遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

山中信天翁『水墨山水画 蓬瀛春色』

2024年01月03日 | 文人書画

正月らしい絵を探してみました。

全体、56.7㎝x186.5㎝、本紙、45.3㎝x170.2㎝。幕末ー明治。

山中信天翁(やまなかしんてんのう、文政五(1822)ー明治十九(1885)):三河生れ。幕末ー明治に活躍した書家、政治家。勤王志士として国事に奔走。新政府に仕えたのち、隠居して文人生活をおくる。書画に秀で、近代書道に大きな足跡を残した。

蓬瀛春色(ほうえいしゅんしょく)
蓬瀛:蓬莱(ホウライ)と瀛州(エイシュウ)の二つの山。中国では仙人がすむとされた。
春色:春の景色。

富岡鉄斎は、武家社会が崩壊した後に現れた最後の文人です。その鉄斎に大きな影響を与えたのが山中信天翁です。信天翁より15歳年下の鉄斎は、信天翁との出会いをきっかけに、文人として生きていくことを決心したと言われています。二人はその後、生涯の友として書画に励みました。

倒幕運動に深くかかわり、新政府では岩倉具視を補佐して活躍した山中信天翁ですが、やがて職を辞し、隠遁生活を送ります。富岡鉄斎は勤王に心を寄せながらも、少し距離をとっていました。二人とも、武士の出ではなく、激烈な倒幕運動やその後の政変は彼らの肌に合わなかったのかも知れません。

俗世間から離れ、詩書画の世界にひたった二人にとって、蓬瀛の仙境は理想郷であり、好んでとりあげた画題であったのです。

 


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 故玩館ブログ、本年もよろしく。 | トップ | 古染付太古石草花紋小皿(10枚) »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぽぽ)
2024-01-03 09:16:22
素敵な掛け軸ですね!さらにその時代背景や作者の詳細が加わると色んな想像が膨らんでそのあたりも面白いなと思いました。ポツンと佇む鶴は何を思ってるんでしょうかね(^^)
返信する
Unknown (1948219suisen)
2024-01-03 09:28:32
山中信天翁の信天翁はアホウドリのことですね。

これは春から縁起が良いと思います。

阿呆は神様が最も喜ばれますから。

私は今でも十分阿呆ですが、今年はもっと阿呆になれたらと望んでいます。

富岡鉄斎のことですが、確か宝塚市の清荒神には富岡鉄斎美術館があったと思います。私は清荒神には何度も行っていますが、鉄斎美術館に入ったことがありませんから、近々行ってみようと思います。

http://www.kiyoshikojin.or.jp/tessai_museum/

今年も、いろいろ教えてくださいね。
返信する
遅生さんへ (Dr.K)
2024-01-03 09:59:38
山中信天翁は富岡鉄斎に大きな影響を与えたのですか。
といっても、私は山中信天翁のことは知らないのですが、、、(~_~;)

ここ正月そうそう、嫌なニュースが続きます。
現実逃避ではないですが、しばし、蓬瀛の仙境に遊びたくなりました(^-^*)
返信する
ぽぽさんへ (遅生)
2024-01-03 12:02:46
蓬莱山の図は、お目出度でおなじみですね。たいていは極彩色で、谷底と空中に優雅な鶴を描いています。
ところが、今回の鶴はポツンと寂しそうです。
作者は、どこまでいっても人は一人だと言いたいのでしょうか。
返信する
1948219suisenさんへ (遅生)
2024-01-03 12:12:56
信天翁がアホウドリのことだとは、まったく知りませんでした。
運を天にまかす翁、から来ているのだそうですね。無抵抗なアホウドリを、ある種の悟りをもった老人にたとえたのでしょうか。
清荒神の鉄斎美術館へは、ずっと以前に行きました。鉄斎の品を多数蒐集した不思議なお寺でした。
返信する
Dr.Kさんへ (遅生)
2024-01-03 12:35:46
彼らとて、現実から逃避したかったのだと思います。厳しく言えば、文人であってもどこまでも現実はついてまわるので、せめて書画のなかに理想を求めたのでしょう。
ですから、酒と陶磁器の中に理想郷を見ることができれば、立派な文人(^.^)
返信する

コメントを投稿