『三國一朗の世界 あるマルチ放送タレントの昭和史』
濱田研吾2008年
南面堂の「三國一朗」(1921-2000)の認識は、インテリ系司会者、ってとこだったかな。
朝日麦酒に勤めていたという時代は知らない(当方が物心ついていない)。
日本の放送・広告文化史、映画・舞台俳優史の研究家という著者が、三國の著書、周辺の人物の著書などを古書店ほかで丹念に収集、映像が残っているものは視聴して分析・評価する。
何でもやりまショーというバラエティ番組の司会をしていたことなど、やはり当方知る由もない。
後年、東京12チャンネルで『私の昭和史』という歴史番組を低視聴率にもめげず取り組んだこととの対比の妙。
後年、大宅壮一から「白痴番組の三國一朗が教養番組をやっとる」と言われ、ぐさっと来たらしい。「一億総白痴化」という有名な言葉の由来がその「何でも・・」だった、と。最晩年の大宅が三國の番組にゲスト出演した際、ちくりと反撃した三國。
さてと、表題のほろにが通信だが、
hatena.ほろにが通信
濱田氏がyubun-shoinのサイトで「ほろにが通信」について連載
サントリーの「洋酒天国」は開高健、山口瞳などが多く語ってきた(または、開高、山口などの名前とともにたびたび語られてきた)。
そのため、実物を見たことがない南面堂でも名前と位置付けは一応承知していた。
でもね、それに先立つアサヒの「ほろにが通信」は全然しらなんだわ。当方生まれる前だし。
洋酒天国
どうでもいいけど、著者、「長逝」の使い方、おかしくない?
もしかして、意味、誤解してないかなあ?
人名索引が巻末にあるのはとても良い。
濱田研吾2008年
南面堂の「三國一朗」(1921-2000)の認識は、インテリ系司会者、ってとこだったかな。
朝日麦酒に勤めていたという時代は知らない(当方が物心ついていない)。
日本の放送・広告文化史、映画・舞台俳優史の研究家という著者が、三國の著書、周辺の人物の著書などを古書店ほかで丹念に収集、映像が残っているものは視聴して分析・評価する。
何でもやりまショーというバラエティ番組の司会をしていたことなど、やはり当方知る由もない。
後年、東京12チャンネルで『私の昭和史』という歴史番組を低視聴率にもめげず取り組んだこととの対比の妙。
後年、大宅壮一から「白痴番組の三國一朗が教養番組をやっとる」と言われ、ぐさっと来たらしい。「一億総白痴化」という有名な言葉の由来がその「何でも・・」だった、と。最晩年の大宅が三國の番組にゲスト出演した際、ちくりと反撃した三國。
さてと、表題のほろにが通信だが、
hatena.ほろにが通信
濱田氏がyubun-shoinのサイトで「ほろにが通信」について連載
サントリーの「洋酒天国」は開高健、山口瞳などが多く語ってきた(または、開高、山口などの名前とともにたびたび語られてきた)。
そのため、実物を見たことがない南面堂でも名前と位置付けは一応承知していた。
でもね、それに先立つアサヒの「ほろにが通信」は全然しらなんだわ。当方生まれる前だし。
洋酒天国
どうでもいいけど、著者、「長逝」の使い方、おかしくない?
もしかして、意味、誤解してないかなあ?
人名索引が巻末にあるのはとても良い。