グー版・迷子の古事記

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怨念桜(2)

2013年12月07日 | 落書き帖
山を越え緩やかな谷を見渡せる高台の陣地に着いた時には既に日は暮れていた。
大田二曹は車を降りるとすぐに大砲設置の指示を出していた。
砲班員達が指示に従い準備に取り掛かっていると、急に雲行きが怪しくなってきた。

「おい、急げよ。」

口数があまり多くなくいつも無愛想にも見える大田二曹が、いつもにも増して無愛想になってきた。

「おい、とろとろすんなよ。」

大田二曹の口が荒くなるのも仕方なかった。
トラックを止めたときには降っていなかった雨が、降り始めたかと思うと休む間も無く日本海から山を越えてきた風を伴って嵐に変わっていた。
この土地独特の凪颪(なぎおろし)である。
凪颪は台風の風に比べても見劣りしないどころか、台風よりも数段強い風を吹き付けてくる。
雨交じりの風なら誰も文句は言わないだろうが、雨に濡れた土砂までも地面からさらった突風が横っ面に吹き付けてくる。
顔中痛くなる雨など中々経験出来る物でもないが、経験したくない物でもある。
服の隙間と言う隙間、体の隙間と言う隙間に砂利水が入り込んでくる。
砲班員達があたふたし士気が下がりかけている所へ、のん気な声が無線から響いてきた。

「奥さん、奥さん、こちら六丸、どうぞ。」

砲班員達は無線から聞こえてくる田中曹長の声を聞き、ほっとすると同時に冷静さを取り戻していた。
この切羽詰った状況には場違いとも言える田中曹長の声に力強ささえ感じていた。
林三曹も少し笑みを取り戻し無線に答えていた。

「こちら六三、どうぞ。」
「もう穴は掘ったのか?どうぞ。」
「まだですよ、大砲開脚中です。中隊本部はもう穴掘ったんですか?どうぞ。」
「あったりめぇーよ、俺を誰だと思ってるんだ、ちゃちゃっと終わらせたよ、どうぞ。」
「はいはい、了解ですどうぞ。」
「それがよー、蛸壺掘ってたら、墓石がごろごろ出てきやがってよ。掘りにくいったらありゃしねぇんだよ、どうぞ。」

蛸壺と言うのは、人一人が隠れる為用の穴である。
中隊本部は大砲を所持していないので、自分達だけが入れる穴さえ掘れば問題なかった。

「えー、墓石って…、それでその石どうしたんですか?どうぞ。」
「邪魔だからお前達のいる方へ転がしてやったよ。ハハハハ、どうぞ。」
「いや、邪魔だからって…、笑い事じゃないですよ、罰が当たりますよ罰が、どうぞ。」
「ばかやろう、お前その年でまだそんな事信じてるのか、どうぞ。」
「いやいや、もしかしてこの嵐はターさんのせいじゃないですかね、どうぞ。」
「このやろう、そんな事言って俺を陥れようとしてるな、どうぞ。」
「そんな事無いですけど…、定年間近なんだから気をつけてくださいよ、どうぞ。」
「ぉ、おう、お前らも早いこと穴掘れよ、どうぞ。」
「了解です。どうぞ。」
「それじゃあ、これにて終わり。」

田中曹長の声を聞き、大田二曹もいつもの冷静さを取り戻していた。

「ターさんのん気なもんだな。」

たたき上げの大田二曹は30歳で二曹になっているだけあって、冷静ささえ取り戻せばかなり出来る人だった。
砲班員達も冷静さを取り戻した大田二曹を見てほっと安心していた。
彼らは皆班長を信頼していたのだ。
それからの大田二曹の指示は的確だった。
大砲を設置し終わると穴掘りを指示し、大砲まで隠す穴を掘るのは無理だと判断すると、砲班員達だけ入れる穴ができた所で、その中へすぐ避難するように指示した。

穴に避難した時には既に班員達全員が憔悴しきっていた。
疲れきった体はじっとしていたいのだが、横から吹きすさぶ砂利雨に体温を奪われた体は動きを止めると突き刺すような痛みが走ってくる。
少し経験のある隊員達は、ポケットに忍ばせていたウィスキーに口をつけ体温を補った。
また経験の少ない隊員には、先輩隊員がウィスキーを分け与えていた。
もしこの穴に、「お酒は二十歳になってから」なんて悠長な事を言う人がいたら大事になってたかもしれない。

凪颪(なぎおろし)は明け方近くまで続いた。
最初のうちは外にも出れない穴の中で過ごす為に詰らない話などもしていたが、それも長くは続かなかった。
寒さと痛さに耐えながら、何時間も何時間もただただ夜が明け太陽の温かみが戻るのを待った。

永遠に明けないのではないかと思われるほど長い時間待った気がする。
空が白みかけた頃には凪颪も止み、嘘みたいに雲も晴れていた。

「はぁ、やっと夜が明けた。」

誰かがつぶやいた。

「あと、4時間くらいかな?」

また誰かがつぶやいた。
この戦闘訓練はその日の昼頃に終わる予定だったのだ。
そこへあの元気な声が無線から響いてきた。

「奥さん、奥さん、こちら六丸、どうぞ。」
「こちら六三、どうぞ。」

林三曹が急いで無線に出た。

「おぉぉ、みんな元気にしてるか?どうぞ。」
「はい、こちら異常ありません、どうぞ。」
「予定では昼までだったが、どうやらもう終わってるらしいぞ、どうぞ。」
「え?もう状況終わったんですか?どうぞ。」
「おぉぉ、どうやら谷の下の方の部隊が全滅らしいぞ、どうぞ。」

皆何があったんだ?と言う面持ちで谷の下まで見下ろせる場所まで行ってみた。
谷を下った先にある怨念桜の周りには自衛隊の救急車が何台も止まっている。
林三曹は谷の下の方を確認すると急いで無線に戻ってきた。

「一体何があったんですか?どうぞ。」
「昨晩の嵐で倒れたらしいぞ、お前らよく生きてたな、どうぞ。」
「日ごろの行いがいいですからね、どうぞ。」
「ハハハ、それだけ軽口が叩けるならもう心配いらねぇな、どうぞ。」
「ところで昨晩の嵐は、やっぱりどう考えてもターさんのせいじゃないですかね?どうぞ。」
「何を~、まだ言ってやがるのか、俺が元気で祟られて無いんだから関係ないだろう、どうぞ。」
「いやぁその分他の人が祟られたんでしょ、どうぞ。」
「お前はどうしても俺を悪者にしたいらしいな、腕立て100回させるぞ、どうぞ。」
「何と言われようとも意見は変えませんよ、本当に寒かったんですから、どうぞ。」
「わかった、そこまで言うならここにまだ墓石が残ってるから、そっちへ向けて転がり落としてやる、どうぞ。」
「すいません、謝りますから、もうそれだけは勘弁してください、どうぞ。」

昨晩の嵐が嘘ででもあったかのように、砲班員たちの顔から笑みがこぼれていた。

(迷子の古事記 2013.11.9)