の当時を知る事が出来たかもしれない人物が書き記した物にその答えを見つけることが出来るのかもしれません。

冷泉天皇が登場人物として出てくる「源氏物語」。
「源氏物語」の作者・紫式部は、「いろは歌」の謎を知っていたのでしょうか?
或いは、「いろは歌」の謎は当時の常識だったのでしょうか?
「源氏物語」に出てくる冷泉天皇は、史実として伝わっている人物像とはまるでかけ離れています。
しかし「源氏物語」は当時のその読者にとって、充分楽しめる内容だったようです。

物語の中で冷泉天皇が初めて登場するのは、「紅葉賀」と言う「源氏物語」五十四帖の巻の一つです。
冷泉天皇は光源氏の息子として「紅葉賀」で初めて登場するのです。
「源氏物語」の主人公・光源氏の息子として、「いろは歌」に隠されていた言葉「紅葉」を連想させる「紅葉賀」に初めて登場するのです。

そしてこの光源氏かもしれない人物が、冷泉天皇と鬼女紅葉の周辺をさぐると浮かび上がってきます

(迷子の古事記 2013.12.16)

わかよたれそつねならむ

2014年01月09日 | いろは歌
慣例の7文字書きに織り込まれた言葉、「咎無くて死す」「色葉」そして「紅葉」。
「いろは歌」は「紅葉」と言う女性の事を歌った歌なのかもしれません
では誰がこの歌を歌ったのでしょう?
その謎を解くヒントが…

わかよたれそ

…に隠されているような気がします。
今からその男性と「紅葉」の存在を探っていった時に、あなたは歌の主人公「紅葉」と「咎(とが)」の間にもう一つの意味を見つけるかもしれません

「わかよたれそ つねならむ」
「我が世誰ぞ 常ならむ」

「この世で誰が不変でいられよう。」

これが一般的な解釈でしょうか。
私は古文の文法的な事はまるで無知ですが、偉い人の考えでは「我が世誰ぞ」の「ぞ」は「常ならむ」に繋がらないため文法的に間違いである、と言われているそうです。

でも良く考えてみてください。
詩や歌、散文、文章なら何でもですが、余韻を残す為に敢えて最後まで書かない事もあるのでは無いでしょうか?
またこの場合「ぞ」の後にどのような文章が続けば文法的に正しいのかは私には分かりませんが、専門家と呼ばれる人たちは果たして千年も前の言葉遣いを全て理解しきっているのでしょうか?
「いろは歌」の素晴らしさは専門家でも認める所なのでしょう。
その作者がまるで正しくない言葉を使ったのでしょうか?
古文に詳しくも無い私には「我が世誰ぞ 常ならむ」でも問題ないようにも見えます。

もし文法的に間違いなのだとしたら、こうしてみたらどうでしょうか?
「我が世誰ぞ」の後は余韻の為に言葉が省略されたと…
本当に古文の文法など全く無知な私がもしこの後に言葉を続けるとしたら…

我が世の誰が(美しい姫紅葉が散った事を知っているのであろうか)無常である

このような言葉を補うと思います

では初めに戻って…
「わかよたれそ」にこの歌の作者が誰かと言う謎を解くヒントがあると言いました。
「我が世誰ぞ」を通常は「この世の誰が」と解釈しているようです。
「我が世」を「この世」にしてしまっていいのでしょうか?
「我が世」と「この世」を使い分けた有名な歌があります。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
(藤原道長 寛仁2年・1018年)

一片も欠けてない満月のように、この世は全て私の物だ。
と言うような意味でしょうか。

「この世」と「我が世」は使い分けられています。
藤原道長のように権勢を振るった人物、或いは天皇ならば、歌に「我が世」と織り込んだかもしれません。
そう考えると自然歌の作者は、天皇或いは権勢を振るった人物と言う事が考えられます

そこでは私は「紅葉」「天皇」「歌」の三つの言葉で検索してみました。
「いろは歌」の作者が他にも「紅葉」を歌った歌があるのでは無いか?
と思ったのです。

すると「紅葉」と言う名前の女性とそれに関わる天皇の存在が見えてきました

二人は鬼女「紅葉」と冷泉天皇。
そして紅葉は信濃(今の長野県)と関係が深い事が分かりました。
信濃(しなの)…
古くは「科野」とも書きます。
「科」の字は「とが」とも読みます。
「科野」の地は陸の孤島で、その昔には流刑地として朝廷に刃向かった人達が罪人として送られた所です。
古事記でも有名なタケミナカタもアマツカミに刃向かい封印された所でもあります。
信濃とは「科(とが)の地」である「しなの」なのです

(迷子の古事記 2013.12.15)

いろはにほへとちりぬるを

2014年01月08日 | いろは歌
先月何気なしに見ていた「いろは歌」に興味を持つきっかけになったのはこの最初の一文です

いろはにほへとちりぬるを

一般的な解釈としては…

・匂いたつような色の花も散ってしまう
・匂いたつような色葉も散ってしまう

と言った所でしょうか。
「いろは」を「色は」或いは「色葉」と読んでいます。
「花」「葉っぱ」の違いであれ、内容的には大して変わらないようにも見えます。
ところが出だしを次のように書いたらどうでしょうか?

色葉に負へど

「色葉と言う名前だけれども」と言うような意味になるかと思います。
「負う」と言う言葉は「名前を背負っている」と言うような意味でも使われます。
老婆と言う意味の「媼(おうな)」と言う言葉がありますが、かなり古い時代には「負ふ名(おふな)」で若い女性を表していたと思います。
また「名に負ふ」なんて使い方もされます。

名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
(古今集・在原業平)

色葉と言う名前の女性が居たのではないか?と思ったのです

色葉と言う名前の匂いたつような美しい女性だったのだけれども儚く散ってしまった事だ

私は「いろは歌」の出だしをこのように読んでみたのです。
そしてその後も読み進めていくと、もう一人「いろは歌」を詠んだであろう男性の姿も垣間見えてくるような気がしました。
そして、色葉と言う名前の女性と歌を詠んだであろう男性を手がかりにネットで検索してみたのです

…残念ながら検索にはひっかかりませんでした
しかし私はもう一つの手段を考えていました。
「色葉」と言う文字は「もみじ」と読んでもいいのではないか?
「色葉」に「もみじ」と言う仮名を振った物を何かの古い本で見た気がするのだが…

そこで「もみじ」と言う名前の女性と歌を詠んだであろう男性で検索してみたのです。
すると検索結果にちゃんと表示されるじゃないですか
そして二人の周辺をネットで検索してみたところ、どうやらこれはもしかすると…
本物かもしれないと思ったのです

そこでもう一度「いろは歌」を改めて見てみると、そこには「もみじ」の名前も隠されている事に気付いたのです。
「いろは歌」を慣例どおり7文字で書いた物と歌の区切りで書いた物は、一行目と最後の二行は一致するのです。他の行は全く異なりますが、この三行だけは同じになるのです。
初めの一行には「いろは」が書かれ、最後の二行には「もみじ」と言う言葉が隠れていたのです

いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
  ゑひも
せす

いろはにほへと
  ちりぬるを
 わかよたれそ
  つねならむ
うゐのおくやま
  けふこえて
あさきゆめみし
  ゑひも
せす

黄色い文字を上下上下で読んでみてください。

あさきゑゆひめもみし

「朝消ゑゆ姫紅葉」とでも読むのでしょうか。
「消ゑゆ」という言葉は「色葉匂へど散りぬるを」に繋がっていそうに見えます。
慣例の7文字の区切りと歌の区切りとでも変わりが無い三行に「いろは」と「もみじ」が記されているのです

(迷子の古事記 2013.12.13)