遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

大皿・大鉢・壷30 二彩唐津松紋壷

2022年01月26日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

二彩唐津の壷(甕)です。

右回りに、90度ずつ。

 

 

 

 

最大径 35.0㎝、口径 32.8㎝、高台径 14.1㎝、高 33.7㎝。江戸前ー中期。

鉄釉と緑釉で、大胆に松が描かれています。

民芸陶器の代表格です。

このような品は、かつては、弓野焼、あるいはそれを継承した二川焼と呼ばれていました。しかし、その後、佐賀県武雄市を中心に、同様の品を焼いた窯が次々と見つかりました。さらに、伊万里焼と重複している窯も発見されました。

ですから、もはや、◯◯焼の名称にはおさまりきらなくなり、二彩唐津と呼ばれることが多くなりました。しいて言うなら、武雄系鉄絵緑釉松紋壷でしょうか。

これまで紹介してきた刷毛目模様の唐津と同様、鉄分の多い土ですが、もっとガサガサした感じがします。

 

ものすごい迫力の松です。

松の巨木?それとも、岩上の松?

もはや、松かどうかさえ問題にしていない!?(^^;

 

焦げた鉄釉と控えめに打たれた緑釉の組合せは、黄瀬戸を思わせます。 

経年の小傷が無数にあります。さらに、穴の部分には、雨漏りも。

このような壷は、江戸時代から明治まで、長く焼かれてきました。今回の壷は、そのうちで、初期に属する品だと思われます。

実はこの壷は、40年程前、能登半島輪島の骨董屋で入手した物です。店の親爺がいうには、地元の寺で最近まで使われていたとの事。本当のウブですね。他にも、いくつか欲しい品がありました。迷った挙句、ロシア紙幣が嵌め込まれた宝石箱?と麦藁手の小皿を一緒にゲット。

親爺さんが言うには、輪島には江戸時代から、各地の珍しい物が集まったそうです。その理由は、富山の薬売りが、輪島塗の漆器を薬と共に全国各地に売り歩き、かわりにその地の名産品などを仕入れて、輪島に持ち帰ったからだそうです。この壷のような大きな物は、日本海の海運で運ばれたのでしょうが、江戸時代の物産の流通を考える上で、興味深い話でした。

さて、この壷は持って帰るには大きすぎるし、どうしたものかと思ううちに、親爺さんはさっさと梱包をしているではないですか。しかも、持ち手もついて完璧。こうなってくると、自分で運ばねばなりません。能登から岐阜へ、7kgもある大荷物を電車を乗り継いで運んだのでした。

おまけに、駅で冷や汗。帰りの切符を買った後、家への土産をあれこれ物色し、おおこれだという銘菓をを手にして、いざ支払いとなった時、ポケットの中には、100円玉が数個しか残っていないことに気がつきました。骨董の買い過ぎ^^)  ATMなぞどこにもなかった時代、もう一品増やしていたら、家に帰れなくなっていたところでした(^^;

この壷、その後10年間ほど、年に2回、表面に白い粉がふいてきました。舐めてみると辛い。塩です。お寺では、塩入れに使っていたのですね。 

故玩館のような江戸造りの家には、この壷は合います。どこへ置いても違和感がありません。最近は、玄関から入った最初の部屋、琳派屏風の前に置いています。またブログで書きますが、花を活ける時、生花はダメです。屏風が破れます。かといって、造花ではお笑いだし。

年末、例のスーパーレディの姉から、ツクバネの切枝をもらいました。

年があけても、葉が青々としています。造花ではないのに、不思議です。

こんな感じで1か月経ちました。ツクバネはいつまでもつのでしょうか(^.^)

 

 


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8 コメント

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Unknown (mash1125(世界の街角))
2022-01-26 13:01:30
典型的な武雄で、絵付けが雄大ですね。好きなものを運ぶのは苦になりませんね。
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mash1125さんへ (遅生)
2022-01-26 14:39:23
武雄系二彩唐津でも、時代によって絵付けが大分違いますね。他の陶磁器と同様、時代が遡るほど力があります。

こんなに重い物は、今では、もう運べません(^^;
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遅生さんへ (Dr.K)
2022-01-26 17:35:09
見事な二彩唐津ですね(^_^)
大きさといい、力強い文様といい、名品ですね(^_^)

なるほど、昔は、日本海の海運を利用して、輪島にこのように大きなものが運ばれたのですか。
今は、陸運を使って、人力で運ぶとなると大変ですね!
でも、無事運べてよかったです(^-^*)

私も、10年程前、暮れの骨董市でツクバネの小さな枝を買ったことがあります。ツクバネの枝は高価なんですよね。それで、小さな枝しか買えませんでした(~_~;)
これほど大きな枝で、しかも大量になりますと、相当な額になりますね(^_^)

以前、武相荘(旧白洲邸)に行った時、ツクバネが飾ってあるところを見たことがあります。
水の中に活けるのではなく、単に、飾ってありました。ドライフラワーのように、、。
私も、買ったそのツクバネは、水を入れない竹籠に入れて飾っていました。
ツクバネは、かなり長くも持つようですね。
でも、最近、さすがに古くなり、汚らしくもなってきましたので捨てました。
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Dr.kさんへ (遅生)
2022-01-26 19:23:42
江戸時代、日本海側は栄えていましたから、伊万里をはじめ、多くのお宝が残っているようです。美濃は内陸部ですが、船運があった大河筋には、やはり品物がありますね。

ツクバネは以前にもブログに書きましたね。Drの所と違って、ウチのは葉が早く散ります。いつももらうだけですから値段はわかりません。植物に詳しい人は、自分で取って来るようです。案外、山裾の道端にあるそうです。昔なら、必死で探しに行ったでしょうが、今はもらえるのを待っているだけです(^.^)
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Unknown (tkgmzt2902)
2022-01-26 23:58:03
大胆な刷毛目が民芸展の作品を見ているようで、人体の力強さに引き込まれます。
「塩味」も生活が息づいていて面白いですね。

それとツクバネ。
3年前、旅館の皿の上で見たこと、さわったことしかありませんが、その名前と
形にすっかり虜になりました。
こんな風に息づいているのですねぇ。自然の妙としか言いようがありません。
台湾カステラ、ツクバネ。姉上様に勝手に親しみを感じています。
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tkgmzt2902さんへ (遅生)
2022-01-27 05:34:34
この壷、おそらく300年以上も使われ続けていたのでしょう、傷だらけです。よく、壊れなかったものだと思います。普段使いが陶磁器の本来の姿ですから、この品などは民芸品の代表ですね。時代の風格にあふれています。

ツクバネ、いつ頃からか流行ってきました。ドライフラワー感覚で何年ももちますから、ズボラな私向きです(^.^)
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Unknown (pada)
2022-01-28 11:12:08
この手は傷物は当たり前でしょうが、小傷の大甕で迫力満点ですね。私も、輪島で木化石を買って持ち帰るのに弱ったことがあります。
早々~こちらは愛媛~同じく漆器が盛んなさくらいと言うところがありますが、良い古いものが出ます。漆器を売った後、空舟を利用して古伊万里等々を運んだみたいです。
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padaさんへ (遅生)
2022-01-28 13:41:01
この品は、間違いなく塩壷として寺院で使われていた物です。口元の傷がすごいです。別の容器を口元へ置いて、塩を取り出していたのでしょう。何百年もの間、よく壊れなかったものだと思います。
桜井漆器の古い手が出ますか。興味深いです。江戸時代は、今では想像がつかないほど、物を運ぶのが大変だったでしょうね。船運の便が良かった所には、まだまだお宝が眠っていると思います。
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