goo blog サービス終了のお知らせ 

季節の中で 暮らしの中で -Through the seasons and daily life-

現代の都会でプチ昔&田舎暮らし
-old & country style in modern urban life

自己実現の種

2014-06-18 20:36:00 | 心と体 Mind&Body
知人が貸してくれた本を読んでいる。

娘の結婚運は父親で決まる
岩月 謙司
WAVE出版


裏表紙には「目に見えない影響力で娘たちを不幸にしてはいけない」「なかなか恋愛がうまく行かない女性たちのなぞを父親との関係で繙いた名著」とある。

内容はまあそんな感じ。良くも悪くも父親と似た相手を選ぶ傾向にあるらしい。
悪い場合、基本的に嫌いだから始めはうまく行ってもすぐに嫌になってうまく行かなくなる。
あと、怖いなあと思ったのは「本当に自分に合っている人(本命)を選べない」。う~、そんな話。

まあその中身は賛否あると思う。でもなかなか良い事も書いてあるので、興味がある人は読んでみたら良いかも、と思います。

その中で「自己実現の妨害」と言う項で幼稚な親は子どもが成長して自己実現するのを阻害すると言う話がある。
がんばれ!と言うくせに頑張って栄光を手にしたらそれをめったうちにして台無しにしてしまうのである。本当にある話。
私も実際に患者さんから聞いたことがある。
子どもが自己実現したら親から精神的自立をしてしまうからだって。親は子どもに甘えてるから離れて欲しくない。

その中でこんな文章があった。95ページ

「どうして自己実現と精神的自立は関係あるんですか?」
「自己実現というのは自己完結だからだよ。人は自分自身に誇れることをし、その行動から喜びが得られたら、もう誰にも依存する必要がなくなるんだ。誰にもしがみつかなくなるんだよ。」

この文章が私の中でヒット。

私がやっているハンドワーククラブは自己実現そのものだから。
どんな小さなものでも自分の手で作って仕上げてそれを身に着けたり使ったりすることで確実に喜びが得られる。それがどんなに彼らの力になっているか文章で読んであらためて自信が付いた。
私たちが毎週作っているのは自己実現の種。

小さな小さな点であっても、自分の立ち位置を作って行く、それがハンドワークのやっていることだ。そこからそれぞれ自分の人生や生きる道を広げたり進めたりできる。

良かったなあ良かったなあ…と思いながら、とにかく最後までは読もう。

最終章はその対策だから。読んでおこう。どんな本でも適当な距離を取って、それでも人ごとと思わないで読む。



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良いところさがし

2014-05-20 21:28:12 | 心と体 Mind&Body
クリニックで患者さんが持っていたシートを見てドキッとした。
こういう事だったのか…。

前に彼女が持っていたシートと一緒なんだけど、少し書き込んで変えてある。
前に見たのは「良いところさがし」。毎日(自分以外の)誰かのどんなところが良かったかを書く。一週間で一枚。
それを前に観た時は「これが難しいのか…。」と思った。
それでもそれから随分経ってるのに、彼女はその紙を束にして持っている。と言う事はずっと続けていると言う事だ。私が前に見て、それからそんな事は忘れて暮らしている間、彼女は毎日毎日、これを意識してちゃんと書いて来たのだ。

そのシートの下に書いてある。

 自分がしんどい時には人の悪い所が目につきます。
いつも両方が見れる私になることを目指し、人の良い所を意識して見ます。

病院に来るくらい調子が悪いのにこれを毎日毎日。私が想像するよりずっとずっと大変なことだろう。

それが昨日の彼女のシートにはその上にこう書き加えてあった。

にがてな人の「良いところさがし」

お~、う~。それは、それは…私でも難しい。
それでも彼女はそのシートにしっかり書いている。それを書くのはものすごく大変なことだったと言っている。
そりゃ大変だ!その時、私は相談員さんのすごさと彼女のすごさを感じた。
並大抵ではないよ。
器械体操で行ったら、始めは前転もたいへんと言ってた人が、気付いたらムーンサルトやってたってくらいのすごさだと思う。

ものすごく進歩している。
大変だ、つらい、なかなか書けない。って言ってても書いてる。その事自体がものすごいと思う。

恐れ入りました。
本当にすごいな。こうやって私はクリニックでこの世の奇跡に近いものに時々出会います。
普通の自然な姿で、ものすごい事って目の前に現れるんだといつも思います。

これ読んでる人は、元気でもいきなり「にがてな人の~」から入ってはいけません。
専門の指導員の元で時間をかけてするものだと思います。私でも無理
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝も夕もお経

2014-05-10 21:39:14 | 心と体 Mind&Body
祖父の法事。
お寺に着いたら玄関に小さな靴がたくさん並んでる。良いなあと思った。
子どもや孫、ひ孫がいっぱいいて元気と言うのは一番祖父が喜ぶことだなと。
お経の間も子どもたちはもじもじしながらも我慢している。日本の子どもはこうやってお経を聴きながら「訳がわからなくても、とにかく行儀よくしてる」ことを学ぶんじゃないかと思う。
賑やかに遊んで帰る。

帰ってしばらくしたらまた。
友達が亡くなった。急に。
そんな事。たまに聞くけどあるんだ。
元気でいきなりって。
またお経を聴く。

聴きながら、「生きてるうちは生きよう」なんて考えてた。
って思いながら、悔いの残る生活なんてしてないな。とも。
いつも思いついたら行動してるから。

こんなときはちょっと沈んだ気分で過ごしてもいいなと自分に言う。またちょっとして元気に過ごそう。
死を目の前にすると生きる事ばかり考える。そんな一日。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホレおばさん

2014-04-18 23:23:10 | 心と体 Mind&Body
紡ぎ車の修復の合間の休憩にテレビを付けたらドイツの子ども用番組で「ホレおばさん」と言うのをやっていた。グリム童話。
そしたらずっと今日取り掛かっている紡ぎ車の糸車が出てきた。なんたる偶然。

ホレおばさん

子どもたちが小さい時は毎日寝る前に本を読んだ。なんと10年近く読んだ。
グリム童話もたくさん、そして何回も。

それで懐かしいなあと思って観た。

自分が見つけた、その時出来る事を見返りを求めないで行うのってやっぱり大事だなあと思いながら見た。

今日は良く働いたから良かったなあと思う。
グリム童話、子どものために読んでて実は自分の意識のそこでしっかりと生き方に繋がってるなと感心した。子どものための本読み、本当は大人のためかも。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独楽

2014-02-25 20:36:46 | 心と体 Mind&Body
8時までに晩御飯を食べると言う目標を守るように今の所続けています。

クリニックで患者さんと話していると「何が一番大変かって、自分の世話するのんやわ。」って話に良くなる。

アルコール依存症の人たちって自分勝手かと思う人が多いかもしれないけど、そうでもない。自分を二の次三の次にして頑張る人がなりやすいように思う。自分がどう思うかどう感じるかより、他人や社会がどう判断するかに敏感かも。
それで軋轢が起こってそのひずみをアルコールで解消しているのが積み重なって大きくなってどんどん酒量が多くなってくる。
そうすると体や脳がアルコールに支配されて人生も家族も体も蝕まれていく。
そうやって動けなくなってもまだ自分の最大の力で人に認められる存在として役に立ちたいと願って、それが出来ないからそのギャップで余計に飲んでしまうと言うケースも。

そしてアルコール依存症になって自分の世話をしようと思っても(だってしないとお酒を飲んで死んでしまうから)、今まで自分がどう感じるか何をしたいかなんて考えた事ないから、それがまずわからない。何をいつ食べたらいいのかとか、どうやったら気持ち良く寝て起きれるかとか。


まあそれは極端なケースだけれど、彼らから学ぶことがたくさんある。極端なだけにわかりやすいから学びやすい。
それでアルコール依存症を中心として精神科の医療が裾野を広げる可能性が大きいのだと思う。

彼らからいつもたくさん学ばせて貰っている、そんな私が今「しないと!」って思ってる事は自分の世話だ。
きっかけは体重が増えて服がきつくなって来て「あれ?」って思った事から。ま、良いんだけど服を買い換えるのと動きにくいのが嫌なので。
良く考えてみたらこの頃仕事やアルバイトなんかで遅くなる家族に晩御飯の時間を合わせているのがいけないんじゃないかと。
夜の9時を過ぎてから晩御飯を食べる事も増えて来てた。12時には寝るので結構消化しないまま床に就くことになる。

子どもたちが小さい時は7時台には食べていたので随分遅くなってる。自分で今まで気付いてなかった。
それに待ってる間にお腹が空くから何かつまんで食べるし。良くない。

自分のペースを守ろう。自分の体と心の世話をしよう。
決まった時間に出来るだけ丁寧な食事をして、適当に動いて、働いて楽しんでちゃんと寝る。それだけ。
それだけだけど、すごく難しい。
昔の人は自然にそれが出来てたからすごいと思う。
昔って言っても私たちの祖父母の時代。晩御飯は6時頃、お風呂も早いし寝るのも早いし起きるのも早かった。
電燈がちゃんとなかったからそうするしかなかったんだろうけど、それが出来るってすごいと思う。それに合わせていろいろ生活を回して行かないといけないから。

周りがどんなに動いても自分の暮らしの芯は動かさずにしっかりとまっすぐに立つ。独楽のように。
コマって言う漢字、今気付いたけどすごいな。独りで楽しいって書くんだ。なるほど~。

一人でも子どもが大きくなっても自分の世話をして健康に楽しく生きる。
自分だけのことみたいだけど、実はそれが社会的にも節約になってエコになって、いらないお世話もかけない一番の方法かもしれないと思う。

芯がぶれないでまっすぐに立ってクルクル回る独楽、いいね。そんな暮らし。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

積もってます

2014-01-15 21:10:42 | 心と体 Mind&Body
今日は小正月。
ぜんざいを炊いて食べました。

       

おいしい!
前は小豆を炊くのがたいへんだと思っててなかなかおいしく出来なかったんだけど、今は簡単に美味しく出来るようになった。
何が違うのかな?ほんとに簡単だ。
小豆を洗って被るくらいの水に入れて茹でる。沸騰したら笊にあけてまた水に入れて茹でる。もう一度同じことをする(茹でこぼし)。
小豆が柔らかくなってきたら砂糖を入れる。2回に分けて入れます。そして塩を一つまみ。それだけ。
何か作るときに片方で作ると待ったり忘れたりしなくて良い。

たぶん、暮れのお餅つきのきな粉もうまく行くようになったのもそれだと思うけど、砂糖を入れる量がわかったんだと思う。
昔はちびちび足して味見をし過ぎて味がわからなくなってた。今はドバっと入れたらそれで大体大丈夫。
白砂糖だけじゃなくて粗糖も入れると深みが増す。

って風に食べる事ばかり考えて食べる毎日。(ブログ見てたらわかると思うけど)
そんな時にこのブログ。漢方薬局の先生のです。

食積、積もってると思う。結構。
大体お正月とか「これ以上食べられない!」ってくらい食べる。
今日気付いた(遅い)けど、胃袋や消化器官ってその人にピッタリに合った物に出来てるはずだから、「これ以上食べれない」量を消化して消費しようと思ったらきっと「これ以上動けない!」ってくらい動かないといけないんだと思う。
それくらい動いてる人はそれくらいお腹が空いてたくさん食べてOK。

今の暮らしでそんなに動くことはあまりないし、寒い時は尚更だからお正月に食べすぎると後で体の調子が良くないんだと今日思い至った。

若い時は体が元気だから頑張って消化と消費してくれるけど、若くなくなってきたら体に負担なんだろうな。
ほどほどしか動かないんだったらほどほどに食べることを心がけるのが大事だなあと思う。

しばらくほどほどに食べて、気を付けて動くようにしたいなあと思う。
去年の夏くらいからなんだか成長してるみたいだから。そんなお年頃~。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の酵素出来ました。

2013-12-19 13:15:34 | 心と体 Mind&Body
秋の酵素が出来た。ほとんどの水分が漉されてるのでとりあえず瓶に詰める。
結構たくさんできた。なぜかカメラのピントが接写にしかならなくて写真がぼやけてる。

       

飲んでみた。イガイガ感はない。美味しい!娘が「お正月の味がする!」と言っている。
大根ニンジン柚子?

これで寒さを乗り切る。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の酵素

2013-12-11 12:52:42 | 心と体 Mind&Body
やらなきゃやらなきゃと思ってて延ばし延ばしにしていた。
そのうち「もう間に合わないか」とあきらめかけてたら
酵素友達が「今なら間に合うよ!すぐに電話してごらん!」と言うので電話して注文したらすぐに材料を届けてくれた。徳島の野草酵素を教えてくれるところ。

大きな箱を開けると様々な野菜や果物が入っている。
春の酵素と違って全部材料を揃えて送ってくれる。

       

砂糖と売り切れだった穀物だけを自分で準備する。

       

それからただただひたすら材料を切って樽に砂糖と入れて行くのは春と一緒。
秋は根のものと実のものが主です。それがパッと見ただけでも30種類以上。同じ外観でも切ってみると中の色が違ったり、香りが違ったり。キッチンにいろいろな実りの薫りが広がって行く、それが気持ち良い。
眼で鼻で楽しみながら材料を切って行く。
この柑橘はとても薫りが良い。

       

これはうこん?とてもきれいです。上のは何かなあ?生姜かと思ったけど食べてみたら辛くなかった。芋みたい。

       

徳島の友達から送って貰ったビーツとニンジンの抜き菜も少し入れる。
静岡の柚子も。

       

春に比べたら楽だけど、それでも一人で10キロの野菜を切って入れるのは大変だった。集中力が途切れると包丁で怪我をしそうなので途中で少しの休憩も鋏ながら慎重に進めた。
春の野草と違って水気が多いからかすぐに水が上がってくる。
全部漬け終えた。

       

明日から毎日手でかき混ぜます。1週間後には出来る予定。
どんな風に変わって来るのか、どんな味になるのか楽しみ。
あきらめかけてたけど、出来て良かった。友達と酵素の師匠に感謝。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

You & I

2013-11-26 09:14:41 | 心と体 Mind&Body
この前、外国の人たちの古都案内をした時にわかったけど
私の英語はそんなに悪くない。だった。それは発音も文法もあと外国の人に対する態度や日本人としての自覚や立ち位置。
それはすごい発見。

中学の時に英語の授業がてんでわからなくて3年生の懇談で「この英語の成績だとあなたの志望校より随分下のところにしか行けません」と言われた。自分にはしたい勉強があったので強烈なショックだった。その時。
その後、ものすごい努力の甲斐あって中学英語はちゃんとわかるようになったけど。

高校の時も英語がてんでわからなくて、なんと英文で冠詞や指示語や疑問詞以外は殆ど辞書で引いてた。
何回も何回も同じ単語を引いても覚えられない。並べ替えや前置詞のあてはめとか殆ど勘で解いてた。
試験前も人に写させて貰った訳を必死で覚えるくらい。いつも赤点ギリギリの低空飛行。

大学でも英語はわからないし面白くないし。
そう、学校に行っていた時に英語が出来たためしがない。

だから私は英語が苦手だし好きじゃないし出来ないとずっと思っていて、今もそう思っている。


それが気づいたら普通に聞けて読めて話せている自分が居る。不思議だ~。

どうしてそうやって英語が使えるようになったかと言うと、きっかけは交換留学。
大学生の時にライオンズクラブ主催のユースエクスチェンジと言う企画で外国に行ける事になって、英会話をあわてて勉強した。
そして派遣される国が決まってみたらオーストリアだった。ドイツ語! その時は英語よりドイツ語はもちろんもっと難しくて「絶対に使わないから勉強したくない」だったから英語を頑張って練習して行こうと考えた。

行ってみたら私とその国の家族と文化や水が合って、それはそれは幸せで充実した毎日だった。
英語が使えることでいろいろな人たちと会話が出来て繋がれる面白さや楽しさを初めてわかった時だと思う。

その後も彼らに会いたい繋がってたい一心で英語の勉強を続けた。
映画を字幕で観たり、洋書を読むようにしたり。子どもが少し大きくなってからは英会話教室にも通って。

その間何年かは子どもたちが小さくてオーストリアにも行けなかったし近くに外国の人もいなかったから「こんな小さい町で英語を勉強して何の役に立つのだろう?」とやめようかと思った事もある。
それでも続けて勉強していた。

そうやって苦手だった私の英語は何十年もかけて少しずつ寝返りからお座りハイハイよちよちを経て独り歩きできるようになってきたのだと思う。
それはものすごい事だなと自分で思う。
ここ数年はそのおかげで外国の友達も増えて、それで役に立てるようにもなって来た。

今はSNSでも簡単に繋がれるしSkypeで顔を観ながら会話も出来る。買い物もインターネットで外国から簡単に出来るようになった。そうやって日本語と英語が普通に共存する暮らし。

英語が出来なかった時、それは判断基準を人に任せていた時だと思う。行動の中心が自分以外のあなた(You)であり勉強する原動力は心配や「憂」い。試験の点数や将来やいろんな事のために勉強していた時。
学びそのものは苦しくつらくどんどん自分のエネルギーが吸い取られていくような感じ。

英語が毎日の暮らしの学びになって身に付いて行った時は誰のためでもなく自分のために学んでいた(I)。
勉強する原動力は大好きな外国の友達に対する「愛」。
学びは楽しく、積極的で英語を使う事で自分のエネルギーはどんどん膨らんで高まって行く。

少し前に友達から行動はアイから!って聞いてなるほどと思ったけど、その通りだ。
アイはI(わたし)であり愛である。胸の真ん中から自分で行動する。
勉強だって仕事だって。

そうやって来てあんなに苦手だった英語が私の身に付いた。こんな奇跡的なことってないと思う。
自分主体に動いて学ぶこと、そのすばらしさに改めて気付く。それは自分だけじゃなくて周りの他の人のためにもいずれはなる。

You(憂)よりI(愛)基準での学びと暮らし、これからも大切にして行きたいと思う。


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待ってました!

2013-11-14 18:46:52 | 心と体 Mind&Body
娘の踊りの発表会。
一年かけて一つの演目を練習して、衣装を決めてカツラを合わせて、たくさんのお金がかかるのでこっちが心配するくらいアルバイトを詰めて…迎えた当日。

今回は先生についているお弟子さんの公演の25周年と言う事で、みなさん張り切った演目が並ぶ。
娘も意を決して白化粧にカツラで小道具を使うと言うものに挑んだ。

このカツラは出来合いのものではなくて、ザンバラのものを演目と演者の頭の形に合わせてオーダーメイドで仕立ててもらうもの。それ故高額な費用がかかるけれどそれも日本の文化の継承のためと先生がその方に頼んで京都から来てやってもらっているらしい。
楽屋にはカツラ師と化粧師、着付けの方がいらして、それぞれ専門的な技法と材料で伝統の技を駆使して仕上げて下さる。それを見るだけでも感動もの。
化粧も胡粉を刷毛で塗る伝統的なもの。白と赤と黒の三色だけでそれぞれが仕上げられていくのが見事。
お嫁入りの時のようにデコルテも背中も手も真っ白に塗ります。

       

髪型も帯びの結び方も着物の柄も着付けの仕方も、役柄の年齢や社会的地位に見合ったものや季節のものが反映されていて興味深い。髪飾り一つでも工夫が合ってなるほどと思わされる。

       

大きな舞台に一人で出るのはさぞかし勇気がいるだろうと思う。なかなかない体験だ。
桶に白い布を入れて登場した娘。私は何をするのか殆ど聞いてなかったので、展開が楽しみ。

       

「友禅晒し」と言う私の手仕事と繋がった演目で、その偶然に驚く。白い布を染めると言う作業は、真っ白な状態から自分を性格づけて用途に有用に成長すると言う意味も感じられて、今の彼女にもぴったりだと思う。さすが先生。

       

水に布を晒す動作がひらひらの布であらわされる。さながら日本の新体操(歴史はこっちがずっと古いけど)。
新春かくし芸大会のようで華やか。すごい芸当を身に付けたもんだなあと思う。
こんなの外国に行った時にやったらさぞかし受けるだろうと思う。

       

準備にものすごい時間とエネルギーとをかけているのに、本番は10分足らずでお仕舞い。
もう一回観たい気持ちになる。まあ仕方ないなあ。DVDもあるらしいからそれをまた観よう。

他の方の演目も観る。さまざまな題と趣向の踊りが続く。
見ていると水をテーマにしたものが結構ある。
水たまりだったり娘のように川だったり。
狸屋島と言う先生の踊りの中では大きな海の波が出て来た。
それが2本の扇の動きと体の上下、曲線の足跡で表されてるのだけれど、見ているうちに舞台の上いっぱいに大きな波がうねって広がり泡立つさまが見えるように展開されてきた。そのダイナミックさに心を掴まれた。
ハイテクの3D映画とかあるけど、扇二つで本物の海を舞台の上に創り出してしまうとは、日本舞踊とはとてつもない芸術なのだなあと感心する。

他にも散る花や風、モミジの紅葉するさまなど次々に簡単な屏風だけのセットと少しの小道具で表すのだ。
時に滑稽で時におおらかでまた力強く、たおやかな乙女や芯の通った女性も出てくる。
次々と現れるイリュージョンに釘づけ。日本舞踊、すごいなあ。

あと、印象深かったのは90歳以上のお年寄りの踊りを観た時。
何かに印象が似てると思ったらそれは小さな子どもの踊りだった。
ドンとした力が出るわけでなく、ふわふわと時には振りを忘れて立ち尽くしたりするのがこちらにもわかるくらいなんだけど、見てて好ましくかわいらしい。出ているだけで拍手を送りたくなる。そして心が暖かくなる。
人と言う存在の元の価値を見せられた気がする。

そんな話を娘にすると、「一緒にお稽古して出てた芸人の人もそんなこと言ってたわ。良く出張で保育園とかお年寄りの施設とかに行くんやけど、笑うところとかの反応が一緒やねんて。」
やっぱりか。来たところにまた戻るのだなあ。
白く空白の多い、そのとらわれのない存在。その尊さ美しさ。

そんなこんなを体験出来て素敵な年上の仲間がたくさんできた踊りのお稽古に行けて娘は幸運だと思う。
何より先生の使命感をも感じさせられる活動の様子が伝わって来てこちらも温かくなる。

娘はどれくらいあと続けられるかわからないけど、大学時代の大きな柱の一つとして舞踊に取り組んで来た事を人生で誇りに思う事だろう。私もそう思う。
お疲れ様、ゆっくり休んでその後は残り少ない大学生活を充実させて送ってね。




Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする