今回は、九谷焼の向付けです。
径 10.5㎝、底径 5.9㎝、高 7.0㎝。大正―昭和。
九谷焼らしい金襴手の器です。
側面には、梅、菊の花が2つずつ、計4つ、細かな地模様に囲まれて描かれています。
見込みには、雨龍が、ほのぼのと描かれています。
この品には、大きなニュウが3本走っています。やむなく、私が金継ぎで修復しました。外側のニュウは、金線にまぎれて、あまり目立ちません(^^;
底には、「九谷青華」の銘が書かれています。
作者は、須田青華、九谷焼の名工の一人です。須田青華窯は山中温泉にあって、現在、4代須田青華が窯を守っています。
今回の品は何代目の作かはっきりしませんが、作行きなどからして、初代の作品ではないかと考えています。初代、須田青華は、魯山人に作陶の手ほどきをした人として知られています。生涯、自分自身の道を貫いた魯山人、唯我独尊の彼でしたが、須田青華だけは特別の存在であったようです。
この品は、ガラクタを集めはじめた頃(先回のブログと同時期)、街の骨董屋で「魯山人の師匠の品だよ」と言われ、それなら、と求めた物です。何にでも手を出すクセは、もうその頃から始まっていたのですね(^.^)
高台内の銘が無かったら、古伊万里と思いますね(^_^)
「初代、須田青華は、魯山人に作陶の手ほどきをした人として知られてい」るのですか。私は知りませんでした。
遅生さんのところの街の骨董屋は、レベルが高いですね。そのようなことを知っていたのですね(^_^)
また、このように立派な物も陳列していたのですね。
私が住んでいるところは、ずっと田舎ですから、そこの骨董屋には、このように立派な物は陳列されていませんでしたし、その骨董屋もそんな知識もなかったかと思います。
もしも、私が、40数年前に、私の近くの骨董屋でこれに遭遇していたとしたら、「九谷」と書かれているから古伊万里ではないのだろうけれど、「では、いったい、これは何処で作られたのだろうか、、?」と悩み、「君子危うきに近寄らず」で、手を出さなかっただろうと思います(~_~;)
あまりに伸ばしすぎて、途中で絡まってしまったこともシバシバ(^^;
いい加減、焦点を絞らねばなりませんが、どうやらこのまま行きそうな気配です。
世間では、身辺整理の声が高くなっているのですが・・・・(^.^)
本歌は勿論、江戸中期の伊万里だと思いますが
正直なところ、中期の伊万里よりずっと上手な品ではないでしょうか。
骨董屋さんの「魯山人の師匠の品だよ」という殺し文句もさすがとしか言いようがありませんが・・・。
実家の父から狙ったたくさんの九谷の焼き物、たいはん処分してしまったので、心が痛むかせです。
今日はいいものを見させていただきました、ありがとうございます。
風土と伝統、という言葉がピッタリです。
山中温泉の魯山人ゆかりの旅館には、魯山人作品がどっさりあるそうですので、一度行ってみたいです。
新品は結構なお値段です。でも、少々傷有りの品なら、手が届きます。
私の持っているのはそんな品ばかりです。
それで十分楽しめます(^.^)